2010年05月号(No.242)目次
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2010年5月号 目次

労働者の目 解雇撤回貫く全国大運動の爆発で組織拡大を!

◎中野代表の遺志を引き継ぎ、日本の労働運動の復権を誓う 動労千葉主催 故中野洋前委員長追悼集会・偲ぶ会が開催
◎中野洋さんが生きて出来なかったことを全国労組交流センターがやる! 代表運営委員 入江 史郎
◎5・15沖縄現地闘争の爆発で鳩山民主党・連合政権を打倒しよう!
◎10年4・25尼崎事故弾劾5周年闘争 基調報告 富田益之(国労5・27臨大闘争弾圧被告団長)
◎国鉄1047名解雇撤回をあくまで貫く 国鉄闘争の勝利はわれわれにかかっている! 国労九州エリア本部小倉地区闘争団 羽廣憲
◎闘う合同・一般労組 4・3合同・一般労働者 首都圏春闘交流集会が大成功

ひめじょおん−女性部から ス労自主10春闘・一時金闘争報告

◎動労千葉労働学校で学ぼう!

労働ニュース ●北海道開発局「ヤミ専従」4119人処分
◎新連載 青年労働者は団結してたたかおう! OVER REV
◎女性部第17回定期全国大会報告
◎連合の〈偽装春闘〉を弾劾し、闘う労働運動を甦らせよう!

読者のページ  ・●マンガ /編集後記

(写真 480 名で勝ち取られた尼崎事故弾劾5周年闘争【4月25 日】)

 

 労働者の目

解雇撤回貫く全国大運動の爆発で組織拡大を!
  神保 美彦(副代表) 仙台市職労

  1―3月、国鉄1047解雇撤回・検修外注化阻止のたたかいは、動労千葉の4波のストライキ決起と共に、全国の職場、街頭で猛然と取り組まれ、4・1実施を阻止する勝利を勝ち取った。激闘の渦中で2月交流センター全国総会を開催し、第2次国鉄決戦の爆発を水路に、階級的労働運動の大前進の檄を全労働者に発した。
  追い詰められた民主党・連合政権と4者4団体は、4月、ついに国鉄1047闘争解体の「政治和解案」に合意した。「和解案」の核心は「国鉄分割・民営化は正当だ」「JRに責任はない」「首切りは正当」ということだ。20万人の首切り、200人の仲間の自殺、そして、分割・民営化から始まった新自由主義の攻撃が作り出した今の労働者のあらゆる現実を認めることだ。この攻撃は、労働者の団結を根底から破壊するものだ。断固廃棄あるのみだ。動労千葉が呼びかける全国大運動で、全労働者の怒りを根っこから交流センターに組織する大決戦に打って出よう。
  4・11秋田集会で、秋田闘争団の小玉さん、小倉地区闘争団の羽廣さんは、「労働者として筋を通して23年間たたかってきた仲間を踏みにじる政治解決は絶対認めない」と宣言し、青年労働者は「生きていけない賃金と3カ月ごとの首切り、僕の現実と1047闘争はひとつだ」と訴えた。そうだ、労働者の人間性を奪いつくし、資本の利益のために使い捨てる、こんな社会は終わりだ。
  沖縄の労働者は「基地撤去・安保粉砕」の怒りを爆発させ、戦争絶対反対の総決起を開始している。鳩山政権打倒の秒読みが始まった。
  このたたかいは、日本帝国主義を打倒する大闘争の始まりだ。労働者階級が団結して、革命の旗を立て進撃する歴史的な時代を、青年労働者を先頭に私たちの力で切り開こう。
  中野前代表の「カッと目をあけて前を見てみろ。時代は俺たちのものだぞ」の声が聞こえてくる。2010年春夏決戦で革命の扉をこじ開けよう。「団結すれば必ず勝利する」
(写真 壇上は闘いを訴え続ける故中野洋代表の遺影。追悼の辞を述べる民主労総ソウル地域本部イジェウン新本部長【4月10 日千葉】)

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(写真 長田書記長の団結ガンバローで新たな闘いへ)

■動労千葉主催 故中野洋前委員長追悼集会・偲ぶ会が開催

■中野代表の遺志を引き継ぎ、日本の労働運動の復権を誓う

 4月10日、千葉県労働者福祉センターで、3月4日に逝去された中野洋代表の追悼集会と偲ぶ会が動労千葉の主催で開催され、全国から800名の仲間が中野代表を追悼し、遺志をついで闘う決意を表明しました。発言の一部を編集部の責任で紹介します。(見出しも編集部)

 ●主催者挨拶 国鉄千葉動力車労働組合 執行委員長 田中 康宏

 今日は中野前委員長の追悼集会・偲ぶ会にこんなにも多くの皆様に御参加いただきまして心から御礼申し上げます。
  中野前委員長の病は、胆管の癌で、06年春には「年内には歩けなくなります。覚悟しておいて下さい」と言われる状態でした。だけど中野前委員長は、それから丸4年、闘いの先頭に立ち続けました。それはもうものすごい闘いでした。自分にはやり残したことがまだまだ山ほどある。これは口では言わなくてもビンビン伝わってきました。その意志で癌の進行を抑え抜いた。そういう闘病の4年間でした。
  中野顧問は1958年に国鉄臨雇採用、59年に職員として採用ですから半世紀、労働運動、労働者の団結を作りあげることに全てをかけて生き抜いた人でしたが、この4年間の中に中野顧問の全人生が表れているような思いでずっと見ていた次第です。
  私は1989年に中野委員長の下に書記長になりましたから委員長・書記長という関係でほぼ10年。2001年に私が委員長を継ぎまして常任顧問と委員長という関係でやはり10年ほど。もう20年ほど一緒に闘いをやってきました。
  一番感じたことは、中野顧問という人は全国の数千の労働者の前で語るときもあるいはアメリカや韓国やブラジルやそういう仲間のところで語るときも職場でひとりの労働者と語るときも全く同じ目線、全く同じスタンス、自然体なんですね。中野顧問が言っていたことは「職場で仲間に通じることは、絶対に全部に通じるんだ」。ひとりの労働者は欠陥だらけの労働者です。ケンカもすれば悪口も言えば、泣き笑い、時には闘いの困難さから逃げたくもなり、後ろを向き、時には前を向く。こういう労働者の可能性に全てがあるんだと、そのことに徹した人だったと考えています。
  それは全てに通じる。「労働組合というのは素晴らしいものなんだ。労働者が団結した力、これをおとしめなければ世の中を変えることも歴史を動かすことも社会を動かすことも全てできるんだ。だから労働者を蔑視しないかぎり僕らは勝利できるんだ」「労働組合の運動というのは自分の一生をかけるにふさわしい運動だ」。このことをずっと言い続けてきました。いろいろな困難にぶつかると、「労働組合の運動というのは人間がやることなんだ。人間がやることなんだから人間の気持ちをわかれよ。それぞれが進む道はわかっているんだ。敵も人間だ」と。やっぱりここだと思うんですね。
  これは言うのは簡単ですが、現実になれば、労働組合の運動をやっていれば、今の情勢の中でうまくいかないことばかりです。大体、これまでの流れを見ると、闘わずしてあきらめてしまう。これが現実だと組合員に言い訳だけをする。こんな繰り返しでした。中野前委員長は組合員に対して言い訳は一度としてしたことがありません。厳しい中で組合員が落ち込んでいると思えば、「いいんだ、これでいいんだ。負けてなければこれで勝ちなんだ」と激励をし、組合員がその気になって目つきを変えて闘おうとしている時には「あまり先走るな」と抑え、言い訳は絶対にしない人でした。
  この闘いは動労千葉の分離独立に始まり国鉄分割・民営化という国家をあげた戦後最大の労働運動解体攻撃に抗してわずか1000名余りの労働者が真正面から刃向かい、だけど団結を崩さずに闘い抜き、絶対にこんなことは認めないと言って新しい民営化された事業体に乗り込むという、戦後の労働運動の常識を打ち破った闘いに発展しました。さらに中野前委員長はそれだけでいいとは考えていなかった。本当にこの総括をしなければいけない。総括とは国鉄分割・民営化攻撃が戦後最大の労働運動解体攻撃だった以上、今度は一からどんなに小さな力でも自分の手で労働運動を作り直す闘いを始めなければいけないんだ。そう訴えて全国に呼びかけ、そしてその闘いが国際的な連帯に広がった。時代は今、労働者がここまで突き落とされ、我慢のならない怒りの声が積み上がり、だけどその怒りの声は団結する手だてをまだ見い出していない。いよいよこれからというときに残念でなりません。中野顧問が亡くなってから顧問だったら一体何と言ったんだろう。そのことを毎日考える日々です。

 □国鉄闘争の灯を消さない

 ご案内のとおり、昨日、国鉄分割・民営化以来、血のにじむような闘いを続けてきた1047名解雇撤回闘争についての和解が合意した、という報道がされています。顧問だったらこの局面を何と言ったんだろうとつくづく考えます。あの現実を見ていて40名の解雇者を出して国鉄分割・民営化に立ち向かって23年間闘い抜いて本当にこれでいいんだろうか。結果としては幾ばくかの金銭と引き替えに一番大事な僕らが守ってきたこと、1047名の思い、これをふみにじるものだ。そう思わざるをえません。労働者、労働組合って、こんな存在じゃないんだと中野顧問は必ず言ったと思います。国鉄分割・民営化の中でどれだけのことが起きたのか。それが幾らかの金銭と引き替えに正当化されてしまう。そんなことを繰り返していたら、労働者が、労働組合が胸を張って、俺たちこそが社会の主人公ですと歩めるのかと。
  私は、国鉄分割・民営化反対の灯を絶対に消してはいけない。20万人の国鉄労働者をわずか6年の間に職場から放り出した。その後、1千万人を超す労働者が非正規職に突き落とされた。こんなことは間違っていましたと絶対に言わせたい。そういう思いを今日この顧問の霊前に誓いたい。
  そのためにも最後に私は一言、顧問に報告したい。実際、国鉄分割・民営化は何も終わっていないんです。国鉄を7つのJRという会社に民営化して分割しました。今職場で起きていることは、あらゆる業務を丸投げ的に下請け会社・孫請け会社・さらにその下に労働者ごと追い出して数百の会社にJRを分割しようという第2の分割・民営化攻撃です。秋以降、5回のストライキをかけてそこに立ち向かい、JR東日本全体で強行されようとしていた検査・修繕業務の全面的な外注化の4月1日実施を止めました。そのことを中野顧問は一番喜んでくれると思います。
  中野顧問が築き上げてきた動労千葉という、本当に人間くさい、絶対に信頼関係と団結を崩さない、この素晴らしい労働組合の闘いを絶対に引き継ぐ決意です。

 ●追悼の言葉 全日建運輸連帯労組 関西地区生コン支部 副委員長 高 英男

 私の中野さんとのかかわりは、3労組の全国集会の呼びかけからですから個人的にいってもこの10年ほどです。でも印象に残ることがあります。まず初めは05年の関西地区生コン支部に弾圧があったときです。当時は委員長以下逮捕者は6名ほどでしたけれども、権力に財政処理から何から資料のほとんどを持って行かれて、たぶん弾圧はこの1波では終わらないという予感がしてました。それで組合内部もこんがらがっていた中、中野さんが中野さんが港合同と呼びかけをして激励の集会を用意してくれていたんです。中野さんが大阪の港合同に来られて武洋一副委員長と私が呼ばれて、実は何があるかよくわからん中で、港合同の執行部と動労千葉の執行部が待ち受けてましてね。「弾圧に負けんと頑張れ」と激励してくれたんです。武洋一副委員長が涙を流しながら「負けんと頑張る」と決意を述べたことを今も覚えています。
  3労組共闘の中で動労千葉と港合同との交流が始まり、中野さんの人柄にも触れたわけですけれども、話しをしたのは私は3、4度です。でも、うちの生コン支部もそうですけれども労働組合を創った、その人物の人柄が組織に表れるんですね。動労千葉との交流の中で、本当に動労千葉は泥臭いというか、言い方悪いですけどもわれわれと同じようなにおいが、間違いなくしている組合やと。
  生コン支部は元々共産党一本でずっとやっていた組織ですから迷走を重ねながらいろいろなところとの共闘関係があったわけですけれども、動労千葉との共闘が始まった時にはそれまでけっこう親密にやっていた共闘関係がすーっと退いていくわけですよ。いろいろなことを揶揄されました。生コン支部の役員も直情型が多いので関西に動労千葉の執行部が来た時に、「あんたら、どうなんや」みたいなことを率直に聞いたことがあるんですね。その時に動労千葉の執行部の方々も率直にうちはこうやで、ああやでという、本当に現場闘争を闘っていることがわかった。それならこことは共闘できると確信したのもその時です。

