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関西のたたかいの中から!

月刊『労働運動』34頁(0332号10/01)(2017/11/01)


関西のたたかいの中から!

(写真 活発な討論の場となった9・9集会)

9・9自治体民営化反対討論集会は活発な討論の集会となった

深町 加代子(関西自治体労働者部会)

 9月9日、大阪市港区において自治体民営化反対討論集会を開催しました。60人の参加で活発な討論の集会となりました。

■集会は徹底的に討論に

 こだわりました
 基調は大阪市職の赤田由行さんが行い、今の時代はどういう時代かをまずはっきりさせました。戦争・改憲の中で、労働者の決起が一気にはじまる時代です。
 資本にとっても、我々にとっても労働組合をめぐる攻防です。そんな中で、我々の絶対反対の旗を高く掲げることは決定的となりました。
 報告は、奈良市従の仲間が行いました。下水道の民営化反対の闘いは、多くの課題を我々に突き付けました。下水の仲間は体制内執行部と激しくぶつかり合いながら、我々と団結して裁判闘争に突入しています。しかし、現場の彼らとの討論は一回一回が真剣議論となります。「配転されてもなぜ闘うのか」「正規のためと思って頑張ったのになぜ、自分たち非正規が前面に立たされるのか」「非正規の解雇は1年更新だから仕方ないのでは」「組合のためと思ってやったのに、なぜ組合内部が対立するのか」。一瞬ネガに聞こえるこの激しい意見は、実は「何のために闘っているのか。何をしようとしているのかはっきり聞きたい」という意見でした。そのことを彼らとの討論で作り出していくというこちらの飛躍が問われる闘いとなったのです。

■大阪市職=自治労本部を ぶっかく

 討論の中で重要だったのは、大阪市職の闘いをめぐる討論でした。赤田さんから「いままで橋下打倒集会、入れ墨処分との闘いを先頭でやってきた。同時に、もう一人の自分を作り出す闘いとして職場で闘うこととして支部の闘いを重視してきた。今出された大阪市職全体を体現した闘いと、職場の闘いはどういう関係にあるのか、矛盾するように思う。どう考えたらいいのか」という率直な意見が出され、徹底的に「大阪市職に旗を立てるとは」の議論を行いました。改めて橋下を打倒した総括が確認されました。
 橋下との闘いは労働組合を解体する攻撃との闘いでした。矢継ぎ早にかけてきた職員基本条例、政治活動規制条例など、あからさまな組合つぶしの攻撃に市職の仲間は一旦沈黙し、下を向きました。我々のビラに手を出す労働者が激減したのです。しかし、これに対して、市役所横での「橋下打倒集会」を行い、旗を立て続けてきました。そして入れ墨調査に多くの拒否者が生まれ、赤田さんをはじめ6人が裁判闘争に立ったのです。今回の下水道職場丸ごとの民間への転籍には、多くの拒否者が出ました。大阪市職は闘わないだけでなく、「雇用を守ったのが勝利」と現場の怒りを封じ込めました。そんな中で怒りは充満しています。私たちはどんな時も鮮明な旗を立て続けてきました。そして何よりも橋下は労働組合をつぶせなかったのです。そして大阪市当局、国は現場の怒りが私たちと合流してしまうことを心底恐れているのです。
 今、下水に続き交通局の民営化が改めて始まっています。しかし、はっきりさせなければならないのは、私たちは国、資本を追い詰めているということです。私たちを職場に残し、労働組合を解体できずに強行する民営化は最後は破綻します。何よりも戦争・改憲の攻撃と一体だからです。この民営化は何が目的なのかを、労働者がつかんでしまうからです。そして私たちに労働者の合流が始まります。全ては国鉄分割・民営化からの労組破壊の破綻の結果でなのです。

■非正規との団結とは何か

 もう一つ大きなテーマになったのは非正規との団結をどう作っていくのかというテーマでした。その論議で、非正規をどう組織するのかではなく、正規こそが非正規化攻撃と闘う主体なんだとはっきりしました。非正規は低賃金、首切り、解雇当たり前です。その状態に労働者全体を落とし込めることが非正規攻撃です。だからこそ、この非正規労働者にかけられた攻撃を正規労働者こそが真っ向から闘うことが、非正規職撤廃ではないでしょうか。具体的には色々なケースがありますが、考え方として改めて確認していったのは重要でした。

■その後の議論―教育労働者 をめぐる議論が始まった

 その後、この集会を総括をめぐる議論が始まり、深まっています。
 実は、この集会には新しく、先日合同労組に加入した青年が参加されていました。彼女はこの集会後、「感動した。これからもずっと一緒に闘っていきたい」と決意を語ってくれました。その理由は一つの大阪市職攻防といテーマをめぐって、真摯な討論を参加者がしているということでした。つまり私たちの団結です。 今の労働者はみんな子どもの時から、競争、評価、分断の中で生きています。その中で労働者は孤立し、全部、個人の能力の問題にされています。だからはじめて団結の姿を見、触れたのではないのでしょうか。
 しかし、その反面、この集会には教育労働者の仲間も何人か参加していて、後の感想として「正規の話ばかりや」「大阪市職決戦と教育労働者の関係がよくわからない」「大阪市職の拠点化といってもはじめから敷居を高くしては誰もこないのでは」という意見が出されました。
 違った意見は大いに結構なのですが、集会の中ではなく、その後に異論を唱えるあり方。これはなぜなのか。言えることは、教育労働者、もしくはその関係者のいままでのあり方が問われているということだと思います。今、戦争と革命の時代です。どんな職場もこの攻撃と無縁の労働者はいません。ではその攻撃に反対するだけでいいのか、教育現場では、競争と分断の教育ではなく、どんな教育を自分たちはやっていくのかが具体的に問われています。「教え子を再び戦場に送るな」はただのスローガンだったのでしょうか。その中身が今まさに問われています。
 それは、保育所でも、医療でもどこでも同じです。私たちは自分の労働そのものに責任をとっていかなければなりません。特に教育労働者の職場では、「一匹オオカミ」的に、自分でなんでも解決してしまうことが、当たり前になっています。労働と労働組合がバラバラなことが多いのです。そのあり方をもう一度、時代との関係で問い直すべきではないでしょうか。この集会をきっかけに、そういう議論が始まりました。率直に思ったことを言い、議論していこうと思っています。