2011年09月号(通巻No.258)

(*2011/08月号〜「月刊交流センター」より改題)

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労働者の目 全国の郵政職場に大反乱を組織して、日本郵便大リストラ攻撃を打ち破ろう 星野 勝紀 副代表 JP労組東京銀座支部

・反原発・反失業の怒りの声を結集し、新自由主義とたたかう労働運動の復権を!
11・6労働者集会1万人結集を実現しよう!――11月労働者集会第1回実行委員会――

・JR郡山工場 放射線下の職場闘争 「新幹線を止めてでも俺たちの職場は自らの力で守る」国労郡山工場支部 橋本 光一

・労働組合の「流れ解散」方針に抗し、ふくしま合同労組の分会を結成! たたかいはこれからです! ふくしま合同労組 S分会 松本 研吾

・原発事故と必死に立ち向かう福島の教育労働者と共にたたかおう! 東日本大震災現地救援対策本部事務局 斎藤 貴広

・労働運動の再生は、職場の怒りを解き放つ実践の積み重ねによって可能だ
―埼玉・自治体労働者部会の教訓― 埼玉労組交流センター

・フクシマ・青年の怒りと結合し、ヒロシマ大行動の歴史的成功勝ちとる 広島県労働組合交流センター

・『月刊交流センター』主要目次(2) NO.82(1997年1月号)〜NO.127(2000年10月号)

・BOOK 李載裕(イ・ジュユ)とその時代 ―1930年代ソウルの革命的労働運動
金Q一(キム・ギョンイル)著 井上 學、元吉 宏訳

ひめじょおん−女性部から 3・11情勢下、青年・女性労働者の組織化に格闘中! 茨城 民間労働者 佐藤 俊子

読者のページ  

・●マンガ /編集後記

 

 

(写真 「ヒロシマ・ナガサキ、フクシマをくり返すな! すべての核と原発なくせ! 戦争をとめよう!」 被爆66周年8・6ヒロシマ大行動のデモが力強く打ち抜かれた【8月6日 広島平和記念資料館前】)

 労働者の目

全国の郵政職場に大反乱を組織して、日本郵便大リストラ攻撃を打ち破ろう

星野 勝紀 副代表 JP労組東京銀座支部

 JPEX子会社化の失敗、ゆうパック統合の大混乱と郵政民営化の破綻が進行する中で、その破綻の矛盾が日本郵便大リストラという形で、現場労働者に襲いかかっている。とりわけ16万非正規労働者にかけられた雇い止め解雇攻撃は、絶対に許すことはできない。
 時あたかも3・11情勢下で、この大リストラ攻撃と真っ向対決する非正規の仲間が登場した。郵政非正規ユニオンの結成は、3・11情勢下、復興を口実とした菅政権−政財界の大失業攻撃に対して、渾身の決起をもって、正規・非正規を問わず、すべての郵政労働者の大反乱を呼びかけている。いや、郵政労働者のみならず、すべての産業に働く、とりわけ青年労働者に向けて、檄を発している。
 このかん郵政非正規ユニオンにかけられた攻撃は、悪質管理者とそれを許すJP労組幹部の超反動だ。悪質管理者の言動には、はらわたが煮えくりかえる。「このクズが」「バイトの分際で」「組合なんか作りやがって」は、絶対に許されるものではない。「たかが郵便屋の分際で」「たかが労働者の分際で」と言っていることと同じだ。労働者をなめるな!
 さらに郵便事業会社東京多摩支店は、8月24日に齋藤裕介委員長に対し、9月末をもって雇い止め=解雇することを通告してきた。郵政当局の狙いは、職場で仁王立ちしている労組委員長をつぶして、組合を解体することだ。しかし、この言動が、すべての郵政労働者の怒りの反乱に転化することを知ってのことか。当局の暴挙は、8・6ヒロシマ大行動を闘った青年労働者を先頭とする各地の郵政職場へのビラいれと「郵政非正規ユニオンを支える会」の結成準備によって、反乱の組織化に転化しつつある。
 11・6労働者集会へ向け、国鉄闘争全国運動、反原発・反失業の闘いと一体で、日本郵便大リストラとの一大決戦を9月雇い止め攻撃阻止を当面の闘争課題として闘おう! 各地の郵政職場に大反乱を組織しよう!

(写真 「雇い止めを撤回せよ!7・26総決起集会」【7月26日 東京・国分寺市】)

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■反原発・反失業の怒りの声を結集し、新自由主義とたたかう労働運動の復権を!
11・6労働者集会1万人結集を実現しよう!――11月労働者集会第1回実行委員会

 8月21日に都内で開催された「2011年11月労働者集会第1回実行委員会」における主催3労組と国鉄闘争全国運動の提起を編集部の責任でまとめたものです。

●今こそ労働組合が前に出るとき

中村吉政 全国機械労働組合港合同副委員長

 6月5日に国鉄闘争全国運動発足1周年の集会を成功裏に開催することができました。その3カ月前に東日本大震災が起き、津波の被害と福島原発の人災が襲いかかっている。今私たち労働組合が何をするのかが大きく問われています。
 港合同は大阪の中小零細の労働者を組織して活動をしてきました。組合員のおる自動車の関連会社では、大震災でたちどころに部品が入らない、供給もできない状態が起きました。職場は大阪から見ればかなり離れた場所にあるんですが、高速を使って約1時間ぐらいかけて週単位で会社と交渉をしたり、組合員を励ましたりという感じで、労働者が職場に根を張ってどんな状況でも職場を守り抜く闘いをやっています。
 また、一昨年から労働組合を組織してきた和歌山県の田辺運送という、県下では老舗の企業が8月15日に廃業・倒産になりました。元々建交労の組合がありました。私どもの組合ができたのは、管理職も含めて賃金カットが強制的にされる、会社の言いなりで交渉すらできない、そういう状況の中ででした。今月から5%、7%のカットが交渉もできずに一方的に行われる。将来の不安も含めて怒りをもって私どものところへ加入をしたわけです。
 そこが8月15日に廃業するとファックスを流してきました。今は職場に張りついて闘っています。占拠は建交労が1年ほど前から「企業が倒産したときには会社を譲渡する」とかいっぱい取った協定を背景にやっておりますから、そこは彼らに任せて、私たちは昼間は張り付きながら闘っています。
 田辺運送で解雇された2名の労働者の問題も、大阪労働委員会と大阪地裁で裁判をして両方結審という段階だったんですが、このような状態になりました。これは私たちにとっては非常に大きな闘いです。会社がどうなろうと、私たちは団結権を行使して労働者の首は簡単に切れないんだということだけは示しておかなければならないと思っております。
 いずれにしてもこういう状況の中だからこそ、権利を奪われている人たち、職場で虐げられておる人たちの権利の回復に向けて労働組合が本当に一歩も二歩も三歩も前に出なければなりません。今こそ私たち労働組合が前に出る。それがわれわれの課題だと思いますので、またひとつ力を合わせまして11月集会を大成功に導いていきましょう。私たちも微力ではありますが大阪から共に闘うことを表明致しまして、報告と決意に代えます。共に頑張りましょう。

●関西生コン弾圧の背景と労働運動に問われている課題

高英男 全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部副委員長

 6月の集会では実は主催者挨拶をする予定でしたが不当弾圧で参加できませんでした。それでも予定よりずいぶん早く7月22日に出ることができました。
 今回の関西生コン弾圧の背景と本質、労働運動が問われていることについて問題提起をしたいと思います。
 「事件」があったのは昨年の5月14日のことです。逮捕されたのは今年5月11日ですから、1年以上前のことなんです。これまでの関生支部への弾圧と今回の弾圧の違うところは、労使関係のある工場でのピケッティング・ストライキに対して弾圧がかけられたことです。
 われわれは産別運動を進めていますので、協同組合に入っているすべての会社と労使関係があるという解釈で、組合のないところにも行ってストライキをやってきました。これが弾圧の口実にされてきました。しかし今回は直接労使関係があり、組合員がいます。そこでのストライキを威力業務妨害とするまでに権力側が踏み込んできたのが特徴です。ストライキは労働組合にとって当たり前の大衆行動です。動員で来た一般の組合員まで逮捕しています。ここに今回の弾圧の卑劣さや本質、相手側の狙いがどこにあるかが非常によく見えると思うんですね。
 今回の弾圧は間違いなく昨年の139日に及ぶゼネストによって、大林や竹中や清水建設という戦後止まったことがない現場を止めたことが大きな引き金にはなっています。さらに弾圧の質はストライキ権そのものを侵すことを狙ったものです。裁判の争点は間違いなくその点になると思います。だけど、相手がそこまで踏み込んできたのには要因があるわけです。日本の労働運動がそこまで沈滞化し、相手になめられているということです。

職場で闘いの火の手をあげれば法解釈は変わる

 1987年に外登法で指紋押捺拒否の闘いが全国的に広がったときのことを覚えていると思います。あのときは押捺しないと刑事罰の対象になっていたわけです。それがあそこまで闘いが広がると法解釈が変わるわけです。全国レベルの闘いがあれば法律解釈は変えざるをえんのです。
 そういう闘いの経験、成果が労働運動ではまったく生かされていない。日本ではまだ労働組合には刑事罰や民事罰の免責条項があります。明確に法律で謳われているわけです。でも実際は完全に形骸化されています。生コン支部も港合同も動労千葉も法廷ではことごとく負けるわけです。民事裁判などでは、自慢ではないですけれど関生は勝ったことないです。絶えず損害賠償の対象にされるわけです。
 生コン支部は元々、当たり前のようにピケッティング・ストライキを打って業務を止めてきました。労働組合としてのその力を背景に団体交渉で成果を勝ちとったわけです。今の法解釈ではひとりひとりがストライキを打つことは認めるけれど、業務を止めることは威力業務妨害みたいに言われています。そんな行動で団体交渉して何の成果が得られれます? これまで労働組合が当たり前に持っていた権利の行使が、今は当たり前ではないわけです。これはもちろん敵権力が労働組合に対する締め付けをそこまで強めているということですが、裏返すと労働組合の力がそこまで弱まっている証拠なんです。
 では労働組合はどんな形で力を復権することができるのか。現場からいろいろな闘いが出てくる以外ない。当たり前に労働者が自分の要求を実現するために全国の職場で闘いの火の手を上げれば法解釈は否が応でも変えざるをえなくなります。それがないから「田んぼの煙突」の港合同や動労千葉や関生はいつまでも叩かれる。
 11月集会はそういう闘いを全国各地につくろうと呼びかけて十数年やってきたわけです。闘いは広がっていますが、まだ向こう側が、本来触れたらあかんわれわれのストライキ権に手を突っ込むような弾圧をやってくるというのは運動がまだ十分ではないことの証でもあります。
 これは関生支部への弾圧ですからわれわれは当然最後まで闘う決意でおりますが、13人逮捕という大がかりな演出をしたのは、関生だけが狙いではありません。大阪では今も春闘時にピケッティング・ストライキで闘っているところはあるんです。こういうところが手足をもがれるようなことになるわけです。何としても負けるわけにはいかんわけです。問題は裁判の結果ではない。たとえ有罪判決が出ても闘いがあっちこっちであればそれを形骸化させられるわけです。今こそ全国で職場から闘いの火の手を上げることがわれわれの団結権やストライキ権をしっかりと守るということになるわけです。

資本や権力の弾圧を許さない陣形を

 大震災、原発事故という非常に大きな重たい問題が提起されています。それとセットで11月集会を闘いきる。そのことを全国の労働者や労働組合に提起をして、もう一回新たな闘う陣形をつくる。資本や権力側の弾圧を許さない陣形、態勢をつくる。それが鋭く求められています。理屈だけでは闘いになりません。むしろ現場で職場で汗をかき、場合によっては身体を張ることも恐れずにやらんと今は闘いになりません。
 われわれにもいろいろな組織相談があります。非常に高学歴の有名大学を出て専門技術職にもかかわらず、派遣であっちこっち行かされているわけです。生活ができないぐらいの収入で非常にあえいでいるという相談が多くある。
 ちなみに私は中卒です。人並み以上の収入を得ています。これは労働運動のおかげや。この社会は学歴社会や言ってますけど、学歴は何も労働者の生活や権利を守らない。労働組合の闘い以外にわれわれの権利や生活を守ることはないという証でもあるわけです。
 労働運動がなかったら何をされるかわからない。人扱いされへんわけですから、この時にほんまに闘う労働運動が広がらないのはおかしいんです。広がるはずなんです。労働者が本当の意味で最後に頼れるのは法律ではなくて労働組合であり労働運動です。そういう運動を全国に網の目のように広げられるような闘いを是非この集会をとおしてつくっていきたいということを述べて挨拶とします。

