「月刊労働運動」 2013年/02月/01日(No.275号 p29)

(*2011/08月号〜「月刊交流センター」より改題)

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(写真 沖縄「怒りの御万人【うまんちゅ)大行動」に3000人。沖縄労組交流センターは、オスプレイ配備中止、辺野古新基地建設阻止、闘う労働組合を甦らせようと訴えた【昨年12月23日 宜野湾市海浜公園野外劇場】)

◎労働者の目 いよいよ現場労働者の出番だ! 民営化絶対反対貫く2013 春闘を!
新たな時代の反合・運転保安闘争をつくりだし、外注化阻止春闘へ 田中 康宏 動労千葉委員長
解雇撤回! 外注化阻止! 新自由主義と闘う反合・運転保安闘争を! 2・17 集会へ総結集しよう!   国鉄闘争全国運動事務局 4
2・24 橋下打倒全国集会へ 闘う労働組合の団結で、生きるためのすべてを奪い返そう! 橋下打倒集会実行委員会
3・11 福島現地闘争の勝利へ   渡辺 馨 福島県労働組合交流センター代表
労働運動を語る 鈴コン分会闘争とは何か(上) 吉本伸幸さん、内尾 稔さん、鈴木善弘さん、花輪不二男さん
◎1・7さいたま地裁 ジェコー不当解雇追認判決を許さない! ジェコーによる期間従業員不当解雇撤回闘争を支援する会
◎JR千葉鉄道サービス分会・河原さん控訴審闘争 1・24「控訴棄却」の不当判決許すな! 東京東部地域合同労働組合東部ユニオン執行委員長 小泉義秀
◎ 2013 年の決意 国鉄軸に職場闘争で勝負し、沖縄闘争を闘う 沖縄労働組合交流センター 松本 未土
ひめじょおん−女性部から――女性部から 「安全な給食に責任を!」と八尾市に申し入れ
◎地平線―反戦共同行動委員会― 2013 年3・8国際婦人デー行動を成功させよう 鶴田ひさ子 婦人民主クラブ全国協議会
◎元労働基準監督署長・大野義文の東風烈風=@第5回 労災事故は事業者の責任です
読者のページ  ◎動労千葉労働学校 第12 期労働学校日程
◎ビキニ水爆実験・被ばくから59 年「原発いらない杉並集会」要項 ◎マンガ
※「Pick Up」は休載しました

月刊『労働運動』(275号1-1)(2013/02/01)

■労働者の目

いよいよ現場労働者の出番だ! 民営化絶対反対貫く2013春闘を!

星野 勝紀 副代表運営委員 JP労組東京銀座支部

 今年度もあと2カ月。当局の「タンクロ」=単年度黒字の号令のもと、職場から悲鳴と怒りの声が聞こえてくる。自民党・小泉政権下で強行された郵政民営化だが、はじめから金儲けの道具にしてはいけない事業を、民営化して黒字にすると言っているほうがおかしいのである。郵便事業は全国あまねく公平が建前だ。ここをはっきりさせなくてはならない。
 はなからおかしいことをやらざるを得ないところに来ている根本原因は何か。今の資本主義の世の中が行き詰まっているからだ。郵政民営化の背景には、1千兆円を超える国家財政の危機があった。郵政を民営化して解決したのか、まったく否だ。危機は深まる一方だ。民営化、規制緩和で、世の中が良くなるなど、まったくのウソである。郵便局で働く私たちが一番良く知っている。6割の非正規化の現実を見よ。新自由主義政策のもとで政財界の推し進める民営化攻撃は、フルアウトソーシングと総非正規化に向かっている。
 私たちは、外注化阻止・非正規職撤廃の路線で闘いを開始した。敵は、規制緩和どころか、すべての規制を撤廃しようと企んでいる。偽装請負の偽装も偽装ではないと言ってのける勢いだ。この攻撃の激しさの裏から、資本家連中が労働者にメシを食わせられなくなったという悲鳴も聞こえているのだ。
 いよいよ現場の労働者の出番だ! 敵は、悲鳴をもらしながら絶望的な攻撃に打って出てくる。日本郵政が出した「郵政グループビジョン2021」を土台に、新人事・給与制度導入、さらなる合理化、たらいまわしの強制配転を企んでいる。
 郵政民営化絶対反対が全国の職場で闘うバックボーンだ。この2月に、2013春闘を決定するJP労組第11回中央委員会が開催される。勝負は現場から! ひとつでも良い! 「しようがない」現実をぶっとばす2013春闘を闘おう!
(写真 全国の主要郵政職場で一斉に元旦ビラを配布【1月1日 東京・銀座局前】)

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月刊『労働運動』(275号2-1)(2013/02/01)

新たな時代の反合・運転保安闘争をつくりだし、外注化阻止春闘へ

田中 康宏 動労千葉委員長

 

 (写真 動労千葉団結旗開きで挨拶する田中康宏委員長【1月12日 DC会館】)

1・12動労千葉団結旗開きにおける田中康宏委員長の年頭挨拶(要旨)を掲載します。

昨年は動労千葉にとって大きな節目の年でした。シニア制度と闘い始めて以降12年間、組織の総力を挙げて闘ってきた検修・構内業務の外注化の強行、動労千葉鉄建公団訴訟の6・29東京地裁判決で不当労働行為を認めさせたこと。そのなかで新たな進むべき方向は何か。頭が痛くなるほど考えました。それは、動労千葉の原点である反合・運転保安闘争に帰ることです。
外注化以降、現場はすべてが矛盾です。それは敵の弱点でもある。でもそれに立ち向かうことができなかったら、この矛盾は労働者の団結、労働組合を破壊します。反合・運転保安闘争の出発点は何だったか。現場で事故が起きると、運転士が逮捕や処分、首になる。運転士に責任がないにもかかわらず、現場は真っ暗になり展望を失う。だけど、事故をどうみるかで力関係が逆転する。それが反合・運転保安闘争の核心です。「運転士には一切責任はない。すべての責任は国鉄当局にある」。そう言いきったのは中野前委員長だけだった。その途端に、現場の声、エネルギーが全部結集した。だから総武線をガタガタにする順法闘争になった。

  外注化強行後の検修職場の現状

 いま外注化が強行された中で、検修職場の現状は厳しい。今回の外注化は、本来の業務委託ですらない。業務委託とは、下請け会社に一応、専門的知識や経験があって、そこにコストを下げるために仕事を移すものです。今回、下請け会社は車両の掃除しかしたことがなく、労働者、管理者ごと移して制服が変わったけど、すべては昨日までと変わらない。
 われわれも勘違いしていたことがあります。今回外注化されたのは、構内入れ換え業務、仕業検査という業務、派出検査の業務です。仕事ごとに委託すると思ってました。違うんですよ。毎朝、幕張なら何十という入れ替えがあるんですが、それを全部朝発注する。列車が乱れたら、変更した入れ換えごとに、新たに発注する。
 なんでこんなことやったのか。あるラインを外注化するとかやったら、動労千葉がストライキやったらどうなりますか? 10月1日以降、ストライキやったときに起きたことは、動労千葉の組合員がやる入れ換えだけは「今日は発注しませんから」とJRの人間が来てやる。これは外注化ですか? そうすると、外注化した業務はJRが指揮命令したら違法行為になる。でも、列車というのは一つの指揮命令のもとに動かさなかったらぶつかる。構内入れ換えと言っても、本線への出区、本線からの入区もある。本線運転と密接につながっている。これを別会社にして、指揮命令系統を別にしたら運転保安は崩壊します。
 そういう偽装のために何をしたのか。列車が動くには、運転法規上、明記された通告という厳密な指揮命令が必要なんです。構内入れ換え業務も同じです。それを「情報提供」と言い換えた。運転法規はぜんぶ踏みにじられました。構内入れ換えというのは、強制出向させられた労働者だけじゃないんです。JRの本線運転士も入るんです。本線運転士の規定は変えられないから通告です。下請け会社に行かされた動労千葉の組合員は、たんなる「情報提供」。絶対に大事故が起きる。これだけは譲ってはいけないというものをつかみとって、現場からの徹底的な反合・運転保安闘争をつくり上げる。
 かつての反合・運転保安闘争は、〈資本の最大の矛盾が事故や安全にある。それを踏まえて、これまで戦後の労働運動が闘いきれなかった反合理化闘争を、労働者が団結して資本を攻めていくものにする〉というものでした。そこに中野顧問の強い思いがありました。新自由主義攻撃下の新しい時代の反合・運転保安闘争は、運転保安の問題とともに、もうひとつは雇用破壊の矛盾なんです。これだけの雇用破壊にまともな反撃がない。これに立ち向かいたい。正規と非正規との連帯は自分の職場から血を流して闘わなかったらできない。そのとき非正規の若い仲間と連帯できる。
 いまの外注化闘争は、一朝一夕でできたものじゃない。再雇用を拒否して首になってくれたり、制度粉砕後に退職していった70数人の組合員の闘い。これを見て動労千葉に来てくれた平成採の仲間。僕らは、これを背負って新しい時代の反合・運転保安闘争をつくります。現場とひとつになって、労働者の団結をつくれる矛盾をつかみとって具体的運動にする。裁判闘争と一つになって闘い抜く。簡単ではない。だけど、絶対に勝ち抜くという執念で闘い抜く。

  とりまく情勢

 2013年は、労働者の雇用と権利の破壊という点でも、戦後の歴史の節目になります。この4月から改悪労働契約法など労働者の権利を守るという名目で実は労働者を冒涜する法律が相次ぎ施行されます。国会は90数パーセントが改憲派になった。しかし、いまの支配階級は根本的にダメです。安倍バブルで参院選に勝つというような一番安易な道を進んでいる。この国は破綻する。限度を超えて生きることができない現実が進みます。だけど、ここにチャンスがある。怒りの声があふれ出す。反原発の情勢に垣間見えている。そこに階級的労働運動がないと絶対に行かない。
 昨年、JR東は史上空前の利益をあげてます。原発がダメになり、鉄道輸出が戦略的事業になった。去年、JR東と西と東京メトロで鉄道輸出の会社を立ち上げました。すでに18件の海外コンサルタント事業を受注してます。雇用破壊のモデルをJRが示し、外注化に突き進もうとしています。

 3月外注化阻止春闘へ

 滝副青年部長がライフサイクルで駅に飛ばされてから2月で3年になる。絶対に習志野運輸区の運転士として奪い返す。ここから闘いは始まります。そして3月ダイ改と外注化阻止の第2ラウンドに突入していく外注化阻止春闘です。現場と一緒に、ここから新しい反合・運転保安闘争が始まったと言えるような戦略的ストライキを構えていきたい。
 新しい時代の反合・運転保安闘争、外注化阻止闘争をつくる。すべての職場での外注化を絶対に止める。それは、自分の職場の具体的闘いから始まる。そのために、明日から立ち上がりたい。

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月刊『労働運動』(275号3-1)(2013/02/01)

解雇撤回! 外注化阻止! 新自由主義と闘う反合・運転保安闘争を!

2・17集会へ総結集しよう!

国鉄闘争全国運動事務局

 2・17国鉄集会は、新自由主義と闘う反合理化運転保安闘争で外注化を粉砕し、1047名解雇撤回を勝ちとる新たな戦闘宣言の場となります。解雇撤回署名運動の広がりと一体となった大結集を呼びかけます。

 「6・29判決」を引き継ぎ、国鉄改革法を打ち破って1047名解雇撤回へ!