 □ 組織の戦闘性を発揮して組織を守る

 3労組はそれぞれ違う畑で闘いを積み重ねてきてますけれども、共通点はいくつかあります。あの分割・民営化の時に当時20万人おる国労の組合員が1回もストライキも打てへんのにわずか1000人ほどの動労が何回もストライキ。関西では「なんか関東の方でストライキ打ちまくってる、おもろい組合があんねんな」「えらい派手にやる組合やなあ」と思っていたわけです。
  なぜこの話しをするかというと、生コン支部も84年から90年まで6年間に渡って数え切れんほどのストライキを打ったわけです。82年から83年に生コン支部も同じように弾圧攻撃があって、組織が半減しています。共産党とも別れて迷走している時です。生コン支部への包囲網もあってストライキを打っても全然成果が出なくて、解雇者や処分者を山盛り出した。当時私は一組合員ですから、「またストライキ打つんかいな。もうええ加減してえな」みたいなことを正直思ったこともありました。動労千葉はあの行動で40人の解雇者を出した。生コン支部も6年間の闘いで100名近い逮捕者と山ほどの解雇者を出した。今ふり返ると、動労千葉もたぶんそうやと思いますけれども、生コン支部の今があるのはあの時に一歩も退かずに前に進んで闘ったからです。ここだけはやっぱり共通してたわけですね。ですから今の3労組共闘があると思います。
  動労千葉も生コン支部も港合同もそうですけど、相手からの攻撃があった時にどこぞの誰かみたいに資本や権力にすり寄って組織を守るんじゃなくて、組織の戦闘性を発揮して組織を守る。実はこれは大きな違いがあるんですね。今歳月を経て日本の労働運動の惨憺たる状況がある。だけどわれわれは危惧してません。それは動労千葉がいますし、手前味噌ですが生コン支部もいますし、港合同もいます。こういう労組がしっかりと闘いを堅持をしていけば、日本の労働運動の未来は明るいんです。ぜひこのことだけは中野さんに報告したい。中野さんがたぶんやり残したことはいっぱいあると思います。私は、中野さんが動労千葉を通じて全国の労働運動に発信したことを全国の活動家に脈々と受け継いでいくんや、生コン支部もその一翼を担うという決意でいます。

(写真 800 名の参加者が中野顧問に思いを馳せる)

●追悼の言葉 全国金属機械労組・港合同副委員長 中村 吉政

 今日集まっておられる方は動労千葉の戦闘性や3労組の戦闘性にしっかりと連帯をして闘って行ってもらえる仲間やと思っています。こういうメンバーがいるかぎり日本の労働運動はそう捨てたものではない。ぜひ中野さんにもそう心配をせずに安らかに眠っていただきたい。
  中野委員長と大和田事務局長との関係は、もう長い年月になりますが、国労に202億の損害賠償がかけられた時に初めておつきあいが始まったと言われております。その後、阪神淡路大震災の折、中野さんと被災支援連を結成し、震災で苦しむ労働者の支援を行ってきました。
  そして何よりも国鉄分割・民営化の際に強行された、もう27年になるんですが、和田弘子さんという、一人の女性の解雇撤回の闘い。当時、大阪の国労は一審だけは支援すると決められたそうなんですが、以後、地労委、中労委、東京地裁と、和田弘子さんも一人ではとても闘うことが出来ないということで、関西おんな組合というものを作り、その中で私たちとの関係が始まります。27年経った今も大阪で、全国で闘っているんですが、国鉄内の事象を知るには、やはり内部でおる人でしかわからない情報を動労千葉の中野委員長や関係者の方にいろいろ資料の提出などの形で教えてもらいました。
  同時に、1047名の闘争団の問題ですが、昨今言われております問題については大和田事務局長もカンカンになって怒っていて「こんな交渉のやり方があるかい」と憤慨をしております。「交渉を知らんもんが交渉をして、本来和解交渉であるならば、交渉を積み重ねるごとに金額が上がっていくのが当たり前ちゃうんか。下がっていく交渉なんてどこにあるんや」と本当に僕らが心配するほどカンカンになって怒っております。事務局長も1047の中に千葉のみなさんも含まれてると思っていたんですね。それで千葉はどうされるんかなと思っていたみたいなんですが、どうもそれはそうではないと。それやったら、とことん自分たちの信念を貫いてやれるんじゃないかと今思っているところなんです。
  国鉄の闘いを通じて3労組の共闘が生まれたわけですが、まさしく中野委員長の、人を集める力というものがあるんでしょうか。10年経ちまして未だに続き、その中から活動家が育っていっている。組織を引っ張っていく仲間が出てきている。それが大きな財産になっていると思うんです。
  私なんかは中野委員長と膝をつき合わせてお話をした機会がほとんどありませんでしたけれども、いろいろな人のお話を聞く中で、情勢を読む力、大衆を組織する力というものは非常にすぐれた能力があったんだろうなと感じております。
  いずれにいたしましても労働組合である以上、10人であれ1000人であれせっかくの力を行使しなければ何の力にもならんわけでありまして、闘わずして何の権利も勝ち取れないということをつくづく感じております。
  さらに、これは10年程前の話なんですが、ある日組合事務所に労働相談がありました。相談者は中野さんに相談をしたら中野委員長が港合同の大和田さんに相談しろということで電話をかけてきたみたいだ、ということでした。そういう民間の方からも中野さんをとおして相談をいただいた。中野さんの人柄がよく出ているなあと思いました。
  中野さんという偉大な指導者を失った、それでも動労千葉の皆さんが先頭になって日本の労働運動を牽引していく。大阪では関西生コンと港合同と一緒になって闘って。そういう気持ちがある限り、私たちの将来も暗いものではないと思っています。どうかこれからも労働者である限り、私たちが社会の主人公になるんだという気概で港合同も闘って参りたいということを申し上げ、追悼のご挨拶とさせていただきます。

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■中野洋代表を追悼する

 中野洋さんが生きて出来なかったことを全国労組交流センターがやる!
  代表運営委員 入江 史郎(ス労自主中央執行委員長)

 独白

 “毒吐く”ではない。
  中野さん、中野洋さんが亡くなって、2カ月近くになるが、まだまだ彼を偲んだり、追悼したりという心境には、とてもなれない。というよりは、私の中になのか、私の周囲になのか、中野さんがこびり付いて離れないのだ。古の人が1年間も喪に服したということが、何か分かるような気もする。
  それにしても、中野洋という人は、よくよく強欲な人だ。自分の人生、寿命を超えてまで、やりたいことを追求し続けるなんて。その労働者階級に対する思い入れ、思い込みにはただただあきれるばかりであり、とても太刀打ちできたものではない。その破天荒な思い込みのために、理不尽な罵倒を受けた者は数知れず。その最大の被害者は、田中康宏・現動労千葉委員長であったと思う。田中委員長は本当に偉い。
  その罵倒の余りの激しさに、いつのことであったか、柄にもなく私が中野さんを諌めたことがある。中野さんが田中書記長(当時)に何を言おうが口を挟むつもりはないが、私たちにとって天下の動労千葉の書記長が、みんなの前で、あのように罵倒されるのを見たくはない。見えない所でやってくれ、というようなことだったと思う。その時は「何を言ってやがる。言わなきゃ分かんねえんだ」と言い返されましたが、いつの間にか、そういうことはなくなりました。
(写真 入江史郎代表【09 年11 ・12 鳩山・オバマ戦争会談粉砕集会】)

 出会い、そして全国労組交流センター

 1982年9月何日であったか、ス労自主結成の3週間ほど前のことだった。今にして思えば、ス労自主結成の決断をしかねていたのか、ス労自主初代委員長は書記長となる私を伴って、旧い2階建ての動労千葉会館に中野書記長を訪ねた。中野さんの訴えは、ス労で多数派を目指せということだった。最後までス労自主結成に首を縦には振らなかった。私にしてみれば、ス労自主結成は自分たちで決めることであり、何も他所の人に了解を取るようなことではないと思っていたので、委員長の袖を引っ張って帰った。三里塚集会の壇上で発言する姿は何度か見ていたと思うが、そういうことで間近に見た中野さんの第一印象はけっして良いものではなかった。
  それから6年半後、1989年、連合結成=総評解散の年、ス労自主に全国労組交流センター結成への参加要請があった。中野委員長から言われて来ましたと、今は立場を異にしているK氏が確か2度、当時、大阪心斎橋のトヨタビル4階のエッソ石油大阪支店の片隅にあった狭い組合室を訪れて、長々とオルグ話をして行った。結局、ス労自主も全国労組交流センターに加盟することになった。取り立てて積極的に参加を決めたわけではなかったが、中央執行委員会に諮って、強い賛成もなかったが、反対意見もなく、加盟を決定した。連合も、全労連(統一労組懇)からも、全労協からも誘いの声は掛からなかったし、何よりもス労自主が地域共闘の軸にしていた総評大阪南地協も解散となり、連合は労働者の企業支配のために、当初、地域組織を作らなかった。
  全国労組交流センター加盟もその程度のことだったので、私たちは89春闘方針を決める第23回臨時全国大会を今は閉鎖してしまった兵庫県川西市労働福祉会館で開催する日程が重なって、89年2月に行われた全国労組交流センター結成大会には参加していない。まさか交流センターに結集した労働組合が、動労千葉を含む動労総連合とス労自主だけだったとは……。後の祭りであった。結成総会に出席していたら、話が違う! 加盟取り止め!となっていたかもしれない。

 90年代、激動の時代

 よくも、90年代、この激動の時代を生き延び、また闘い続けてきたものである。
  毎月の例会、5月合宿、全国運営委員会の設置、月刊交流センターの発行、各地の交流センター結成と、どう見ても付け焼刃の組織形成であった。PKO反対闘争で、全国を飛び回って闘ってはいても、反戦闘争基軸論、国鉄闘争水路論なるものは、観念的で私たちが得心するものではなかった。当時の全国交流センターは総力動員1000余、度重なるデッチあげ刑事弾圧にもかかわらず、会員も加盟労組も増えもせず減りもせず、中野さんの口癖は「全国交流センターは俺と佐藤芳夫さんが2人で作ったもんだから、こんな数も増えない組織なんか、いつ潰してもいいんだ」であった。本人は私たちに対する叱咤激励のつもりであったのだろうが、PKO派兵する全国各地の自衛隊基地へ、あるいは東京で行われる全国集会に、指令ひとつで予定をやりくりし、自腹で闘争参加している身にとっては、たまったものではない。
  しかも、その間にいわれのない刑事事件で組合室や組合員自宅へのガサ入れや、組合員への全く不当な身体捜査が度重ねられていたのだ。組合員の家族からの悲鳴・苦情にも対応しなければならなかった。それで、交流センターなんていつ潰してもいいんだはないでしょう。もちろん、それが中野さんの本音であるはずもないことは百も承知の上でのことではあったが、こちらも言われっ放しなのも癪なので、「中野さんと佐藤さんの2人で作ったかもしれないが、2年も経って潰れていないのだから、もう中野さんらだけのものではない」と楯突き、また「私の趣味は中野洋とエッソ石油だ」と言って自分を奮い立たせたこともある。
  何よりも、指令ひとつで数日を経ずして1000の労働者が仕事や交通費をやりくりして、自前で全国どこへでも結集する組織など、交流センター以外にどこにもない。創価学会や日本共産党でも出来ないことだと、中野さんに迫ったこともあった。それでも、いつどんな時でも、中野さんは時代に向かい、時代を語り続けた。