●年内2000人会員実現をテコに1万人結集実現へ

山本弘行 国鉄闘争全国運動呼びかけ人 動労千葉を支援する会事務局長

 労働運動が今こそ問われています。私たちは7月24日に動労千葉を支援する会全国総会を開きました。総会では、全国の多くの職場で新たな闘いが始まっていることが報告されました。
 総会では、現在1300人の国鉄闘争全国運動の会員を年内に2000会員にすることが確認されました。そのためにも職場から階級的な労働運動を復権させていく闘いをつくりあげていく決意です。この運動の中で11月労働者集会の1万人結集を実現しよう。それを本当にまなじりを決してやっていきたいと思っています。
 それからもうひとつ。今度の11月集会は、反原発・反失業の国際的な統一行動を訴えて、3・11情勢、大失業と大恐慌情勢に応える全世界的な運動を呼びかけていきたいと考えています。イスラエルでも非正規職労働者が闘いの口火を切りました。そしてその闘いの周りにイスラエルに住んでいるアラブの人たちが結集する。こういう形が闘いとられています。それからイギリスでも、警察官の発砲をきっかけにして失業にあえぐ若者たちの怒りが爆発しています。
 ヒロシマ・フクシマから始まった反原発1000万人署名がトルコでも取り組まれています。トルコでの原発建設を韓国と日本が争う状況の中で、われわれの署名運動がそういう国際連帯の闘いになっている。今、私たちの仲間がドイツに行っています。本当に国際的な連帯、国際的な闘いが問われているわけです。そういう労働者の国際的な連帯闘争の先頭を担う闘いとして11月労働者集会の成功をかちとる決意です。

●階級的労働運動の具体的姿を指し示し、すべての怒りを11・6日比谷へ

田中康宏 国鉄千葉動力車労働組合委員長

 3人から提起がありました。あらためてこういう情勢だからこそ労働組合が二歩も三歩も前に出なければいけない。
 高さんから、権力の弾圧はストライキそのものを否定するところまで来ているという話がありましたが、これは動労千葉でもまったく同じです。尼崎事故の後の安全運転闘争に対し、地労委や中労委はこれを違法争議行為だと認定しました。運行管理権の侵害だというんです。「労働力を提供しない」という受動的なあり方から一歩でも踏み出したら全部違法争議と認定するということです。労働運動が後退し、ストライキがこの世の中から消えてなくなってしまった結果、こんなことが通用するようになった。
 今こそ闘う労働組合をわれわれ自身の手で取り戻さなかったら大変なことになる。大震災や原発事故をきっかけに怒りの声は噴出しています。多くの人たちが「もうここまで来たら人生をかけて闘う」と決意し始めている。だからこそここで労働組合の現状を変えられなかったら全部圧殺される。今が勝負です。可能性は本当に満ちている。これを本物にしないといけない。

3・11大震災―原発事故後の情勢と労働者集会

 新自由主義攻撃の中で労働者が苦しんできたことが、大震災後の情勢の中で間違いなくこのままではすまないところにきています。大震災と原発事故がこの社会のウソをすべて暴き出しクリアにした面がある。あらゆる問題があいまいな要素を剥ぎ取られて激しく衝突し、押しつぶされるのか、反転攻勢に立つことができるのか待ったなしに問われている。すべてが沸騰し煮えたぎっている。私は今の情勢をそう見ています。放射能汚染が日々膨大な生命を危険にさらし、農漁業に壊滅的な被害をもたらしているだけでなく、非正規職、社会保障や教育、医療など社会の崩壊、国鉄闘争で問われてきた課題、労働組合幹部たちの腐敗、すべてが今までのレベルを超えてもう待ったなしでぶつかり合っている。
 大きくはふたつのことが求められています。
 ひとつは、主体の側、つまり労働者、農民、漁民が直面している問題からすべてを見るということです。原発事故が暴き出したもの、日々突きつけている現実への激しい怒りの声が噴出し、さまざまな形をとって闘いに立ち上がり始めています。われわれ自身がその怒りの声の先頭に立って闘いぬくこと抜きに今年の11月集会は絶対にできない。こことの関係抜きに労働運動の復権はないということです。
 それともうひとつは、僕らがずっと国鉄分割・民営化攻撃にこだわり続けてきたことを絶対あいまいにしないことです。国鉄分割・民営化から始まった新自由主義攻撃とは労働者にとって何だったのか、そのもとでの労働運動の際限のない後退がどれほど深刻な事態をもたらしたのかという問題です。この現実と対決することを外したところには闘いの前進はない。
 この両方の闘いを自らの職場、そして地域から具体的につくりだす。11月集会はそこにかけきらないといけない。11月集会で掲げる「反原発・反失業」のスローガンはそうした立場を表したものです。

大震災から半年―問われている課題は何か

 9月11日で大震災からちょうど半年が経ちます。いろいろなことが今もまったく解決不能なまま衝突しています。8月12日には、福島の農協・漁協・森林組合の呼びかけで日比谷野音に3000名の農民・漁民・林業者が集まりました。主催者の思惑はいろいろあったんでしょう。だけど集会は燃え上がるような怒りの声の爆発の場になった。「申し訳ありませんでした」という国会議員は「ふざけるな! 謝ってすむ問題か。全てを賠償しろ」とヤジり倒された。
 つい3日前、〈福島の子どもたちを守るネットワーク〉が子どもたちを組織して文科省にもう一回乗り込んだ。子どもたちは「私たちは何歳まで生きられるのか教えてほしい」と。官僚どものふざけきった答弁の姿に「大人なのになぜ私たちの話を聞かないんですか」と。子どもたちの生命がかかっているわけで、親たちの闘いも否応なく生命がけにならざるを得ない。
 震災の影響で職を失った膨大な労働者、農民・漁民、子どもたちの被曝問題、強制避難でさ迷う10万の人々、すべてがこの社会の下では解決不可能な問題です。そればかりか、日本帝国主義は何があっても原子力政策を放棄しないでしょう。それは自らの支配の終わりを意味するからです。ごまかしにごまかしを重ねて原発を動かし、造り続けようとする。日が経つにつれてますます非和解的な形でもっと激しく衝突せざるを得なくなる問題です。
 ではこれから何が起きるのか。国家権力の判断は、解決がつかないものはつぶすということになる。あらゆる連中を総動員して怒りの声を何とか体制内的に取り込む。徹底的に分断する。それでも闘う者は弾圧する。その点で権力をなめたらいけない。これからの闘いは、どんな困難ものりこえて闘争圧殺攻撃に真正面から立ち向かい、衝突するという覚悟ぬきに前進しない。逆にその努力こそが怒りの声を解き放ち、エネルギーを生み出す。そういう過程に入ります。
 とくに、連合の幹部たちは怒りの声を体制内的にタガをはめることに全力を尽くし始めました。自分たちの支配が崩壊するからです。だから原発容認に回って反対のハの字もあげてこなかった自治労が9・19の集会に全力動員をかけるなんてことが起きる。全労連も同じです。9・19は平和フォーラム、原水禁が中心になって5月末に呼びかけられたものですが、4月、5月と反原発行動に数万人が動き出した事態を見て、こんなことを放置したら大変なことになると考えたんでしょう。だけど9・19だって労働者が集まったらそんな思惑なんか吹っ飛びます。逆に連合の幹部と現場労働者の衝突が始まる。われわれは何よりも9・11をやりぬいて、9・19に乗り込んで怒りの声を組織し、連合支配を現場から覆して階級的反原発闘争を前進させる場にしなければいけない。
 さらに、「復興」のかけ声でのもと何が始まろうとしているのかが第2の問題です。被災地を「特区」にするということが議論されています。労基法適用除外の特区にして資本を誘致するとまで言われている。全面的な新自由主義攻撃を被災地で貫徹するということです。労働時間も最低賃金も権利も団結権も何もかも全部規制を取り払う。全部非正規職にされます。被災地ではすでに求人の9割が非正規です。被災地で労働運動の中心を担ってきたのは、宮城でいえば仙台市職、福島でいえば県教組などですが、徹底的に労組破壊攻撃が仕掛けられるでしょう。これが「復興」だというんです。そしてそれが被災地から全国に波及することになります。
 これからの労働運動の焦点は間違いなく全面的な民営化−外注化−非正規職化、労組破壊攻撃との闘いになります。全面的な新自由主義攻撃が全社会に貫徹される。それ以外に延命の道がない。これまでとはレベルを超えた大失業攻撃が始まる。すでに政府の号令一下賃金カットが強行されているように、4大産別・公務員労働者をめぐる攻防が最大の焦点になります。
 しかも、世界経済、金融危機がガタガタです。世界恐慌が再燃しました。今度はアメリカからです。何度目かの国債発行上限の引き上げをやった途端ドルと株価の暴落が始まった。だけど国家財政危機の改善など絶対不可能です。いずれまたさらに国債を発行して借金せざるを得ない。もうアウトです。ヨーロッパでもギリシャ、ポルトガル、スペイン、イタリアと、国家それ自体が次々に破綻していくという最後の危機に行き着こうとしています。「暴動」と報道されていますが、イギリスでは青年の抑えがたい怒りの声が爆発しています。
 中国のバブルが破綻し各地で暴動が起きています。行き場を失った投機資金が食料価格や原油価格を暴騰させ、アフリカなど世界中で飢餓が無数の人々を襲っています。
 そして、本質的には一番深刻な危機を抱えているのが日本です。米欧の危機のあまりの深刻さゆえに記録的な円高が進行していますが、世界最大の財政破綻国は日本です。それも桁外れ。これまでは巨額の貿易黒字があったり、金融資産をもっていたりということで「大丈夫だろう」とみんな見ていた。だけど大震災で全ての条件が崩壊した。世界が日本が一番ヤバイと思い始めた途端にすべてが崩壊する。もう資本主義は終わった。だけどこれが当座生み出すのは大失業です。いろいろなことが全部重なって本当に闘う労働組合を甦らせることが求められている情勢の中での11月集会です。

国鉄闘争をめぐる状況

 次に国鉄闘争のことを簡単に言います。4者4団体は突然「闘争終結」を発表しました。ひどいものです。20数年間人生をかけて闘ってきた結末がこれです。冗談じゃない。こんなことのためにやってきたんですか。
 7月末に国労大会がありました。「JRとその関連企業に雇用された者だけを組合員とする」と組合規約を改悪した。完全に企業内御用組合になったということです。雇用関係がなくなった時点で組合員でなくなる。だから何かがあってもこれからは解雇撤回闘争をしない。争議とかだけではない。事故を起こして解雇されてもその時点で組合員ではなくなる。闘うなんてならない。だからこれはただ単に1047名闘争団員を切り捨てたというレベルの問題ではない。こんな規約を持った労働組合はない。あったとしても旧同盟系の純粋企業内御用組合だけです。それから「時代の要請として連合への加盟を真剣に議論し、決断と実践に移すときが来ている」。これが国労大会の委員長挨拶です。国労の根本的な変質・転落。これが「和解」の結果生み出されたものです。こういう形で労働者が屈服したときに国鉄分割・民営化は完成するんです。絶対に許してはならない。
 「政治解決」や大震災をきっかけにJRの職場では大変なことが起きています。文字通り「国鉄分割・民営化の総決算」というべき攻撃が一斉に始まっています。業務の全面的な外注化、賃金制度の抜本的な改悪、運転基地・職場の全面的な統廃合、労務政策の抜本的転換。すべてが一斉に起きている。
 JR本体だけでなく、JRグループの下請会社でも大震災を理由にした大リストラが始まっている。例えば千葉鉄道サービスという検修・構内業務外注化の受皿になる会社でも200人をリストラすると言っている。5人に1人です。ほとんど非正規職だからみんな戦々恐々です。
 大震災後の情勢を考えたとき、国鉄闘争の「政治解決」が日本の労働者にどれほど大きな影響を与えるのかをもう一度見据え、これに立ち向かわなければいけない。

