2012年02月号(通巻No.263)

(*2011/08月号〜「月刊交流センター」より改題)

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労働者の目 全原発廃炉―3・11福島闘争と国鉄決戦、非正規職撤廃―全国協1000名建設へ! 小泉 義秀 副代表 合同・一般労組全国協議会事務局長

・■特集 3・11福島大闘争へ
3・11福島集会への大結集を訴えます! 労働組合の総力で、すべての原発を今すぐ廃止しよう 東日本大震災現地救援対策本部
フクシマの怒りを階級的労働運動の力で貫き、3・11福島大闘争の勝利を 渡辺 馨 福島県労働組合交流センター代表 NTT労組
国労郡山工場支部を階級的労働運動の拠点に 橋本 光一 国労郡山工場支部書記長

・「人事交流」=強制配転を許さず、組合員の怒りとともに地労委闘争を闘う 佐藤 正則 動労千葉を支援する全逓横浜の会

・■闘う合同・一般労組 女性パート労働者を軸にひとつの職場から13名が組合加入 清水 彰二 群馬合同労働組合 書記長

ひめじょおん−女性部から 3・18八尾北・西郡決戦に総決起を 八尾北医療センター労働組合 灰垣 美佐子

・各地区青年集会・春闘集会を大成功させ、JR4月全面外注化阻止、反原発・反失業の大闘争を実現しよう――交流センター青年部の本格的建設へ!

・「動労千葉を支援する会・習志野」からの報告 菊池 晴知 習志野市職

・講師解雇撤回の闘いが切り開いたもの ―闘って、団結つくって、組織拡大― 増田 順計 日教組奈良市書記次長

■労働運動を語る
清野和彦さんに聞く(後編) 元福島県教職員組合委員長 国鉄闘争全国運動呼びかけ人

 

読者のページ  組合員権停止15年を打ち破ったことと、『1万の壁』から考えること 千葉労組交流センター会員 建設労組副支部長 森 研一

●マンガ /編集後記

・Photo Documennt 2012年12月〜2012年1月

 労働者の目

全原発廃炉―3・11福島闘争と国鉄決戦、非正規職撤廃―全国協1000名建設へ!

小泉 義秀 副代表 合同・一般労組全国協議会事務局長

 1月15日に放送されたNHKスペシャル『知られざる放射能汚染〜海からの緊急報告〜』を観ました。「放出量10京ベクレルを超える放射性物質」が海などに垂れ流しにされているのです。「東京湾海底が福島に続く汚染。江戸川河口上流8`の川底で1623ベクレル! 流入と濃縮は2年半後まで続く」とのことです。河口8`というのは、江戸川と市川にまたがる市川橋の辺りです。私は蔵前橋通りから市川橋手前を抜けて篠崎にある職場に車で通勤しています。山本周五郎の『青べか物語』の舞台となった桜並木が連なる、篠崎から浦安に至る河川一帯にセシウムが沈殿しているのです。54年前に(旧)本州製紙江戸川工場から排出された廃液が浦安の漁場を壊滅させました。今度は放射能です。(現)王子板紙江戸川工場は篠崎の河口から取水しています。現職場からバス停で三つめのところに江戸川の清掃工場があり、ここには濃縮された放射性物質がたまっています。全原発を廃炉へは待ったなしの闘いです。国鉄決戦と反原発の闘いを一体のものとして闘い、3・11福島へ!
新自由主義は非正規雇用労働を不可避とし、そのことを青年労働者に強制することによってしか延命できない最末期帝国主義の姿です。この非正規雇用労働を許さず、それを撤廃させる闘いが帝国主義を打倒する道です。この闘いが、動労千葉が闘いぬいてきた国鉄分割・民営化絶対反対・1047名の解雇撤回闘争であり、国鉄闘争全国運動であり、外注化・非正規化・偽装請負を許さない闘いです。この外注化・民営化・非正規化を許さない闘いを全産別に拡大する闘いが非正規職撤廃の核心です。郵政非正規ユニオンや一般合同労働組合西部ユニオン鈴木コンクリート工業分会の闘いは、非正規雇用労働者が自ら労働組合を組織して資本と闘い、階級的団結をつくりだし、階級意識を獲得していくその道筋を指し示しています。二つの闘いに勝利して、必ずや全国協1000人建設を2012年に実現します。