 運、めぐり合い

 1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こり、3月20日はオウム真理教による地下鉄サリン事件が引き起こされた。
  この年2月に行われた全国総会で、事務局長が、全国交流センター結成時から6年間務めた動労千葉の水野正美さんから動労水戸の辻川慎一君に交代した。今になってのことだが、確かな勝算があったはずもないことを全てを分かったうえで、中野さんの全国労組交流センター結成につき合った水野さんの温かさを思わずにはいられない。
  この時、中野さんが呼びかけた被災支援連が、今日の闘う3労組共闘の礎になったことは言うまでもない。もちろん、3労組共闘も決して順調に来たわけではない。2003年の8・15反戦集会に、韓国・民主労総ソウル地域本部の副本部長キム・チャンソプ氏が来ていなかったら、今日まで11月全国労働者総決起集会は続いていたであろうか。
  そして今、戦後日本の労働運動の帰趨を決する国鉄1047名不当解雇撤回闘争=分割・民営化絶対反対闘争を動労千葉を排除した総屈服の4者4団体路線の下に終焉させてしまうのか、3労組共闘とともにわれわれ全国労組交流センターが、国鉄分割・民営化絶対反対1047名闘争を貫いて、名実ともに全国労働組合交流センターとして全国で闘う労働組合を組織しつつ、資本主義を終焉させる労働者を主人公とする時代、社会を切り拓いて行くのか。
  中野洋さんが70年の生涯で出来なかったことを、われわれ全国労組交流センターがやるしかない。それは死んだ中野洋をも、われわれが駆使して闘い続け、また、死んでからもなおわれわれを捉えて離さない中野洋にわれわれが突き動かされて闘い続けるということになるのであろうか。何とも濃いつき合いが、まだまだ続くのか。あーっ……。

 

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(写真 「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し国外・県外移設を求める県民大会」に沖縄県内外から9万人余が参加し、日米両政府に、県内移設断念と同飛行場の早期閉鎖、返還を訴えた【4月25日沖縄県読谷村】)

■5・15沖縄現地闘争の爆発で鳩山民主党・連合政権を打倒しよう!   沖縄労組交流センター

 5〜6月は国鉄・沖縄・三里塚・法政をめぐる階級決戦となった。動労千葉が呼びかける国鉄闘争勝利の全国大運動の歴史的な勝利を切り開くために、5月安保・沖縄決戦を全力で闘おう。5・15沖縄闘争に向かう情勢は日々激動している。4月18日には徳之島で1万5千名の大集会が打ち抜かれた。鳩山の言う「5月末決着」は完全に破産的な状況だ。4月19日付けの『朝日新聞』では鳩山内閣の支持率が30%を切ったと報道されている。この核心には「普天間問題」がある。安保・沖縄問題が鳩山政権の最大のアキレス腱となっている。4・25県民大会の爆発から5・15沖縄現地決戦で鳩山政権を打倒し、労働者階級が勝利する激動情勢を手繰り寄せよう!
  以下「『復帰』38年 5・15沖縄集会」の呼びかけ文を紹介します。(4月20日)

 大恐慌情勢下、沖縄の労働者階級が歴史の前面に登場する時代が来ました。私たちは「復帰」38年目の5・15沖縄闘争を沖縄と本土を貫く労働者の新たな闘いを開始する日として、ともに闘うことを心から呼びかけます。

 国鉄1047名解雇撤回闘争の新たな闘いへ!

 戦後日本の労働運動の歴史の中で、23年間にもわたって闘い抜かれてきた国鉄1047名解雇撤回闘争が大きな転換点を迎えています。1047名解雇撤回闘争の和解解決案という攻撃は、日本の労働運動の巨大な歴史的転換点となります。「JRに法的責任なし」を認め全ての訴訟を取り下げることが大前提となっている今回の和解案に、「解雇撤回も謝罪もない和解などを認めたら、労働運動に汚点を残す」という怒りが全国でまき起こりつつあります。「敵よりも一日長く」と歯を食いしばって闘い抜いてきた日々をどぶに投げ捨て、労働者の誇りと尊厳や魂を全て売り渡して、いったい何が残るというのでしょうか。
  20万人の国鉄労働者が職場から追われ、7000人がJRに不採用となり、200人が自殺に追い込まれた国鉄分割・民営化から23年、今や日本の全ての労働者に同じような攻撃がかけられています。民営化・外注化・分社化、そして非正規化が6000万の労働者に、とりわけ2000万の青年労働者に襲いかかっています。労働運動のあらゆる勢力がこの和解案に屈服し、23年間の国鉄闘争―1047名解雇撤回闘争の幕引きを図ろうとしている中、動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)は、「この闘いはまったく正しかった。なんで資本に頭を下げる必要があるのか。1047名問題はもう当該だけの問題じゃない。全労働者の問題だ」とあくまでも解雇撤回の旗を守り抜き、検修業務の全面的な外注化と闘い抜いています。大恐慌情勢に通用する闘う労働運動を国鉄1047名解雇撤回闘争を旗印にして創り出し、その力で民営化・外注化・分社化、非正規化という資本の攻撃を跳ね返して、青年労働者の未来を取り戻そう!

 日米安保を粉砕し、沖縄から全ての米軍基地を撤去しよう!

 昨年の総選挙前に「普天間の移設先は最低でも県外」と言っていた鳩山民主党・連合政権がその本性をむき出しにして県内移設を強行しようとしています。キャンプ・シュワブ陸上案も勝連半島沖埋め立て案も絶対に認められません。そもそも普天間基地の「県外移設」「国外移設」という議論そのものをぶっ飛ばさなければなりません。なぜならば、この議論には「日米安保同盟を守る」という考え方があるからです。しかし、労働者階級にとって、日米安保同盟とは守られなければならないものなのでしょうか。日米の軍事同盟である日米安保同盟とは突き詰めると、資本による労働者階級の搾取の体制のために存在するのです。そしてその体制のもとで、戦後もとぎれることなく朝鮮、ベトナム、イラク・中東、南米、アフリカなどへのアメリカの侵略戦争が繰り広げられてきたのです。
  日米安保を粉砕し沖縄から全ての米軍基地を撤去せよ、という闘いが求められています。この闘いを担うのは労働者階級です。

 青年労働者が先頭に立ち、闘う労働組合を甦らせよう!

 大恐慌の時代とは、大失業と戦争の時代です。労働者が資本の都合で首を切られ生活を破壊され、最後は戦争にかり出される時代に、「解雇撤回」の闘いをあらかじめ一掃するために民主党・連合政権は国鉄1047名解雇撤回闘争の解体を強行しようとしています。そして日米安保同盟をテコとして、日米の軍事的な世界展開を共同で行うために、「対等な日米同盟」を標榜して沖縄を「基地の島」として強化・固定化しようとしているのです。
  このような時代に、労働者階級がどのように闘っていくのかが問われています。社会の主人公である労働者階級が、大失業と戦争という攻撃に対して、労働者階級の団結形態である労働組合を武器にして闘っていくことです。資本の言いなりになり、解雇撤回の旗を投げ捨て、民主党・連合政権に幻想を煽ってきた労働運動の体制内指導部を打倒して、闘う労働組合を現場の労働者の手に取り戻そう。自らの職場生産点で資本の合理化攻撃と闘い、職場支配権を資本と体制内指導部から奪い返そう。
  沖縄の労働運動の戦闘性を継承し、「国鉄1047名解雇撤回!」「日米安保粉砕、沖縄から全ての基地を撤去せよ!」を掲げて闘う階級的な労働運動を復権させよう。本年の5・15闘争を、沖縄と日本の労働運動の新たな挑戦を宣言する闘いとしてともに闘いましょう。
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■「復帰」38年 5・15沖縄集会

 たたかう労働組合を、私たちの力で甦らせよう! 国鉄1047名解 雇撤回、合理化絶対反対・検修外注化絶対阻止! 日米安保を粉砕し、沖縄から全ての基地を撤去しよう!
  ☆日時・場所 5月15日(土)午後6時から 那覇市民会館中ホール(2階)(那覇市寄宮1-2-1)
  ★国際通りデモ 午後3時から県庁前広場出発
  ☆主催 「復帰」38年 5・15沖縄集会実行委員会 〔実行委員会呼びかけ 沖縄労働組合交流センター/富田沙織(うるまユニオン委員長)/富田晋(うるまユニオン副委員長)/田上典生(うるまユニオン書記長)/野中香(民間パート労働者)/宮城盛光(北中城村議)〕
   連絡先 090‐4588‐0005(沖縄労働組合交流センター)

■5・16全国青年労働者交流集会in Okinawa
☆日時・場所 5月16日(日)午後6時から 沖縄県青年会館(那覇市久米2-15-23)

■沖縄現地での他の主な行動方針
☆5・16普天間基地包囲行動(主催・5・15平和行進実行委員会/普天間基地包囲行動実行委員会)への参加
  ☆米軍基地などの見学・フィールドワーク(予定)

(写真 4・25県民大会を共に闘い抜いた全国労組交流センター・沖縄労組交流センター)

 

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■10年4・25尼崎事故弾劾5周年闘争 基調報告

 国鉄労働運動の主流派に躍り出る  富田 益行(国労5・27臨大闘争弾圧被告団長)

 本日の集会は、4・25普天間基地撤去の10万人の沖縄県民大会と同時に勝ち取られています。
  鳩山政権は本当にボロボロです。普天間5月末決着は完全に絶望的。自民党も崩壊的危機の淵にある。沈没寸前の泥船からネズミが逃げ出すという状況です。こうした中で私たちが階級的労働運動で勝負していることが決定的に情勢を切り開く力になるということを確認したい。民主党・連合政権打倒、JR分割・民営化体制打倒の闘いとして本日の集会を勝ち取ろう。
(写真 富田益行氏)

1〜3月国鉄決戦が切り開いた地平

 1〜3月の国鉄決戦が切り開いた情勢の大きさを確認したい。JR東日本の全体重をかけた検修全面外注化を阻止した。これは偉大な勝利です。労働運動史においても敵の合理化攻撃を現場からの闘いで阻止したのは画期的です。
  この勝利は、01年から始まる第2の分割・民営化攻撃に対して動労千葉がこの10年間熾烈に闘って勝ち取ってきた力によって切り開かれたものです。
  運転士以外の保守3部門、検修・構内、駅、車掌、全てを外注化する攻撃が01年から始まりました。鉄道が保線や電気や車両という総合技術によって動いているというシステムを否定して鉄道業務の全面的丸投げを行う。鉄道会社が自らの列車運行を否定する。
  尼崎事故の原因は分割・民営化による外注化攻撃・合理化攻撃の結果です。動労千葉のレール破断に対する闘いが05年の尼崎闘争を契機に開始されました。当局に背面監視されようが、処分を恐れず、自らと乗客の命を守るために運転保安闘争をやった。それによってJR東日本に数百qの傷レールを交換させた。動労千葉の闘い、職場生産点の反合闘争がJR資本に安全を強制したのです。06年の幕張構内事故に対しては、「全ての責任は資本にある。労働者に責任はない」という立場で徹底的に闘った。動労千葉が72年船橋闘争以来営々と築いてきた反合・運転保安闘争による闘いの貫徹の勝利です。
  さらに06年からの職場の外注化、職場の廃止に対して、闘いで団結を維持してさらに拠点を作っていくという闘いでこれに勝利しています。さらにライフサイクル阻止闘争の勝利、青年労働者の獲得。この10年間の闘いは動労千葉が敵・JR東日本と革マル結託体制の岩盤を打ち破って平成採を獲得して、ついに動労千葉青年部を作るところまで来た。
  動労水戸も運転士登用差別事件、23年間の塩漬け攻撃を破って士職を奪還して組織拡大した。動労千葉も士職の登用で勝利の展望を勝ち取った。このような数々の10年間の闘いがついに4波のストライキを打って検修全面外注化を阻止したということです。
  特に言っておきたいのは、この勝利は、本日結集した国労共闘の仲間、11月労働者集会に結集する国鉄労働者が一体となって闘った勝利だということです。
  動労千葉の4波のストライキの際、当局は、動労千葉の組合員をロッカー室にも行かさない。平成採と話すことさえ許さなかった。それは、今一歩行けば、動労千葉に平成採の青年労働者が結集してしまうと恐怖しているからです。青年労働者を圧倒的に獲得する展望を切り開いた。この道をがんがん進んで闘っていこう。
  1047名闘争の責任勢力になると同時に、国鉄労働運動の主流派に躍り出る橋頭堡を築いた2010年の検修全面外注化阻止闘争だったと確認できると思います。