 国鉄分割・民営化で7628人の国鉄労働者に不採用通知が出されてから26年を迎えます。国鉄分割・民営化は、日本における新自由主義攻撃の突破口であり、労働組合解体を狙った戦後最大級の攻撃でした。2010年「4・9政治和解」は1047名闘争解体を狙った大攻撃でしたが、これを拒否した動労千葉争議団と国労闘争団員はあくまで解雇撤回を求めて国鉄闘争全国運動が生まれ、新たな闘いが開始されました。そして2012年動労千葉鉄建公団訴訟の東京地裁6・29判決は、国鉄分割・民営化当時に明確な組合差別があったことを認定し、国鉄改革法の壁を打ち破る展望を示した画期的な判決でした。署名運動、控訴審闘争を推進し、1047名闘争をさらに前進させるための集会が2・17集会です。

 外注化阻止第2ラウンドを、安全破壊、雇用破壊に対する反合・運転保安で闘おう!

 動労千葉は、安全破壊と雇用破壊に対して、原点に返って新自由主義攻撃に立ち向かう反合・運転保安闘争を確立し、職場闘争を通して組織拡大を実現しようとしています。

 12年間の外注化阻止の闘いの勝利の地平

 動労千葉は、2000年のシニア制度との闘いから本格化したJR東日本の外注化に対し12年間闘い、30人の組合員が60歳定年後の再雇用を拒否され、06年以降40人ものエルダー組合員が千葉鉄道サービス(以下CTS)で検修・構内業務の仕事を拒否して馴れない清掃の仕事に従事してきました。この闘いで、JR東日本全体では今日に至るも転籍を許していません。これは12年間に渡る動労千葉組合員の闘い成果です。

 10・1外注化強行とその後の職場の矛盾

 昨年10・1外注化強行は、出向4要件も満たさず、偽装請負そのもので違法な状態のままの強制出向であり、組合つぶし、団結破壊をねらったものでした。
 外注化が強行された職場では今、何が起きているのか。
 まず、業務委託とすら言えない異常な状態が続いており、どんな委託契約に基づいて強制出向させられているのかも団交で明らかにせず、委託契約書も見せないのです。
 仕業検査や派出検査、構内運転などの具体的な業務が委託されたわけではなく、毎日業務を発注している状態で、現場では毎朝、「指示書兼発注書」が出されるのです。蛍光灯の交換さえ毎日発注しているのです。こんなものが委託と言えるのでしょうか。
 外注化の実態は、JRからCTSへ人だけを送っている状態で、強制出向された労働者は毎朝出勤しないと、どんな仕事なのかわからない状態なのです。強風で列車が乱れた時には、1時間の間に十数枚の「指示書兼発注書」が出されています。動労千葉のJR本体がストに入れば、その直前にCTSに「指示書兼発注書」が出され、逆に動労千葉がCTSでストライキに入ればJR本体の側で仕事を行いCTSには発注せず、別の職場からスト破りを連れてこようとしているのです。
 しかも、「通告」を「情報提供」と言い換えて、鉄道業務の安全に不可欠の「1作業1通告」という考え方もなくしてしまったのです。仕事も労働者も分断させられ、偽装請負、違法行為が横行し、安全も雇用も崩壊状態です。
 とりわけ深刻な問題は、運転保安の崩壊です。今は、鉄道労働者の誇りをかけて経験者で現場を回していますが、何年か経過したら取り返しのつかない事故が起きます。

 動労千葉の闘いの原点である反合運転保安闘争で、外注化粉砕へ!

 動労千葉の反合理化・運転保安闘争は、戦術ではなく、ものの見方、考え方です。「安全は思想であり哲学である」「反合闘争は資本制そのものに対する闘いだ」とは、故中野洋顧問の言葉です。合理化攻撃に対して、労働運動は常に受動的に対応して団結を弱められてきました。誰もが反撃のきっかけをつかめないできたのです。しかし合理化には必ず矛盾があり、どこに矛盾があるのかをつかみ、その矛盾をついて労働者を組織していく、それが反合・運転保安闘争です。合理化反対闘争は具体的な職場闘争です。1972年船橋事故は、乗客何百人が負傷した事故でしたが、事故の原因は信号停電でした。動労千葉は「労働者には責任はない。合理化が一切の原因だ」と言い切って闘い、高石運転士(当時)の解雇を阻止し、ゼロ号信号機(ホーム途中にあった信号機)を撤去させたのです。
 「外注化というのは、本来つながっている生産過程、労働者の有機的なつながりをバラバラに切り離して、その一つひとつを外注化して下請けを使う。しかし、労働者は沢山いるのです。下請けまで含んだ『結合労働』を私たちの手で回復する、それが反合・運転保安闘争です。動労千葉の反合闘争は労資対決の最前線にある」(伊藤晃さん)のです。
 動労千葉の昨年10・1外注化阻止の闘いは、幕張を先頭に、ついに京葉車両センターの東労組の青年たちの反乱をつくりだしました。そして闘いは東日本全体に波及したのです。
いよいよ外注化阻止の第2ラウンドです。新たな反合・運転保安闘争は、組織拡大決戦そのものです。新自由主義と闘う反合・運転保安闘争で外注化粉砕へ決起し、JR東日本を揺るがす(CTSも震撼させる)青年の反乱を組織するために総決起しましょう。
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 国鉄分割・民営化で不当解雇から26年
 2・17労働者集会
日時 2月17日(日)5時〜(開場4時半)
場所 すみだ産業会館(東京都墨田区江東橋3−9−10 JR錦糸町駅前)
呼びかけ 国鉄分割・民営化に反対し、1047名解雇撤回闘争を支援する全国運動

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月刊『労働運動』(275号4-1)(2013/02/01)

2・24橋下打倒全国集会へ

闘う労働組合の団結で、生きるためのすべてを奪い返そう!

橋下打倒集会実行委員会

(写真 昨年9・16橋下打倒集会には910人が結集【大阪市役所前】)

 民主党政権打倒の怒りで安倍・橋下打倒へ

 昨年末の総選挙で、労働者の怒りは野田・民主党政権を打倒しました。この怒りは自民党・安倍政権に対する怒りであり、これまでの議会政治と労働者支配に対する根底的な怒りです。全労働者の4割にものぼる非正規雇用の現実や、恐るべき時間外労働と過労死・過労自殺の現実、フクシマ原発事故の開き直り、さらなる「もうけ優先」の外注化・民営化への突進。これらへの怒りを労働組合に組織し、団結の力で闘うならば、奪われてきたすべてを奪い返すことができる決定的なチャンスを迎えています。
 安倍政権は戦争・改憲にむけた排外主義の煽動、原発再稼働、増税という超反動政策に走っていますが、すべてが大恐慌と3・11情勢−日帝の階級支配の危機のあらわれです。安倍の「7月参院選―改憲」戦略とは、7月までに階級闘争を平定してしまうことが核心であり、その中心はJR「経営構想X」による全面外注化攻撃です。安倍は1月11日にわざわざ大阪まで出向いて橋下市長・松井知事と会談を行い、「徹底した規制緩和を」と協力を取り付けました。外注化攻撃を全社会、全産業で推進するためです。それほど日帝・資本の危機はどん底であり、絶望的なのです。

 「経営構想X」と対決し、外注化阻止決戦を

 最先端の攻防がJRで闘われています。動労千葉・動労水戸を先頭とした外注化阻止の闘いは平成採の怒りに火をつけ、「堤防決壊」ともいうべき青年労働者の自発的な決起を生み出しています。
 JR東当局は「経営構想X」を打ち出し、鉄道の安全の要をなす施設、検査修繕・構内業務、さらに駅業務の全面外注化・非正規職化、グループ子会社への出向・転籍と退職強要、超低賃金化を打ち出しています。2月ライフルサイクル実施、4・1外注化阻止をさらなる決戦として爆発させましょう。
 動労千葉・関西生コン支部・港合同、そして国鉄闘争全国運動が呼びかけた昨年の11・4労働者集会での「外注化阻止、非正規職撤廃! 闘う労働組合の力で新自由主義を打ち倒そう」という宣言を、この13年前半でこそ国鉄を先頭に全面的に貫いて闘いましょう。13春闘の階級的激突を「経営構想X」との全面激突として闘いましょう。

 処分撤回の闘いを軸に、橋下による外注化・10割非正規化と対決しよう!

 このJRと全く同じ攻防が大阪市においても始まっています。橋下は大阪市の「下水道の経営形態の移行」と称して、全面的な外注化・10割非正規職化攻撃を打ち出しました。2013年度、14年度は既存の都市技術センターに下水道業務を全面的に担わせ、現在の職員をこの都市技術センターに「派遣」(出向のこと)させる。そして15年度にはまったく新しい企業体を設立し、完全に下水道業務全体が委託されます。その際、全職員に「退職届」を提出させ、これを拒否したら「分限免職もありうる」としています。まさに「NTT型」の全面外注化、全員解雇・10割非正規職化攻撃そのものです。
 下水道だけではありません。バス事業は「赤字路線」を切り捨てた上で今年7月に事業者を決定して民営化、地下鉄も15年度をもって民営化する。それに伴う6100人の首切りを決定しました。さらに保育所・幼稚園も15〜16年度をもって全面的に民営化する方針です。
 「教育の民営化」攻撃も完全にこれと一体です。12月末に出された「大阪市教育振興基本計画」では、15年度までに学校協議会の設置と学校選択制の導入、校長の公募と「校園長によるマネジメント」の強化、人事評価制度への「授業アンケート」の導入などを進め、教員そのものの公募とFA制導入にまで踏み込む、としています。さらに教員免許をもたない「社会人の活用」のため「特別免許状制度」を適用し、「民間企業からの人材の採用」や「企業などとの協力による特別授業の実施」など教科ごとの民営化・外注化をも打ち出しているのです。
 橋下は「27年度(2015年度)からの新たな大都市制度への移行」と宣言し、すでに処分の乱発や非正規職の解雇など現場では攻撃が全面的に始まっています。そしてこの攻撃の前に、衆院選での「敗北」にうなだれる体制内執行部は何の方針さえも出せず、逆に労働者に対して「転職か、任用替えか」の選択を迫っているありさまです。
 すべては労働組合をめぐる攻防にかかっています。「入れ墨」処分撤回・「君が代」不起立処分撤回の闘いを、外注化攻撃全体と対決する結集軸として闘おう。職場におけるあらゆる民営化・外注化攻撃、非正規職化攻撃に対して絶対反対で闘い、すべての組合員・労働者の怒りと結びついて新たな労働組合をつくり出そう。

 八尾北・西郡決戦勝利! 2・24集会へ!