(写真 鈴コン分会、社前で新年の闘争宣言【1月6日 東京)】)

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■■特集 3・11福島大闘争へ
3・11福島集会への大結集を訴えます!
労働組合の総力で、すべての原発を今すぐ廃止しよう

東日本大震災現地救援対策本部

 2012年3月11日をいかに迎えるのか? 私たちは歴史の岐路に立ちました。原発を止め社会を変革する1日を歴史に刻むのか、それとも原発再稼動と被曝強制を許すのか。郡山開成山球場に労働組合の総力を結集することができるか否か。ここにすべての人びとの命運がかかりました。1年間の反原発闘争の一切をかけて、福島の仲間と一緒にすべての原発を今すぐ廃止しよう。3・11福島への大結集を呼びかけます!

「命よりも金」という者による支配との闘い

 3・11大震災と原発事故で古い支配のあり方は音を立てて崩壊を開始しました。「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」(子ども福島)の仲間は、「今起きていることは、命よりも金が大事という者たちと、金よりも命が大事という人びとのたたかい」と表現されました。「命よりも金が大事な者」とは、もちろん政府や資本家たち、つまり私たちを日々職場で支配している者たちのことです。原発事故とその後の福島棄民化政策によって、彼らの信頼は失墜し、その支配のあり方は通用しなくなりました。何よりも「怒りの福島」を先頭にみなが現在の社会の変革を希求するようになりました。だからこそ、3・11福島集会は、古い支配を吹き飛ばし、歴史を動かす可能性に満ちているのです。
その一方で、野田政権と経団連は、12月16日の「事故収束宣言」から、原発「60年稼働法案」の動き、そして大飯原発の「ストレステスト妥当」決定に象徴されるように、なりふり構わずに今春の原発再稼働に突進しています。原発廃止とは、金とウソと暴力で54基もの原発を建設してきた、その醜悪な歴史の一切を否定するということです。沖縄米軍基地や三里塚軍事空港(成田空港)をはじめ、すべての支配が総崩壊を開始するということです。「原発をやめたら雇用がなくなるぞ! 交付金が止まるぞ!」という金と恫喝。「事故は収束した」「ストレステストで安全性が確認された」というウソ。そして反原発デモへの大弾圧。どこまでも金とウソと暴力に任せて、とにかく1基でも再稼働させなければ階級支配が成立しない、そういう土俵際まで彼らを追い込んできました。
2011年は、米帝の中東支配の要であったエジプトで労働者の革命が闘いとられ、民衆蜂起が全世界に波及しました。米帝を基軸とする67年間の戦後支配体制が激しく崩壊を開始しています。他方、朝鮮半島の南北分断体制とならぶアジアにおける戦後支配の支柱・日本で、原発廃止をめぐって体制のあり方を問う階級決戦になりました。エジプトがそうであったように、ここに職場生産点の闘いと一体で労働組合が闘いの先頭に立ちあがるか否か、このことが事態を決する情勢を迎えました。したがって3・11福島集会こそ、大恐慌下の2012春闘の第一の闘争課題です。
(NAZENみやぎ結成集会に100人【昨年12月11日 仙台弁護士会館】)

