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ひめじょおん―女性部から やまゆり事件なぜ起こったか 障がい者と共に立ち上がった

月刊『労働運動』34頁(0322号09/01)(2017/01/01)

ひめじょおん――女性部から
津久井やまゆり事件はなぜ起こったか
私たちは障がい者と共に立ち上がった


中西 美代子(神奈川労組交流センター女性部)

★「津久井やまゆり事件」はなぜ起こったか

 「7・26津久井やまゆり事件」はマスコミなどでは相模原事件とも呼ばれています。
 障がい者19人が殺され27人が重軽傷を負った。この戦慄する事件はなぜ起こったか。1964年県立直営の重度障がい者施設として建設され、①地元住民を雇用し、地元商店の利用(食材、日用品)等を確認し、園の行事への参加や地域住民の見守りなどもあり、開放的な施設として交流もありました。②そこには「県職労」という労働組合が存在し、人員要求や公務災害闘争もあり、労働者は3人体制で労働をやり、退職する労働者は余りいなかったようです。かつて国鉄闘争の物販も取り組んでいた団結の歴史もありました。

★2004年4月指定管理者制度―民営化で変わった労働現場

 1987年国鉄分割・民営化以降、全産業で民営化が強行され、労組破壊が行われました。
 2000年介護保険制度で福祉も民間参入・営利追求の場に変わりました。やまゆり園も2004年「かながわ共同会」が受託し、運営されていきました。2~3年で職員は正規職から非正規職に置き換えられ、労働組合はなくなります。
 2012年の障がい者総合支援法により、障がい者・家族の負担は増え、営利追求の労働現場も民営化・外注化、非正規職化で、労働者と入所者の生命や安全が脅かされていくのです。
 2012年、黒岩臨調で、やまゆり園の廃園も画策されていました。植松加害者は、正社員になります。しかし、「時給905円=14時間半労働」です。職場は夜勤専用のスタッフ雇用も多用されていました。過酷な労働現場に身を置き「職員の目は死んでいた」と言い、「障がい者は生きる価値がない」と言っています。しかしそのような正当化は許されません。

★私達は障がい者と共に立ち上がった

 地元の障がい者施設で呼びかけられた10月6日のやまゆり園の元職員の学習会に60人が参加し討論、10月13日の対相模原市との交渉と市内デモには車椅子を連ねて70人が参加し市民に訴えました。
 再度の11月4日対市交渉には40人超が参加し、怒りの4時間もの闘いでした。市側は責任問題には触れようとせず、「国と県の見解を待つ」と逃げ回りました。質問もしていないのに「労働組合の問題ではない」と、課長が幾度も繰り返していました。
 その後、交流会を行い、新自由主義が社会を破壊し、「命より金」の社会にした事を話し合いました。麻生の「ナチスから学ぶべきだ」「90歳になっても、まだ生きたいのかね」石原の「ああいう人にも人格はあるのかね」「安楽死につながるんじゃないか」という発言、自民党政権が事件を煽ったのです。怒りをこめて「安倍政権の障がい者抹殺、戦争攻撃と闘おう」と誓いあい、共同、共生社会を目指そうと交流を深めました。
 11月集会を共に闘う約束をし、昼の疲れも吹き飛ばして、4時間も団結を深めました。