業務外注化との闘いを新自由主義攻撃に対する反撃、階級的労働運動復権の闘いとして闘う

 動労千葉としては、個別問題ではなく、30年余りの新自由主義政策、国鉄分割・民営化攻撃、全労働者への資本の攻撃に対して、あらためて労働運動の復権をかけて真正面から勝負を挑まなければいけない時が来ていると考えています。
 この秋に向け、それを業務外注化攻撃との闘いによって実現したい。10年間必死の闘いで阻止し続けてきた外注化攻撃を10月1日をもって強行しようとしているということがあります。これを絶対に止めたい。だけどそれだけではなくて、この闘いを労働組合として新自由主義政策そのものに真っ向から立ち向かう闘いにしたいし、そうしなくてはならないと考えています。
 厚生労働省に対し偽装請負の違反申告をしました。JRの偽装請負を全面的に告発するものです。JRという「一流企業」がこんな大規模かつ露骨な偽装請負をやっているわけです。差し止め訴訟なども含めあらゆる手段を尽くして立ち向かいたい。もしこれが通ったらJRの業務は何もかもがすべて止まります。だから文字通りJR体制との大激突になります。小さな組合が開始した支配体制そのものとの大喧嘩です。
 なぜこういう闘いを決断したのか。国鉄分割・民営化以来何でこんなひどいことが労働者を襲うようになったのかずっと考えてきました。やはり民営化です。それと民間委託・外注化。すべてを競争原理の中に叩き込んで、さらに人間ごと全部委託・外注化してしまう。労働者は非正規に突き落とされ、劣悪な労働環境に閉じこめられ、生きていけなくなる。それが良質な公共サービスの名前をもってやられる。労働者の未来が奪われる。雇用が破壊された結果、社会保障制度や医療制度などが全部崩壊して社会が壊れる。こうしたことがずっと起きてきた。民営化・外注化攻撃が新自由主義の核心にあった。だけど、労働組合がこれに立ち向かった例は1件もない。こうした現実の中で新自由主義攻撃が貫徹されてきたのです。
 僕らは「闘う労働組合の復権」をずっと掲げてきました。口で言うことは簡単だけど、労働運動の復権は具体的な闘いの悪戦苦闘の中からしか実現できるものではありません。では具体的にどういう闘いでこれをやるのか。それぞれの自分の職場から必死になってこの現実を変えるために食らいつく。僕はあらためてJRの職場の現実から外注化阻止闘争でこの課題に本気で挑もうと思います。
 偽装請負とは何か。今でも法律上の建前では、肉体労働を安く使うためだけに業務を下請け・孫請けに外注化していくのは違法なんです。だけどそれは完全に建前になっている。世の中は偽装請負だらけです。それがまかり通っている。原発と同じです。この社会の仕組みが全部ウソで動いている。誰も文句を言わないから通っている。労働組合が容認しているから通っている。しかも個別の争議はあっても誰もそのことを真正面から問題にしない。だったら暴き出す以外にない。これは権力と大変な衝突になります。
 共産党は偽装請負を言いますが法律問題としてだけです。僕らはそんなことで決着つくなんて思わない。この追及をやって8月30日にJRの偽装請負を告発する集会をやって、それを期してストライキ体制に入る。現場の闘争で決着つける決意です。新自由主義攻撃そのものとの闘い、労働運動復権に向けて絶対に避けて通ることのできない課題として勝負します。
 闘いの現状ですが、組織攻防戦になっています。外注化しようとしているのは構内運転業務です。運転適正検査や医学適正検査に通って、運転士免許を持っていなければできない業務なので、誰にでも外注化できるものではない。会社は何十人かの対象者を片っ端からオルグして外注化のために動員しようとしています。われわれはそれを「外注化の手先になるな」と逆にオルグしぬいています。今のところ会社のオルグを全部つぶしています。オルグしているのは東労組や国労、鉄産労の組合員ですが、みんな悩みぬいたうえで適正検査などを拒否しています。こうしたことが実現できているのも身を切るようなこの10年間の闘いがあったからです。組織拡大の闘いも資本との真剣勝負になっています。共に闘おうと若い仲間に必死に訴えています。
 この攻防に勝ちぬいて組織拡大を実現し、外注化を止めることができたら労働組合が復権するかもわからない。こういう困難に負けた姿が今の労働組合です。労働組合は人間の組織です。一人ひとりの労働者をめぐって資本と労働組合の激しい攻防戦が展開される。その困難に立ち向かって僕らがつくりあげようとしている階級的労働運動とはどういうものなのかを具体的な姿をとおしてこの闘争で示したい。
 関西生コン支部の産業ゼネストは階級的労働運動とはこういう姿なんだということを具体的に示してくれた闘いでした。
 こう闘えば労働組合は復権するという姿をいくつか示せたら11月に向かって行けます。芽は出ています。たとえば郵政の非正規職ユニオン。マスコミ発表ではもうすでに数千の非正規職を雇い止めにすると発表されています。何で社会問題にならないのか。だから今多摩局を中心に闘いが始まっていますが、これを絶対に全国的な社会問題にしなければいけない。自治労、教組は絶対に全体の闘いの中心にならなければダメです。こういうことをやりぬいて11月集会に向かう。その中心に国鉄闘争全国運動があり、外注化阻止闘争があるという構図にしたい。

1万人結集実現に向けて

 11月集会に向けてなんですが、今までのあり方を変えたい。労働組合が軸に、あらゆる怒りの声を結集して、絶対に可能性と発展性があるものだとみんなが思えるものにしたい。
 反原発で青年の闘いが起き、被災地の労働者、農民・漁民、福島のお母さんたちの闘い、弁護士、医師、難民や外国人労働者たちの運動など、11月集会を中心に星のように運動がある。そうした闘いのすべてを大きく飛躍させて11月集会を迎える。もちろんその中心に労働組合が座らなければいけない。こういう形で世の中を変えようというイメージにしていきたい。
 1万人結集に向けて反原発・反失業の怒りを結集する。これには9・11−9・19反原発闘争をやりきって怒りの声を解き放つ先頭に立つことです。2番目は、国鉄闘争にこだわってきたことの持つ意味をもう一回再確認しようということです。3番目は、自らの職場・産別・地域で具体的な闘いを組織することにこだわりきる。これが階級的労働運動の具体的姿なんだというものを示せる状況を11月までにつくろう。4番目は、あらゆる戦線の飛躍をこの11月集会を中心に組織しようということです。それと5番目の国際連帯闘争は、反原発・反失業を闘う労働運動の復権という国際アピールを11月集会で出そうと思っています。
 特に青年の運動を11月集会とどう結合できるのかに知恵を絞ろう。こうしたことすべてを全力を尽くしてやったときに1万人の労働者結集は不可能ではないと確信しています。
 今日を出発点に今年の11月集会をこれまでを画するものとして成功させたいと思いますのでよろしくお願い致します。

(写真 5900人が結集した2010年11・7全国労働者総決起集会【東京・日比谷野外音楽堂】)

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■JR郡山工場 放射線下の職場闘争
「新幹線を止めてでも俺たちの職場は自らの力で守る」

国労郡山工場支部 橋本 光一

 8月5日、広島市東区民文化センターで開催された国鉄労働者交流集会における発言(抄録)を掲載します。

郡山工場における放射線との闘い

 現地の状況について報告したいと思います。 現在原発が爆発して5カ月ちょっと経って確かに公式発表の放射線の表示は減っています。ヨウ素とか半減期の短いものが減っているのは確かですが、しかしモノによっては30年、数十年、数千年という長いものは全然残っています。減ったなどと気休めにもならない。しかもそれは飛んで消えたのではないんです。雨とかで流されてどこかに溜まっている、表面の線量に出てこないだけです。そういうことをフクシマの人はみんな知っている。あれからみんな学習して全部知っている。いずれにしても俺たちは危いぞとみんな知ってるんです。学校でも校庭の土壌を剥いで線量は下がったけれど校庭の片隅に高く積み上げられてブルーシートで貯めているだけ。5b以内は立ち入り禁止でその線量は非常に高いんです。
 郡工の組合員は農家もやってる人が多い。みんな言っているのは、「米つくっても売れない、自分の所でも食えない」と秋田に注文している人もいます。ジャガイモをもらってもかみさんと顔見合わせて「食ってもいいのかなあ」と。桃をつくってる組合員も「一応出荷できる値だが、しかし放射性物質が入っているのは間違いない、だから売れないだろうな」と。深刻なんです。原発も落ちついてきたかのような宣伝がされている中で、10_シーベルトという高い数値(8月1日)が出た。学者によっては「いつ爆発してもおかしくない」という状況で本当に深刻です。
 郡山工場を紹介します。郡山工場というのは、JR東日本の車両の検査、修繕の基地です。郡山駅の近くで南北600b、東西400bの敷地に600人ちょっとの労働者がいます。うち半分が外注、下請けの労働者で半分が正規労働者です。
 われわれが会社に「敷地の中の放射線量を計れ」といくら言っても会社はやらないので組合で計測器を借りてきて計ったところ、高いところで7シーベルト、あと5、3と高い。年間に直すと資本が定めている基準―そもそも放射能の基準などというのはあってはならないし、そもそも「基準」などないのですが―1_シーベルトより年間に換算すると数十倍も高い数値です。そういう工場の環境の中での労働を強いられている状況があるということです。

労働者に被曝を強制し続ける会社、JR東労組

 これに対し、JR東労組、会社はどうか。
 会社は放射線測定をやれやれと言われているので、しようがなくやって、低そうなところを選んでやって「安全です」と。しかしそれも公表しないんです。点呼のときに一言言うぐらい。
 東労組も計測器3台買って測定したらしいんですがこれも公表しない。組合の中でコソコソやってるだけ。貨物会社の日貨労も言ってることは同じです。「計って放射能が高いとお客が離れて職場がつぶれる」と会社とまったく同じ論理で徹底して隠してる。組合に対しても「大丈夫だ」「大丈夫だ」と、産業医を呼んできて講演させて、「放射線でやられるより、心配してストレスでやられて死ぬ確立の方が高い」(?!)なんて講演させて安全講話をやっています。とにかくひどい話です。
 そして東日本本部と会社の団交で会社側の交渉委員が言うには、「まさか車掌や駅の社員に防護服を着せるわけにはいかない」とか「東北新幹線を止めるなんてのは、絶対やらない」と。会社は福島県で放射線が高いことを百も承知してるんです。知ってるけどそんなことは絶対やらない。労働者の健康や生命のことをどう思っているのか、JR資本の腐った体質、資本の本質がよくわかる話です。まさに10_シーベルトの中で生死かけた労働を強いられている原発労働者、そういう労働を強いている東電と全く同じ体質です。
 これに対してわれわれは、新幹線を止めてでも、東北本線を止めてでもいくら金がかかっても「工場の中、職場の除染をしろ!」と迫っていきたいと思っています。エリア本部は「団交で要求しても議論にならない」なんて言ってるがそういう問題じゃない。議論が進んだ・進まないという話ではないんです。生命が晒されているわけだから現場の闘いとして強制していく、やっていくことだと思っています。

郡工の青年とともにJR大再編情勢を迎え撃つ

 一方、JR内の労働運動の大再編がこの秋にも重大な情勢を迎えています。東日本労組の革マル切りをJR東は決断した。この秋、JR東は1万人の管理者グループを分裂させて正真正銘の会社派組合をつくろうとしている。
 しかしこの1万人を誰が受け入れるのか、誰が仕切れるのか。JR東日本には国労から分裂した鉄産労グループ、革マルから分裂した嶋田グループがいるが、その規模も力も1万人を受け入れる力も、まとめる力もないのです。やはりJRが狙っていることは、今の国労本部の連中をどう使うかということです。この国労本部を使って、JR内の労働運動、労働組合の大再編をやろうということだと思います。これに乗っかってやっているのが体制内の社民、革同指導部です。
 そういう意味からいうと、新自由主義の破綻の最後のあがきを資本がするのと同じように、体制内労働運動の指導部も最後のあがきをしている、そういうことだと思います。
 ではこの大激動情勢の中でわれわれはどう勝負をするのか。@外注化を阻止する闘い、A成果主義賃金を許さない闘い、B放射線の環境下の労働の問題だと思います。しかもいずれも一番犠牲になるのは青年労働者です。郡工の青年は今、もう自ら自分で住所変更、社宅の移動を求めて総務課に乗り込んでいます。仙台や、山形、宇都宮の社宅に移動させろと総務課に乗り込んでやっている。そういう青年とがっちり手を組んで、職場に根ざしてこの攻撃と断固闘っていく。この中で「共に闘う会」300人を絶対達成し11月労働者集会の1万人結集へ。その中に1047名解雇撤回の力もあります。1万人の実現へ共に闘いましょう。

(写真 8・5国鉄労働者交流集会【広島】)

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■闘う合同・一般労組

労働組合の「流れ解散」方針に抗し、ふくしま合同労組の分会を結成!
たたかいはこれからです!

