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9・3~11動労水戸・動労福島の訪独闘争報告

月刊『労働運動』34頁(0319号04/01)(2016/10/01)


闘う労働者の交流が実現!
― 9・3~11動労水戸・動労福島の訪独闘争報告 ―

 去る9月3日から11日までの日程で、動労水戸、動労福島、動労千葉国際連帯委員会の仲間の5人で、階級的労働運動の発展と国際連帯の拡大を目指してドイツを訪問し、ドイツの労働者との交流を行ってきました。今回の交流は、ドイツ機関士労組ベルリン都市鉄道支部クルト支部長の招きにより行われたもので、闘う現場労働者同士がじかに触れ合い、共に階級的労働運動を展開するための団結を打

ち固める、素晴らしい交流となりました。また、ベルリン都市鉄道支部やゴアレーベンの闘いから、多くのことを学ぶことのできた有意義な交流となりました。今回のドイツ訪問に当たっては、全国の仲間から本当に多くの御支援をいただきました。改めてお礼を申し上げます。

私たちの闘いは世界に通用する

 今回の訪問は、ベルリンからハンブルク、ヴェントラント(ゴアレーベン)、そしてベルリンに戻るというものでした。ベルリンでは、ベルリン都市鉄道支部や階級闘争同盟との交流、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)ドイツ支部訪問、そしてベルリン都市鉄道の車両センターの散歩(クルト支部長いわく)などを行いました。ハンブルクでは港のコンテナヤードの見学や左派活動家の定例会議に参加し、日本での被曝労働拒否の闘いや福島共同診療所の闘いなどを報告し、討論を行いました。ヴェントラントではゴアレーベンの闘いの現場を訪問し、闘いの歴史と現状を学ぶことができました。ベルリンに戻ってからはベルリン都市鉄道支部の組合員と直接触れ合う「夏祭り」への参加や、住宅追い出しに反対して闘うデモへの参加、さらにベルリン都市鉄道の合理化の現状や、ベルリンでの第2次大戦の歴史や、東西分断の歴史を見学することができました。
 いくつもの交流の中で私たちは、日本での外注化―非正規職化に対する闘いや、被曝労働拒否のストライキと福島共同診療所の闘いを報告しました。この報告はドイツの労働者たちの共感を得ることができ、私たちの闘いは世界に通用していると確信することができました。闘わない党派や労組指導部に対して、現場から変えていこうと苦闘しているのはドイツでも同じでした。この闘いをストライキで闘いぬいている私たちの闘いの大きさを知ることができました。

ベルリン都市鉄道支部の闘い

 昨年の11月労働者集会にも参加されたクルト支部長率いるベルリン都市鉄道支部の闘いは、労使協調を図るドイツ機関士労組中央と対決し、現場から闘争をつくりだして階級的労働運動を発展させようとする、ドイツの動労千葉そのものでした。ベルリン都市鉄道はドイツ鉄道から分社化されたような会社ですが、支部と都市鉄道での団体交渉はできなくて、ドイツ機関士労組とドイツ鉄道が交渉し、合理化が推し進められているのが現状です。ベルリン都市鉄道の列車はほとんどワンマン運転で、駅には改札など無く、ほとんど無人化の状態です。さらには転轍所の廃止による人員削減や、わずかに残る駅のホームでの安全監視要員も無くそうとしています。
 これに対して都市鉄道支部は、現場からの要求を掲げて労働者の団結を組織し、合理化反対の抗議行動やストライキを闘っています。また、職場の労働者の選挙によって選出される都市鉄道の経営協議会委員(JR東日本の労使協調組合だけが行うものとは全く違う)になって、経営協議会で合理化を許さないための闘いを展開しています。都市鉄道支部はドイツ機関士労組の傘下ですが、経営協議会委員の選挙にはドイツ機関士労組からの立候補ではなく、EVG(ドイツの国労のような組合)の中の闘う労働者と共に独立派を組織して立候補し、3人の経営協議会委員を出しています。都市鉄道支部は、現場での闘いと経営協議会の闘いを戦略的に駆使し、他の支部へも影響を拡大して職場全体、社会全体を変えるために奮闘しています。こうした闘いは、まさに動労千葉と同じではないかと実感しました。
 この闘いを率いているクルト支部長は、現場労働者から本当に支持され愛されていました。現場で出会う労働者はみんな、支部長の顔を見ると笑顔で話し、自分達の仕事にかける誇りを持って合理化への怒りを話していました。とりわけ駅のホームで安全監視要員として45年働いてきたという女性労働者は印象的でした。クルト支部長は都市鉄道支部の「夏祭り」でも最先頭に立って準備をし、組合員との交流をはかって組合員の笑顔をつくりだしていました。支部長への信頼がひしひしと伝わります。クルト支部長は「各現場の労働者は戦闘的であり、一人ひとりの組合員が信頼できる仲間であり、それに依拠して私は闘っている」と語りました。この思いが絶対反対を貫く力なのだと痛感しました。また組合員の戦闘性を高めるために、「どういう言葉が組合員にいいかを考え、情報を伝えている」とも語っていました。独りよがりの言葉ではなく、「組合員自身に考えてもらうため」の情報だそうです。心底組合員と共に生きる指導者です。この情報の一つが乗務員詰所に出されていた私たちのドイツ訪問の情報でした。その情報の写真には富士山と新幹線があり、真ん中に尼崎事故の写真がありました。「こうした事故問題と闘っている日本の鉄道労働者が来る」という情報です。この情報を見てシュテフェンさんという組合員が私たちの行動に合流してきてくれ、車両センターへの案内も買って出てくれました。さらには「夏祭り」でも何人もの組合員が、私たちにフランクに話しかけてきてくれました。こうした指導者や組合員と連帯を深められたことは、私たちにとって大切なものとなりました。
 私たちは都市鉄道支部の事務所で、組合の闘いについて話を聞きました。その組合事務所の扉には「ストライキゾーン・自分達自身が未来に責任がある」と書かれた掲示が貼ってあったのが印象的でした。労働組合の社会的使命を示す掲示でした。クルト支部長は「労働組合の闘いは本質的に資本・政府との闘いになる」と語り、ストライキでは創意工夫したプラカードをつくってストライキをやっていることを知らせているそうです。
 現場の闘いを社会全体に位置付けて闘っている姿は、あらためて学ばされました。私達自身の闘いも実はそうなんだと気づかされた実感です。また私たちの訪問に際しては、女性組合員が事務所のカーテンを直して綺麗にしてくれたそうです。本当にあたたかい歓待を受けた都市鉄道支部との交流でした。