 橋下打倒の根拠地として八尾北・西郡決戦は決定的な攻防局面に突入しています。八尾北・西郡決戦は、外注化阻止・非正規職撤廃の切っ先として闘い抜いてきました。強制執行=国家暴力の発動と繰り返し闘い、階級的団結を拡大してきました。また、医療の民営化攻撃と闘い抜いてきた最前線でもあります。この1〜3月決戦において、階級的労働運動の拠点としての位置がいよいよ決定的です。
 2・24橋下打倒集会を、外注化阻止・非正規職撤廃をかかげた全国闘争として闘いましょう。職場からあらゆる処分攻撃や権利侵害、解雇攻撃への反撃を組織して、闘う労働組合をつくり出す新たな出発点としましょう。
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2・24橋下打倒集会
●橋下による処分攻撃に反撃し、今こそ闘う労働組合をつくりだそう!
●民営化・外注化絶対反対!
 2月24日(日) 13:00集会開始 ※集会後、御堂筋デモ
 大阪中之島公園・女神像前(大阪市役所南側)
 主催:橋下打倒集会実行委員会

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月刊『労働運動』(275号5-1)(2013/02/01)

3・11福島現地闘争の勝利へ

渡辺 馨 福島県労働組合交流センター代表

 2013年、資本主義の危機と矛盾が爆発し、社会の根底的変革を求める労働者の決起が始まっています。外注化阻止・非正規職撤廃の国鉄決戦、3・11二周年福島現地闘争を頂点とする反原発の闘いに総決起しよう。階級的労働運動を全国で甦らせよう。
 経団連は、「定昇廃止」を打ち出し、「退職後の再雇用は現職の人件費を削って行え」と労働者への新たな攻撃を打ち出しています。資本の生き残りをかけたアジア市場への進出の先頭にたつJR資本は、全面外注化攻撃で、国鉄闘争を解体し、労働者の団結を壊そうとしています。安倍は昨年12月29日、首相就任後はじめて福島を訪れ、「30年代原発ゼロの見直し」を表明し、原発再稼働に打って出ようとしています。2013年、「福島圧殺内閣」安倍政権を福島の怒りでブッ飛ばし、被災地から労働運動を甦らせます。全国から3・11福島闘争への全力の組織化を訴えます。

 国鉄・反原発の先頭で闘いを切り拓いてきた

 あの3・11から2年、私たち福島県労組交流センターは、「いま福島は、闘うことをやめたら死んでしまう回遊魚になったのだ」「いま福島は世界のフクシマなのだ」とみずからを奮い立たせ、全国の仲間とともに全力で走り抜けてきました。
 3・11の被災と被曝の現実に立ち向かい、生き抜く闘いに全力をあげてきました。国鉄闘争全国運動と反原発闘争を一体的に闘い、復興特区・医療特区攻撃と対決する国鉄闘争を軸とした「5大拠点建設」(労働組合・農漁民の団結体・反原発市民運動・学生自治会・医療拠点)を掲げ闘い抜いてきました。
 国労郡山工場支部の10・1検修外注化阻止の闘いは、昨年3・11郡山集会の地平の上に「4・9反動」を職場生産点で粉砕して国鉄労働運動の再生を勝ち取る歴史的な反撃の開始でした。さらにNAZENフクシマの結成は決定的でした。反原発闘争と診療所建設運動を牽引し、ついに「福島の子どもたちの命を守りたい」という数万の全国・全世界の人々の感動的な力とひとつになって「ふくしま共同診療所(「募金診療所」)」をあらゆる妨害をのりこえて開設しました。被曝労働とのたたかい、全原発廃炉・再稼働阻止のたたかいに大きな展望を作り出してきました。

 ふくしま共同診療所開設から2カ月

 ふくしま共同診療所開設から2カ月。全国の皆さんの支援とスタッフの頑張りで、地域住民に信頼される診療所として県内外から多くの人が毎日訪れています。とりわけ甲状腺のエコー検査は予約が殺到し4月まで埋まっています。また、避難生活が2年経ち、さまざまな健康被害が予想される仮設住宅での健康相談会も始めており大変好評です。「棄民化」政策を許さず、生き抜くよりどころとして開設した診療所が、住民の皆さんの「希望」になっていることを実感しています。

 清野和彦さんを追悼する

(写真 福島を代表して発言に立つ清野さん【2011年11・6労働者集会 日比谷野音】)

  国鉄闘争全国運動の呼びかけ人であり、止めよう戦争への道!百万人署名運動福島県推進委員会の代表、ならびに福島診療所建設委員会呼びかけ人をされていた元福島県教組委員長・清野和彦さんが昨年12月25日に志なかばで急逝されました。清野さんは常々、
「今のような時代にこそ重要なのは労働運動なんだ」と口調は穏やかですが、激しい怒りをたたえながら訴えられていました。そして「組織者は自分の足元の泉を掘れ、その泉は枯れることはない」と言い続けておられました。3・11情勢を文字通り革命情勢としてとらえきり、子どもたちの未来のために最後まで全国を駆け回っておられました。清野さんの意志を引き継ぎ、足元の泉=職場の闘いを組織しながら、国鉄決戦と反原発決戦で階級的労働運動の再生を成し遂げていきましょう。

 「復興特区・福島圧殺」を許さない

 

震災と原発事故で約2万人の生命が奪われ、数十万もの人々が家と職と家族・ふるさとを奪われました。震災関連死は福島を中心に2300人を超えています。今もなお子どもたちの未来と命が奪われようとしています。東電は全く責任を取らないばかりか賠償・補償を打ち切ることに全力をあげ、何事もなかったかのように再稼働を狙っています。学者は低線量被曝を無視し、「安心・安全」を繰り返しながら、子どもたちをモルモットにしています。ゼネコンだけが「除染」や「ガレキ」でボロ儲けする仕組みが作られ、政府は、放射能汚染ゴミを福島に押し付けようとしています。これらは「福島棄民化」そのものであり、福島の怒りは沸騰しています。
私たちは、「復興特区・福島圧殺」を許さず、3・11二周年を怒りの日として闘います。全国労組交流センターに結集するすべての仲間のみなさん。3・11福島現地闘争への総結集をお願いします。
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再稼働阻止!未来のために立ち上がろう!3・11反原発福島行動‘13
3月11日(月)12:00開場  13:00コンサート
13:30集会 15:15福島県庁へデモ出発
福島県教育会館大ホール(福島市上浜町10-38)

主催 3・11反原発福島行動実行委員会
連絡先 090-6554-1979(椎名)
メール fukushimaaction@gmail.com
ブログ fukushimaaction.blog.fc2.com

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月刊『労働運動』(275号6-1)(2013/02/01)

労働運動を語る

鈴コン分会闘争とは何か(上)

(写真 左から善さん【鈴木善弘さん)、花輪さん、内尾分会長、吉本分会書記長【交流センター事務所にて】)

吉本伸幸さん(東京西部ユニオン鈴木コンクリート工業分会書記長、全国労働組合交流センター常任運営委員)
内尾 稔さん(同分会長)
鈴木善弘さん(同分会会計)
花輪不二男さん(世田谷地区労顧問、鈴コン分会闘争支援・連帯共闘会議呼びかけ人代表)
聞き手・構成 編集部

 鈴コン前史――なぜ西部ユニオンに入ったか

――まず鈴コン前史についてお尋ねします。吉本さんは、なぜ西部ユニオンに入ったんですか?
吉本 俺はもともと首都圏物流という運送屋の本社(埼玉県戸田)の正社員として運転手をやっていたんですね。で、同じ会社の板橋の営業所に、今、なんぶユニオンにいる金子さんがいて、彼が組合を作るという話は聞いていたんですよ。ちょうどもう次の会社に行こうかなと思ってた矢先に、引っ越しの仕事があって、その最中に700万円するイタリア製の大理石のテーブルをひっくり返しちゃった。見事にまっぷたつに割れて。でもそれは運送屋だから保険入っているんですよ。ところが、会社が、給料から半分差っ引くと言ってきたわけ。で、そのとき、俺、前に建交労にいたから。ただ建交労に行ったって結局カネで折り合いつけて話が終わっちゃうなと思って。おもしろくなくて、それでどうするかなと考えてたら…。
――すでに労働運動はやってたわけですね?
吉本 やってた。俺、一車持ち労働者、ダンプで10何年やってたときに、建交労にいたんですよ。500人いた足立の花畑支部の副委員長をやってて板橋では最初5人から初めて40人の一車持ちを組織して支部をつくった。で、建交労ダンプ部会の初代理事をやってた。
――それはそれなりにかなりの労働運動なわけですよね。
吉本 ま、規模から言ったら、建交労の方がしっかりしてますよね。何万人。だって元々俺なんかがダンプ部会で1万人全国集会、2万人総決起集会作ったから。北は北海道から沖縄までのダンプ1万人総決起集会を熱海で開いて、本当に1万人結集できたんですよ。
――それはそれですごい。
吉本 だけど、結局、都庁に行っても、当時建設省に行っても各出先の建設事務所に行っても、もう前もって都庁なんか行くと、共産党の都議会議員がいて、一応お膳立てはしてくれてるわけ。行くと課長クラスが出てきて一応団交みたいなことをやるんだけど、話がお膳立てされてるから、全然おもしろみも何もないんですよ。建交労というところは折り合いをつけちゃうところだから。
――しかし、西部ユニオンは組織の規模とか、歴史もその当時ないわけでしょ、なんで西部ユニオンを選んだんですか?
吉本 建交労には展望を見いだせなかったですね。金子さんと話しているうちに、何もないところからまた新しくひとつの組合を作っていく方がおもしれえんじゃねえかと。組合というか、この男の方がおもしれえやというのを直感的に感じたんですよ。そして金子さんに相談をして、東京西部ユニオンに行って高円寺の事務所で会ったのが佐野武さん(現・東京西部ユニオン顧問)なんですよ。で、話したら、「おお、そんなの許せるか。よしわかった、やるか」って言うから「おし、やろう」って(笑)。意気投合しちゃったの俺。おもしれえ人が世の中にはいるんだなと。それがきっかけですよ。こっちを選んで正解だった。何にもない組合だ、上部団体もない組合だと言っているけど、でもそこに労働組合として自分が身を委ねて入って一緒に何かを労働組合として作っていくという希望、楽しさがあったんですよ。これが本音ですね。

 分会結成まで――3カ月雇用契約の壁

――『前進』2543号(2012年7月9日付)の鈴コンのインタビュー記事で、鈴コンに入って組合を作るまで7年かかったという記述を見てあらためて思ったんですが、なんで7年間かかったんですか?
吉本 実質上は6年ぐらいなんですが、元々東京西部ユニオンに入ったときも職場に労働組合を作ろうという頭で、労働組合で闘うというのはずっとあったんですよね。
 鈴木コンクリート工業に入ったときも首都圏物流の労働委員会は続いているんですよ。有給も何もないから休みって出すと1円もくれないけど休んで労働委員会に顔を出して。3年かかったから。首都圏物流闘争って。
 で、俺は、鈴木に入ったときに、東豊商事というのは頭になかった。俺が見習いのときの先生に就いた正社員の人から「君たちは3カ月雇用契約だから、へんに騒いだりするとクビになるよ。だからあんまり騒いだりしない方がいいよ」と言われた。
鈴木 鈴コンというのは、今80歳の鈴木冨美子がお金から何から切り盛りしているんですよ。とにかく一言些細なことでも文句言ったりすると、10発返ってくるんですよ。「あんたねえ、あんまり大した仕事もしてないで残業のことや、ちょっとお金が違うとか言うんじゃないの。仕事待ちの時間、あなたは休んでてその部分で補填しているんだからそれでいいじゃないの」なんて。そんな土壌にあるもんで、たてついたらダメだよというような意味合いで言っていたと思うんです。
吉本 3カ月雇用契約って知らなかったから。もう3日も4日もいれば、ひどい実態だということがわかってくる。鈴木冨美子の天下になってる。こんなのひっくり返してやろうと思った。まだ25年前、1983年に、東豊商事が運輸一般鈴木生コン分会というのをぶっつぶしたという話はまだ知らない。絶対ここで組合を作ってやろうと思ったんですよ。
 だから6年間かかったというよりは、一番のネックだったのは3カ月雇用契約だったんですよ。3カ月雇用が切れるときに1日解雇になるんですよ。解雇になってまた3カ月の新規雇用。有給もなかった。
 運送屋だって、運転士はだいたい3カ月ぐらいの使用期間を過ぎると、正社員なんですよ。善さん(鈴木善弘さん)から「昨日今日じゃねえ。もう5年、10年じゃねえんだよ、この3カ月雇用は」と聞いて、こりゃひでえやと。だからそれがネックで、みんなにパーッと組合ということは言えなかった。
 内尾さんには言ったよ。足蹴にされたけどね、一発で(笑) 「何が鈴木に組合だ。こんなまとまらねえところに組合なんか冗談じゃねえ」ってバーンって言われた。
内尾 言った本人が残ってる(笑)
吉本 会社近くのパチンコ屋か立ち飲み屋をのぞくと、だいたい善さんか誰かがいるんですよ。そのうち東京西部ユニオンの名刺を見せて、俺、組合員だよって言って、集会に誘ったり動労千葉の物販の話もし出した。
 で、6年なんでかかったかというと、3カ月雇用契約もネックだったけど、労働組合が何かってわからないじゃないですか。だから一回見せようと思ったんです。反戦集会やメーデーや11月集会、東京西部ユニオンの旗開き、忘年会に連れて行けばわかるじゃないですか。いろいろ能書きこくよりも一回連れて行っちゃう。で、職場の人たちを何人かずつ連れて行ったりしてたんですよね。
(写真 分裂前、順法闘争を展開していた頃の鈴コン分会。仕事を終え、路上に座り込んで分会会議【2009年9月3日】)