すべての人びとの未来をかけて

 3・11集会の呼びかけの中心に立っているのは、福島県教組の仲間です。本当に感動的なことです。たとえば双葉支部の仲間は、家族も教え子たちも県内外にバラバラになり、組合員も260名が150校に分散勤務を余儀なくされるという分断状況の中で、「原発被害を許さない、原発推進を許さない」と必死の思いでたたかいの先陣を切ってきました。兼務発令や新規採用中止に対して闘い、原発の存在そのものと闘ってきました。国鉄分割・民営化から25年、「労働運動の闘いの火を消してなるものか!」と労働運動の未来をかけて闘ってきた私たちにとって、福島の地に闘う労働組合の旗が立った、これほど感動的なことはありません。国労郡山工場支部の労働安全をもとめる職場闘争、そして動労水戸の被曝労働を許さない2波のストライキ闘争―どの闘いも、職場の仲間と、地域のすべての人びとの命を守る誇り高い闘いです。
3・11以降の闘いで鮮明になったことは、労働者は自分たちの職場の闘いが労働者全体の利益を体現するものであると確信した時に、とてつもなく大きな力を発揮するということです。例えば、震災解雇を撤回させて職場復帰を勝ち取ったみやぎ連帯ユニオンのタクシー労働者は、今は職場に出勤することそのものが大きな闘いになっています。解雇撤回を勝ちとるまでの裁判闘争や門前闘争も激しい闘いでしたが、いったん面と向かって対決した社長のいる職場に毎日出勤して仲間との団結を守り発展させていくことのほうがしんどいと言います。しかしそれができるのは、自分の闘いは職場の仲間やひいては労働者全体の利益のためにあるのだという階級的正義に裏付けられているからです。
仙台市職労の組合員が事故で命を奪われた時、仙台市役所動労千葉を支援する会の仲間が発した言葉は「仲間を失って悔しい」ということでした。11月集会にも一緒に参加して市職労を支えてきたかけがいのない仲間を失った悔しさ、そして「仲間の命を守るのが労働組合だ」という労働組合の存在意義そのものをかけた決起。仲間の無念を絶対に晴らしてやるという階級的正義こそ、闘いの心棒に座ってきたのです。
3・11福島集会は、まさに労働者、農民、漁民、子どもたち、そしてこれから生まれてくる世代も含めてすべての人びとの命と未来をかけた闘いです。階級的正義にかけて、労働組合が全力をあげる集会です。労働組合とは何であり、誰のために存在するのか? 国鉄分割・民営化以来、その存在意義をねじ曲げられてきた労働組合の本当の姿を、私たちの実践をもって全社会に明らかにしよう。
新年に現地救援対策本部に被災地の漁民の方から『救援本部ニュース』の原稿が寄せられました。「水産業復興特区は誰のため」という表題で、「政府は後世の国民に借金は残すが食糧は残さないのか。放射能は残すが清澄な環境は水は空気は土地は、残さないのか」と厳しく断罪されています。大震災をこれ幸いとばかりに、農地を取り上げ、漁場を取り上げ、すべての利益を大資本に供する復興特区を許さないという怒りです。
2月1日には「なくそう原発! とめようTPP! 全国農民交流集会」が開催されます。「原発さえなければ」と書き残して命を絶った酪農家の無念。ここでも仲間の無念を晴らし、人間としての誇りをかけた闘いが始まっています。

福島診療所建設を実現しよう

 3・11集会へ向かう過程は、福島診療所建設を実現するたたかいです。15万人もの福島県民が故郷を離れて年を越しました。同時に、自主避難の権利を否定された多くの福島県民が地元にとどまって生き抜いています。私たちは、被災地で闘い、この地から闘いを拡げる決断をしました。山下俊一を先頭とする原発推進派の医療特区を許さない闘いとは、福島に生きるすべての民衆の拠りどころとなる医療施設を労働者民衆の力で創り出すということです。敵は原発事故を引き起こした政府と東電です。この共通の敵をはっきりさせ、避難した人も、福島に止まる人も、あらゆる分断を許さずともに団結して生き抜くために命の拠りどころとなる診療所建設を実現しよう。

現地救援対策本部、1年間の闘いのすべてをかけて

 昨年4月3日の現地救援対策本部結成から、もうすぐ10カ月です。3・11福島集会は、1年間の闘いの集大成であると同時に新たな飛躍点だと思います。水、食糧の確保に奔走しながら福島の地にとどまり闘う決断をしたあの日から、最も攻撃の激しい被災地で絶対に拠点建設で勝負するという覚悟の下に突っ走ってきた1年間でした。その闘いがついに、全原発停止をかけた一大階級決戦にまで登りつめました。
3・11集会へ向けて、野田政権との最大の攻防点は、労働組合をめぐる闘いです。野田政権の支柱である連合支配を吹き飛ばし、その内側から労働者の3・11集会への決起をつくりだすこと、このことが原発推進を打ち砕く最大の力になります。3月11日、郡山開成山球場を溢れ出る巨万の結集で、全原発の停止・廃炉を勝ちとりましょう。自分の職場の仲間に3・11福島を正面から呼びかけましょう。この日の闘いに2012年の闘いの飛躍がかかっています。全力で結集をお願いします。

