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3・11反原発福島行動'17 1100人が結集し、帰還強制との闘いの展望開く

月刊『労働運動』34頁(0325号05/01)(2017/04/01)


3・11反原発福島行動'17
労働組合を軸に1100人が結集し、帰還強制との闘いの展望開く

 3・11から6年目の福島で、「奪われてたまるか! 避難・いのち・子どもの未来」をスローガンにして3・11反原発福島行動'17を開催し、1100人の参加で大成功しました。


 今回の3・11は激しい時代の転換点の中での開催でした。「帰還困難区域」を除くすべての避難指示解除、自主避難者への住宅補助打ち切り、185人の子どもに甲状腺がんないし疑いの診断が出されているのに甲状腺エコー検査縮小にむけた動きと一体で、「新共謀罪」先取りの楢葉町ツアー「白タク」弾圧、3・12被曝・医療シンポジウムで司会もつとめた東北大学医学部生・青野弘明君への弾圧、そして福島の避難者とつながる神奈川の仲間への弾圧もありました。
 実行委員会の議論は白熱しました。吹き荒れる攻撃をはね返し、福島から「反原発 戦争絶対反対 安倍を倒そう」と発信する3・11をやろうと進んできました。トランプを追い詰める大規模デモ、パククネを罷免させた民主労総の闘いに続こうと確認しました。
 今年の3・11のテーマである「帰還強制との闘い」の先端を切り拓いたのは動労福島・動労水戸をはじめとした動労総連合の闘いです。JRと安倍の「復興キャンペーン」「働き方改革」「外注化」を打ち砕く3・3動労福島ストライキです。ここに上りつめるまでには、JR関連職場で働く組合員の職場闘争を地域の仲間とともに闘いながら、あらためてJR職場・郡山総合車両センターの外注化の激しさとその破綻性を掴んでいく過程がありました。それが、青年労働者による職場支配権への挑戦へと結実し、動労総連合の青年たちが、郡山駅前のフィナーレ集会で今夏の青年部結成を宣言しています!
 「被曝と帰還の強制反対署名」が大きな反響と共に2万筆を超えて寄せられました。私たちはこの署名で自分の職場、地域の労組、そして仮設住宅に分け入っていきました。集めた声は6年間の怒りそのものでした。避難者と避難していない人との対立、津波避難と原発避難の違い、強制避難と自主避難の分断など、第一声は隣の労働者への怒りや不信が向けられる瞬間がありますが、会話を重ねると東電、福島県と安倍政権への怒りが労働の実態と合わせてほとばしってきます。「健康調査の集約は学校の仕事ではない。国や県が責任を持ってやるべき仕事を押しつけるな」(養護教員)、「東電は1軒1軒謝罪しろ」「津波被害の私たちには補償も無ければ家も無い。それで帰れと言われてもどこへ帰ればいいのか」「復興住宅に入ればまたバラバラ。ここでやっと話し合える仲間が出来たのにまた引き離される」(仮設の住民)、「補償金がもらえた、もらえないで福島県民が分断されているのが本当に悔しい」など。


 教組の分会からも多くの署名が寄せられ、こうして集まった署名を3・11までに福島県に2度提出しました。ふくしま共同診療所の布施幸彦院長は、3・11集会で「署名を広めて情勢を変えていきましょう」と訴えています。
 婦民全国協福島県支部の保養交流会やふくしま合同労組の職場闘争、全国農民会議の三里塚連帯や労農連帯の進展、全学連現地行動隊の縦横無尽の活躍など、すべての闘いが一つになり、全国と福島の思いが一つになり、原発と戦争と労働破壊の社会を変える展望があふれる集会とデモとなりました。デモ隊を温かく迎えてくれるお店など街頭の反応も最高でした。デモ後、牛の着ぐるみを着たままタクシーに乗ると、運転手さんがデモを見ていたようで「何人集まったんですか?」に「1100人でした」と答えると、運転席で拍手。目的地に着くまで原発、安倍、復興キャンペーンへの怒りが止まりませんでした。3・11行動は、私たちの想像以上に福島の労働者に勇気と希望を与えていました。
 3・11はけっして「1日」ではありません。動労総連合、ふくしま共同診療所など階級の拠点が立っています。福島の怒りが安倍政権打倒のスタートになっています。来年に向けてさらに大きく、力ある3・11として日々の職場闘争を頑張ります。ありがとうございました。
 (ふくしま合同労組 山口輝晃)