不撓不屈のゴアレーベンの闘い

 もうひとつ報告しておきたいことは、核廃棄物の中間処分場建設に反対して闘い続けているゴアレーベンの闘いに触れてきたことです。実に40年にわたり実力闘争を展開して闘い続けていることに、本当に感嘆しました。そしてこの闘いが、日本の三里塚闘争と本当に同じように闘われていると感じました。資料館で見た写真では、建設予定地にたくさんのやぐらを建て、多くの人民が闘っている姿がありました。闘争現場にある大きな年表には、身体を鎖で縛り、子どもから老人までが一緒になって闘う写真が載っていました。核廃棄物搬入阻止では、搬入する列車を止めるために多くの人民が線路を占拠する写真もありました。こうした闘いを日本共産党などが見たらなんと言うのでしょうか。
 ゴアレーベンの闘いは、支援してくれるものは拒まないそうです。グリンピースからも支援を受けているそうです。ですがゴアレーベンの闘いは一貫して実力闘争を貫いています。闘争現場には、100人は泊まれるという団結小屋も建っています。そしてこの闘いの象徴的な黄色いXのマークは、核廃棄物を絶対に入れさせないという意味と、Xデーには総決起するという意味があるということです。このマークが、この一帯の家々には看板として貼り付けられていました。とことん一貫していると感じました。また闘争現場にある年表には、日本でのJCO事故、福島原発事故も記されていました。世界中の放射能事故が記されています。自分達だけの環境を守るのではなく、世界中のすべての核をなくすために闘っていることがよくわかりました。
 この闘いも一時期、緑の党や社会党などの「脱原発宣言」によって、結集が減ってしまったことがあったそうです。以前は10万人の結集が3千人に減ったそうです。しかし、この「脱原発宣言」がまったくのインチキであることがわかり、あらためて闘いをつくっているそうです。10月29日には核燃料製造反対集会を闘うということでした。こうした闘いの歴史が、本当に三里塚の闘いと重なりました。本物の闘いは、世界中どこでも同じなのだと思います。
 ゴアレーベンでは、元委員長で日本にも来たケアスティンさんのお宅に、ホームステイさせていただきました。5人もの日本人が泊めていただくという大変なことでしたが、共に闘う仲間たちとバーベキューパーティーでもてなしていただきました。
 その中で、福島の闘いについて話す時間をつくっていただき、動労福島の倉岡さんから福島共同診療所の闘いを中心に話すことができました。参加された方からは多くの理解が示され、また共同診療所に500ユーロを振り込んだ記録用紙のパネルが、倉岡さんに手渡されました。福島の住民、労働者を一緒になって守っていくという思いが伝わってきました。

さらに大きな国際連帯へ

 今回のドイツ訪問では、他にもたくさんの交流をすることができました。住宅追い出し反対デモでは、動労水戸の旗に圧倒的な注目が集まり、辻川さんの発言にも圧倒的な支持を受けました。日本の労働組合の登場が、圧倒的支持を集めました。またIPPNWの訪問でも、福島共同診療所と共に動労福島、動労水戸が闘っていることに共感を得たと思います。
 その一方で感じたのは、ベルリンの階級闘争同盟でもハンブルクの左派活動家グループでも、ひとつの大きな運動体にはなっていないことです。とりわけ労働運動をめぐって労使協調派が支配している現実に、まだまだ全国的な闘いになっていませんでした。ハンブルクで港のコンテナヤードを案内してくれた派遣労働者は、1979年以来ストライキが闘われていないこと、組合の委員長が子会社の社長になったことなどを怒っていました。あるいはベルリンではストライキが中央によって分断されたり、突然中止されたりしているそうです。クルト支部長は「こうしたことに労働者の失望と怒りがある」と話していました。ドイツにおいて現場労働者に展望を示すのは、ベルリン都市鉄道支部を中心とした闘いだと感じました。クルト支部長は「合理化を強行されても労働者が団結できれば展望がある」とも語っていました。これは「団結を総括軸に」と闘ってきた私たちと一体だと思いました。
 このドイツの労働者たちと濃密に交流できたことで、今回のドイツ訪問は本当に大成功だったと言えると思います。この経験をさらに大きな国際連帯へ、さらに強固な国際連帯へ進めていきたいと思います。
 今回のドイツ訪問では、日本の仲間の皆さんにも、そしてドイツの仲間の皆さんにも、本当にたくさんのご協力をいただきました。とりわけ、ドイツの習慣さえよく知らない私たちに、こまかい準備から通訳まで担っていただいた国際連帯委員会には、心からの感謝を申し上げます。
 私たちはこの力をバネに、11月国際共同行動の大成功に向けて全力で奮闘していきます。
木村 郁夫(動労水戸書記長)