ふくしま合同労組 S分会 松本 研吾

 私は40代後半で、職場は養護老人ホームに隣接する訪問介護事業所です。4月1日より自治体の共同運営から民間移譲となり、労働条件も大きく改悪されました。昨年5月に自治労指導でつくられた労働組合は、今こそ労働組合として闘わねばならない時に、「民営化されたから労働組合も解散する」と宣言。組合大会を開催することなく、活動報告、決算報告の書面を組合員に渡すことで終わりにしようと、3・11大震災と原発事故のドサクサにまぎれて労働組合の「流れ解散」をもくろんでいました。
 「解散という非常に重要な組合事項を大会を開かずに、組合員の投票にさえかけない。それは絶対に間違っている。許せない。あまりにも執行部として組合を私物化している。労働組合は組合員みんなのものだ」と、私と私より若い同僚のAさんとで執行部や同僚らに訴え、ようやく5月末に組合大会開催の運びとなりました。
 しかし、大会といっても昼休みの25分間で、出席した組合員のみの投票で決めるという代物。結果は、26名中解散賛成14名、解散反対11名、保留1名で組合解散が決定しました。

11人の解散反対に励まされ新組合結成を決意

 でも、組合大会の成立要件を云々する以上に、私はこの組合継続の意思を示した11名、「11人いる」ということにとても励まされ、力をもらったのです。この中の8名が訪問事業所の同僚であること、当日、委任状で参加できなかった同僚たちの中にも「組合がこのままなくなるのはもったいない」「退職金もらってそれで終わりか・・・」という声もあり、その場にいれば同じく「存続」に投票していたであろうことを思ったとき、瞬間的にあるイメージがはっきりと浮かんだのです。すなわち旧執行委員2名を除く事業所の同僚14名全員に「新たな組合を結成したい、それはふくしま合同労組の分会としてつくりたい」と呼びかけようと。
 組合解散から1カ月後の6月29日、職場近くの食堂に、日勤の勤務終了後、早番勤務終了後、あるいは職場は休みで出席した同僚など、14名中遅番勤務2名、所要のため不参加3名以外の、私を含む9名とAさんの計10名が集まりました。その場には合同労組の仲間4名も同席し、Aさんが司会進行を務めました。
 その中で、「私も前の会社で組合に入っていた」とか「メーデーに参加した」とか、「鉢巻したことある」とか、「国鉄ストで私たちの職場も休みになって・・・昔は組合は強かったよね」とか、口々に労働組合の話が出て、労働組合経験ゼロの私からすれば新鮮で、頼もしい同僚の新たな一面を知ることができました。
 冒頭に組合結成へ私から2つ話をしました。
 ひとつは、委譲先の12月の個別面談時に提示された賃金明細と4月末に実際に受け取った基本給の間にあまりにも差がある同僚が複数人いて、うち5名が委譲先から配属になった施設長に個別に直談判したこと。でも、個人の力ではそれ以上には先には進まず、言いくるめられてしまった悔しさ。やはり組合があったら、みんなの力をひとつにできたらと思っているということ。
 もうひとつは、一人のパート労働者を正規職にしたい。みんなが正規職なのに1人だけ6時間勤務のパート労働者がいて、本人自身が正規職を望み、まわりも推している。同じ仕事をし、お互いの仕事の大変さがわかる。介護の仕事にみな誇りを持ち、上司にも同僚にもけっこう言いたいことを言い合える団結力がある職場。そのパート労働者が「労働条件が悪くなってもみんながいて、働きやすいから辞めないんだ」という職場。私はこの職場の団結を労働組合をつくり、さらに強めたいと思っているということ。
 そして、ふくしま合同労組とはどんな組合なのか。6・19フクシマ反原発集会の報告や6・5国鉄闘争全国運動の報告集と合同労組の規約と加盟書も一人一人に渡しました。合同労組の仲間と共に階級的労働運動を割り引くことなく、薄めることなく提起したのです。
 2度の団交で賃下げ、配転、解雇のおどしを吹っ飛ばした組合員のダイケン闘争(※)の話や職場問題、国鉄、原発と2時間の見込みが3時間となり、その節々でAさんが「分会を結成したい」「組合に加入しよう」と同僚たちに訴え続けました。

まずは2人の分会結成から

 後日、さまざまな反応がありました。2人の同僚からは「私は60歳を過ぎているし、施設長に言いたいことは言ったから、もういいわ」。別の同僚は「だんなと話をして、基本給も提示額より低くないし、パートさんの正規職の問題はあるけど何か自分の問題が起こったときに組合に入ることを考えようと思った」とか「組合入るならみんなで入りたい。みんなが入らないなら入らない」とか「今は落ち着いてきている。あまりことを荒立てないでほしい」とか「組合は必要だけど組合に入ったらにらまれる」とか正直な気持ちをみんな言ってくれました。
 資本と実際に闘うなかで皆の思いも組合へきっと動く。私とAさんの2人で分会を結成し出発することにしたのです。そのうえで全員に再度、「合同労組の分会として団交をやりたい。組合に加入するかどうかは別として要求項目を皆で考えたいのでお集まりください」とメールし、会合を重ねています。職場全体を対象化しながら出された要求をまとめ、団交を申し入れる段階に入っています。闘いはこれからです。

同僚Aさんの決起とひとつになって

 私が時にぐらつきながらも同僚の決起を信じることができるのは、Aさんが決起したからです。皆が受けたくなかった委譲先の3回の面談、皆が書きたくなかった1600字以上の論文、それを認めた旧労働組合委員長に「なんで組合として反対しなかったんだ」と1時間以上に渡って詰め寄った怒りと気迫。東北春闘集会で「自分の職場の民営化が国鉄分割・民営化とつながっていることがやっとわかった。自分の職場は自分の職場だけの問題じゃない。全国とつながっている」と言い切り、6・29初会合では「合同労組の分会をつくる。組合に入ろう」と何度も訴え、7・17いわき反原発集会ではデモをやりながら「分会の赤旗をつくりたい。イメージできることは実現できるってこと」と私が想像すらしていなかったことをすでに考えている。この「もう一人の自分」の存在が実に大きかった。
 職場の同僚の前で私たち一人一人、日々、真に試される時代です。「本当にやる気があるのか」と常に見られているのです。11・6労働者集会にはふくしま合同労組の仲間たちと一枚岩になって向かっていきたい。私も分会旗をもって職場を組織して参加したいです。職場に労働組合をつくろう! ほがらかに闘いましょう!
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ダイケン闘争
 2009年10月、ビルメンテナンス会社「ダイケン」に勤務するSさんが起こした漏水事故に対して、会社は処分同然の配転命令。組合は、「事故責任は、要員削減、連続夜勤を行ってきた会社にある」として、2回にわたる団交で「事故責任は問わない」という勝利を勝ちとる。

 

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ひめじょおん−女性部から 3・11情勢下、青年・女性労働者の組織化に格闘中!

茨城 民間労働者 佐藤 俊子

 女性部の大会で確認された青年・女性労働者の組織化の方針を受け、現場労働者の組織化に奮闘中の日々です。

「どん底の気分を味わった仕返しをしてやりたい」

 私の働く生産工場では、3・11の地震で部品倉庫が倒壊しました。生産ラインも天井や壁に亀裂が入り、1カ月ほど自宅待機となりました。
 4月中旬に工場が再開され出社したら、3月末が契約期限だった派遣社員の雇い止めが行われていて、知り合いになっていた女性労働者がいなくなっていました。一緒に働いていた社員に知らせることもなく、自宅待機中に一人ずつ呼び出して、ロッカーの荷物を引き取らせ、「地震だからしようがない」と解雇したのです。
 雇い止めから3カ月後、ハローワークで休職中の彼女たちに、会社は電話をかけて「また仕事をしませんか」と呼び戻したのです。「ふざけるな」と応じなかった人もいましたが、大半は失業中で元の職場に戻りました。会社は戻った労働者を新規の契約社員として、有給休暇の残りもなかったことにしたのです。
 彼女たちは言います。「地震の操業停止分を増産することはわかっていたはずなのに使い捨てにされた。『少し待って貰うが、また働ける』と言って欲しかった。突然仕事を失った気持ちを思い知らせてやりたい。以前から、働く人が会社の財産と言っていたのに、ひどい会社だ。仕事には戻ったけれど、どん底の気分を味わった仕返しをしてやりたい」。同じようなことを言う労働者が何人もいました。
 会社は6〜8月過程で100人以上の期間工を採用し、来年3月で雇い止めにする計画です。
 3・11情勢下で、労働者の敵は誰かがわかりやすくなっています。地震の被災や原発の事故の対応で、誰も権力者の言うことを信用しなくなりました。政府と大企業は一体であり、大企業を支えているのが腐った労働組合の幹部です。資本主義のウソとペテンの構造がはっきりした今こそ、交流センターへの組織化の絶好の機会です。

学習会を軌道にのせたい

 新規の期間工や以前から働いている契約社員の労働者と親しくなって、学習会をやろうとしています。
 青年労働者の置かれている雇用状況はまったく同じなので、少しでも話ができれば、すぐ意気投合して、青年労働者同士も携帯電話のアドレスをその場でやりとりしています。「派遣や契約という状況は、あなたに何かが足りないのではなく、社会的につくられたもの」と話すと、みな「自分に何か足りないのだと思ってました」と返ってきます。
 私たち自身がブルジョアジーが生み出した、ブルジョアジーの墓掘り人であるということ、国鉄分割・民営化が不安定雇用の出発点だったなど、学習会を軌道に乗せたいものです。
 失うものが何もない青年労働者には、「あの人と親しくすると社員生活をまっとうできませんよ」という会社の神通力も通用せず、労働者階級にとっての真実が彼らを獲得します。

女性部機関誌『うでまくり』 第102号(7/25) 定価50円

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■動労千葉労働学校で学ぼう!

 7月16日に行われた第11期労働学校基礎講座第4回(テーマ「労働者の生き方」後半 講師 森尾誠)の受講生の感想文を紹介します。

●合同労組組合員

 『共産党宣言』はやっぱりおもしろい。(中略)
 つまり、共産主義という世間の常識とはまったく別の特別な思想を持っているわけではなくて、どこにでもいる労働者でも、徹底的に考え、議論してゆけば私有財産の廃止に行き着くんだということ。
 資本家による共産主義への批判へのマルクスの回答は実に小気味よく痛快で、胸がすっとする。共産主義になったら宗教や哲学さえも根底的に変わってしまう(ひょっとしたらなくなってしまう)と考えると、あまりにも壮大で、ロマンをかきたてられる。
 私が『宣言』をはじめて読んだのが2年くらい前、読み合わせて、「マジ、面白い」って思った。ある意味「面白」半分で読んでた面もある。まだ頭の中だけで理解して悦に入ってた。しかし、その背後には虐げられたプロレタリアートの現実があり、怒りがある。最近になってようやくそういう視点を持てるようになってきた。本当に、周りの労働者と繋がって、怒りを共有して彼ら自ら答えを出せることを信頼して、彼らが主体的に解放的に闘えるように、そんな場に手と手を取り合って彼らとともにいたいと思う。

●JR労働者

 前回、今回と2回の講義の中でつかめたことは、「今の資本主義社会はもう限界を迎えている」、そして、「その資本主義を打倒できる(変革できる)のは、われわれ労働者なんだ」という2点だ。利益のことだけを考え、増殖することでしか生き残れない資本は、今となってはもう終わりなんだと学ぶことができた。(中略)「独立性をすべて失い」とあったが、人間は感情を表に出すことができるところが良いところでもあるのに、それを抑えつけ、マニュアル化して、機械化して、人間の感性を抑えるのは絶対にいけないと思う。マニュアルだって機械だって、作ったのは人間……結局、人間にはかなわないと私は思った。それと同時に、「うちの職場の上司がなぜ意見されるのを嫌うのか?」今回の内容でよく理解できた気がする。でも私は、人間の良いところを消したくないので、今現在の自分の思うやり方を続けて行こうと思う。(中略)さらに、「労働が労働者にとって不快なものになればなるほど賃金は減少する」というのも、まさにその通りだと思った。少し前は仕事が楽しくて、給料よりもやり甲斐を感じていたが、最近では慣れてきて仕事のやり方を変えたり、上司に相談しては怒られ責められ、全然楽しくなくなって、さて「いろいろと考えながらやっているのに何で給料が上がらないのか」と思ったりしている。仕事が不快に思うと賃金が減るというよりも、自分の仕事に対しての賃金に納得できなくなるというほうが大きいと思った。

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第11期労働学校日程
■基礎講座 9月17日(土) 13:00〜
 ◆資本主義とはどういう社会か
 ◆講師 鎌倉孝夫(埼玉大学名誉教授)

■実践講座 10月22日(土) 13:00〜
 ◆韓国労働運動の歴史とたたかい−非正規労働者  のたたかいを中心に
 ◆講師 金元重(千葉商科大学教授)

■場所 DC会館(JR総武本線「東千葉」駅前)

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■原発事故と必死に立ち向かう福島の教育労働者と共にたたかおう!