1047名解雇撤回、新たな大運動へ

 次に1047名解雇撤回闘争、新たな大運動についてです。4・9政府「解決案」は、全ての訴訟を取り下げろ、不当労働行為や雇用の存在を二度と争うな、JRに採用されることは保証できないと言っている。闘争団にだけ言っているんじゃない。今日結集している現場の国労組合員、全てのJRで働く労働者に向かって言っているわけです。労働組合絶滅攻撃だということです。今JRでやられている不当労働行為の数々、これについても一切争うなと。もう二度とおまえら逆らうんじゃねえと政府が言っている。これを明日の国労の臨大で呑むということは、もう国労が死ぬということです。政府「解決案」を絶対に認めることは出来ないし、さらに言えば、今社保庁で525名が分限免職になった。この人たちに向かっても言っている。これはこれから始まる360万の自治体労働者に対する解雇攻撃を見ても日本労働者階級全体に向かって解雇撤回闘争を根絶しろという宣言だと大きく受けとめなければならない。こんな「解決案」は絶対に認められない。明日の国労臨時大会の決定にも断固反対する。国労の仲間は連続決起します。
  契約切り・派遣切りの攻撃がどんどん吹き荒れています。私たちは、関西の森精機のように首を切った資本と闘う。首を切った資本の工場で職場でストライキを闘う。そういう闘いを復権する。首を切られた青年労働者の怒りを正しく資本にぶつけていくという闘いを組織していきたい。
  さらにこの間の動労千葉の反合・運転保安闘争の闘いをまさに道州制反対の闘いの方針として位置づけたい。全ての職場生産点で反合・運転保安闘争をがんがんやる。そのことが無数の動労千葉を作り出す。それが新たな大運動だ。階級的労働運動路線で無数の動労千葉を作るということだと思います。
  動労千葉の1047名解雇撤回闘争は勝利を切り開いています。鉄建公団訴訟では、例のJR東の高崎支社の支社長が証言をした。87年2月16日に採用通知が出されますが、その1カ月前までは動労千葉の人たちは名簿に載っていた。それが2月16日には名簿から消されていた。これはJR総連が不採用にしろとやった。不当労働行為が満天下に暴かれた。この重大な勝利を握って離さず、不当労働行為の存在を突いてとことん闘おう。
  さらに反合闘争、安全闘争を全国化して新たな大運動をやっていこう。階級的労働運動路線の反合闘争の立場で闘っていくということを軸にしながら、この闘いをJR資本に向かってぶつけよう

4・26国労臨時大会決戦へ!

 もう分割・民営化体制は破綻している。JR西日本の歴代4社長、全員が起訴される。こんな会社は終わってます。事故調の報告書を全部組織ぐるみで改ざんしているという。その中で事故が激発している。だから国鉄分割・民営化体制を終わらせない限り、第2の尼崎事故が起きる。尼崎事故を許さないという闘いを全労働者階級の闘いとして闘っていきたい。
  4月1日にはJR東日本と西日本で入社式、平成採獲得の闘いに立ち上がりました。さらに05年羽越線事故、06年伯備線事故、09年西明石事故等々、全ての事故闘争について国労共闘の仲間が闘ってきたことを報告します。
  最後に国労臨大についてです。聞くところによりますと臨大は1時から始めて3時には終わっちゃう。2時間で大会やって後は何するかといったら祝勝集会をやると。こんなものを許さない。私たちは動労千葉と共に1047名解雇撤回、検修全面外注化阻止の総決起集会を行って闘います。
  国労臨大議案書には闘争団への生活支援金の打ち切り、物販会社もやめる。さらに闘争団も組織解散させようとしている。闘争団を切り捨てて連合に雪崩れ込もうとしている。特に一番決定的なのはJR内の企業労働組合の未来指向型運動をやると言っている。結局、各会社ごとに企業組合としてやろう、60年間続いた国労の単一化をやめてもう各会社、バラバラになろうと言っている。怒りを解き放って、断固闘っていきたい。
  4・28沖縄闘争―4・29泉佐野現地闘争を闘います。沖縄奪還、安保粉砕闘争として60年、70年を上回る反戦闘争を甦らせたい。そして泉佐野市議選を関西新空港絶対反対、道州制・民営化粉砕、橋下打倒を真っ向から掲げて闘っていく。財政健全化計画を粉砕し、泉佐野に闘う自治労の旗をぶっ立てる。そういうものとして国賀市議選必勝へ闘います。

 


■国鉄1047名解雇撤回をあくまでも貫く

 国鉄闘争の勝利はわれわれにかかっている! 国労九州エリア本部小倉地区闘争団 羽廣 憲

 私が解雇されたときは25歳、現職は6年、入ったときから分割民営化の話は、ちらほら出てました。私は国労のなかで役員をやったことがありません。今もそうです。役員であろうがなかろうが全然関係ないということだと思うんです。
(写真 4月11 日、秋田・国鉄1047名解雇撤回集会で発言する羽廣憲氏)

 人活センターから清算事業団へ

 人活センターで、解雇される4カ月前に結婚しまして、解雇されて3カ月で最初の子どもが生まれました。私の原点って人活センターなんですね。人活センターで毎日何が行われているか。仕事はなんにもありません。朝、点呼の時、指差呼称っていう、要するに「右良し左良し」っていう線路を渡るときの確認の動作なんですけども、これを部屋の中で、人活センターの中でやるわけです。で、その点呼時に助役がやった後に続けてやったらもう国労脱退なんです。脱退した証明なんです。その点呼終了後、本務に戻るんですよ。点呼終了後にもうJR採用の切符が手に入るわけです。それを半年間ずうっと毎日毎日と続けられる。それが「意識改革」。何度もやろうと思ったが出来なかった。やっぱり、自分自身に嘘をつくことは出来ない。人に嘘はつけても、自分に嘘はつけないという、それはやっぱり苦しかったですよ。実際に、結婚して子どもが生まれる、生活がどうなるかわからないという中で。しかしそんなこと当局は全然関係ない。闘う労働組合を潰すのが目的ですから。個人の生活がどうなろうが労働者が生きようが死のうが全然関係ない。資本がこういうものであるということをその時に私は学んだ。だからこそ負けたくないんです。
  清算事業団送りになったのは活動家や役員ではなくほとんどが一般組合員でした。役員や活動家ばかりだと思っている方がいるが、そうではないんです。その3年間で私たちは労働委員会闘争とかいろんな闘いをやりました。清算事業団終了の日、朝の点呼の後に管理者がそのままいなくなりました。鍵も掛けずにそのままいなくなった、終わりの点呼もない。私のところはそのままそこに立て篭もったが、組合上部機関に潰されて篭城解除になりました。
  それから、闘争団を結成して物販闘争となるわけです。統一物販は上部機関が利益をごっそり取る仕組みになっていて、生活が成り立たない。ですからわれわれは最初から独自のカタログでやりました。そしたら、上部機関が認めてない組織だからと言って福岡県内の支援共闘会議全体に文書が出された。中央共闘会議でも出されたことがあります。実際に解雇された労働者自身が解雇撤回を掲げて物販に回っているのに、それを拒否する組合があるわけがない。私たちは徹底的なオルグ戦で物販を拡大していきました。私は主に関東を中心に回ってました。物販はわれわれの武器です。

 物販は闘争と生活手段そのもの

 大きな節目になったのはやっぱり5・27です。自宅にいる時に、警視庁公安部と福岡県警と地元警察署から計13名でやって来て、家宅捜索令状を見せられました。初めてでした。5・27当日着ていた服上下とリュックと『前進』という新聞を1部、闘争団から送られてきた封筒を押収して行きました。逮捕状を見せられ、連れ合いの目の前で手錠を掛けられ、そのまま東京へ連れて行かれました。逮捕というのは権力側の弾圧意思そのものです。それに負ければ自分たちのやってきたことを否定しなければならなくなる。
  1年3カ月、東京拘置所でいろんなことを勉強させてもらいました。その中から裁判が始まって、100回を超える過程で、同じ被告団であり当初から物販を一緒にやっていた松崎が、日豊物販の事務所の鍵を替え、私を追い出したのです。私はその時、決断をしなきゃならなかった。今まで闘ってきてこれ以外に私の生活基盤はないという結論で、即、NIPPO事業部を作り、そして全国展開でやるようになったわけです。私にとって、物販は闘争と生活手段そのものなんです。
  しかしその松崎氏も鉄建公団訴訟原告団の一員なんです。ちなみに、私は鉄建公団訴訟原告団加入の意思確認を東京拘置所の面会室でやりました。まあ波乱万丈な人生ですけれども。松崎氏も4・4の政治解決路線に乗っちゃいました。解雇撤回の原則を貫く、これ以外私たちが伝えるべきことはないんです。解雇者が解雇撤回を貫くというのは、資本に屈服を強要するってことなんです!
  3・25高裁判決が出て最高裁に上告する際に、私だけ外されました。酒井団長がいろいろと考え方が違うから一緒に裁判したければ誓約書を書けとメールを送ってきました。誓約書を書けとか考え方が違うとかどういうことかと即東京へ行って原告団の三役(酒井、川端、佐久間)を追及しました。結果から言うと、誓約書までは要らないと言うから、じゃあ書かないよ、となりました。
  原則を言い続ける者が原告団の中にいると困ると言ったのは、この時からなんです。私はその場で、政治解決には参加しません、和解金も1円も要りません、あくまでも解雇撤回だと彼らにはっきりと言い切りました。

 私たちが核となり闘いの輪を広げれば資本主義は必ずひっくり返せる

 実際に政治解決路線が進んでいくと、具体的にどうなっていくのか。まず、裁判を降ろした時点で、私たち闘争団員=解雇者は国労組合員ではなくなります。争議案件があるから組合員であると認められているんです。闘争団がなくなればただの人、では国労という組合はどうなっていくのか。これは丸ごと、解散が先なのか連合に加盟するのが先なのか、解散が先だと思います。エリア本部ごとにもう連合にオブザーバー加盟しているところが多々あります。会費を払って即加盟というところがあるということです。
  国鉄分割民営化というのは国労を潰すことを目的として行われた。だから、政治解決に調印したら、国労はその名前を名乗ることは許されない。つまり、自ら旗を降ろす、名前も残ってはならない、これが政治解決なんです。そうなった時に労働運動はどうなるのか。歯止めが完全になくなります。これだけ労働者が虐げられて、奮起しないわけがない。怒りを結集するのはやっぱり国鉄闘争であり、私たちが先頭に立って旗を振った時に、その力が結集することができるわけです。私たちが核となり、もっともっと闘いの輪を拡げていくなら資本主義は必ずひっくり返すことができる、それはもう目の前だと私は思うんです。そこに確信を持てるかどうかだと思うんです。自分の目の前のことを考えてみれば、怒りは満ちあふれ爆発寸前です。その怒りの爆発を正しく資本に向けるためには、われわれが先頭に立つ以外にない! 誰かがやってくれるでしょうか。まず自らがやって、やり続けるんです。そうすれば、私たちの解雇撤回は夢物語ではないんです、目の前まで来てることなんです。
  私たちが原則を貫くかどうか、そこにかかっている。貫くだけではなく仲間を増やす。2人から3人に、3人から4人に、4人から5人にと、そうすれば勝てる。未来はもう明るい、けど現実は厳しい。そのギャップを埋めるにはみんながどれだけ闘いを外に向けて拡げられるかにかかっています。国鉄闘争勝利はわれわれにかかっている。その責任にかけて必ず解雇撤回を勝ち取りたいと思います。
(4・11秋田労働者総決起集会での発言から)