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3・11ふくしま県民大集会

会場:福島県郡山市・開成山球場
(JR「郡山駅」からバスで「郡山市役所」下車)

3月11日(日)13:00〜
12:30開場 15:00パレード出発
主催:福島県民集会実行委員会

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■■特集 3・11福島大闘争へ
フクシマの怒りを階級的労働運動の力で貫き、3・11福島大闘争の勝利を

渡辺 馨 福島県労働組合交流センター代表 NTT労組

聞き手・構成 編集部

南相馬市でのデモから開始した旗開き

 1月14日に福島労組交流センターと福島合同労働組合の合同で旗開きをやりました。その前段に原町(2006年に市町村合併で南相馬市に)のデモに参加してきました。
9・19明治公園6万人集会をうけて南相馬市でも10月から毎月第1週の土曜日を行動日にしてこれまで5回デモが行われてきました。3・11以前は「ただの人」がみんな反原発の活動家になっています。初めは参加者10人、次は20人がその日はついに60人まで来たというんで喜んで大勝利したと言っていました。もちろん仮設住宅も含めて300軒にビラまいたり呼びかけて来たのにそこからは誰も来なかったと意気消沈する人もいる。だけど「そうじゃない。若い人も増えたし、60人になったじゃないか。それこそが勝利だ」と返すと元気になるんですよ。
一番重要なのは、福島第1原発20〜30kmの避難地域の南相馬市の人たちにとっては原発問題プラス除染と復興のキャンペーンが市全体で行われ、若い人も含めて「戻りましょう」という運動が始まっているんです。だから原発反対なんてもう今さらというような雰囲気が漂っている。そういうまやかしをはねのけようと毎月デモをやっている。これがすごい。2012年は、南相馬市の闘いで開けた歴史的な旗開きでした。

3・11福島大集会をとりまく情勢

 1周年を境にフクシマの怒り、反原発の闘いはかなり押し込められると思っているんです。すごい勢いで収束キャンペーンと除染、復興特区・復興モードへ推し進めようとしています。3・11を前後して福島収束の宣言がなされて、それでも賠償しろ、反原発だと言っているのはゴネているんじゃないかとなってくるんじゃないか。そういう危機感をみんな持っているんです。だからいろいろな手段、場所で福島の声を全国全世界に発信していかなきゃならない。
原発事故、そして反原発のうねりを政府はどうつぶすかで必死ですよ。福島の行政も同じです。飯舘村でさえそう。除染して戻りましょうとなっている。これを吹っ飛ばしていかないと生きられない。収束宣言をすればするほど、福島の怒りは押さえつけられるけどもその反動で大きくなっていく。そういう関係です。そことどうつながれるか。これは農民であれ漁民であれ、去年以上に危機感がある。賠償といったって何も進んでいないし。原発は1〜3号機の他に4号機も危ないと言われている。いつ爆発するかもわからないのに20q圏まで人を住まわせようとしている。
もうひとつの福島の危機感は、他の地域の人、関東、全国の人、全世界から福島は見捨てられるんじゃないかという孤立感です。だからそれをはねかえすための3・11でなければならないですよね。
こうした中で3・11集会の現状は甘くはありません。12・10日比谷野音の集会で福島県教組の竹中委員長が2万人を集める県民集会を宣言しました。12月25日に郡山現地であった1回目の実行委員会では、集会名が「安心して暮らせる福島を取り戻す福島県民集会」で、そこには脱原発も反原発も入ってなかった。そこの実行委員会に集まった人たちはみな反原発運動をこの1年間一生懸命やってきた人たちが集まっているので「なんじゃこりゃ」となった。そもそも「福島の女たち」と「子ども福島」の人たちは最初、実行委員会に呼びかけもされなかった。ここに非常に象徴されているわけです。また、福島の今の現状で、労働運動、反原発闘争を抑える側に回っている行政と一緒に集会をやるということはどうなのか。
しかし、脱原発・反原発を打ち出さない1周年集会という、ある意味どういう形になったとしても、私たちの立場としてはそこに集まってくる多くの労働者、県民とどう結びつくかです。とことん明るく激しい反原発の闘いとしてやりきっちゃうことが3・11だと思うんですよ。