東日本大震災現地救援対策本部事務局 斎藤 貴広

現場は行動方針を求めている――40校近 くの県教組分会を訪問してわかったこと

 6・19怒りのフクシマ大行動は、フクシマと全国の怒りが一つとなり爆発しました。
 私は、その過程で40校近くの県教組分会を回って、6・19大行動を訴えてきました。どの分会を回っても、真剣に話を聞いてくれました。ある分会長さんは「こういう方針を待っていたんだ」というようにうれしそうにビラを受け取ってくれ、「分会の全員にチラシを渡すから10枚くれ」とか、「これは絶対に集まりそうですね」という反応が次々と返ってきました。高校の門前でも登下校する高校生にビラを配りました。「マジすげー」「デモするんだってよ。デモ!」と数人のグループで盛り上がり、ビラをめぐって全部のクラスで討論になったところもあったそうです。ビラを受け取った高校生がデモに合流し、コールまでやってくれました。
 はっきりしたことは、現場は行動方針を求めているということです。マスコミや週刊誌で放射能への恐怖があおられるなか、敵が見えなくさせられていました。放射能という見えない敵との闘いとした瞬間に、それは絶望しかありません。しかし、放射能汚染という現実を生みだした原発事故、そして原発を「安全だ」と推進してきた政府・電力資本こそ、労働者が打ち倒さなければならない敵なのです。6・19はそのことを曖昧さなくはっきりさせたからこそ、1510人の大爆発を実現したのです。

20`圏内に住んでいた教育労働者の訴え

 大震災―原発事故から、もうすぐ半年になりますが、原発事故は収束するどころか、これまで隠してきたことが明らかになり、被害は拡大しています。
 7・31原水禁大会で20`圏内に住んでいた教育労働者が次のように訴えていました。
 「3・11の地震があって、校庭で子どもたちの安全を確認して帰宅すると、夜中に白い防護服を着た3人が来て『すぐに避難しろ』と言われた。電気もない、電話もつながらないなかどこに逃げればいいか分からない。とりあえず避難所に行くとガソリンを10gだけ無料で入れてもらい、『とにかくできるだけ遠く逃げろ』と言われた。こんな恐ろしいことはないと思った。そしてラジオで聞く原発爆発のニュース。もう帰れないのかなと思った」「各地の復興のニュースが聞こえるが、20キロ圏内はいまも立ち入れない。地震で崩れた塀、傾いた家がそのままだ」「いまは、往復160キロを通勤している。子どもたちは七夕の願いに『早く家に帰れますように』と書いている。これに答えることができない。本当に悔しい。原発はいますぐなくすしかない」
 原発事故のせいで、超長距離の通勤を余儀なくされている教育労働者は少なくありません。しかし、県教委は「県外に1万人転校したから、480人の教員が過剰だ」と言って、来年の新規採用を中止し、1500人の非常勤講師には「来年はどうなるかわからない」と解雇をちらつかせているのです。絶対に許すことはできません。
 すべての職場で反原発の闘いをつくりだし、福島県教組の闘いを防衛し、日教組を現場からひっくり返そう! 震災半年、9・11を全国で爆発させよう!

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労働運動の再生は、職場の怒りを解き放つ実践の積み重ねによって可能だ
―埼玉・自治体労働者部会の教訓―

埼玉労組交流センター

 震災と原発事故は情勢を一変させました。新自由主義むき出しで労働者への賃下げ、首切り攻撃がかけられてきています。
 埼玉労組交流センターとしては、闘う労働組合の復権・再生を実現しようと、職場のすべての労働者を対象に一人ひとりの同僚と向き合い共に闘う仲間を増やしていくこと、とりわけ職場の青年と結びつくことをめざして実践してきました。だが、現実は苦闘の連続です。
 ここではA市職の自治体での闘いの例を紹介します。
 自治体のある会員は、はじめは休日出勤や恒常的な時間外労働に対して、「市民のため」というイデオロギーに疑問を持たず黙々とこなしていました。この職場では休日に保険料を滞納している市民に対して相談窓口を開いていました。入ったばかりの青年が「休日は条例や規則で定められているのに、なぜ当番として日曜日に出勤しなければならないのか」と疑問を持ち、会員を飛び越えて直接組合執行部に抗議したことがきっかけでした。休日出勤や慢性的な時間外労働に対し、交流センター会員自らが職場闘争として闘えていないことを反省的に総括し、そもそもマルクスが『資本論』で明らかにしているように労働時間の問題こそ、労働運動の課題のイロハであるということをあらためて認識していったのです。
 そして職場闘争を決断したのですが、法令・条例に反している部分があるので、すぐに一定の改善がされます。が、「それでは仕事が終わらない」という多くの意見をひっくり返せません。次に問題になったのは、再雇用職員の赴任に対して「使えない人に来られたら困る」という不満が噴出したことです。討論を通して、「使えない論」では分断になる、慢性的な人員不足、すなわち、国鉄分割・民営化以来の、地方行革の人減らし、非正規化が根本的原因であることをつかみます。
 人員要求の交渉やアンケートには職場の同僚たちがほとんど協力してくれ、動労千葉の物販を買ってくれる人も倍増しました。

青年部建設の展望

 こうした前段があって、当局が大量の新規採用に踏み切らざるを得ないことに着目したときに、青年部建設の展望が見えてきたのです。この新規採用組を、全員組合員にし、この世代と結びつくならば、それが青年部建設の直線コースなわけです。
 組合執行部に申し出て、本年度新規採用職員の組合加入オルグ責任者にさせてもらい、カラー刷りの新歓パンフを手作りで作り、4月新採相手の組合説明会で、決戦的なオルグを展開し、8割以上もの組合加盟を勝ちとることができました。この成果で「青年部は任すからやってくれ」と執行部に言わせることができました。
 埼玉交流センター、とりわけ自治体労働者部会としては、この過程を一体となって討論してきました。総括すると、やはり職場の労働者の声に踏まえて闘うことが基本だということです。
 保育新システムとの攻防にしても、給食センターの民営化攻防にしても、しかりです。ジェコーの偽装請負、非正規解雇と闘ってきたのも、青年労働者の「正社員になりたい」という声と真剣に向き合った結果です。全逓でも、教労でも、国鉄でもしかりです。
 労働運動の再生は、私たち会員自身が、体制内労組指導部が放棄して久しい、職場に渦巻く資本の攻撃と闘い、労働者の怒りを解き放つ実践の積み重ねによって可能なのだと思います。


フクシマ・青年の怒りと結合し、ヒロシマ大行動の歴史的成功勝ちとる

広島県労働組合交流センター

 

(写真 原爆ドーム前で「すべての原発を今すぐなくそう!8・6ヒロシマ宣言」に1100人【8月6日早朝】)
(写真 NAZEN結成集会に700人【8月5日 広島市東区民文化センター】)

原爆ドーム前集会、1000名を超える結集を実現

 さあ、被爆66周年の8・6ヒロシマ・原爆ドーム前だ。3・11フクシマ原発事故を受けて初めて迎える8・6だ。ヒロシマとフクシマ、青年労働者の怒りを結合させて「全ての原発ただちに止めろ、ヒロシマ宣言」を発するのだ。ドーム前には1000人を超える労働者・学生・市民が結集した。シンディ・シーハンさん、イラクの医師・フサームさん、大石又七さん、反戦被爆者の会の下田礼子さんの発言が続く。ここに真に既成の原水爆運動をのりこえる新たな「世界大会」がスタートしたのである。
 このドーム前の集会に先立つ8・5の闘いは昼の6大産別(国鉄、全逓、自治体、教労、医療・福祉、合同労組)を先頭にした産別交流集会、8・6統一実行委員会集会といずれも昨年を大幅に上回る動員で熱気溢れるものとなった。さらに8・5の夜はNAZEN(「すべての原発いますぐなくそう!全国会議」)の結成集会が会場溢れんばかりの700名の結集で盛況のうちに感動的に勝ちとられた。NAZENの方針は鮮明だ。「すべての原発直ちにとめろ」の真に大衆的なスローガンを掲げて「停止中の原発の再稼動を絶対に許さない」闘いに直ちに突入する。そのスタートが闘いとられたのである。
 8・6当日の闘いはドーム前と菅の祈念式典参列を弾劾するデモで始まった。あくまでも原発を推進しようとする菅が祈念式典に出席するなど絶対に許さない。徹底弾劾あるのみだ。デモで徹底弾劾すると同時にビラ撒き隊が祈念式典に参列している被爆者、労働者、学生、市民に1万5千枚のビラを撒き切った。平和公園に集まっている数万の被爆者、労働者、学生、市民の怒りと固く結合して10時、いよいよデモの出発だ。青年・学生をデモの先頭にして元気よくデモは出発した。デモには沿道の青年労働者、学生、市民がどんどん合流して来た。圧倒的市民の注目の中、本日2回目のデモが貫徹された。

 

(写真 被爆66周年8・6ヒロシマ大行動に1685人【8月6日午後 広島県立総合体育館小アリーナ】)
(写真 ヒロシマ大行動のデモの先頭に立つシンディ・シーハンさん、下田礼子さん、大石又七さん【右から】【8月6日】)

敵は新自由主義だ!

 いよいよヒロシマ大行動が始まった。3・11以降日本で、いや世界中で闘われて来た総決算的闘いの開始だ。福島第1原発事故は新自由主義が引き起こした階級的犯罪行為だ。敵は新自由主義、このことをはっきりさせた時、真に解放的闘いが可能となった。
 3・11直後から政府・資本は「国家の非常時だ。全面的に復興に協力しろ」と階級圧殺の攻撃に出てきた。連合はじめ既成の全勢力がこの恫喝に屈した。しかし新自由主義の攻撃を徹底的に受け続けてきた青年労働者は「真の敵は新自由主義」と根底的決起を4・9、5・7、6・11と大決起を実現してきたのだ。6・5国鉄集会は労働者が勝利するためには労働組合を甦らせることの重要性、その環である国鉄闘争がフクシマの怒りと結びついて勝利の指針を示すものとして闘いとられた。
 6・19福島現地闘争は、福島現地で労働組合運動としっかり結びついて大爆発した。そして8・6ヒロシマはこれらの闘いの頂点をなす闘いとして闘いとられ、今秋の闘いをこじ開けるものとして闘われたのである。
 1685名の結集を実現した大行動集会の終了後、本日第3回目のデモの出発だ。8・6の暑いヒロシマをさらに熱くするデモだ。途中の在特会の妨害行為を一蹴してデモ隊は意気軒昂として平和公園へ到着した。高山俊吉弁護士の総括提起を受けて本日の闘争は終了。全過程が感動的に、自己解放的に貫徹された。11月労働者集会1万人結集への扉をこじ開けたのだ。
 さらに闘いは8・7へと続いた。午前中、青年部運動を労働組合を甦らせる闘いの環中の環として闘ってきた青年労働者の集会が開催された。同時に学生集会が行なわれ、新入生が次々と登壇して今秋の全学連大会への流れをつくり出した。昼からは「イラクの医師・フサームさん」の提起を受ける集会が福島から疎開してきた人、シンディー・シーハンさんも参加して行なわれ大成功した。

大槻泰生さんの遺志を引き継ぎ、必ず勝利する

 このように3日間を通した闘いの全てが感動的、歴史的勝利を実現した。50年におよぶ8・6闘争史の頂点をなす闘いとなったのだ。
 去る8月19日、常にヒロシマの反戦闘争の最先頭に姿があった反戦被爆者の会会長・大槻泰生さんが逝去された。最後まで核を憎み闘ってこられた大槻さんの遺志を引き継ぎ、闘い抜き勝利していく決意だ。広島交流センターは9・11から11月1万人結集実現のためにこの歴史的勝利の地平をさらに押し広げる闘いの最先頭に立って闘い抜く決意です。