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 ■闘う合同・一般労組

  4・3合同・一般労働者 首都圏春闘交流集会が大成功  合同労組かながわ 藤村 浩光

 4月3日、首都圏の闘う合同労組の仲間55名が会場にあふれんばかりに大結集し、熱気に満ちた「合同・一般労働者 首都圏春闘交流集会」を勝ち取りました。
  集会はさいたまユニオンの仲間の司会で始まり、初めに東京東部ユニオンの仲間からの基調報告がありました。重大局面を迎えている国鉄1047名解雇撤回闘争、沖縄基地闘争、これらの闘いを軸に、戦後史を画するような労働運動のうねりを巻き起こそう、という提起がなされました。1047名闘争の全国大運動は、各々の職場で動労千葉型労働運動をやるところに本質があることと、4・28日比谷野音の沖縄集会に闘う合同労組の旗を林立させよう、という呼びかけもなされました。
  続いて資本との激烈な闘いをやり抜いている仲間からの発言が、集会を熱烈に牽引しました。
  なんぶユニオン・ワークフロンティア分会の仲間からは、悪徳資本との力と力のぶつかりあいを、許し難い「兵糧攻め」の中でも歯を食いしばって闘っている報告がなされました。そして勝つためには、闘う仲間同士の連帯・ネットワークが重要だとの提起がなされ、さらに、昨年11・1集会や今回の集会など、闘う仲間が集まる場は貴重であり、セレモニー的なものにするのではなく、闘うための何かを得られるようなものにしたいという提言もありました。
  ユニオン東京合同・全日本手をつなぐ育成会分会からは、2度にわたる雇い止め攻撃を粉砕した仲間から、勝利の報告と闘う中で組合運動を勉強していきたいという力強い発言がありました。さらには「経営法曹団」なる、悪辣弁護士集団の暴露もなされました。この連中は労働争議が金儲けであり、闘う合同労組は無法者扱い、8割ヤクザ、2割法律という絶対に許せないものであり、合同労組のネットワークを武器に反撃していこうとの提起もありました。
  東京東部ユニオンからは、JR千葉鉄道サービス分会の結成と闘いの報告がされました。駅清掃の労働者が、解雇は絶対に許せないと3月に分会を結成し闘いを開始しており、資本への抗議行動への呼びかけがなされました。(4月号に詳細)
  合同労組八王子からは、バス会社で4年間続いている解雇撤回闘争の報告がありました。資本と結託して不安全・低賃金を現場労働者に強制する社内労組執行部に対する怒りから、労働者の決起が勝ち取られ、ビラもほとんどの労働者が受け取るということでした。
(写真 合同労組は団結ガンバロー!【4月3日東京】)

 闘いの中でつかんだ確信

 資本との激烈な闘い、仲間との団結の中でつかんだ確信についての発言も決定的でした。
  さいたまユニオンからはショーワとの闘いの中で、孤立して闘うのではなく共同して闘う、そのためには組織拡大、派遣切りされた労働者はもちろん正社員との団結を何としても作りたいという発言でした。職場の闘いと一体で、国鉄1047名闘争和解に対して、解雇撤回の責任は問わない、謝罪もない、こんな和解は絶対に許せない、解雇撤回闘争を滅ぼしてはいけない、と国鉄闘争を自らのものとしての絶対反対宣言がなされ、敵よりも1日も長く闘う、という戦闘宣言もされました。
  合同労組かながわで解雇撤回闘争を闘う仲間からは、全ての労働者は解雇を恐れず闘おうという提起がありました。組合分会結成、残業代要求に対する事業所閉鎖、懲戒解雇という許し難い攻撃と闘う中で、職場の仲間との団結を作り、街宣を通じて地域にも団結を拡大したこと。この勝利的地平から、労働者の団結は資本には止めることができないという確信に満ちた発言でした。さらにはこの闘いを経て、70年代の反戦派労働運動やマルクス、レーニンの本の中身がよくわかるようになってきたとの話もありました。
  東京西部ユニオン・鈴木コンクリート工業分会からは、解雇撤回をはじめとする分会の年間スローガン5本が紹介され、36協定締結に際する労働者代表選出をめぐる闘いで、資本及び資本側に立つ者とのやりあいの中で、組合員以外の労働者の怒りをも引き出し、組織拡大の展望をつかんでいることが報告されました。そして、大恐慌情勢下での首切り攻撃に対し、絶対反対の闘いを職場でやり抜き、土下座させて撤回させる、こういう闘いこそが組織拡大であり、さらには労働者の党を作っていくことであると。さらには、ここに結集した仲間の闘いは労働者として当たり前の闘いであり、逆に敵はデタラメばかり。体制内と言われる連中が全て屈服する中で、われわれは絶対屈服しない。職場で起こっていることも、労働者の闘いも、動労千葉と同じ闘いをしているのだという確信をもって11月1万結集めざして闘おうと今後の展望が提起されました。
  闘う決意表明も重要でした。東京北部ユニオンからは、事故を理由としたタクシー労働者の仲間への雇い止め攻撃との闘いが報告されました。事故は、合理化を推進し、長時間労働・低賃金という許し難い労働条件を強制している会社の責任だ、という一致を組合での議論で勝ち取り、動労千葉の船橋事故闘争のように闘い、反合・運転保安闘争をタクシー職場で闘っていく決意が表明されました。事故は仕方がないもの、労働者の責任が当たり前になっている中で、事故問題はタクシー労働者全体の問題であり、安全問題はあらゆる職場での問題でもあり、組合として地域の職場に責任をとる闘いをしていくとのことでした。
  群馬合同労組からは、世界大恐慌情勢のもと救済路線ではなく、闘って展望をつかむ、闘って元気になる、そういった職場での決起を作っていきたいという決意とともに、1047名闘争が解体されるということはあらゆる解雇撤回闘争がつぶされるということであり、絶対に解体を許してはいけないという決意も述べられました。
  とちのきユニオンからは、解雇撤回闘争で当該労働者が最後まで闘うというところに立てなかったという苦闘を経て、本物の闘う団結をつくるために国鉄闘争と沖縄・安保決戦に決起する決意が述べられました。
  茨城県地域連帯労組からは、建設労働者に対する解雇攻撃との闘いから、労働者をなめるな、会社なんかつぶれたっていい、という議論を巻き起こし、国鉄1047名闘争を軸に、労働組合の団結で失業者も生きるよすがを勝ち取っていく闘いを展開していく決意が述べられました。
  昨年10月の家宅捜索攻撃に対して、首都圏5労組で国賠を闘う仲間からは、この攻撃が世界大恐慌下での治安弾圧であり、これに屈することなく闘う宣言と、裁判闘争への結集が呼びかけられました。
  沖縄―本土をむすぶ労組連絡会からは、沖縄基地闘争は安保粉砕の闘いであり、全労働者が自らの職場の問題と一体で闘うことと、4・28日比谷野音の集会への結集が呼びかけられました。

 団結と展望をつかむ

 以上紹介した発言から、結集した仲間が、日々の職場での闘いの勝利、また苦闘の中で、本当に勝つための団結と展望を求めていることがはっきりしました。そしてそれは、各々が闘いの中でつかんだ勝つための路線、戦術、さらに悩みも出し合い討論することで勝ち取られました。あらゆる闘いがひとつの闘いであり、団結の力で反撃しようということだと思います。4月中旬に開かれた実行委員会の集会総括会議では、仲間の顔が見えたのがよかった、ざっくばらんに話せたのがよかった、また集会を開いてほしい、職場からどう実践していくかが核心であることがはっきりした、参加労組全体に結集を呼びかけて焦点となる争議の集中行動をやってはどうか、のような意見が出ました。
  大恐慌情勢の下、闘う仲間が大結集し団結と展望をつかむことができた勝利的な集会でした。この地平をもって、闘う合同労組は団結を強化・拡大し、職場での闘いと国鉄闘争、沖縄闘争を一体のものとして最先頭で闘っていきます。

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ひめじょおん−女性部から

 ス労自主10春闘・一時金闘争報告大幅賃下げ・差別回答を許さずストライキで闘うぞ! ス労自主 長谷川ユキ

 4月14日、エクソンモービルは例年の回答時期を遅らせること1カ月近く、極めて異例な事態の中で、ようやく10春闘並びに一時金の回答を行なった。その内容は、賃上げ1・2%、一時金は専門職6・05カ月、非専門職(事務技能職)4・30カ月というもので、昨年比で賃上げを0・1増としつつ、一時金を専門職については0・4カ月、事務技能職については0・35カ月引き下げた大幅賃下げであり、依然として事務技能職に対する差別回答を続けている。断じて容認できない。

 大恐慌の元凶エクソンモービル、株主配当は57%増、労働者には賃下げ・首切り大合理化攻撃

 世界的大恐慌情勢の中でも、親会社エクソンモービル・コーポレーションは、この5年間に株主配当を57%増加させ、09年度純利益194億ドルもの莫大な利益を上げながら、更なる暴利追求を宣言し、労働者には人減らし合理化、大幅賃下げを強制している。東燃ゼネラル石油は大幅赤字ながら株主配当を例年と同じ額行なうと言う。その一方で、労働者には賃下げを強制している。労働者に一切の犠牲を強い、大企業は暴利をむさぼり、一部の経営者や資本家どもが富を独占する。その結果が現在の大恐慌ではないか。
  エクソンモービル買収合併以来、会社がやってきたことは、事務技能職に対する賃下げ差別攻撃に始まり、次に支店事務職の全廃攻撃をはじめに早期退職強要攻撃の繰り返しで、今や買収合併時と比べ従業員数は半数の3000名にまで削減された。その中で、03年8月29日には名古屋油槽所工事
労働者6名死亡火災事故という大惨事が発生した。エクソンモービルは09年3月の愛知県労働委員会救済命令を未だに履行していない。

ストライキ貫徹し、組織化へ!

 ス労自主の10春闘賃上げ要求は7万4千円、一時金要求は職種の如何を問わず、年間7・45カ月である。大幅賃下げ、事務技能職労働者の一時金差別を許さない。再雇用拒否を許さない。4月3日に開催した第24回中央委員会において、10春闘・一時金闘争方針として4波のストライキで断固闘うことを決定した。
  第1波ストライキは、回答日前日の4・13、エクソンモービルが今年は賃金も一時金も引き下げると示唆していることに対して、何よりも事務技能職の一時金差別の撤回を求めて、全国一斉で午前半日ストライキを大阪支店・名古屋油槽所・伏木油槽所・品川本社で、地域の仲間とともに闘った。
  第2波ストは、4・20に南部春季統一行動として、「大幅賃下げ弾劾」「8君不当解雇撤回」で品川本社闘争に決起、東京南部地域の労働者、労働組合や争議団の仲間、動労千葉、労組交流センターの仲間が結集して闘った。動労千葉の中村仁さんは、国鉄1047名闘争の和解攻撃に対して「解雇撤回も謝罪もない。雇用も口先だけだ。今日の政治、経済の諸悪の根源である国鉄分割・民営化攻撃をわずかの金で済ますわけにはいかない。労働者が団結して闘う中に勝利の展望がある。動労千葉は断固闘う」と決意を明らかにした。
  第3波ストライキは、4・23、大阪支店に全国結集で地域の仲間とともにストライキに決起する。
  われわれは、再雇用要求闘争として08年9月30日にストライキ闘争に決起し、品川・鶴見・名古屋・伏木・大阪で闘い、本年4月22日で第65波の闘争となる。毎回ストライキ時には、ゼッケンを付けて就業時間中の職場へビラを配布し、再雇用要求や賃下げ・事務技能職への一時金差別に対して、職場労働者への決起を訴え続けてきた。再雇用拒否を職場組織化の武器に転化して闘っていく。
  ス労自主8君不当解雇撤回闘争を基軸に、国鉄分割民営化絶対反対、国鉄1047名解雇撤回闘争、法大暴処法弾圧粉砕の闘い、4・28―5・15沖縄闘争、反戦・反核・反基地闘争の闘いを総力で闘い抜いていく。

 

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■動労千葉労働学校で学ぼう!