 2009年7・5鈴コン分会結成から7・24第1回団交まで

――組合結成の判断になったのは3年前ってありますよね。
吉本 元々俺が職場に入ってから、新年会・忘年会・花見とか何にもなかったですよ。いっとう最初に05年か06年に花見を俺が打ち出したんです。忘年会とか花見ではいつも最初の30分が勝負。というのは、もう30分が過ぎたら運転手の飲み会だからもうしっちゃかめっちゃかになっちゃうの。もう話なんか聞かねえから(笑)。みんな集まっていろいろな話出て和気あいあいとやると楽しいじゃんって言いながら、ぽこっと組合の話を言った。だいたい次の日になると、みんな忘れてるんだよ(笑)。そのじれったさはあった。
 そのうち会社の鈴木雅章とか鈴木冨美子がいけしゃあしゃあと出るようになって会社主催みたいになってきたんですよ。あ、これはおもしろくねえやと。で、3、4年でそれはやめた。それから本当の本格的な組合づくりにいよいよ行くと。
――ファミレス会議は、もう労働組合ということに向かってやっている会議ですよね。
吉本 09年3月の花見のときにボンと出したんですよ。「賃下げになるんじゃねえか。これじゃ食っていけねえぞ、どうする?」と言ったときに、もう30〜40分したらみんなそんな話はすっ飛んじゃって、わあバカ野郎この野郎ってなってるんですよ。そのときにCって男が「最初組合という話が出たけど、そういう話は酒を飲まないでやった方がいいんじゃないですか」って言って来たんですよ。「じゃあわかった。この続きを酒飲まないでやろう」というのが始まりなんですよ。だから最初は組合を作るという話じゃなかったんですよ。で、10人がボンと集まるのは、会社近くだと目立つじゃないですか。離れたファミレスとか喫茶店で一回話をしようと。
――故・田口守さん(2011年8月16日に急逝)とはどの時点で出会うんですか? 立ち飲み屋?
吉本 田口さんは元々2d車のミキサーに乗ってたんですけど、花見に誘ったんですよ。で、親しくなっていった。酒を飲まないで鈴木冨美子を引きずり出して話をつけるという話になったときに、それはおもしれえやと。で、田口さんは毎週出てくれた。だから俺と田口さんは絶対いたんですよ。10人中俺と田口さんしかいないときもあったけど、ずっとやっていった。最初の2カ月ぐらいは、「鈴木冨美子は出て来ねえんじゃねえか」「どうやったら出てくるんだ」って話に持って行って、組合の話も出したんだけど、「いやあ組合なんかダメだ」ってなった。4カ月のうちの最初の2カ月が終わる頃になってようやく、「鈴木冨美子を引きずり出すにはどういう手があるんだ」って。それは団体交渉だと。「団体交渉って何だ?」「労働組合だ。労働組合が唯一団体交渉を申し入れられるんだ」「それしかねえのか」「それしかねえ。他は鈴木冨美子は絶対来ねえ」「じゃあ、それをやるか」。ということで組合を作るかという話に入って行った。田口さんも「そうだよな。組合って当然の権利だよな」って。あの人も古いから「組合はあって当然だよ」って言って、他のやつも「それはいい。やったらまともに喋れるの?」「対等だ」という話になって、そこから急展開し出した。で、職場に帰っても10人の仲間は「おはよう」は言うけど、一切話さないということに徹したんですよ。4カ月もやっていると、へんな団結力ができてくるんですよ、目で合図して今晩だぞって。もう一切職場で話ししないから。俺なんか西部ユニオンにも内緒だったんだから。
――西部ユニオンにも内緒だったんですか?!
吉本 内緒にしてました。一切黙っていた。西部ユニオンは、職場から一人でも決起して名乗るんだという方針を出してたときですよ。俺は嫌だと言ったの。「お前、何言ってんだ、委員長のくせに」。俺、委員長をやってたから。「委員長のくせして、なに日和っているんだ」ってわーわー言われた。(笑)
 でも、あのとき俺とA元分会長二人で名乗っていたら今の鈴コン自体どころかAも俺もいないよ。まずすっ飛んでる。
 2カ月間で方針を労働組合を作るとなってからは早かった。5月の半ば終わりぐらいからもう組合作りの話に入っていったんですよ。6月に正社員が18万5千円を6万5千円賃下げされて基本給が12万になってるんですよ。ああ、これは間違いなく賃下げ来るなと。日当1万円を8000円ぐらいに落としてくるなというのがあったの。ただ俺は7月に組合を作ろうとは思ってなかったんですよ。9月の西部ユニオンの定期大会に10人引き連れて登場してお披露目という感じに持っていこうと思ってた。
――西部ユニオンも驚かせようと思った?
吉本 思った。
一同 (笑)。
吉本 そのとき鈴木冨美子が田口さんに「8月10日で満60歳になるから、6月の半ば頃に1万円の25%カットか、あんたやめなさい。どっちか選びなさい」と言ってきたんですよ、ちょっと待て、アルバイト3カ月雇用契約に定年あるのか。これはおかしいぜってなった。だから組合の最初の3項目の要求の最初に田口さんの賃金カットかやめろということは不当だというのを入れて、8月10日の1カ月前、7月10日あたりに返事しろと言っているから7月5日の日曜日に集まって6日に組合通知をしたんですよ。
 ちょっとまだ準備段階が4カ月でも短かったんですよ。でもとりあえず作っちゃおうと。で、17人いたから10人取れば一気に首にはできねえだろうと。で最終的にその4カ月間の終わり1週間か2週間前にみんなで集まって首にできるならやってみろって最終的に腹をくくって結成するところまでいった。
 で、7月5日の10時に来てくれと佐野さんに言ったの。「何だ?」「とりあえず来い。おもしれえことやるから」って言ったの。「この野郎、何をやらかすんだ」「いや、鈴木コンクリート工業で10人で組合を作った」「えーっ、こいつら、俺に内緒で西部ユニオンにも言わないで、何が起こったんだ」って佐野さん、飛び上がっちゃったですよ。
一同 ははは。
吉本 で、敵もさるものなんですよ。次の日から二日ぐらいかけて「おまえ、組合に入っているんじゃねえだろうな」「おまえ入ってるんだろう」って聞き回るんですよ。一応みんな黙ってるの。でもとうとう我慢できなくなって、「だから何だっつんだ! 組合入ってたら」って、みんな組合だと言っちゃった。数日後「不当労働行為だ、やめろ!」って言ったらやめたんだけど、もうそのときにはみんな「俺が組合だ」って名乗っちゃってた。
一同 (笑)。
吉本 しようがない。で、第1回団交をやるっていう7月24日の前に、10人の組合通知をダンと出しちゃったんですよ。半分以上いるというのはわかっちゃったもんだから、会社は慌てたんですよ。そういういきさつがあった。田口さんの件で就業規則を見たら定年てねえじゃねえかと。そのときは鈴木冨美子が「それは間違っていた。正社員と勘違いしていたわ」と言ったから。それは飛ばしたけど。
 あと、そのときに俺と善さんだけ聞こえてたんだけど、西部ユニオンと会社が紳士的に名刺交換をやっているとき、俺の対面に鈴木冨美子が座っていて「何言ってるの。私、組合つぶしてんだから」って平気で喋ってんだ。
――花輪さんにお聞きします。これまでの経験上から、何か特徴的だと感じる点などありますか?
花輪 僕が感じるというのは、やはり3カ月雇用で何年も働かせてそれを未だに継続しているということは、これは信じられないぐらいにひどい会社ですよね。そういうことからこれは下手するとぜんぶ崩壊しちゃうか、あるいはもつかというのは、僕の考えの中にはあったんですよ。
 西部ユニオンとのつきあいは、西部ユニオンの合宿に呼ばれて「労働組合とは何か」みたいな話をしたときからです。労働組合というのはもう労働三権とか何とか言っているけれども、今の日本の現状の中では労働組合がやってきたことが後で法律になるぐらいのつもりでやった方がいいんだと。いわばみんなが闘ってきた道が労働法になるぐらいのつもりで闘った方がいいよという話をしました。そんなのがつながりになっていたみたい。で、そのときもまだ僕の気持ちの中には、労働組合というのは威勢良く旗揚げはするけども、後のフォローが効かないと失敗することが多いもんですから。特に運転手というのは免状を持ってますからね。どこ行ってもできる。運送屋の争議や看護士の争議の経験でも、よほど慎重に組織化を考えていかないと、あるとき、ふざけるなと言って、どっか行っちゃう。僕は激励はしていたけれども、心の中でどこまでもつかという瀬踏みはかけてたんです。でも、田口さんの争議にあくまでこだわって、それでストライキを打つというところで初めて僕はああ、これは本物になった、労働組合らしくなった、惚れたと言って、それじゃ手を貸そうという関係になった。