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■労働運動を語る 花輪不二男さんに聞く(前編)
国鉄闘争全国運動呼びかけ人 世田谷地区労働組合協議会顧問

聞き手 東京西部労組交流センター事務局  構成 編集部

 略歴
1933年3月27日生まれ
1951年8月 品川税務事務所就職
1956年3月 早稲田大学第二法学部卒業
1983年2月 世田谷地区労働組合協議会議長就任
2011年現在 世田谷地区労働組合協議会顧問

僕の労働運動前史について

 僕は中学1年の時が日本の敗戦の年です。もっぱら勤労動員に駆り出され、もう学校は授業どころではなく、配属将校がいて戦闘訓練をしていました。軍国教育にまったく無批判で、東京の空襲が激しくなると、子ども心にも悔しくて敵愾心を燃やしていました。それが玉音放送の結果、一夜にして変わったのは何なのか、批判と言うより戸惑いを感じていました。権力者への反骨心は弱かったと思います。
 その後、左派系の本も読んで意識も次第に変わっていきました。大学は東京で学びたくて高3の春、盛岡を離れ明治学院に転校しました。あそこはミッションの学校で聖書も盛んに読みました。学校でのプロテスタントの教えは愛であり平等であり、さらに偶像崇拝のカトリックとの違いも学びました。そこで、僕らは秋の学園祭に仮装行列で一番軽い学生をキリストの十字架に仕立て、偶像反対を掲げて担いで回りました。すると「神を冒涜した」学生の退学処分が教職員会議で取り上げられました。結局一部の宣教師が反対し、処分は棚上げになりましたが、もう気分的に明治学院大学に進む気持ちになれず、早稲田を受験したのです。

第2次早大事件

 在学時代は学生運動というより、自治会活動の段階でしたが、学生運動の萌芽は見えてきた時代ですから警察も目を光らせていました。夜学の学生を装って警官が思想調査に入って来ていました。当時、僕は学生運動への参加は考えていなかったのですが、おまわりが調べていると聞き、許せないと思って駆け付けました。「第2次早大事件」(1952年5月8日)ですね。
 警官は警察手帳を抜かれて法学部の教室に軟禁状態にされました。学生たちは「神楽坂署長が謝罪文を書いたら釈放してやる」と言って座り込みを始め、軟禁を解かなかったところ、機動隊が導入され午前1時すぎに警棒を振りかざすメッタ打ちが始まり、前列の僕も頭を叩かれ逃げました。病院に運ばれた学生も出ました。今でも血の記憶が鮮明によみがえります。

東京都品川税務事務所での組合活動

 この頃は次兄が結核になり家計はピンチでした。薬はすべてヤミでしか手に入りません。国立大学の受験に失敗した僕は、浪人もできず東京都の就職試験を受けました。そして、早稲田の夜学に通うことになったのです。
 この時代はGHQの民主化政策で官製労働組合づくりがあったと言いますが、課長クラスの弁の達者な職制が組合役員に推されていました。組合運営も職場全体が官僚機構の中ですから、どうしても上意下達という姿勢が表れ、若手の反発や対立が多かったのです。
 この時代は戦後のインフレ、食料難で「買い出し休暇」も取れた時代です。給与も半月ごとで最初4800円ぐらい。やがて初任給の13800円が謳われました。僕の就職した東京都税務事務所はシャウプ勧告(1950年)によって大衆課税方式を導入する混乱の中にありました。新方式には大量の人手が必要でした。
 職場には品川区役所や荏原区役所の流れもありました。復員業務や駐留軍業務からの配置転換もありました。警官の余剰人員、都電撤去の交通配転、保健所からも来るなど僕らのような試験採用は少数派で大変な寄り合い所帯でした。一杯呑めば喧嘩が絶えない荒れた職場でした。このような雰囲気の中で超勤は日常化し1カ月100時間を超す職員も珍しくありません。職場には僕を含め夜学生が6〜7人いましたが、先輩から「仕事が大事か、学校が大事か、職場を見てみろ」と怒鳴られる状態で、学校に通うのも喧嘩ごしでした。
 やがて若手を中心に雑給(超勤他諸手当)闘争が始まりました。同じ仕事をしているのだから〈同一労働・同一賃金〉が原則だと教わってきた理屈を掲げたわけです。それまでは、超勤単価は給料で格付けされましたから、新米と古参の職員の格差は想像以上であったわけです。そのうえ超勤予算は総体でカットされ、40%支給が日常でしたから若者の不満が増幅するのは無理もありません。これが僕の組合活動の始まりかも知れません。実績の棒グラフは成績主義の尻たたきで、やめろと要求したりもしました。やがて、教宣部長ということになりました。
 若者の結束にはバレーボールが有効でした。税務の職場に税務排球連盟(9人制)を作り、一時期はオール都庁のトーナメントで3位を争うほどのチームに成長していきました。偉そうにしていた職制も成長し始めた若者の日常を見て、少しずつ妥協をするようになりました。
 昭和36年3月(1961年)定期異動で世田谷への配属が決まりました。世田谷では間もなく書記長に推されるのですが、選挙になりました。
 この当時、世田谷では組合の動員費の使い方に問題がありました。僕もその頃は若かったから動員には二つ返事で参加していました。動員の消化率は50〜60%であったと思います。ところが動員費は常に100%消化されていたのです。この差額は役員の子分と目されるグループの呑み代に消えていたようでした。そんな事情も絡んで選挙は分会長、書記長とも僅差ながら勝利し、一気に若返りました。各分会選出の支部三役では、世田谷から20台の僕が1000名を超す西部税務支部副委員長に決まりました。しかし、僕自身はこの環境の変化に戸惑いがあり、この時点では労働運動に徹しようとは考えていませんでした。振り返って僕のことを育てたのは60年安保闘争と争議支援で長期に関わった世田谷地区労活動ではないかと思っています。
 総評も太田=岩井ラインの下で全盛期を迎え、ある意味「闘えば取れる」時代でしたから、僕も有頂天で飛び回っていました。

共産党員との論争

 僕は60年安保闘争前ではノンポリです。当時は、共産党に好意的な気持ちを持っていました。社会党は組合幹部の出世コースのようで、身近かすぎるのか尊敬の対象にはなりませんでした。
 僕の気持ちを変えさせたのは社会党党首・浅沼稲次郎が殺された事件(1960年10月12日)です。事態がここまで迫っているのに僕の認識が甘かったと反省しました。社会党自体にはトロい所が見えますが、何とかしなければという気持ちに駆られて入党しました。
 思い出に残る共産党との論争は原水禁での「いかなる国の核実験」「樺美智子さんの追悼」「4・8声明」でしょうか。
 かつて原水禁運動はソ連の核実験で分裂しました。共産党は「ソ連の核は平和の目的」「ソ連の核は綺麗な灰だ」と言っていました。すべてにおいてアメリカは悪、ソ連は善という考えのようでした。その後、イスラエルが核を持ち、インドやパキスタンが核実験をやり、中国も加わると色別ではものが言えなくなりました。
 僕は、日本の被爆国の立場で核廃絶を訴える以上、今でも「いかなる国」は普遍的な意義を持つ平和主義だと考えています。
 ただ、一歩海外に出て議論すると、アメリカの核の傘の下で甘えた話をされても矛盾を感じるとの批判を打ち消すことはできません。政府も国民も真剣に核廃絶を訴えてこそ「核のない世界」を実現する力になると信じます。
 次に樺美智子さんの追悼ですが、彼女も60年安保を闘っていた学生でした。行動面で多少の跳ね上がりがあったとしても同じ国会闘争の現場で闘っていた犠牲者ではないですか。共産党は「樺はトロッキスト」だから追悼すること自体がおかしいとして無視しました。日本の運動を指導する政党であるならば生前での立場や主張に関わらず何故せめて一本の花を手向ける気持ちになれないのか議論したものです。
 それから、1964年の4・8ストになります。公務員法が施行されてから初めての半日ストでした。執行委員会は今までの時限ストとは違う緊張感の下で役員の配置や役割分担を議論していました。共産党員の執行委員も含めて夜中まで議論して決めた約束でしたが翌朝、われわれがピケにつくと、彼らは共産党のビラを持ってきて撒き出しました。当然、喧嘩になりました。「何だお前は…」とビラを奪って読むと「4・8ストはケネディー・ライシャワー路線による挑発ストだ。組織破壊分子を追放しろ」と書かれていました。いわゆる共産党中央指導部の4・8声明だったのです。「組織破壊をやっているのは貴様らではないか」と大騒ぎになりましたが、ストそのものは打ち抜いたのです。

僕と地区労運動

 ところで、組合では支部の三役に出たりすると、普通は本部の中央執行委員などの道が開けるようですが、僕は本部役員についたのは組織選択の過渡期の1期だけでした。どうも合わなかったし、他の役員も煙たかったみたいでした。
 例えば、美濃部都知事になってから、国の人勧凍結で1年間賃金改定がストップされた時がありました。ご存知の通り人事院勧告は公務員のスト権の代償として制度化されているものです。われわれのスト権を奪っておいて人勧凍結は許せないと、任命権者である都知事に要請の形で西税の部隊を動員し、知事室前の座り込みを始めたのです。本部には要請で説明しました。主張は正論でしたが事実上、山猫の指名ストでした。結果は美濃部知事の決断で国の1年凍結に対し、都は10月実施で解除したのです。
 いろいろと考えて僕は本部にトラブルメーカーと思われていたのかも。逆にそれが地区労運動を続ける結果を残したのかなと思ったりします。
 僕は昔から排除より溝を埋める主義でした。長い付き合いの中には明らかにセクトを感じる人もいましたが僕の方から避けることはしません。一緒にやるという気持ちでいたことが僕の成長を後押ししてくれたのだと思います。
 僕自身は反戦青年委員会のデモにも参加していたし、都合がつけば様々な集会にも出かけました。しかし、組合以外は役員や指導部にはなりませんでした。好きなように動けるから、そっちの方が気楽でよかったんですよ。もっぱら地区労運動を中心に動けましたからね。
 世田谷地区労との関わりは1961年の転勤以来です。1962年には常任幹事・争議対策部長になりました。僕の仕事は一発、争議となれば赤旗を持ってすぐに飛んで行くことでした。長引けば泊まり込むこともありました。これを2〜3期こなして以後、事務局長になりました。前任の議長が亡くなると議長に推されました。
 考えて見ますと現役の地区労役員を38年、顧問でお手伝いして来た期間が13年になりました。通算は51年ですがこの間1年だけは出身単組の役員選挙に失敗して職場に戻ったことがあったのですが、自分でも驚くほど長いですね。

全国争議になった京セラ闘争

 世田谷地区労が関わった争議で全国闘争になったのは京セラ争議です。元々は川崎市の中原で起きた闘争です。内容は京セラが川崎のサイバネット社を買収したことから始まりました。買収を終えた京セラはサイバネットの組合員を中原工場に配転し、その後工場閉鎖で追い討ちをかけたところから争議になりました。世田谷区の用賀には京セラの研究所が建てられ、組合員が1名配属になりました。争議支援の要請を受けた地区労は直ちに用賀攻めを始めました。出社時、昼休み、退社時の社前抗議集会を行い、デモをかけ、サービス残業を摘発しました。この時から京セラの社長は稲盛和夫です。
 彼は日本航空で「私は一度も首切りをしたことがない」と挨拶をしていますが、とんでもない話です。当時、中原工場(作業所)には21人の組合員がいましたがその内13人は地元で家族と暮らす女性労働者でした。会社は彼女たちが岡谷を始め遠隔地への配転に応じられない事情を十分知りながら工場閉鎖と従業員の広域配転を強行したのです。この手法はその後も買収企業従業員の事実上の解雇攻撃に使われました。
 組合側は共闘会議を全国規模で立ち上げ、拠点闘争から全国闘争に展開していく方針を決めました。僕も共闘会議の副議長として全国闘争に参加することになりました。僕の任務は、特に長野県評との人脈をたどり諏訪地区に共闘会議を組織することでした。
 京セラはこの時点ですでにカメラのヤシカを買収し、岡谷工場でアメーバ方式(※)による生産体制を進めていました。そして、まだ京セラの実態を知らなかった諏訪地区評は弱電・光学機器の大手メーカー組合として地区評加盟を誘いかけていました。
 この時は、諏訪の夢をぶち壊すような僕の京セラ闘争・争議支援要請には耳を貸してもらえず、オルグは失敗しました。
 僕は次の年も長野に向かいました。この時はすでに買収された各企業のその後や地域下請け泣かせの実態、表面化してきた諏訪地区での問題などを資料に基づいて説明したほか、総評はもちろん中立労連や同盟まで生産疎外者と見なした京セラ労組の体質について、労組とは名ばかりの姿を暴露していきました。
 長野県的にはクリスタルの争議が山場を迎える中で、僕に県評オルグをつけるなど諏訪の共闘会議結成に県段階でも力を貸してくれました。諏訪地区評も京セラ労組との折衝を通じて僕の話が本当だとわかってもらえました。こうして岡谷工場攻めは地域ぐるみで闘うことになったのです。
 京セラ闘争の共闘会議は福島、志賀、和歌山、京都の他、稲森の故郷の鹿児島、川内、隼人、都城などにも作られました。この闘いが稲森の第二電々構想に打撃を与えたことは間違いありません。稲森は闘争の初期には暴力団も使いました。宣伝カーで軍艦マーチを鳴らす妨害もしました。彼の頭の中には「京都賞」の売名に使う金はあっても労働者に払う金はなかったでしょう。しかし、世間は甘くありません。彼が逆えば逆らうほど共闘の輪が広がり「何とかしなければ」という焦りを感じさせたはずです。第二電々も争議を解決しなければ一歩も進まなかったのです。解決金も初めの7000万から10倍に跳ね上がりました。自主生産に入っていた生産ラインは1年間、無償で貸与されることになりました。最近の争議を見ても破格な和解でした。お世話になった各地の県評の皆さんに感謝すると共に、総評解散の直前で展開した全国争議が勝利できたことを誇りに思っています。
 それにしても京セラ闘争の役員は「呑んべえ」で明るい人たちでした。争議を楽しんでいるようにも見えました。僕も楽しかったし、よい勉強にもなりました。       (以下次号)