 

 4月17日に行われた第10期労働学校基礎講座第1回(テーマ「賃労働と資本」前半 講師 天野浩二)の受講生の感想文を紹介します。

●自治体労働者

 現在、市の現業職員として働いています。世の中が不況で周りでも「会社が経営難……」「正規の社員になりたいけど、働き口がない……」という声をよく聞きます。そんな中、公務員に向けられる目はマスコミのあおりもあってとても厳しく、議員も「地域手当を削減し、少しでも市民にまわせ」という要求をしてきます。自分たちの議員報酬については触れません。私自身も市民の一人であり、毎日一生懸命仕事をしており、バッシングされるような働き方はしていません。問題は権力も資産ももつ人々が「自分さえよければいい」という考えで今まで政治を動かしてきたところだと思うのですが、攻撃はそこへは向かず、すぐ隣の同じような生活状況の人に向けられる優しさのない社会に本当に嫌気がします。こんな世の中を変えたいと思っても、敵があまりにも大きく絶望してしまいます。
  職場でも臨時職員として2年間で雇い止めにされる(恒常的に仕事はあるのに)コマの一つとしか考えられていない非正規職員の地位向上のために当局と交渉しても、「国がそういう方針だから仕方がない」の一点張り。「もしあなたの妻や娘がそうやって使い捨てにされたらどう思いますか?」と総務部長に言っても「こればかりはどうしようもない」という返事でした。
  特に贅沢をしていないのに、自分の家を持てそうもありませんが、周囲では地域性なのか、親から受け継いだ土地や家を持っており、両親とも市の職員だったりして「特に組合で運動などする必要はない。今が維持できれば」という雰囲気で、生きる世界の範囲の狭さでの価値観を私にも押しつけてくるのがイヤです。私もやがては飼い殺しになって、「あの頃は若かった……」などと言いだしてしまうようになるのではないかと今から心配です。
  言葉や用語、言いまわしが過激で、「ちょっと時代遅れかな?スタイリッシュじゃない」と思って何となくとっつきにくかった労働運動です。今回の内容はまったくの初心者の私にもわかりやすく、とり組むべき問題点もはっきり見えてきました。

●教育労働者

 「労働運動の半分は勉強すること」かあ……。「勉強」抜きで「実践」だけでいけるんじゃないかな……と思ってきましたが、いろんなカベにぶつかって、それは無理なんだと感じはじめています。
  体制内の賃金部長が「賃金は労働の対価」としれっと言うのにキチンと反論できないでいましたが、今日は「賃金が利益の分配―分け前ではないこと」「労働分配率のごまかし」など、よくわかりました。あと、資本家の弱点は労働者にあることも……!
  どんな労働者も搾取されることは同じなんだろうけど、教育労働、公務労働については理解がむずかしい。

●合同労組組合員

 本日の受講で感じたことは、闘えば勝てるということ。闘わないでじっとしていたら、このねじ曲がった社会の仕組みの中でものを言わず賃金をもらうだけで終わってしまっていたと思います。何かこの世の中、おかしいよと思い結集しましたが、少しずつではありますがわかってきたような気持ちです。正社員で働いた20数年間、会社倒産で今はパート、働けど働けど楽にならずです。体力もギリギリですが、ひとつだけ支えになっているのは世界中にいる労働者の仲間たちです。11月集会で感じました。
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第10期労働学校日程

■基礎講座
  5月22日(土) 13:00〜
  ◆賃労働と資本
  ◆講師 天野浩二(社会問題研究家)

■実践講座
  6月26日(土) 13:00〜
  ◆反合・運転保安確立のたたかい
  ◆講師 布施宇一(動労千葉顧問)

■場所
 DC会館(JR総武本線「東千葉」駅前)

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●労働ニュース(10年3月16日〜4月15日)

 北海道開発局「ヤミ専従」4119人処分

 国交省の出先機関である北海道開発局の職員の「ヤミ専従」問題で、同省は23日、国家公務員法の職務専念義務に違反したなどとして、同局職員計4119人を減給や注意などの処分にすると発表した。対象は同局職員の約65%にあたり、異例の大規模処分となった。

核サミット イランと北に警告
  オバマ米大統領主催の「核安全サミット」は13日採択した共同声明で、核物質の違法取引防止を盛り込み、核開発を続けるイランや北朝鮮に対して、核拡散を容認しないとの警告を送る形になった。

赤旗号外配布に逆転無罪
  休日に政党機関紙を配布したとして、国家公務員法違反の罪に問われた旧社会保険庁職員・堀越被告(56)の控訴審で、東京高裁は29日、罰金10万円、執行猶予2年とした一審・東京地裁判決を破棄し、無罪とする判決を言い渡した。

徳之島「反対」の輪
  沖縄の米軍普天間飛行場移設をめぐり、鳩山首相が「県外移設」の切り札として重視する鹿児島県・徳之島では、28日の反対集会に4200人が参加。18日には3町長が主催する1万人規模の反対集会が計画されている。

「密約文書ない」認めず
  72年の沖縄返還の際に日米両政府が交わしたとされる「密約文書」をめぐる情報公開訴訟で、東京地裁は9日、密約の存在を認めたうえで、国が文書の不存在を理由に開示しなかった処分を取り消し、開示を命じる判決を言い渡した。

「第3極」乱立、民主利する?
  「みんなの党」、平沼元経済産業相らが作る「たちあがれ日本」に続き、8日、山田宏・東京都杉並区長、中田宏・前横浜市長らの「首長新党」が「第3極」をめざして立ち上げられた。

派遣法改正案 修正合意
  政府・与党は17日午前、首相官邸で基本政策閣僚委員会を開き、労働者派遣法改正案の修正で合意した。期間の定めのない派遣労働者に限り、派遣先企業が受け入れ前に行う「事前面接」の解禁規定を削除する。同規定の削除は、社民、国民新両党が要求していた。

ワークシェア足踏み
  25日の報道によると、09年3月、「日本型ワークシェアリング」推進で政労使が合意して1年、製造業では残業削減や一時帰休で雇用を維持する取り組みが進んだが、残業は増える一方、雇用創出のための議論は始まってすらいない。
外国人研修は「奴隷制度」
  国連決議に基づき、日本に住む移住者の人権状況を調査しているホルヘ・ブスタマンテ国連特別報告者が31日、都内で記者会見し、外国人を研修生の形で労働者として最大3年間受け入れる「外国人研修・技能実習制度」について、「奴隷制度になりかねない」と批判する声明を発表した。

日航 パイロット700人超削減
  7日の報道によると、日本航空は人員削減を前倒しし、聖域とされてきたパイロットまで775人と人数を示して削減に踏み込む。
「最低生活費」未満230万世帯
  生活保護を受給する基準となる「最低生活費」を下回る所得の世帯が、計229万世帯に上る可能性があるとの試算を9日、厚生労働省が初めてまとめた。

郵政 10万人を正社員に
  日本郵政は17日、グループで計約20万の非正規社員のうち約10万人を、10年度から3〜4年かけて正規社員に登用する方針を固めた。

人件費2割削減「13年度に達成」
  仙谷国家戦略相は6日の衆院本会議で、民主党マニフェストに盛り込んだ国家公務員の総人件費の2割削減に関して「13年度に達成するよう努力する」と述べた。
「新しい公共」寄付文化育成狙う
  政府税制調査会が8日まとめた認定NPO(非営利組織)法人への寄付税制の中間報告書は、寄付額に応じた一定割合を所得税から直接差し引く「税額控除」の導入を盛り込み、NPOを支援する方針を強く打ち出した。

54独立法人 仕分け候補
  8日の報道によると、23日からの「事業仕分け」第2弾で、仕分けの対象となる独立行政法人の候補について、現在104法人ある独法のうち、54法人が挙がっている。

 

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■青年労働者は団結してたたかおう!   OVER REV(オーバー・レブ)

  東京西部ユニオン青年部長 日逓中野被解雇者 小林 久志

 全国の皆さん、こんにちは! 本誌リニューアル企画の一環として、今月より青年労働者の投稿コーナーを設けることになりました。職場でも地域でも青年らしく限界を超える勢いぐらいに全力で突っ走りたい。その思いでコーナー名に『オーバーレブ』、主に車のエンジン許容回転数の限界を超えるという意味で使われる言葉を引用しました。全国で先頭を走っている青年の仲間からそれぞれの闘いを教えてほしい。いま、あらゆる職場や街頭で現代社会のやり場のない怒りに憤り、そして絶望させられている青年にこそ闘うための結集軸が、勝利の展望が求められている。最近特にそう感じます。ぜひとも投稿を!
  あらためてそう実感したのは、4月2日に桜舞うJR中野駅北口で、東京北部・西部の青年労働者が合同で「4・28沖縄デー集会」街頭宣伝をやり抜いた中でです。10人以上の青年労働者を中心に街頭で登場し、「普天間基地・辺野古新基地阻止 4・28沖縄デー集会」への参加を呼びかけました。新自由主義攻撃で資本主義支配の延命を図る会社資本と一体で労働者を圧殺する民主党鳩山・連合政権への怒りは、米軍基地の問題と、大恐慌−大失業の中、資本主義の矛盾の全てを沖縄の現地労働者に押しつけることしか出来ない状態が合わさって、日を追うごとに増すばかりです。否応なしに戦争へ協力させて支配する構図は、賃金奴隷そのものです。非正規職などの不安定な雇用形態を強いられ、職場の安全問題をも無視して極限まで働かされる今の青年労働者と一体の問題、沖縄現地と本質的に同じ怒りです。職場で、戦争でいつ殺されてもおかしくない。「職場の中でもすでに戦争は起きているんだ!」 だからこそ沖縄の怒りと国鉄分割・民営化から始まったあらゆる職場の矛盾と一体で、戦争絶対反対と1047名解雇撤回で共に闘い勝利しよう。こうした訴えに同世代の労働者が立ち止まり、真剣に議論する場面があちこちに生まれました。約2時間弱で賛同署名が36筆、『前進』4部。最大の成果は「こうした実践を通して提起する側のわれわれがその中身により確信を持つこと」という仲間の発言に表れています。
  闘う中でこそ勝利できる展望が産み出される、そう確信できれば誰であっても必ず変革して自己解放的に決起できる。何事に対しても絶対に「負けない」という気持ちさえ折れなければ、仮につまづいたとしても労働者なら再び立ち上がれる。隣の青年にも必ずそうして決起する日が訪れる。何よりも僕自身をそうした存在として信じてくれた仲間がいてくれたからこそ、今の自分があると断言できます。あの日、仲間の一言で闘う決断をしなければ、自分は人として腐っていた。自分を殺さずに生きられることの喜びを教えてくれた仲間の存在に、本当に感謝しています。今度は自分が青年の決起を、もう一人の自分を信じる番です。
  屈服で支配されることに絶望して闘いの方針を渇望する青年労働者にとって、職場で本当に闘う方針を持つ労組の全国組織の存在は決定的であり、その青年部建設は重要です。そこへ向けての第一歩として、今を生きる青年労働者の声を出せる、成功や失敗も含めて何でも語れる青年のためのページ作りから始めたいと考えました。言い出しっぺである以上、責任をもって取り組みますが、全国の青年の仲間の力で共に勝ち取っていきたい。今後、投稿原稿の執筆をお願いするので、協力のほどよろしくお願いします。
  青年の力で交流センターを盛り上げよう!