 2009年8・29順法闘争――現場からわき出た要求項目

――組合結成後のエピソードで重要なことは?
吉本 いっぱいありますよ。09年7月5日の組合結成から11月4日までの4カ月間、鈴コンはいったんはつぶれたに等しい状態になりながらも闘ってここまできた。11月10日に田口さんの首がすっ飛ぶんだけど、その1週間前の11月4日に分裂するんですよ。これをひとつひとつやると、4カ月の闘いで半日終わる。
 さっきの第1回の団交が7月24日。で、第2回の団体交渉が8月28日。ここで、田口さんは賃下げもない、今までどおり1万で働いていいわよということになって、いろいろ労働条件、雇用条件を変えるときは鈴木冨美子は組合との協議をするということを確認した。8月10日の雇用契約はちゃんと1万円で出るんですよ。でも、8月28日の団交の前に週休2日制の3カ月雇用契約書を出してきたんですよ。週休2日制ですよ、アルバイトなのに。月から土まで働いて6万なのに、月から金じゃ5万じゃないですか。3カ月雇用契約書には月から土まで働くって載っている。日当1万、1時間1250円。8時間で1
万円ってなってる。そこの休みを土日と出してきた。こんなの受け取れるかって。それで8月28日の団交で、鈴木冨美子が田口さんに謝って、雇用契約書を今までどおり出すかどうか。まず謝らないだろう。それを想定してもう順法闘争に入る準備をしていたんですよ。案の定、「何言っているの、なんであんたらに謝るの」と言ったから順法闘争4項目を出したの。明日から順法闘争に入る。超勤拒否、過積載拒否、道交法を順守すると。昼休み1時間やると。後、これには項目には書かなかったんだけど、当日乗り換えはやらないって言ったの。当日乗り換え、要は大型乗っていて、忙しいからというので大型じゃなくて4d車に乗ってくれと。4d車に乗ったらまた忙しいから2d車に乗ってくれと、コロコロ、コロコロやられてたんですよ。
鈴木 洗車して余分な作業。洗車をして中身をていねいに洗って捨てて乗り換えて、また忙しいときは元に戻ってくれってことまで3回、4回。ありえるんですよ。現場の状況によって。命を飛ばすんです。
吉本 これ意外とめんどくさい。1日に2度も3度も乗り換えて、また自分の車に最終的に乗ると、1日に3回も4回も洗車する。
――運転手にとってはこの問題はけっこうみんな共感するテーマなんですね。
吉本 そうです。
鈴木 それで大型乗って、軽トラック乗るみたいなものだから視角が変わって事故の確率が増える。
吉本 事故をやるとぜんぶ自己責任だから。給与から引くんですよ。バッカバカ、あの鈴木冨美子。
――この4項目はどうやって決めたんですか?
吉本 分会会議で出したんです。みんな出してくれたんですよ。あれもいい、これもいい。
――あれもいい、これもいいってみんな出てくるんですね。
吉本 わーっと出たね(笑)この過積載とかは内尾だったかな。「過積載は絶対やんねえぞ」って。「何だ過積載って」「4リュウベ積んでるじゃねえか。過積載じゃねえかよ」「こりゃおもしれえや」「でもこれやったら鈴木冨美子泣くんじゃねえか」って。
――おもしろいですね。
吉本 誰から出たのかはわからねえんだけど、残業もやんねえでおこうって。残業やらなかったらやつら苦しむだろうって。というのでわーっと10項目ぐらい出たんだけど、10項目じゃやべえだろう、とりあえず3つか4つにしちゃうべっていうので、この昼休み1時間、道交法厳守、過積載はしない、超勤拒否・定時上がり。で、仕業点検はやると。仕業点検はわざと入れた。オイル見たり、ラジエーター見たり、ウィンカー点くかとか。当然なことなんだけど、鈴木はやんないんだから。それをちゃんとやって、8時出勤だったら8時に来て8時から仕業点検をやる。8時に来たってすぐ呼ばれたって行かない。あと腕章を着ける。これが効いたんですよ。だって17人いるうち15人が腕章を着けてるんだもん。工場内だけじゃなくて運転しながらゼネコンの現場行っても腕章着けて。
鈴木 あと無理な追い越しをしないで、センターラインを真っ直ぐ。運転手だから現場に早く行ってくれと言って、労働者って真面目だから、ぬって走るんですよ、空いている方の道を。
吉本 3車線あったらだいたいバスは左行くと早いじゃないですか。これと一緒で、運転手は混んでる中をちんたら行くのは嫌いだから、うわーっと行って車が止まってたら右行ってまたわーっとやるの、運転手ってのは。
鈴木 それをやめようっていうことで、センターライン真っ直ぐ。
吉本 渋滞しているとわかってても右側一本で渋滞の中、ずっと行くの、わざと。俺やったんですよ。
 で、ところがこれやっているときに重大なことが発生したのが、2人が「残業やんなきゃ日当1万じゃ20日で20万じゃねえか。こんなの食っていけねえ。自分らの首締めだよ」って言ったの。「ちょっと待て。みんなで決めたことだからがまんしよう」って言ったら、「俺らはそんなの納得してねえ」って始まっちゃったんですよ。
 そして2週間やっているときに会社が音を上げて、3カ月雇用の週休2日制を外して、今までの雇用契約書を出してきたんですよ。じゃあ4つのうちの一つは外してやろうと。残業をしないで定時上がりというのは解除してやっから残業してやるよってやった。だけど、2人は落ちたね。
 で、第3回団体交渉を申し入れたんだけど、その間、2010年まで6カ月、やつら団交を拒否してきたんですよ。第3回団交は開かれなかった。2週間の定時上がりやったら、やつら時間給で切っていったんですよ。2週間分、ひとりずつ。要は早退ということで一人1万5千円とか。それでも大騒ぎしたんだよ。過積載と昼休み1時間と仕業点検と腕章着けてはずっーと継続してたの。そのときにさっき順法闘争で当日乗り換えはしないよと言ったじゃないですか。それを09年の9月9日に出荷係が乗り換えろと言ったの。で朝、大騒ぎになったんですよ。で、当時組合の執行部だった5人が時限ストライキに入ったんですよ。昼から夕方まで。それを会社は違法ストだといって俺らに戒告処分を出してきたんですよ。始末書を書けと。冗談じゃねえって蹴飛ばしたんですよ。それも労働委員会の不当労働行為として挙げているんだけど、これが9月9日なんです。会社は、次の日にまた俺ら組合が何かやるんじゃねえかと思って運転士の派遣の人たちを増員しちゃった。組合の力っていうのはすごいもんだ。俺らは5〜6人でほとんど毎日2階の事務所に駆け上って行って鉄の扉開けて「雅章、出てこい!」ってやってた。
(写真 2009年11・1全国労働者総決起集会で東京西部ユニオンを代表して発言に立った内尾さん)

 2009年10月田口組合員解雇予告と11・4分会分裂

吉本 で、こっからなんですよ。4カ月が長くなるのは。10月8日に田口さんのところに1カ月前解雇予告通知が内容証明で届くんですよ。2年6カ月前の現場での傷害事件。そして組合ができる半年前の追突事故。二つとももうぜんぶ示談も成立して終わっている。その二つを出してきて、運転手として不適格である、よって雇用継続を打ち切るというのを出して来たんですよ。で、労働委員会に10月30日斡旋を申し入れるんですよ。不当労働行為で。
その前に俺らはファミリーレストランで、打ち合わせをやった。斡旋で交換条件はやらないということでやるんだと。そのときには「いっさい条件を飲まない。解雇を撤回するんだったら飲んでもいいけど」という話をしたんだけど、その打ち合わせにBとかAは来なかった。おっかしいなあと思ったの。もうこのへんからAとBとかCは、鈴木冨美子との裏取引をやってたみたいなんですよ。
その後に11・1を迎えるんです。「魔の11・1」。もうその頃にはBとかAは、鈴木冨美子を話せばわかる人だと言い出してた。10月30日には、田口さんが11月10日で首になるから11月4日にストライキをやるかどうかを分会会議で決議するという話は出てたの。で、11月1日の日比谷の労働者集会に行ったの。で、待ち合わせのときからなんかおかしいんですよ。野音に行っても席に着かないで便所の前で車座になってBとかAが車座になって話しているんですよ。おっかしいなと。で、演壇に上がるんだけど、分会長のAは発言しないって言ったの。で、内尾さんが発言したの、あのとき。11月1日に。
――あ、そういう裏があったんですね。
吉本 もう内部はガッタガッタなんですよ。
鈴木 メガネもかけてたんですよね。家族ぐるみで全員。面が割れないように。本人分会長もサングラスかけて登壇したんですよ。
吉本 実を言うと、その1カ月前の9月末あたりに、Aの奥さんはフィリピン人で、不法滞在の嫌疑をかけられ、私服の刑事3名と制服2名が朝の6時半にAの自宅に乗り込んできて品川入管に持って行かれちゃったんですよ。で、入管に抗議行って奥さんを昼には奪還するんですよ。その後Aが5日間ぐらい消える。有給休暇を取ったのは確かだけど電話もつながらない。行方知れず。そのあとAが完全にビビっちゃったんです。もうコロっと変わったの。何か権力に脅されたりしたんじゃねえかなと思うんだよ。
極めつけは、思いだしても頭来るんだけど、11・1集会の後のおつかれさん会。もうCにもBにもAにも言ってあるんですよ。でも電話にもメールにも出ねえんですよ。やっとCに電話通じたかと思ったら、「そんなの知らねえから、みんな帰りました」って言うんですよ。おっかしいこと言ってるなあ、何だろうったら、内尾さんだけ残ったんですよ。そしたらその場で「吉本と佐野さんは11月4日の分会会議は来ないでくれ。その方が分会会議がちゃんとできるから」って始まったんですよ。でも何かおかしいんですよ。まだわからないの。何が起こっているかわからないの。で、11月4日を迎えるの。
だから10月30日の労働委員会の斡旋、これが大きな分かれ道になったんですね。その1カ月前にAの奥さんが入管に引っ張られるのもそうなんです。そのあと11月4日以降に内尾さんには市役所が税金の給与差し押さえで鈴木に入ってくるの。で、俺の自宅周辺には公安調査庁が聞き回ってきている。完全に権力が動いたんですよ。分会長、書記長、副分会長にぜんぶ権力が入ってたんですよ。
で、11月4日、Cが脱会書を作ってきてて、分会会議が始まったと同時に出してきた。
――落ちた人と落ちなかった人を分けたものは何なんです?
鈴木 うーん、テーブルの中に田口さんがいるわけですよ。田口さんが本当に首を切られるということで会議を開いてる。それについて俺はAの引き合いで組合に入ったんだけども、でも田口さんがもう眼前で首を切られようとしているのを何で助けないんだと俺は感じたんですよ。それでCが「○か×をつけろ」
と紙を回すわけですよ。そのときに俺は「△」っ
て書いたんですよ。
吉本 後で聞いたんだけれども、トラ(佐藤重夫さん)とお兄やん(佐藤靖浩さん)は、吉本と佐野さんが来てないのに、何で脱会をこれだけで決めるんだ、納得いかねえと主張したらしい。
そこに田口さん本人もいるんですよ。だって6日後に解雇になる人間がいるのに、分会の三役が組合解散を打ち出したんだから。本人はびっくりするよね。
――直接は西部ユニオン脱退ってことでやるわけですね。
吉本 西部ユニオンを脱退してまず組合を解散して、新しい組合をまた作る。B、Aは、東京西部ユニオンとは違う、鈴木冨美子の納得できる組合だったらいいということを言われてた。で、そういう御用組合を作るんだと。その日の夜12時16分に夜中にAからメールが入るんですよ。
――『前進』に出てくるやつですね。「さようなら。ごくろうさん」 「天国から地獄に突き落とされた」。これキツイですよね。
吉本 11月4日終わって、5日、6日に組合脱会書を組合員が書いて会社に出しちゃう。でも、11月10日、田口さんの解雇当日に善さん、トラの3人が腕章をつけて田口さんを送り出す。
鈴木 今日1日だけは腕章つけて、ふざけるなと。
吉本 その前の6日、7日に東京西部ユニオンの執行部が来て、Aを呼び出したんだけど、AがBを連れて来たんですよファミレスに。それで実態がわかった。BがぜんぶAと一緒になって分会脱退の策動計画を練って計画的に進んできたんだって。そのときBから一番出た言葉が「吉本さんは社長に相当嫌われてるねえ」だった。鈴木冨美子は「東京西部ユニオンじゃダメなんだ、もっとダメなのは吉本だ」ってBに言ったんだって。Bは分会会議では一言も喋らない男だった。それが11月6日にファミレスに来たらバッカバカ喋った。
――鈴コン分会は分裂前と後というんで大きく変わるわけですね?
吉本 変わりましたね。こっから6人が残るまでが大変だった。お兄やん、トラ、善さん、内尾さん、俺、田口さん。分裂からの立て直しが始まるんですよ。田口さん、内尾さんと俺が西部ユニオンの執行委員会に行ったけど、内尾は「もう会社やめる。こんなの面白くねえ、俺だまされた、冗談じゃねえ、俺やめる」って。
AとBはまだ職場にまだいけしゃあしゃあといるし。
田口さんは「俺は鈴コン分会やめて東京西部ユニオンに入る」というから「ダメだ」と言ったり。こりゃ大変だったんだ。俺4キロやせたんだ。11月の1カ月も経たないうちに4キロ。死ぬかと思った。
内尾 ユニオンダイエット。
一同 (爆笑)。
吉本 でもお兄やんもトラもあの11月4日はおかしいやと。あんな分裂はおかしい、吉本と佐野さんを排除したのはおかしい。で、田口さんが首になるということに対して何も動けないというのはおかしいんじゃねえかっていう、これ一本で集まったのがこの6人なんですよ。内尾さんはやるんだったら、やめるんじゃなくて残って闘おうぜという話を田口さんと俺で会って話して後はもう内尾に持って行ったんですよ。
――内尾さんはなんでそこで変わって残ろうと思ったんですか?
内尾 変わってというか、元々鈴コン分会を立ちあげてもうそうなってしまった以上はやめる腹づもりではいたんですよ。最初から首になる覚悟でやってたから。でももうやめると言った自分に対して、これはやられているだけで、ちょっとくやしいねって、その思いがあって、じゃあできるんだったらもう一回、経営者の鼻をあかせてやろうという気持ちで立ち上がったというのが新生鈴コン分会ですよ。
(1月7日収録)       次号に続く
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●目次

