月刊労働運動-Home> 戦後労働運動史の中から > | 連載 >

戦後労働運動史の中から第30回炭労の闘争と三池争議(2)

月刊『労働運動』34頁(0309号14/01)(2015/12/01)


戦後労働運動史の中から第30回
炭労の闘争と三池争議(2)


(前号から続く) 
 一九五三年の人員整理を押し返した三池炭鉱の労働組合は直ちに企業を追撃します。その形態は全国の注目を浴びた職場闘争です。企業別組合中心の日本では、欧米と違い、労働者団結の基本的場が企業にある。ここでの大衆闘争形態が職場闘争。各職場でみなに共通する問題をとらえて職場全員の討論と行動で解決をはかり、職制の支配を後退させて作業の主導権を握る。組合内の幹部請負を克服して平組合員が主役になる形でもあります。
 三池の職場闘争は収入の公平化、(採炭量の多い場所を、職制の恣意を排して順番に交代する)、労働強化阻止(職場全員が協力して能率規制)、と作業の安全が主目標でした。全員で職制と集団交渉し、要求が無視されれば作業に入らないなどの実力行使。獲得した成果は、職制と覚書を交わして慣行化する。交渉・行動・妥結の三権を組合中央から職場闘争委員会に委譲することもありました。効果ははっきり現れました。炭鉱労働につきものの事故による死傷者数が激減したのです。
 職場闘争に問題がなかったわけではない。職場の団結が弱ければ効果は上がらない。逆に言えば強いところが独走し、孤立する危険があります。獲得物は他がついてこなければ特権化するかもしれない。実際、炭労全体のなかの三池、三池での数職場の突出は深刻で、対策として遅れた職場を追いつかせる「到達闘争」が組まれるが、これは少々困難でした。
 また職場闘争は全能ではありません。組合全体、石炭労働者全体の力で解決すべき問題は多い。例えば石炭産業に将来はないといった宣伝に立つ合理化とどう戦うか。これらを絶えず討論し、共同の行動への意志一致を作る点で、三池の職場闘争は日常対応できていたか。労働者の団結は職場では完結しない。
 組合全体ということでいえば、三池を含む三鉱連(前回参照)は五四年に経営参加・経営方針変更闘争というのを試みています。「経営危機」に組合としても対応しようということでしょうか。また五五年、会社側の長期生産計画提案に対して、保安優先・人員確保・長期計画実施における労資協議といった内容の「長期計画協定」締結闘争を行う。これは炭労全体でも取り組まれ、大手各社に呑ませています。
 当時、大きな成果とされましたが、これは会社側からすれば、来るべき決戦前の時間稼ぎ、組合側の油断を誘導する意図があったかもしれません。実際、炭労に油断はあっただろう。協定内容に「組合員の完全雇用」というのがあり、これは「退職者の子弟の入れ替えを承認する」ことと結びついています。労働者の代々職を保障することは、この業界の一種の慣行で、組合側は旧来の方式を認めさせて安心したのかもしれない。
 しかし、そういうものを一気に吹き飛ばす合理化を大手企業は計画しつつあったのです。三池の場合その根幹は、合理化の最大の障害、職場闘争を徹底的に叩きつぶすことでした。
(次号につづく)

伊藤 晃(日本近代史研究者)