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 ■女性部第17回定期全国大会報告

  中野代表の遺志を継いで、女性部の組織強化・発展を!  女性部事務局長 辻川 あつ子

 4月10日、交流センター女性部の会員は中野代表の偲ぶ会に参加した後、女性部定期全国大会を開催しました。長谷川女性部長が「中野代表は毎回女性部大会で講演をして下さり、本当に労働者が大好きで、いつも女性部を応援してくれました。中野代表の遺志を受け継いで、1047名闘争で主流派になろう」と挨拶、たたかいの総括が提起されました。
  その後、参加者全員で中野代表の思い出を語り合いました。「中野代表は『甦る労働組合』を残してくれた。これを手にがんばる」という発言もありました。くず餅やお芋が好きだったとか、女性部会員ならではの思い出も紹介されました。とにかく一人一人の労働者のこと、家族や身体のこと、どういう職場状況か、本当によく知った上で、的確な助言をしてくれる指導者でした。「女性部は重要だ」と言って、女性部の組織拡大を訴え、体制内組合幹部と格闘する女性労働者の相談を聞き、いつも勇気づけてくれた中野代表は、どういう気持ちで、女性部の結成・強化を訴えたのか。
(写真 団結を打ち固めた女性部大会(4月11 日千葉))

なぜ女性部が必要か

 2日目の討議は、中野代表が亡くなってしまった今、私たちはもう一度、「女性部とは」を含めて論じました。
  私は、昨年、動労水戸がストライキに入った時、家族として勝田車両センター前で、「JR資本よ。組合員の受けた不当な組合差別を、家族は怒っているぞ! ある意味本人たちより怒っているぞ!低賃金で苦労してきた怒りは深いぞ!」とアジったことを思い出しました。日々の暮らしに責任をとっている女性たちが、「この日々暮らす大変さはなぜなのか」その根本問題を資本主義ゆえの矛盾として理解し、労働者階級として目覚めた時、ものすごい力を発揮します。
  1920年代に生まれて初めてストライキに決起した銀行の女性行員の感想を読んだことがあります。日頃、男たちから一段低い扱いを受けている女性たちがストライキを前に、意見を求められ、一人前として扱いを受けた感激。資本に対決して初めて男たちと肩を並べてストライキを闘った時の胸がすっとする思い。体制内の労働組合が青年・婦人部をユース部などと改名し、レクレーションのみの集まりに低めようとしている現在、あらゆる女性労働者を労働組合を水路に階級闘争に決起させていく、その組織化のために女性部が必要だと思います。低賃金で就労する非正規・未組織の女性労働者、最も分断されている女性労働者の組織化が急務です。
  発言では、保育・給食・介護に携わる会員から「医療や福祉で金儲けは許さない」「子どもたちや高齢者、弱い立場の切り捨てを許さない」「子どもたちの虐待問題」という意見が出ました。子どもたちへの虐待の多くが貧困問題であり、資本主義社会を終わらせる以外に解決はありません。
  具体的に自分の職場から労働学校への参加者が出てきたこと、組合権力をとるために、果敢な挑戦を職場の仲間と団結して進めていること、体制内の反動に対して着実な反撃で組織化を行っていること、各会員の闘いが一人ではなく、地域や部会、合同労組の仲間との団結の中で進められていることが全ての報告の中にあり、交流センターの会員の団結が強化されていることがとても伝わってきました。本当に、代々の女性部長の兼杉さんや照屋さんに伝えたいです。「未組織の組織化方針がない」とか挑戦的に執行部批判が飛び交うこともなく、皆が大会をもり立ててくれる暖かい一体感を感じる集まりになり、実践の苦闘や共有化の議論がされています。お二人の苦労は現在の女性部の躍進に引き継がれています。感謝しています。

 社保闘争で団結の拡大を実感

 今年の3・8国際婦人デーも大成功でしたが、自分が主体という女性たちの力強さにあふれています。地方で行われる自治労大会や日教組大会の際に、地区や部会が路線の下に一致して闘う。これが一昨年から始まり、労働者が団結して闘う感動、団結が強化されていく過程を実感させてくれました。
  具体的に言うと、私は茨城ですが、茨城・つくば市で社会保険庁労組の解散大会が開催されました。これに対する闘いを行った時、茨城の会員は、「茨城が少人数だったら、自治労部会の会員に申し訳ないぞ」と、結構必死でした。前日からの交流、当日の大人数のつくば市までの結集、終了後の反省会、そして、その後しばらくは、どこの集会に行っても「この前はつくばでお世話になって」と自治労部会の人たちにお礼を言われ、茨城の人たちは皆、感激していました。こちらこそ、茨城に来て貰ったことにお礼を言いたい気持ちなのに。このようなことが、各地の闘いで行われているのだと思い、団結の拡大を実感したのです。

 民主労総ソウル本部長が参加

 この日は、偲ぶ会のために韓国から民主労総・ソウル地域本部からイジェウン本部長と、非正規雇用の組織化担当者が来日され、女性部大会にも来て頂きました。民主労総のお二人が話された、韓国の女性労働者の現状は、ほとんどが日本の現状と同じでした。60%が非正規雇用で最低賃金にも満たない低賃金で労働していること、家事や育児と労働という中で、あまりの過酷さゆえ、出産しない女性が増えているとのこと。女性労働者の労働組合への組織化は、労働運動の活性化につながるため、力を入れてやらなければ、など、貴重な機会となりました。
  田中代表からは、今年は、交流センターは、@本部と地方の密接な関係作り、A女性部の拡大、B国鉄決戦という3つの柱が確認されました。(女性部の旗がない、まずは女性部の旗を作って、どこにでも旗を持って参加か、という意見が出ました。婦民を見習って) 具体的な女性部の拡大は、特別報告の教労の青年職場交流会のことや医療部会で取り組んでいる、地域・利用者を巻き込んだ闘いに教訓があります。〈解雇撤回〉で就職活動の青年が署名するぐらい、〈解雇撤回〉が求心力を持つ時代です。街頭宣伝もなかなかよいと思います。労働相談も救済や物取りではなく、団結論で主体的決起を作りだせるかどうかが鍵です。今年の女性部の大会に中野代表が参加されていたなら、きっと「今年は違うね。勢いがある。いよいよ本物らしくなった」と言ってくれたかもしれません。解雇撤回を貫く新たな国鉄闘争を基軸に、今年一年闘い抜きましょう。

中野さんの思い出

 中野さんと面と向かって話したことはないという女性部会員も多く、「えこひいき」されていた私は幸せ者だったなあーとつくづく思いました。労働学校のU期修了式では、中野さんから修了証を読んでもらい、シャープペンシルを手渡しされました。国鉄闘争を闘う家族としてがんばって欲しいという思いだったと推測します。労働学校の懇親会では、「母、女房、嫁、労働者、本当によくやっているよ」と声を掛けられました。その後は、部長の長谷川さんの推薦で、中野さんからも「中野だが。女性部をユキさんと一緒に頼むよ」と電話があり女性部の執行部に入りました。私の転機は、労働学校に行ったことです。子どもの運動会にも行かないで通いました。それまで何も成し遂げることがなかった私が一回も休まずに労働学校に通い、労働者家族ではなく、自らが労働者階級の一員であることを自覚し、学ぶことは活動することであると踏み出しました。「中野だが」と電話があった時に、「中野さんって、どこの中野さんですか」と電話を切っていたら今の私はありません。その次の「中野だが」は「お金は払うから、もう一箱干し芋を送って欲しいのだが」という電話でした。きっと干し芋の季節の度に「中野だが」の声を思い出すことになるでしょう。
(写真 故中野代表から修了証をもらう辻川あつ子さん【03年3月15日】)

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 ■連合の〈偽装春闘〉を弾劾し、闘う労働運動を甦らせよう!

 常任運営委員 岩崎電気労働組合前委員長 高橋 英行

 10春闘の結果は、連合傘下の組合の大半が、賃金カーブの維持(定期昇給の確保)、あるいは賃金引き下げという大惨敗に終わりました。そもそも電機連合をはじめとする各産別が、「会社業績の全体的な回復が確実ではなく、雇用維持を優先し、賃金引き上げ(ベースアップ)要求を見送る」としたための当然の帰結でした。春闘とは名ばかり、偽装請負ならぬまさに〈偽装春闘〉ではありませんか!
  私が働く岩崎電気(電機・拡大中闘組合、組合員数1172名)でも、1年間賃金引下げ10%、一時金年間1カ月!という最低な会社回答を執行部が了承しました。平均で組合員一人当たり年収130万円のマイナスです。電機のストライキ基準「賃金体系維持・一時金年間4カ月以上」に全く満たない労働条件の引き下げが、ストライキどころか団体交渉すらほとんど行わずに、会社と執行部によってペテン的に岩崎の労働者に強制されたのです。このような賃下げを、私はもちろん、一人の労働者も認めていません。会社と組合に対する怒りは充満し、生活への不安が次々と頭の中をよぎっています。今こそ、このように腐敗した連合型の労働運動に終止符を打ち、闘う労働組合を甦らせて、全国の全職場に階級的労働運動を大展開させねばなりません。戦争と大失業の時代の中、全ての労働者が生きるために、そして労働者の誇りを掛けて闘いに立ち上がろう!

春闘まで放棄する既成組合

 先に触れた岩崎電気の10春闘の主な要求内容は、「賃金維持・一時金年間3カ月」でした。執行部は「会社の置かれた状況が大変厳しいため、電機の統一闘争から離脱する」と、春闘のスタート以前に闘争放棄を宣言。実は、09春闘では、会社業績の不振を理由に「1年間賃金引き下げ5%、一時金年間2カ月」という回答を受けたのです。今回、組合員からは「会社業績回復のために、5%の賃金引き下げをやむを得ず呑んだのに、今度は10%賃下げ提案とは、話が違うではないか! 賃金カットの具体的な根拠を示せ」「会社の責任を明確にしろ! 会社の経営方針、ビジョンがわからない」「執行部が、生活のための固定的支出分として最低限確保すべきとしたのが一時金3カ月ではないのか、なぜ3カ月を死守しないのか!」といった怒りに満ちた意見が様々上がりました。労働者の怒りは至極当然、もっともな話しです。そして、許し難いことですが、連合型の既成の労働運動では、労働者の勝利など絶対にありえないのです。
  私が労働者となったのは89年ですが、組合活動に参加してすぐに総評が解体され、連合が発足しました。その後、電機では秋に行っていた一時金要求闘争が春闘に統合され、その一時金の要求も大手組合では業績連動型になり、今では要求すら行いません。また、電機の賃金制度では「中期的にめざす新たな基幹労働者賃金の目標水準」として、「開発・設計職基幹労働者賃金35万円」「製品組立職基幹労働者賃金32万円」を掲げています。以前までの賃金基準に盛り込まれていた「年齢」「勤続年数」「家族構成」がなくなり、正社員の間にも職種による差別を設けていることがわかります。いわゆる職種別賃金です。電機職場で働く労働者を、資本に協力して、自由自在に異なる会社間で、柔軟かつ横断的に雇用調整が可能となるようにするものです。しかも、同じ職場で働いているのにもかかわらず、臨時・パート社員、派遣・請負社員などの非正規職労働者については、一切見向きもしていないのです。現状では「団結した労働者のストライキによる闘い」など討議にも上がりません。
  月日を重ねるごとに、日本の既成の労働運動がさらにさらに腐敗化、悪質化し、資本の手先として労働者の闘いへの決起を抑えこむ役目を強めています。昨春、電機連合委員長の中村正武は「製造業派遣を禁止するとグローバル競争に勝てない」と資本を代弁する発言を行っています。国鉄1047名解雇撤回闘争つぶしに躍起になる国労本部や、千葉の二和病院での日共ダラ幹どもの労働運動弾圧と全く同じです。