鈴コン前史――なぜ西部ユニオンに入ったか
分会結成まで――3カ月雇用契約の壁
2009年7・5鈴コン分会結成から7・24第1回団交まで
2009年8・29順法闘争――現場からわき出た要求項目
2009年10月田口組合員解雇予告と11・1分会分裂
(本号)

田口組合員解雇撤回闘争と6人の団結――労働組合とは何か
支援共闘会議の展望――非正規の闘いで労働戦線の新たな構築を
労組の連絡会の結成と地区労の復権
非正規職撤廃は国家と真正面からケンカするスローガン
雰囲気が変わりつつある鈴コンの職場
鈴コン闘争を職場・全国で拡大し、労働組合の力で権力を取る
(次号予定)
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●鈴コン分会 闘いの経過(1)

1982年3月 運輸一般東京地区生コン支部・鈴木生コン分会結成
1983年11月20日 鈴木生コン分会解散
1984年3月18日 有限会社東豊商事設立。アルバイト3カ月雇用契約開始。
2003年4月10日 吉本伸幸さん、鈴木コンクリート工業に入社
2009年3月 職場花見にて組合結成準備へ
2009年3〜7月 10人による4カ月間のファミレス秘密会議
2009年7月5日 鈴コン分会結成
2009年7月24日 第1回団体交渉
2009年8月28日 第2回団体交渉
2009年8月29日 順法闘争4項目を実施
2009年9月9日 同日正午より勤務終了まで時限ストライキ
2009年10月8日 田口組合員に「臨時労働契約終了」の通知
2009年10月30日 東京都労働委員会斡旋
2009年11月1日 全国労働者総決起集会(日比谷野音)で鈴コン分会発言。
2009年11月4日 分会4役一部が会社と結託し、分会分裂策動
2009年11月10日 田口組合員「解雇」
2009年11月20日 新生鈴コン分会、6名で再結成

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月刊『労働運動』(275号7-1)(2013/02/01)

1・7さいたま地裁

ジェコー不当解雇追認判決を許さない!

ジェコーによる期間従業員不当解雇撤回闘争を支援する会

(写真 不当判決を弾劾するJAM神奈川ジェコー労働組合と支援【1月7日】)

 1・7反動判決への怒り、怒り、怒り

 1月7日、さいたま地裁熊谷支部(栗田健一裁判長)は、株式会社ジェコーによる期間従業員解雇事件について、原告の訴えを棄却する反動決定を下した。断じて許すことはできない。原告と原告が所属するJAM神奈川ジェコー労働組合は、直後の記者会見で、弾劾声明を発し、緊急の会議を経て、控訴して争うことを決定した。
 原告の高橋美和さんは記者会見の場で、「裁判長は会社側なのかと思い、非常に、この怒りをどこにぶつけるか、次の裁判をおこすしかない。これで負けを認めたら、夜勤で働かされている全ての人々や、7年の苦労が無駄になってしまうし、ますます女性の夜勤専属労働が増えていくのは許せないので、絶対に勝つまで闘っていきますので、これから一から勉強して闘っていきますので、支援のみなさんも最後までつきあってください」と、こみ上げる怒りと決意を明らかにした。
 同じく原告の屋代和彦さんは「皆さんのご支援でこの4年間闘ってこれた。この結果は非常に残念。何の理由もなくわずか10秒でのやり方。こんなひどい裁判は聞いたことがない」と怒りをむき出しにした。
 JAM神奈川ジェコー労働組合の武田信義委員長は「経営にもそうだが、権力に対してものすごい怒りを感じる。7年の夜勤について裁判長は何とも思わないのか? 世の中の状況が反映するかのごときとんでもない判決。リーマンショックを口実にして組合の解体を狙った不当な解雇。闘いはこれから始まります。これからも闘っていくので、支援も怒りを共有して闘っていただきたい」と司法権力と資本を弾劾した。
 支援する会代表の和田山繁さん(動労連帯高崎委員長)も、「これが今の社会構造の最たるものかと怒りにたえない。JRも非正規が増えている。われわれも規約改正して非正規の労働者を組合に迎え入れて活動していく。裁判所もこのざまか。これをどう仕返ししていくか腹をすえて構えていく」と非正規職撤廃の決意を語った。
 また、塚田組合員は「今朝、門前で朝ビラやってきた。その光景を見ると、これで働けるのか? 20歳過ぎの若い人を交代勤務させて、ジェコーは高利益を上げている。今の個々バラバラの社会、連日の人身事故。今の経営には人間味のかけらもない。こんな現実が許されていいはずはない。絶対にはね返す」と派遣労働の実態を紹介した。
 組合と支援者は、さっそくその日の夕方、ジェコー行田本社工場の門前に登場。スピーカーで判決と資本を弾劾し、勝利まで闘い抜く決意を明らかにした。「怒り、怒り、怒り」と題したビラは退社する労働者に吸い込まれるように受け取られた。判決日ということはみな知っており、受け取りはいい。新たな闘いが始まった。

 「派遣労働者は派遣のままでいい」とする資本と司法権力

 判決の内容は、あらかじめ棄却ありきの判決だ。派遣労働者に対する派遣先企業の雇用責任を全面否定した2009年12・18松下PDP(プラズマディスプレイパネル)最高裁判決の枠組みによって、棄却のために事実認定をするというやり方である。松下PDP最高裁判決では認定した偽装請負を告発したことへの報復であり不当労働行為であるという主張は最初から無視された。高橋美和さんの欠勤が夜勤7年による労災であるとの主張も、「証明が未だ困難」という表現で切り捨てた。その意味では、松下PDP最高裁判決以上に悪辣な判決である。
 ここ数年、連合や全労連が闘いをあらかじめ放棄する中で、少数組合に属する派遣労働者の偽装請負告発、直接雇用化の闘いが全国で闘われてきた。近年そのことごとくが松下PDP最高裁判決の枠組みによって門前払いされている。
 松下PDP事件の場合、大阪高裁では、偽装請負の事実を認定し、「脱法的な労働者供給事業をやっており、職業安定法44条及び労働基準法6条(中間搾取の禁止)に違反し、強度の違法性を有し、公の秩序に違反するから無効である」「無効契約にもかかわらず労働関係が実体的に継続しているから、黙示の雇用契約が成立する」として、派遣先の雇用責任を認めた。偽装請負について「法律の方に問題がある。見直すべき」(2006年第一次安倍政権当時、経済諮問会議での日本経団連・御手洗会長の発言)としていた財界は、この高裁判決に驚愕し、ただちにその転覆に動いた。その意を受けて下されたのが2009年12月の松下PDP最高裁判決である。
 最高裁判決は「偽装請負の場合、派遣先と派遣労働者の間に労働契約が締結されていないのであれば、労働者派遣に該当すると解すべきで、このような労働者派遣も労働者派遣である以上は、職業安定法4条6項にいう(違法な)労働者供給に該当する余地はない」と、派遣法を盾に違法を合法と言いくるめた。
 ジェコーの地裁判決で、原告側の不当労働行為の主張や、夜勤7年専属による労災であるとの主張に踏みいることを避けたのも、これらを認めれば、派遣先(期間従業員として直接雇用したジェコー)の雇用責任が否定できなくなってしまうからだ。
 高橋美和さんの労災を否定するために、栗田裁判長は、医師2名の証人申請を却下した。却下しておきながら判決では「うつ病について、佐々木司研究員の睡眠データ測定報告で指摘されているように夜間の睡眠の質が低下していることも考えられないではないが、……併せ考慮すると、相当因果関係があると認めることは未だ困難である」とのペテン的ロジックで否定した。「未だ証明できず」というならば、なぜ証人採用しないのか!
 そこには、派遣労働者の激しい怒りの前に、派遣先(巨大独占資本)の責任性を回避しようと、資本と政府、行政が派遣法を盾に必死になっていることが示されている。ここに敵の弱点、矛盾がある。「本当のボスが責任とれよ」――これは今や世界的スローガンだ。

 4・26ジェコー本社弾劾闘争へ!

 1月15日ジェコー弁護団は東京地裁に控訴した。組合は行田工場への組織化を強め、春闘と一体で4月26日、ジェコー本社弾劾闘争を闘うことを執行委員会決定した。
 共に闘って下さることを訴えます。

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月刊『労働運動』(275号8-1)(2013/02/01)

闘う合同・一般労組

JR千葉鉄道サービス分会・河原さん控訴審闘争

1・24「控訴棄却」の不当判決許すな! JR東日本に屈した東京高裁・小池裕裁判長を弾劾する!

東京東部地域合同労働組合東部ユニオン執行委員長 小泉義秀

 異例の弁明

 1月24日13時20分より、817号法廷において、東京高裁第4民事部(小池裕裁判長)の「判決言渡」があった。「本件控訴を棄却する」というはらわたが煮えくりかえる超反動判決である。異例に思えたのは主文を読み上げた後で裁判長が長々と弁明をはじめたことだ。「控訴審で異例ともいえる証人尋問を行ったのは雇い止めが重大な問題だと考え、甲18号証(新証拠)を採用すべきか否か慎重に判断しましたが、採用しないことにしました…」と。3人の裁判官の合議による「雇い止めを撤回」を柱とする和解案が「棄却」に転化する理由はただ一つ。国家戦略である外注化・非正規化の根本を揺るがしかねない本件の雇い止め解雇撤回をさせない圧力・政治判断があったということだ。

 解雇撤回の「和解案」は何だったのか?