連合と真っ向対決するときがきた

 去年1年間、福島としても反原発を単なる市民運動ではなくて、労働運動、労働組合が軸になった反原発闘争をとにかく登場させることに総力を挙げてきた。実際はなかなかすんなりは行かないですよね。それはなぜそうならないのかというと、連合の存在だと思います。連合が労働者階級の上にずっしりと重石になっている。だから現実の反原発闘争をもう一歩グレードアップさせるためには連合そのものと対決する闘い方をいよいよやっていく必要があると思っています。
特に3・11が直接そういう問題になっています。連合は真っ先に取り組み拒否です。それはイコール他の労働組合にも参加するなということです。この現実をどうひっくり返すのか。これがあって初めて労働者階級としての闘いが現実に見えてくる。そのためには拠点職場を本当の意味でつくっていかないと勝負にならない。福島で言うと、国労郡山工場支部と福島県教組に県民と労働者階級の闘う拠点になってもらいたいし、そのために共に闘うということです。その闘いの中で階級的労働運動を甦らせることが鍵です。
そこに加えて、連合を打ち破るためには、自治労とNTT労組、JP労組を対象化しないといけない。3・11の取り組みを拒否した連合はなんなんだと現場に突きつけチャンスにしていく。まずは電通と郵政職場を揺さぶって連合瓦解の端緒としたい。
さらに電力総連をどうにかするということが福島だけではなくて全国の反原発闘争の大きな課題です。電力総連から民主党に、連合に金がばんばん行ってるわけです。今回の原発事故に至るプルサーマルの導入をめぐってだって、電力総連の県会議員とNTT労組から一人出している県会議員が一緒になって
「県議会はプルサーマル了解」という文書まででっち上げて福島県が認めるというのを一昨年やってしまった。それが3号機のプルサーマルを強行して、プルトニウム事故になっちゃ
ったわけですね。私のいるNTT労組福島分会から県会議員の議員に出してたんですね。こいつと電力総連から出ている議員こそがプルサーマルを導入した張本人だと追及してきました。その効果もあってか今回県議会議員選挙で落ちたんですけどね。
もうひとつは、合同労組の組織化です。今合同労組の人たちと中野顧問の『甦る労働組合』の学習会をやっていますが、そこに重要なことが書いてある。顧問は、「合同労組というのは一人でもふたりでも集まっていればいいとは思わない」ということを言っている。要は「ひとり職場であろうが、そのひとりが職場全体の利益を代表するという立場で闘う必要がある」と言っています。とにかくこういう闘いをひとつでもふたつでも増やしたい。
それからさきほどの原町のデモをやっているような人らがいっぱいいるけど、行政頼みになっちゃう。この壁を破れるかどうかが決定的です。それと共産党系はどの運動体も必ず賠償問題に流れる。弁護士をたてて賠償問題で闘いましょうと。福島の怒りと反原発とかを全部薄めていく。だからどこの地域でも盛り上がるんだけれども、そこのやりあいでバラバラにされ、また盛り上げ直すという感じです。原町もそうだし、郡山で起こっている疎開を求める裁判にしたって。誰に責任を取らせるのか、東電と原発を推進してきた村のやつらに絶対責任を取らせるということをはっきりさせる。いうならばぜんぶ党派闘争です。