地区の非正規、派遣労働者と共に

 私の所属する地区は、埼玉県の北に位置する行田市ですが、ここでは岩崎電気での闘いの他にも、解雇された元工場労働者(金属、自動車産別)による闘いが展開されています。
  JAM神奈川ジェコー労組の正社員の呼びかけに結集したジェコー行田本社工場で働く非正規労働者が分会を結成し、現在、不当解雇撤回、労災補償、正社員化要求を行っています。また、ショーワ行田工場を解雇された元派遣社員が、さいたまユニオン(蓮田市)の分会を立ち上げ、ジェコー労組行田分会と同じく、生きるための闘いを繰り広げています。同じ地区での闘いを、相互に協力しながら、ストライキ、門前集会、ビラまきなど頑張り抜いています。ハローワークや市役所への職寄こせ、生活支援・要請行動も行っています。裁判、労働委員会でも会社と闘っています。また、動労千葉の労働学校や地区の労働学校にも参加しています。
  彼らの根底にあるのは、劣悪な労働条件かつ低賃金で儲かる時には使うだけ使って、生産が減ると自分たちをモノのように切り捨てた資本に対する猛烈な怒りです。絶対に許せないという、誇り高い労働者魂が闘いの原点です。連合など既成の組合・ダラ幹どもに依拠せずとも、地区の闘う仲間と一緒に、労働者は例え職場から一人の決起であっても闘うことができるのです。

一人の職場闘争から闘う労働組合を必ず甦らせる

 私も地区での闘いに勇気をもらって、今春闘では工場と本社前で3度のビラまきに決起しました。「賃金カット絶対反対、経営のしわ寄せを許すな!」「団結してストライキで闘おう!」「組合の裏切り者、本部三役は辞任せよ!」と訴えました。また、神奈川労組交流センターの仲間の協力を頂き、1月には桜木町駅前で電機中央委員会の参加者に向け、10春闘決起を訴えるビラまき・マイク情宣も行いました。
  仲間の労働者から、ビラまき行動について「是非とも頑張って下さい」「組合本部は駄目ですね」という激励の一方、「ドン・キホーテのようだね」「せっかくのビラまきも残念な結果に終わったね。これからは少し静かにしていたほうがいいよ」といった声も上がってきます。私は、「ドン・キホーテ」で終わるつもりは全くありませんし、静かにタコツボに入るつもりもありません。労働者を信じて、必ず労働組合を甦らせたいと思います。
  全国の交流センター会員の皆さん! 資本主義の崩壊過程にある今、闘いに決起しなくていつ決起するのか! 共産主義者として、戦争への道を黙って見過ごすことはできません。労働者への弾圧を許すわけにはいかないのです。職場闘争に一人からでも勇気を持って決然と立ち上がろう! 地区にも全国にも交流センターの仲間は存在します。交流センターの仲間と協力して、自らの職場で闘いを開始し苦闘を重ねて、もう一人の自分を作ろう! 次々と闘いを拡大、発展させ、あらゆる職場に労働組合を立ち上げよう! 闘う労働組合を甦らせよう!
(写真 電機連合大会会場前で訴える高橋英行氏【09年7月札幌】)

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■読者のページ

    ●泉佐野選挙闘争の焦点   関西労組交流センター

 関西労組交流センターは、1047名解雇撤回解体策動粉砕の国労臨大決戦と固く一体のものとして泉佐野選挙闘争に決起している。
  泉佐野選挙の焦点は「財政健全化」だ。今、7月参院選に向けて自民党が溶解し新党が次々生まれているが、その全てが「財政再建」「公務員大幅削減」「道州制推進」を掲げて、公務員バッシングをけたたましく行っている。泉佐野選挙はこの労働運動絶滅攻撃と対決する最先端の闘いだ。
  こくが候補は、「『財政健全化』は夕張への道だ。泉佐野で生きていけなくなる。関空でぼろ儲けした企業が、『健全化』といって市を食いものにしてまた儲けようとしている。もう我慢ならない。声をあげよう。闘おう。団結しよう」と呼びかけている。
  選挙戦の最大の焦点は日本共産党―自治労連との党派闘争だ。彼らは「市民と自治体労働者の手で財政健全化」「国と府の支援を求める」と主張している。彼らは「財政再建は必要」という土俵の上の乗っかって“国や府から金を引き出す”というおよそあり得ない幻想を煽っている。
  財政を破たんさせたのは国や府や企業であり、こいつらが責任をとるべきなのだ。こいつらが責任をとらない以上、「借金など返済する必要などない」とはっきり言い切るべきなのだ。
  しかも日本共産党―自治労連は市の職員188名が削減されようとしているのに、「削減反対」とは絶対言わない。公務員バッシングに屈服し、「市民本位の財政再建」の名の下に組合執行部が奴隷頭となって首切りを推進し「半分の人員で倍働け」と労働者に襲いかかるのだ。こんな組合執行部の下では夕張同様働けなくなる。生きていけなくなる。
  この訴えは多くの市の職員の心をとらえ、看護労働者や保育労働者が「財政健全化絶対反対」署名に次々応じている。
  勝利の道は何か。「財政再建」攻撃の核心は、市の職員と地域住民との分断・団結破壊だ。だから、市で働く労働者と地域住民が団結すれば、絶対に阻止できる。「市の職員も地域住民も同じ労働者だ。こくが候補を軸に団結しよう」という訴えこそ、勝利の道だ。
  その立場にたって、現地で4月最終段階で配布されたこくが候補のビラを紹介します。
  ※ ※ ※
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  財政健全化計画絶対反対つらぬけば勝てる!

「健全化計画」でくらしも教育も福祉もおしつぶされる
「財政再建への協力」は、夕張市への道です
  財政赤字の責任は労働者と市民にはありません。赤字は、企業が市を食い物にした結果です。1700億円もの空港関連事業でたっぷりもうけ、借金1200億円を残しました。こんな借金は断固拒否しよう!
  絶対反対で闘えば「財政健全化計画」は阻止できます。世界中で闘いは広がっています。財政破綻のギリシャでは、赤字の責任を押しつける賃下げ、年金カット攻撃に怒って公務員と民間労働者がゼネスト。アメリカやヨーロッパでも同じ攻撃にストで闘っています。
  ところが泉佐野市では自民党から共産党まで「財政再建します」と言い、「代案」を言う議員もいます。共通するのは市職員と市民への借金押しつけです。「健全化計画」と大差なく、実施されれば188人以上の職員のリストラと賃金カット、小学校・保育所・幼稚園の統廃合、公共料金の8億円以上の値上げなど泉佐野は生きていけない町にされてしまいます。まさに「夕張市」のような町になってしまうのです。
  共産党はそのことを百も承知で、「くらし・福祉・教育を守って財政再建できる」と大うそをついています。闘わず今まで何回も裏切ってきた党です。
  鳩山民主党政権も同じで、労働者の賃金カットや削減、民営化を進め、「子ども手当」や「高校無償化」といって税金の控除を削減し増税するのです。 関空の犠牲になれという「健全化計画」には絶対反対で闘い勝ちましょう。
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●年金機構の職場で働く労働 者の怒りは爆発寸前!   自治体労働者部会

 年金事務所の非正規職の仲間(30代前半・女性)から、現在の職場の状況と現場労働者の思い、闘いの決意など話していただきました。結論として、社会保険庁から日本年金機構に変わった年金事務所の職場に怒りは充満し、労働者は必ずや団結して決起するということです。
  ※ ※ ※
  私は社会保険事務所で「謝金職員」として働いていました。「謝金」とは謝礼金のこと。正規の職員でないことを強調する呼び方自体が、労働者を分断するためであったことは明らかです。
  日本年金機構への採用試験があり、10年1月4日から「特定業務契約職員」となりました。業務は変わらず。今回は11年3月末までの契約です。「正規職員」、「准職員」(最長7年の期限付き採用)、「特定業務契約職員」(最長4年、日給制)、「アシスタント契約職員」(臨時職員のこと、日給制)、「エルダー職員」。皆、ねんきん機構労組に加入できることになりました。
  社会保険労務士も年金相談業務に交代で着き、派遣労働者が端末入力や窓口対応などで配置されている事務所もあります。彼らにはねんきん機構労組の加入資格はありません。
  「年金相談」はすべて非正規職か社労士。最新の情報を伝える立場にあるのに、満足に継承されていない状況。そして、継続して勤務できる保障もない。別組織の協会けんぽ職員は1名のみで昼休みが定時に取れない状況です。
  ねんきん機構労組発足に伴い、ほぼ全員が組合員です。職場で「組合に入るよね」の一言で加入させられたものの、実際には事務所の過半数労働者の数合わせで36協定を結び残業をさせるためだったことがわかり、初めて組合に入った非正規職の同僚の中に不満が出ています。「時給より高い組合費払って意味あるのか」(非正規職の組合費は1300円位)。正規職員で組合経験のある人は、20代でもそれなりにしっかり労働者意識を持つ人が多いのは心強い。労働組合の団結を職場に甦らせることが本当に大切です。
これまで、正規職と非正規職との間の分断の壁は大きく、どう付き合ったらいいか迷うことが多かったのですが、同じ仕事、同じ組合員となったことから、率直に話せるようになりつつあります。
  課長職が、なぜなのかはわからないのですが降格となりました。経験豊富なベテランの職員に変わり、民間から採用された人が課長になっています。年金機構になって、非正規職の賃金は全員が最低ランクに落とされました。年休についても、別会社となったことを理由にいったんゼロに。庶務が本部一括で扱われるようになったからか、職員の給与明細の間違いや労務手続きの遅れが目立つようになりました。船員保険の手続きも大幅に変わり、業務が東京に集中されることでこれまでの保険証の即日配布が何週間もかかり、困って怒鳴り込んでくる漁船員も多く、対応が大変になっています。まだ表立つまでには至っていませんが、職場には不満がくすぶっていて、同僚からたくさん出てきます。
  ビラはすごく真剣に初めから終わりまで読まれています。「2年後には廃止・統合され歳入庁にされる」という問題は重大関心事となっています。自分のしている仕事が何なのか、非正規は知らされることなくバラバラにされています。「消えた年金記録」は労働者の責任じゃない。職場の仲間を増やし、団結を作り、労働組合を再生していく。国鉄闘争勝利の大運動、安保・沖縄闘争を闘い、社保労働者525名の解雇撤回闘争の全国ネットワーク作りと結合し、年金機構内の闘いを作り出していきたい。

 

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3・19広島 「日の君」強制反対ビラまき弾圧に反撃

 広島市内の小学校卒業式での「日の丸・君が代」強制反対のビラまきで不当逮捕されたAさんの奪還へ、広島県労組交流センターは直ちに緊急抗議声明を発し、安佐南警察署への弾劾行動を行った。

3・29 千葉 団結街道廃道化を許すな!

 三里塚芝山連合空港反対同盟主催の全国総決起集会が成田市天神峰の市東孝雄さんの畑を会場に開催された。真冬並みの寒風をものともせず、全国から1530人の労働者・農民・学生・市民が意気高く闘い抜いた。

4・23東京 闘う学生と連帯し、法大解放闘争に決起!

 法大文化連盟と全学連が呼びかけた法大解放総決起集会に、交流センターの闘う労働者も怒りを燃やして決起した。法大当局と警察権力の弾圧策動をはねとばして新入生がデモに合流した。

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