 控訴審は昨年12月4日第4回の口頭弁論をもって結審し、判決日が1月24日に指定された。その後で裁判長が和解提案をし、双方の代理人が「内容によっては和解に応じる」と応じたため和解協議が行われ、裁判官の合議の上で以下の4項目の和解案が提示された。@雇い止めの経緯を不問にした上で雇い止めは撤回する。A1年間雇用されたとみなし自主退職する。B被控訴人は1年分の賃金等を支払う。C和解の内容は正当な理由なく第3者に公表しない。双方持ち帰り12月14日に再び和解協議が設定された。裁判所が「雇い止め撤回」を軸とした和解提案をしてきたのは、新証拠の信憑性を認めたからに他ならない。控訴審の最後の過程、会社側弁護士は証言調書や事実関係を精査するという基本的な作業を放棄してきた。最終ラウンドの前にタオルを投げたという印象が強い控訴審だった。
 しかし被控訴人は動労千葉の外注化先のJR千葉鉄道サービスである。国策ともいえる外注化・非正規化攻撃の受け皿であり、その要をなすJR東日本と千葉鉄道サービスの違法行為・デタラメな労務管理を認めるわけにはいかない。そこでこのような反動判決が出されたのだ。高裁の裁判官が合議して雇い止めを撤回する和解案を出しておきながら、「控訴棄却」の判決である。原発訴訟や国鉄分割・民営化をめぐって争われてきた国鉄1047名の裁判と同様の極めて政治的な判断がなされた判決といえる。その意味でこの裁判は、JR東と千葉鉄道サービスの生命線をズタズタにする「外注化攻撃粉砕・非正規職撤廃」の非正規労働者の総反乱につながることを恐れたJR東日本と日帝・裁判所の追いつめられた姿なのだ。河原さんの怒りと闘いの意思を屈服させることはできない。河原さんも東部ユニオンとしても上告して闘う意思を固めている。主戦場は職場だ。千葉鉄道サービスの労働者の組織化と闘いこそが回答である。動労千葉の外注化・非正規職撤廃の闘いと固く連帯して闘い抜く決意である。

 判決のポイント

 最大の争点は新証拠をめぐる判断である。甲18号証という新証拠は控訴審で初めて提出された。控訴審に入ってから発見されたからだ。高裁はこの証拠が疑わしいものとして採用しなかったのである。
 裁判の最大の争点は、河原さんが残業代を不正に請求し残業代を不正に詐取したか否かである。これが雇い止め解雇の最大の理由だ。原審は河原さんが超過勤務をしていない時間帯に仕事をしたかのように不正に残業代を請求して、現場の仕事を何も知らない片岡所長が河原さんの申請をそのまま信じて残業代を支払った。それが違法行為であり、解雇されるに足る理由であるとした。片岡は河原さん自身が書いた原本にあたる超過勤務整理簿は紛失したと証言したが、裁判所はその片岡証言を採用して河原さんの雇い止め解雇を有効とした。甲18号証とは片岡が紛失してしまったという河原さん自身の書いた超過勤務整理簿である。これはタイムカードの記録と一致しており、関連して提出された甲19号証は同僚の8名の超過勤務整理簿である。9人の浅草橋から小岩間の駅の作業ダイヤは入り組んでいて、河原さんのだけを捏造できない代物だが、裁判所は「控訴人の主張する甲199の1〜8の記載が関係証拠に符合して正確であることは、甲18の信用性を補強しないというべき」(判決6頁)と切って捨てた。
 さらに高裁は原判決を踏襲した上に、輪をかけてデタラメな判断をした。「虚為の記載が超過勤務等の時間を増やすものであって、企業の人事関係担当者の行為としては経験則に反した内容の主張になっている」「片岡所長が、甲18に従わずに,自らの判断で,虚偽の乙2、9を作成する理由を想定しがたいといわなければならない」(判決文7頁)。
 片岡は、6月分の超過勤務について残業していない時間帯に適当に残業代をつけて、残業した時間に残業代を付けないという常識では考えられないデタラメな労務管理をやっていた。これが千葉鉄道サービスの姿なのだ。6月分についても4月分についても河原さんは実際の残業代よりも少なくしか支払われていない。裁判所は、超過勤務を増やすようなことを企業の人事担当者がやるはずがないと常識的な「経験則」で述べているが、片岡が超過勤務した時間に残業代をつけていない杜撰さについては触れていない。千葉鉄道サービスが発足した2009年4月の河原さんの残業時間は100時間超。移行期の混乱とタイムカードの機械的不備もあり、現実の労働時間とタイムカードの記録が一致していない。24時間労働をすることもあったため昼夜勤務を連続してタイムカードを押すと昼の勤務時間の記録が消えて、1日ずれて労働時間が記録されるなど大混乱していた。そのためパソコンでタイムカードの記録を修正するなどの措置をして現実の労働時間との整合性を図る調整をしていたのである。6月はまだそれが続いていた。片岡はその4月以来の適当な超過勤務の延長で調整をしていた。その片岡が適当につけたパソコンによる修正、これを残業代詐取という最大の解雇理由とし、裁判所はそれを追認したのである。常識の経験則では信じられないデタラメな時間管理、労務管理をやって、その非を河原さんの解雇理由にしてきた卑劣なあり方を絶対に許すことができないというのが河原さんの気持ちである。
 詳細はまた機会を改めて展開したい。とりあえずの速報としたい。

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月刊『労働運動』(275号9-1)(2013/02/01)

2013年の決意

国鉄軸に職場闘争で勝負し、沖縄闘争を闘う

沖縄労働組合交流センター 松本 未土

 昨年、私たちは、新自由主義と対決して闘い、前進してきました。それは、国鉄闘争の勝利をつかみとっていく闘いであり、外注化阻止を沖縄においても勤労千葉とともに闘いぬく決戦でした。この闘いを貫けたのは、私たち労働者がどういった時代に生き、どういった闘いの路線で勝利していくのかということを、全会員が職場での階級的労働運動の実践を通して、職場で団結をつくりだしていく闘いを通してつかみ取っていけたからです。私たちは職場実践の武器として、動労千葉物販を展開し、動労千葉を支援する会の組織強化・拡大を闘ってきました。昨年の闘いを端的にいうなら、国鉄闘争を軸に、自分の職場で、労働組合で勝負して闘うことに一切をかけてきたということです。

 階級的労働運動の力で全基地撤去=安保粉砕、沖縄闘争の新段階を切り開こう

 そしてこの闘いは同時に、沖縄闘争勝利の路線を指し示すものでした。新自由主義と対決し、国鉄闘争を軸に沖縄闘争を闘うということは、階級的労働運動の力で全基地撤去=安保粉砕まで闘いぬくということです。基地労働者を先頭とした沖縄労働者階級の、日帝打倒までやむことのない闘いと団結を甦らせて闘うということです。
 同時に、国鉄を軸に新自由主義との闘いを貫くことが、全原発廃炉へ闘うフクシマと全基地撤去を闘うオキナワがどこまでも一緒になり進んでいくことだと明らかにしました。
 私たちが新自由主義と対決して闘う新たな沖縄闘争に、職場実践をもって闘ったときに、体制内労働運動のように職場で資本との絶対非和解の闘いを投げ捨てたものは、闘いを圧殺し敗北させていくものであることもはっきりしました。それが基地県外移設論であり、安保粉砕を投げ捨てた体制内の姿です。
 2013年、私たちは、さらに現場から国鉄闘争全国運動・沖縄の発展と、動労千葉を支援する会の組織化を勝ちとっていきます。特に外注化・非正規化の最大実体である青年労働者の獲得であり、NTTと基地です。労組交流センターの拠点職場をつくりだすために闘っていきます。
 本年は安倍政権の攻撃との闘いが激烈になっていきます。それは同時に辺野古新基地建設阻止闘争をはじめとした敵の最大の弱点を私たちが握っていくことでもあります。
 新自由主義と闘う階級的労働運動が発展したとき、沖縄闘争は新たな段階を迎えます。
オスプレイ配備絶対反対、辺野古新基地建設絶対阻止の闘いを、職場闘争で組織化してきた力と団結を軸にしながら闘いぬく。1〜3月決戦で、安部政権を打倒しよう!
 さらに、沖縄闘争を闘ったことで、いまだに無期懲役で獄中にある星野文昭さんを必ず
や取り戻そう。
 闘いの勝利を決していくものは、沖縄労組交流センターの組織強化・拡大だ。労働学校と機関誌の拡大を強力に推し進め、2013年の闘いに突き進もう!
 以上をもって2013年の決意とします。

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月刊『労働運動』(275号A-1)(2013/02/01)

ひめじょおん――女性部から

「安全な給食に責任を!」と八尾市に申し入れ

関西労組交流センター 深町加代子(豊中市職)

 11月15日、私たちは婦人民主クラブの八尾市への申し入れ「完全な給食の保障とがれき受け入れ反対」行動を、合同労組、部落解放同盟西郡支部の仲間とともに行いました。
 八尾市は「全ての原発を即時停止・廃止するように国・府・電力会社に申し入れること」に対して「答える権限はない」と逃げるのみ。私たちは保育課・学校給食課の部課長に対して、「大飯原発再稼働下で、そんな他人事のような回答は許せない」と追及し、次回までに市としての見解を持ってくることを約束させました。
 また、八尾市は給食の食材に対しては「国、府が検査しているから出回っているものは大丈夫。八尾市の独自の検査は必要ない」と問題意識さえ持っていません。
 さらに、交渉の中で、学校給食の現場の調理は各校それぞれに外注化していることを指摘し、市としてどう責任を取れるのかという点について追及しました。八尾市は「各校1人の栄養士(非正規職員)を配置し調理でのさまざまな問題や、現場での指導、対応をきちんと行っている」と、いかにも市がこれで責任を取っているだろうという感じで答えました。これこそ偽装請負そのものです。
 また市はこの外注化の理由を「財政的な問題でおこなった」と答えました。つまり財政問題で民営化しても実際には、偽装請負状態抜きには給食業務が成り立たないことが明らかになりました。
 また、がれき受け入れに対して9月15日に行った交渉前の八尾市の資源循環課長との話し合いの中で、「もし大阪市が八尾の焼却場(大阪市のもの)でがれきを焼却する場合は、八尾市は安全確認してやるけれど、途中の搬送などは、民間・下請けの仕事であり関知しない」と平然と開き直りました。
 子ども、市民の安全よりも財政問題。委託先や下請けの労働者が低賃金で使い捨てだけでなく、被曝労働を強制されても構わない、関知しないというのです。私たちはこの八尾市の態度を許さず、現場の八尾市で働く労働者に、「今こそ労働組合は民営化・首切り反対、被曝労働拒否で闘おう」と訴えています。
 そして今年1月、八尾市は2回目の回答を提出してきました。そこには「脱原発は目指す方向であるが、エネルギー政策のあり方は国民の安心安全と社会経済の発展を前提として、再生可能なエネルギ−、効果的、効率的な電力供給が大事」と、またまた財政問題が何よりも大事と答えています。このことを次回の交渉ではっきりさせていくつもりです。

 大阪市の全面民営化と対決

 また、大阪市では、2015年の都構想の下、保育所・幼稚園・水道・バス・地下鉄・学校・病院をはじめとする全ての公的部門の民営化・外注化が始まっています。これに対して労働組合は、仲間の首を当局に差し出し、闘う労働者を当局と一体で押さえ込もうとしています。
 それに対して、いったんはおとなしくしているように見える労働者も、実は闘って生きていく存在です。私たちと共に労働組合を生まれ変わらせ、立ち上がる日はいよいよそこまで来ているということです。そこに確信を持って粘り強く現場労働の獲得に頑張っていきたいと思います。

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月刊『労働運動』(275号B-1)(2013/02/01)

地平線―反戦共同行動委員会―

2013年3・8国際婦人デー行動を成功させよう

鶴田ひさ子 婦人民主クラブ全国協議会

 「3・8国際婦人デー行動が、その年の情勢を切り拓く!」という熱い思いで私たち婦民全国協は労組交流センター女性部のみなさんとともに毎年の3・8を準備してきました。九州、広島、関西、宮城、相模原、東京と、全国的にたたかいとられる国際婦人デー行動を今年もぜひとも成功させていきたいと思います。
 今年の東京行動は3月2日。3・11フクシマとつながり、さらに、3・1ビキニデーともつながっていこうと、第五福竜丸元乗組員の大石又七さんを迎えてお話を聞きます。タイトルは実行委員会の議論の中で「2013年3・8国際婦人デー 安倍政権打倒!女たちの大集会&デモ」と決まりました。原水禁運動の発祥の地と呼ばれる杉並で開催します。

 極右超反動・安倍政権打倒!