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※アメーバ方式
 京セラが始めた小集団部門別独立採算制度。京セラ工場は、労働現場でトイレにも行かせない、昼休みに部品を用意させるなど労働者の強労働・強搾取で悪名高い。

(写真 支援集会で壇上に上がる京セラ支部組合員【1988年11月 京都】)

 

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『月刊交流センター』主要目次(2)

NO.82(1997年1月号)〜NO.127(2000年10月号)

※NO.249(2010年12月号)までの主要目次を順次掲載します。タイトル、筆者の表記は訂正・変更を加えているものがあります。

●NO.82(1997年1月号)
◇新春座談会 97年安保・沖縄、国鉄闘争の勝利を!/自治体、全逓、教労、金属、国労、動労千葉 司会・山川博康 ◇97年を第3次安保・沖縄闘争の大爆発の年へ 沖縄 ◇JR鷹取工場廃止=大合理化攻撃を許すな! 関西 ◇3年目を迎えた被災地 関合労 宮武章治
●NO.83(1997年2月号)
◇特集 行政改革攻撃と対決する97春闘を!自治体労働者部会 庄山正/全国女性部長 兼杉美枝子/佐藤陽/関剛治 ◇国鉄連載H国鉄作家集団 村山良三
●NO.84(1997年3月号)
◇特集 沖縄基地への反戦地主の立ち入りを実現しよう! 日米安保に大きな風穴を ◇2・1〜2第4回定期全国総会 第3次安保・沖縄闘争、国鉄決戦を両輪に 中野洋代表 ◇破防法闘争勝利の歴史的意義 ◇国鉄連載I国労米子地方本部米子連合分会執行委員長 鷲見貢
●NO.85(1997年4月号)
◇朝鮮侵略戦争ができる安保体制の強化を許すな! 大野田滋 ◇全国各地区、産別で春闘集会開催 ◇破防法闘争はなぜ勝利したか 東京労組交流センター代表 三角忠 ◇国鉄連載J国労佐世保闘争団 高田末博 ◇全逓 人事交流−郵政事業民営化攻撃を許すな!
●NO.86(1997年5月号)
◇ドキュメント 怒りの爆発 沖縄特措法 ◇戦時立法と共存する公布50年目の「平和」憲法/組織的犯罪対策法 ◇3・19国鉄ストライキの歴史的意義 ◇国鉄連載K動労千葉執行委員・協販部長 白井敏行
●NO.87(1997年6月号)
◇5・14〜16沖縄派遣団レポート ◇ガイドライン改定阻止の闘いを! ◇長谷川英憲さんインタビュー ◇第2の分割・民営化攻撃とJR総連・革マルの危機 辻川慎一事務局長 ◇国鉄連載L国労東京地本八王子支部 片倉直樹 ◇動労千葉 28名全員の解雇撤回かちとる
●NO.88(1997年7月号)
◇国労8月全国大会に向かって 国労新橋支部吉野元久/鎌倉孝夫さん ◇橋本行革会議「中間整理」が明らかにするもの 庄山正 ◇被爆52周年ヒロシマ・ナガサキ 三角忠 ◇原水禁運動と労働運動 井田一雄 ◇国鉄連載M国労兵庫地区本部神戸地域分会 高崎庄二
●NO.89(1997年8月号)
◇特集「自由主義史観」批判 戦争責任の開き直りと戦争動員への政治運動 佐藤陽/教育労働者運動からの視点 教育労働者部会 ◇「8・30申し入れ」=労使共同宣言を破棄せよ 国労千葉地本 飯島幸雄 ◇労働者の戦時動員を現場から阻止する闘いを 自治体労働者部会
●NO.90(1997年9月号)
◇新企画 労働ニュース ◇反戦自衛官が読む新安保ガイドライン中間報告 自衛隊二等陸曹片岡顕二 ◇安保ガイドライン改定=朝鮮侵略戦争を阻止しよう 山川博康 ◇動労千葉28名解雇撤回 組合の団結が一切の判断材料だ 中野洋動労千葉委員長 ◇沖縄労組交流センター
●NO.91(1997年10月号)
◇特集 労働基準法−労働法制の全面改悪 職場の団結−階級的労働運動の再建こそ課題 山川博康 ◇労働者保護を投げ捨てた労働省試案佐藤陽 ◇第62回国労全国大会傍聴 国労新潟星野文男 ◇国鉄連載N国労小倉地区闘争団日豊班 羽廣憲 
●NO.92(1997年11月号)
◇特集 労働運動つぶしと戦争体制づくり−橋本行革の狙いをあばく 庄山正/地方行革の天王山東京都の行革攻撃との闘い 香川晋/「行革対応」の名による合理化協力許さず戦闘的労働運動の防衛を 理論センター神子高人 ◇国鉄連載O動労水戸家族会 辻川あつ子 
●NO.93(1997年12月号)
◇特集 第3次安保・沖縄闘争 大失業と戦争の時代に闘う階級的労働運動の復権を 中野洋代表 ◇いま問われる「大失業と戦争の時代」の時代認識 戸井田晃 ◇新連載危機に立つ資本主義 理論センター村越一郎 ◇国鉄連載P(最終回)動労千葉執行委員 高石正博 
●NO.94(1998年1月号)
◇特集 新安保ガイドライン下で進む有事体制づくり/金融恐慌と大失業時代の到来 ◇行政の壁を破って、仕事よこせ! 住宅よこせ! 関西合同労組 ◇市民投票の圧勝を! 沖縄労組交流センター ◇新連載きょうも元気!! 沖縄バャリース労組
●NO.95(1998年2月号)
◇特集 大失業攻撃にたち向かう新たな春闘を
「労問研報告」批判/春闘の歴史から学ぶもの/新たな春闘、新たな闘う労働運動をつくりあげるために 田中康宏動労千葉書記長 ◇98年国鉄決戦最大・最高の正念場に際して 国労共闘 吉野元久 ◇電通部会 小野千鶴
●NO.96(1998年3月号)
◇特集 労働法制改悪とどう闘うか ◇労働者階級の権利闘争―その歴史を教訓として 宮島尚史(学習院大学法学部教授) ◇労働委員会での腕章着用禁止攻撃 山川博康 ◇全逓年休権裁判が大詰めに 全逓年休権裁判原告 土山友幸 ◇グリン製菓労組委員長 中村裕美
●NO.97(1998年4月号)
◇特集 最大の正念場に突入した国鉄闘争/国鉄闘争の現局面と勝利への道筋 中野洋動労千葉委員長 ◇国労闘争団インタビュー ◇PKO法改悪、新安保ガイドライン関連法案を阻止しよう! ◇そごう地労委闘争 職場復帰の勝利命令かちとる! ◇グリン製菓労組委員長 中村裕美(前号続き)
●NO.98(1998年5月号)
◇特集 まるで「改憲国会」!/インタビュー自衛隊二等陸曹 片岡顕二 ◇労働基準法改悪を許すな! ◇百万人署名運動が本格的にスタート ◇金属産別・関東A職場 菅野幹夫
●NO.99(1998年6月号)
◇特集 アメリカ資本主義と労働者階級 ◇「日の丸・君が代」反対闘争の拠点―広教組解体攻撃との闘い 広島県労組交流センター教育労働者部会 ◇三教組 品川孝司
●NO.100(1998年7月号)
◇特集 『共産党宣言』発刊150年―労働運動と共産主義/理論センター森尾誠 ◇「5・28」反動判決弾劾!「8・30和解路線」と決別し、JR体制打倒へ! 国労共闘 吉野元久 ◇広島−長崎 反戦・反核闘争にたちあがろう! 三角忠 ◇ニッショーニプロ書記長 江森幸代
●NO.101(1998年8月号)
◇東京地裁5・28判決と「国家的不当労働行為」佐藤昭夫(早稲田大学法学部教授) ◇特集 始まった激突と分岐―歴史的岐路に立つ労働運動 ◇分割・民営化反対闘争の原点に帰り、政治決着の道を阻止しよう 国労新橋支部 吉野元久 ◇全逓加古川総分会分会長 本多敏巳
●NO.102(1998年9月号)
◇国労大会 「国鉄分割・民営化容認」への路線転換を阻止! ◇特集 「周辺事態」―労働者が侵略戦争にかりだされる日 ◇全逓第52回定期大会 民営化推進、産業報国会路線を純化した連合全逓 ◇自治体労働者 青木牧子
●NO.103(1998年10月号)
◇国労第63回大会「補強案」への反対意見 ◇特集 労働基準法―労働法制改悪を許すな!◇団結活動封じ込めの策動と抵抗の法理・論理
宮島尚史(学習院大学法学部教授) ◇新連載マルクス主義基本文献案内(NO.115まで7回連載) ◇自治体労働者 高橋友
●NO.104(1998年11月号)
◇特集 大失業攻撃と対決する/現場からの報告 鉄鋼、電機、金属、石油、私鉄、化学 ◇国会をとりまく大デモで新安保ガイドライン関連法案を粉砕しよう! ◇三多摩合同労組 厚生荘病院分会 植松恵樹
●NO.105(1998年12月号)
◇11・8労働者集会に賛同112組合、2800人◇労働運動の大再編情勢と「全国ネットワーク」運動の歴史的意義 ◇そごう闘争の現局面と展望 ◇沖縄県知事選の敗北を見据え、新たな闘いに突入する 沖縄交流センター 真喜志康彦◇三一書房労組弾圧を労組交流センターの総力でうちやぶろう
●NO.106(1999年1月号)
◇国労「補強案」強行の臨時大会開催をめぐる攻防 国労新橋支部 吉野元久 ◇特集 未組織労働者の組織化のために/各地の合同労組運動からの報告 ◇不二家労組 坂本洋子 ◇新連載 HOW TO 職場闘争(NO.121まで13回連載)
●NO.107(1999年2月号)
◇欧州連合(EU) 社民政権を乗り越える新たな労働運動を! ◇特集大失業攻撃に抗し、生活防衛春闘を!/全国機械金属港合同・九条シャーリング支部の闘いから学ぶ ◇関西合同労組・成友印刷分会 松田耕典
●NO.108(1999年3月号)
◇国労新橋支部座り込みと拡大中央委員会 路線転換を粉砕しよう 国労新橋支部 吉野元久◇特集 どうなる? 労働委員会制度 ◇東大阪市教組・森河内小学校分会 宮川謙二
●NO.109(1999年4月号)
◇特集 つぶせ! 新安保ガイドライン/朝鮮半島有事に備え、変貌する自衛隊 反戦自衛官藤尾靖之 ◇広島県労組交流センター教育労働者部会
●NO.110(1999年5月号)
◇高橋・宮坂執行部を打倒し、国労運動の再生を! 国労新橋支部 吉野元久 ◇特集 変えられる「この国のかたち」 中央省庁再編と地方分権 ◇エッソ ゼネ石「共同化」650人首切り大合理化との闘い ス労自主 ◇広島県労組交流センター教育労働者部会(前号続き)
●NO.111(1999年6月号)
◇特集 取られる年金 なくなる年金――戦争前夜における「戦時型福祉政策」への移行 ◇新安保ガイドライン関連法をめぐる労働運動の分岐 ◇高見さんを支える会
●NO.112(1999年7月号)
◇ユーゴ爆撃と反NATO反戦闘争 社民政権下で実力で反戦闘争に決起する労働者 ◇特集地方財政危機と公務員労働運動 ◇8・6ヒロシマ−8・9ナガサキ反戦・反核闘争 万余の反戦大行動へ ◇全国金属機械労働組合G電機支部 新垣めぐみ
●NO.113(1999年8月号)
◇「改革法承認」の全面白紙撤回を! 国労新橋支部 吉野元久 ◇特集 新安保ガイドライン体制下の労働運動/動労千葉三里塚ジェット燃料輸送阻止闘争の教訓 中野洋動労千葉委員長 ◇そごう闘争の解決と闘いの地平 ◇ED労働組合
●NO.114(1999年9月号)
◇特集 「産業再生策」を撃つ! ◇組織的犯罪対策三法案の強行採決弾劾の闘い 佐藤陽
●NO.115(1999年10月号)
◇特集 国鉄闘争の現局面と勝利の展望/闘いの路線、構えの問いなおし、正確な時代認識を田中康宏動労千葉書記長 ◇沖縄サミットの正体―県内移設との闘いの正念場 ◇京滋・福祉笹井由紀
●NO.116(1999年11月号)
◇特集 連合結成10年と交流センター運動/交流センターの原点と到達地平 辻川慎一事務局長 ◇港合同の闘いの教訓を学び、継承・発展させよう 港合同 大野ひろ子 ◇新連載 オレたちは鉄路に生きる 動労千葉労働運動史(NO.141まで21回連載) ◇杉並障福労
●NO.117(1999年12月号)
◇特集 都労連決戦=公務員労働運動の天王山
/石原「心の東京革命」の正体/短時間公務員制度の導入を突破口とした自治体労働運動の破壊 ◇岡山県職労水島港湾事務所分会 川崎俊憲氏に聞く
●NO.118(2000年1月号)
◇特集 大失業攻撃と闘う/国家的総リストラによる労働者収奪と抵抗 第1回(NO.121まで4回連載)宮島尚史(元学習院大学教授・弁護士) ◇「分社−倒産」型攻撃との攻防の最先端 ED労組 杉村和美 ◇被災地の反失業闘争 関合労被災地現地本部長 宮武章治
●NO.119(2000年2月号)
◇闘争団切り捨てを迫る運輸省・二階弾劾! 国労 吉野元久 ◇特集 2000年春闘―闘う春闘の再構築のために/賃金の本質論を基礎にした闘争論を ◇米軍基地の名護移設反対の闘い
●NO.120(2000年3月号)
◇国労闘争団の決意 国労小倉地区闘争団日豊オルグ班 松崎博巳 ◇特集 希代の悪法―介護保険法の4月施行を許すな! ◇病院労組 佐竹郁子 ◇反動的都労委命令と闘う 杉並障福労、ED労組
●NO.121(2000年4月号)
◇特集 教育基本法改悪と「日の丸・君が代」
◇沖縄・名護からのレポート ◇新連載 グローバリゼーションと労働運動(NO.128まで8回連載) 埼玉大名誉教授・鎌倉孝夫 ◇関西合同労組兵庫支部
●NO.122(2000年5月号)
◇60歳解雇―関連会社への選別雇用を受け入れた東労組(革マル)と国労 国労新橋支部 吉野元久 ◇特集 動きはじめた憲法改悪/憲法改悪と労働運動 佐藤昭夫(早稲田大学名誉教授) ◇関西労組交流センター教育労働者部会
●NO.123(2000年6月号)
◇特集 ファシスト石原を打倒しよう! ◇介護保険体制下の福祉労働運動の課題 杉並障福労委員長 佐藤孝 ◇広島県労組交流センター教育労働者部会
●NO.124(2000年7月号)
◇「4党合意」を受け入れた国労本部を弾劾する 闘争団とJR本隊の決起で、執行部総退陣をかちとろう! 国労新橋支部 吉野元久 ◇特集 沖縄サミットに「基地撤去」の闘いを!
◇エクソン・モービルの買収合併による大失業攻撃 ス労自主 ◇ED労組 杉村和美
●NO.125(2000年8月号)
◇総選挙の結果と労働運動 ◇9・3自衛隊統合防災実動演習の狙いと実態 軍事評論家 藤井治夫さんに聞く ◇特集 始まった連合路線への反乱 ◇関合労南大阪支部グリン製菓分会中村裕美
●NO.126(2000年9月号)
◇「4党合意」と国労臨時大会再開に抗議する!◇特集 女性労働運動の発展のために/連合女性部運動論批判と女性労働運動の課題/女性労働者の闘いの歴史から学ぶ ◇始まった連合路線への反乱(前号続き)
●NO.127(2000年10月号)
◇特集 激しい資本攻勢に抗して ◇国家的総リストラによる労働者収奪と抵抗(続き) 宮島尚史(元学習院大学教授)/京王バス分社化=全員解雇・転籍攻撃 ◇「4党合意」の破棄、現執行部の総退陣を! 国労新橋支部 吉野元久 ◇教育改革国民会議中間報告と石原「心の東京革命」 ◇東大分院職員組合 早川恵子

  (以下次号)

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■BOOK李載裕(イ・ジュユ)とその時代 ―1930年代ソウルの革命的労働運動
金Q一(キム・ギョンイル)著 井上 學、元吉 宏訳
同時代社 2006年8月 4410円

 民主労総の若い活動家から「ぜひ読んでほしい」と薦められた本がある。『李載裕研究』という本だが、日本語訳が『李載裕とその時代―1930年代ソウルの革命的労働運動』という書名で2006年に出ている。
 李載裕(イ・ジェユ)は日帝植民地下の朝鮮で度重なる逮捕、拷問にも屈せず労働運動とプロレタリア革命運動を一体的に実践し、解放前年の1944年10月26日に清州保護矯導所で獄死した革命家だ(享年40歳)。
 本書の執筆意図について韓国学中央研究院教授である著者は、「国際主義路線に追随する運動者たちの英雄主義的で権威主義的運動方式とは対照的に、国内に運動の基盤をおく李載裕に代表される運動を強調しようとした」と説明する。実際に本書を通じて李載裕の苦闘に触れたとき、日本と同様、当時の「国際主義」、すなわち国際スターリン主義運動による誤った指導のもとで苦闘し模索する朝鮮の革命家の姿が浮かび上がってくる。
 李載裕は「従来のように人を指導することや、指導を引き受けることではなく、指導すると同時に自身も指導されるというところに共産主義者としての第一歩を踏み出し、自ら最下層の労働者と交流して大衆の中に同志を獲得し、徐々に上部組織として展開」するとの方針のもと、仲間を結集し、1933年、ソウルを拠点に片倉製糸、高麗ゴム、朝鮮絹織、鐘淵紡績など数々の事業所で大衆的ストライキを組織する。
 李載裕は、当時様々な系列に分裂していた朝鮮の共産主義運動を統一する必要を強く感じ、プロフィンテルン(赤色労働組合インターナショナル)から送り込まれた活動家らと接触を持つが、大衆的基盤もなしに権威に頼って上部組織だけをつくっては失敗を重ねていた「国際路線」の運動に反感を持つ。その一方で、そうした「国際路線」に反発してそれと断絶し、指導自体を拒否して大衆獲得にだけ重きを置いた運動が挫折しているのも見てきた。李載裕の思想は、こうした現実を総括する中からつかんだものだった。
 労働者が本来的に持つ自立性と革命性にとことん依拠しようとした李載裕は、ソウルゴムの同盟ストに際して、運動を指導するために行くという考えに対抗し、労働者を応援しに行くのだと仲間に主張している。
 李載裕はこうした自らの運動スタイルを「トロイカ方式」と呼んでいた。
 「最初から左翼的言動をしたり自慢したりせずに、相手が話すところをよく聞きそれに従って宣伝扇動すること、意識程度に従い左翼書籍を勧め、いつでも情熱を持って応対し、討論などの場合に自分の誤りは努めて相手の面前で自ら指摘する」――李載裕は自ら作成したパンフ『同志獲得に関する注意事項』の中でこう強調しているが、ここからも、当時のスターリン主義の指導をのりこえようとする姿勢が読み取れる。
 李載裕の実像に迫ろうと多くの史料に当たった著者は、「『共産主義こそが朝鮮人を救う唯一の道』と確信していた李載裕は、革命のために生き、革命のためにすべてを捧げ、革命のために喜んで死んだのである」と本書の最後を結んでいる。
  (広沢こう志)

 

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●読者のページ

●沖縄『シンディ・シーハン講演会』で何が起きて、何が始まったのか

 沖縄労組交流センター 代表運営委員 柿本博人

 8・11シンディ・シーハン講演会は、メインのシンディさんが体調を崩し集会に参加できないというアクシデントをのりこえて、160名の結集で大成功しました。その土台で沖縄労働運動の新時代が確実に動き始めています。
 焦点は、シンディ・シーハン講演会か、原水禁沖縄大会か、「どちらに参加するか」でした。呼びかけビラができてからの準備期間は1カ月。沖縄高教組のホームページには、8月11日「シンディ・シーハン講演会」と「原水禁沖縄大会」の2本が掲載されました。ほとんどの自治体で、基地、NTT、学校・大学、市民団体でビラがまかれ、北部・中部・南部地域の沖縄合同労組協議会による宣伝・組織戦が展開されました。
 これに対して、社民・平和運動センターは、直前になって同日同時刻の「原水禁沖縄大会」の日程をぶつけてきました。このせめぎ合いの結果は、「シンディ・シーハン講演会」160名対「原水禁沖縄大会」320名の〈2対1〉に。沖縄労働運動全体の構図が大きく揺らぎ始めたのです。
 沖縄労働運動足下の各職場では、8・11と一体で動労千葉物販が取り組まれ、昨夏実績から12%アップ。これが160名結集の力に転化しました。
 シンディさんの思いは、彼女と行動した動労千葉国際部の通訳の方から熱く伝えられました。また、8月5日結成の「すべての原発を今すぐなくそう!全国会議」事務局長・織田陽介さんの発言に対して「織田さんのアピールはとても心強く、全面支持します。沖縄もがんばります」(初参加の50代女性)との感想が寄せられました。賛同金11万円、賛同226口、参加費8万円、会場カンパ6万円は、「すべての基地、すべての核と原発をこの社会からなくそう! 子どもたち、若者たちの未来をとりもどそう!」の力です。団結ありがとう!
(写真 シンディ・シーハン8・11沖縄講演会【那覇市パレット市民劇場】。壇上はNAZEN事務局長・織田陽介さん)

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  読者の皆さん! 投稿をお願いします。強制するページではなく自主的に決起するところです。

編集後記

▼花輪さんに感謝です▼英暴動の背景がわかる映画ケン・ローチ監督『この自由な世界で』(2007年)がお勧め▼9・11−9・19反原発闘争の肝は職場、組合員獲得、労組権力闘争だ▼あらゆるオルグ・闘争現場に『月刊』を!(う)

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Photo Document 2011年7月〜2011年8月

国労の階級的再生を!

7・28静岡
国労大会初日、国労本部は、代議員、傍聴者以外の一切を、会場のホテル敷地内に入れない体制をとった。闘う国労組合員は防衛隊、静岡県警と対峙しながら、徹底的に国労本部打倒、国労の階級的再生の訴えを貫徹した。

天神峰現闘本部破壊弾劾!

8・6千葉
午前3時半、政府・NAA(成田空港会社)は天神峰現闘本部撤去の仮執行を強行、建物全体を破壊し撤去した。三里塚反対同盟農民と支援は、隣接する市東孝雄さんの畑に結集し、6時間におよぶ弾劾闘争をたたきつけた。

首切り基本条例粉砕・橋下打倒!

8・19大阪
9月府議会に「職員基本条例」「教育基本条例」を提出しようとしている大阪府知事・橋下に対して、4人の教育労働者が呼びかけて、大阪府庁前抗議行動を闘いぬいた。

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