 

大恐慌と3・11情勢の下で、資本主義の危機と破綻は誰にもわかる形であきらかになっています。世界的な大争闘戦時代の到来は、帝国主義とその最末期の新自由主義による世界の労働者民衆への民営化・外注化・非正規職化の攻撃を激化させると同時に戦争―核戦争へののめりこみを不可避にさせています。昨年来の反原発のうねり、外注化・
非正規職撤廃に向かった闘いの爆発が野田民主党政権を倒す中で、今度は極右超反動の安倍内閣が引き出されてきました。福島の椎名千恵子さんは安倍内閣を表して「福島圧殺内閣」と断じました。まったくその通り! 原発再稼働どころか、原発新設、さらには海外輸出もはかる。1%が生き延びるために99%の労働者人民が生きていくこともままならない政策だけをくりだす安倍政権。本質は実に危機的で脆弱です。金融緩和・インフレ政策、労働法制の大改悪―非正規職化、大増税、TPP、沖縄・オスプレイ配備基地強化、自衛隊法改悪・改憲……。この社会を成り立たせている労働者も農民も漁民も、若者も年寄りも女も子どももみな生きていけないような社会にしてどうするというのか! しかし彼らにはそれしかできない。世界中で労働者人民が膨大に決起している中で、戦後革命期以来の革命情勢に私たちは、この安倍政権を絶好のターゲットにし、打倒していこう! と話し合いました。この社会を変えるのは私たち労働者民衆です。7年間も女性労働者を夜勤専門で働かせた上の解雇を合法とした断じて許せないジェコー判決(本号20〜21n参照)に対して、ただちに「勝つまで闘う」と宣言した当該。この怒りの決起です。あきらめない労働者人民は絶対に勝利します。
問題は労働組合。たたかう労働組合をつくり、労働者人民の一つの勢力をつくりあげていくのは私たち自身の課題です。婦人民主クラブ全国協議会は職場と地域に根をはり、拠点労組をともにつくりながら地域のすべての民衆の団結をつくっていこうとしています。
3・8国際婦人デーは労働者人民の国際的な団結をつくりだす日でもあります。みなさんの参加を訴えます。

(写真 東電へデモ、2012年3・8国際婦人デー【2012年3月3日 東京】)

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2013年3・8国際婦人デー行動
安倍政権打倒! 女たちの大集会&デモ
3月2日午後1時開場 1時半開始
杉並産業商工会館講堂

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月刊『労働運動』(275号C-1)(2013/02/01)

第5回

元労働基準監督署長・大野義文の東風烈風

 労災事故は事業者の責任です

 生きるための労働で殺されてはたまらない。しかし、現実には毎日、労働現場で多くの死傷者が出ている。2011年、東日本大震災以外の労災死亡者は、1,024人とされているので毎日3人亡くなっていることになる。
 労災事故で休業4日以上は、労働者死傷病報告書(様式23号)を、休業が4日未満の場合は、同四半期報告書(様式24号)を、所轄の監督署長宛提出することとなっている(労働安全衛生法100条1項・労働安全衛生規則97条)。
 この報告書で疑問に思うのは〈災害発生状況及び原因〉を記載する欄だ。そこに「被災者が誤って回転中の機械に手を入れ」とか、「被災者が急いで走って転んだ」とか、被災者の過失に原因を求める記載がある。それでは企業はせいぜい本人に注意で済ますことになり、本質的な再発防止対策は講ぜられない。そもそも労働災害は事業者責任で起こるものという基本的視点がない。
 このことを2005年4月25日に起きた福知山線脱線事故を手がかりに検討しよう。死亡者数をJR西は、106人として、運転手を含めなかった。運転手も労災死亡者である。JR西は、運転手の速度超過運転が原因として、加害者扱いで死亡者の数に含めなかったのか。
 各紙報道から背景に隠された本当の原因を見てみたい。@輸送=稼ぐ、の考え方からスピードアップ。大阪−宝塚間は、阪急より7分短縮で、国鉄時代より約4倍の過密ダイヤに。停車駅も増えたが所要時間は以前と同じ。乗り降り時間15秒の駅も。A恐怖の労務管理。秒単位の遅れの報告、20mオーバーランで5万円カットなど。B悪名高い「日勤教育」。例えば、監視下のトイレ、駅の先頭車両付近で「私はミスをしました」と他の運転手に頭を下げるなど、さらし者に。疎外感、羞恥感、精神的圧迫感を抱かせる。CATS−Pの未設置。1967年運輸省通達で私鉄に義務付け、87年3月31日通達廃止、87年4月1日民営化。事故後、予算委員会で通達廃止について政府は反省答弁を行っている。事故直後にJR西の広報室が発言。「運転本数が少ない路線にも導入するのは、コスト面などからみて現実的でない」
 こうした企業に労災事故の撲滅を期待できるのか。決して運転手の過失ではない。そこに追い込んだ企業の働かせ方の責任を問うべきだ。運転手は、13日間の日勤教育と戒告処分を受けていたこと、「今度ミスしたら、乗務をおろされてもかまいません」の決意書を書かされていたこと、当日にオーバーランをしており、また、列車は遅れていたこと、勤務体制は、終電に乗務し、始発に乗務その間5時間である。
 労災事故は、被災者の人権侵害だけでなく、家族を含む人間関係をも破壊する企業犯罪であることを再度認識したい。

 一回きりの人生 輝いて生きよう

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大野義文:950年1月生まれ。1980.4〜2010.3退職まで、広島、山口、徳島、高知の監督署・局で勤務

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月刊『労働運動』(275号D-1)(2013/02/01)

読者のページ


●奥住運輸は2人を職場に戻せ! 合同労働組合八王子
 11月9日、奥住運輸有限会社は、合同労組八王子の組合員2名を全くデタラメな理由で突然解雇しました。奥住運輸は、東京都青梅市内で主に病院や老人ホームの送迎をやっている会社です。2人の組合員は、お年寄りや病人の送迎ですから、普段から人一倍気を遣って運転していました。
 「解雇理由」は、「金髪で勤務」していた、勤務時間外の言動を「就業規則違反」とするなど違法・不当なものばかりです。それを何の弁明の機会も設けず即日「懲戒解雇」としたのです。挙げ句の果てに、直ちに荷物をまとめて出ていけと、
その日のうちにロッカー等の荷物をまとめさせて会社から追い出したのです。断じて許せません。2名の当該は、怒りを燃やして闘いに立ちあがっています。

 会社の狙いは組合つぶし

 合同労働組合八王子は、すでに3回の社前抗議行動を敢行、団体交渉で会社を徹底的に追及しています。ここで、会社の真の狙いは組合つぶしであることが鮮明となりました。
 団体交渉では、解雇された2人の組合員は怒りを込めて会社を追及しました。「俺たちの人生を返せ!」「こんなデタラメな解雇通知書一枚でクビ切られてたまるか!」「介護タクシーと車椅子タクシーの違いもわからない。これじゃ法律違反じゃないか!」―解雇された2人の訴えに、会社の奥住尚弘専務は、クビをすくめながら聞いていましたが、「私一人の判断でなく取締役会でやった」と開き直りました。労働者を路頭に放り出しておいて、何の痛みも感じないのか!

 デタラメな「解雇通知」

 

そもそも「解雇通知書」なるものは全くデタラメです。なんと日付が「平成25
年11月9日」となっているではないですか! 1年後の11月にクビだというのです。しかもKさんについて「平成23年頃から…他の従業員の悪口を言った」というもの。平成23年12月にはKさんはまだ入社していません。社員にもなっていないときに「他の従業員の悪口」など言えるわけがありません。こんなデタラメな「解雇通知書」など無効だ!
第1回団交で、解雇理由に「金髪で勤務」などとあげつらいながら、専務本人はおろか誰も確認していないことが暴露されました。さらに「運転が荒い」と言いながら、いつなのか、場所はどこかなど全く答えられない始末。要するにどこの誰かも知れない告げ口の伝聞で懲戒解雇だとしているのです。ふざけるな!
会社の狙いは明白です。2人が合同労組八王子の組合員として労働組合を拡大しようとしていたから、職場
から排除しようと解雇したのです。だから「解雇理由」は後づけのデタラメなのです。合同労組八王子・奥住運輸分会は、こんな組合つぶしは絶対に許しません。西部ユニオン・鈴コン分会をはじめ地域の闘う労働者・労働組合と連帯し、団結して闘って必ず勝利します。
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●編集後記
▼新たな情勢下、2012年の地平から階級的労働運動を前進させるために交流センター運動はどうあるべきか▼1月号座談会等を読んで、第20回総会の成功へ徹底した論議を(う)
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●動労千葉労働学校 第12期労働学校日程
■基礎講座
2月16日(土)13:00〜
◆合理化とは何か−賃労働と資本
◆講師 天野 浩二(社会問題研究家)
新自由主義−合理化とは何か。どう闘うのか。労働運動の核心問題を明らかにする。
■実践講座
2月23日(土)13:00〜
◆裁判員制度と改憲
◆講師 高山 俊吉(弁護士・国鉄闘争全国運動呼 びかけ人)
改憲の先取りとしての裁判員制度反対の先頭に立って闘っている。
■場所
DC会館(JR総武本線「東千葉」駅前)
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●ビキニ水爆実験・被ばくから59年
「原発いらない杉並集会」
3月1日(金) 午後6時開場、6時半開会
高円寺・セシオン杉並大ホール(東京都杉並区梅里1-22-32)
会場費 当日700円、前売り500円
「福島郡山市からの報告」井上利男さん(ふくしま集団疎開裁判の会・代表)/VTR上映「第五福竜丸元乗組員・大石又七さんインタビューby山本太郎さん」
主催 8・6広島-8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委 員会/すべての原発いますぐなくそう!全国会議・杉並  (NAZEN杉並)
連絡先 東京都杉並区天沼2-3-7さかいビル2A
03-6794-7101 090-6658-1544(きたじま)
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ビキニデー59周年関連企画
3・2国際婦人デー女たちの大集会&デモ
大石又七さん講演
3月2日(土)午後1:30 阿佐谷・杉並産業商工会館
第五福竜丸見学会
2月23日(土)午前10時 東京・夢の島公園

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月刊『労働運動』(275号E-1)(2013/02/01)

Photo Documennt 2012年12月〜2013年1月

東北石けん闘争、勝利へ!  12・14宮城

東北石けん不当解雇撤回を求める地労委闘争の結審をむかえ、早朝から東北各地の35人の仲間が門前に結集し、勝利命令をたぐり寄せるための一日行動が打ち抜かれた。地労委には傍聴席をこえる50人が結集し、資本の組合差別の不当労働行為を徹底的に暴ききる「最後意見陳述書」が叩きつけられた。

強制出向を許さない! 東京地裁に提訴!  12・26東京

動労千葉、動労水戸、動労連帯高崎の組合員53人が、JR東日本が強行した検修・構内業務外注化に伴う強制出向の無効確認を求めて東京地裁に提訴した。午後1時に東京地裁前に集合した組合員と支援は、最強の布陣を整えた弁護団とともに東京地裁に入り、民事部に訴状を提出した。

農地強奪阻止! 3・24大結集へ!  1・13千葉

反対同盟の新年デモ、団結旗開きには、160人の労農学が参加して、決戦突入の決意を固め合った。反対同盟の強い決意に応え、動労千葉はじめとする労農学がともに全力で闘う発言を行った。2・4〜2・18千葉地裁包囲闘争から、3・24全国集会の大結集を勝ちとろう。

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