労働組合を据えて診療所建設を

 もうひとつは診療所建設です。私は、福島診療所建設委員会の事務局長なんですが、「子ども福島」のみなさんもものすごく積極的に始めてくれています。リーフレットをあちこちの講演会に持って行って下さっている。「子ども福島」の中でも議論がありましたが避難も診療拠点も、どっちも必要だ、子どもたちや県民が生きていくためにはこれがないといかないだろうという思いがあるからね。私はこの実現のためにはそれを運営していく母体はやはり労働組合でなければならないという思いがある。その一角に診療所建設を据えていかないといけない。特に思うのは、圧倒的な労働者が被曝している問題です。原発の労働者だけではなく、原発周辺で仕事をしている郵便局、国鉄、あらゆる労働者がみんな被曝しているわけです。そういう人たちが3年後、5年後、症状がいろいろ出てくる。そのときに医大や病院に行ったら「これは何でもありません。関係ありません。因果関係ありません」と言われるわけです。そうではない親身になって相談できる拠り所となる診療所をつくりたい、子どものためということだけではなく、やっぱり放射能・被曝労働との対決というテーマとしても強化すべきだし、実態としてこれが必要だと思っているんです。「子どものために」というだけではなくて労働者が生きるためにも必要です。これがこのかん論議してきて非常に思っていることです。
子どもたちを避難させなきゃならない。したいけども、できない状況にある。でも、行政が避難させない。医師会が安全安全といっている。これをどうぶち破るかということだからね。診療所は今年の秋までにつくりたい。そのためにはただ訴えれば集まるものでもないから福島が声を出し続ける、発信し続ける。福島のセンター会員は全員が全国を歩き回らないとダメだよと旗開きでも言った。
いずれにせよ去年1年間の必死になった闘いで3・11の闘いや診療所建設も絵空事ではなく、実際に手の届くところにあると言えるところまで来た。その実現のためにも労働運動の拠点建設に勝利していきたい。

(インタビュー原稿に加筆・修正をいただいたものです。)

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■■特集 3・11福島大闘争へ
国労郡山工場支部を階級的労働運動の拠点に

 

橋本 光一 国労郡山工場支部書記長
聞き手・構成 編集部

労働組合に責任を取ることとは、職場の闘いに徹底的にこだわること

 福島の交流センター旗開きでも議論になったし、『月刊労働運動』1月号の辻川さんのアピールでも郡山工場が出ていて、あらためて自分の職場の位置付けを感じました。最初は動労千葉、動労水戸と並べられるのに非常に違和感があった。というのは、職場で交流センター派を称しているのは自分一人だけだし、闘いのスケールも比べて全然小さい。ですけど、よく考えてみれば、組織の大きさとか力量とかには関係のないところで、時代が郡山工場をそういう位置付けにしている。それを見逃さず、路線の中に位置づける交流センターの労働運動の捉え方はまったく正しい。確かに今、福島における反原発闘争には拠点職場や組合が必要だ。それと同じく、労働運動を甦らせる、国鉄労働組合を甦らせるための突破口がどこかといったら、郡山工場支部のような気がする。
辻川さんは交流センター派として労働組合に拠点をもつことが必要だという。そのために労働組合に責任を取らなければならないと。本部や体制内指導部を批判しているだけではなくて、日々の資本との闘いの先頭に立つ。それプラス組合の運営。労金とか遅刻したやつの面倒を見るとか。そういうのを含めてちゃんと責任をとる。ただそれは体制内運動でもやっていること。われわれが彼らと違うのは「階級的労働運動路線」だということ。それは今の体制内指導部のように限られた範囲の職場・組合の利益ではなくて、動労千葉がやっているように、外注化阻止の闘いを非正規労働撤廃の闘いとして組織をかけてやる。あるいは動労水戸のように被曝労働に反対し、組織をかけてストライキをやる。このような運動は組合員にとっての経済的利益は何もないわけですから、それを労働者階級全体の利益のためだといって自分たちの組織をかけてやる。それが階級的労働運動ってやつだと思う。
もうひとつ言えば、体制内指導部は、資本との闘いの最前線から最後は召還する。同じ職場闘争でも資本との直接対決、処分が出るような、組織の存亡をかけるような、労働者の人生をかけるような闘いになった途端に召還して、最後は、裁判闘争や行政闘争や国政選挙で一票入れろという選挙運動に流れる。うちは社民党や共産党支持の役員も多いんですけれども、職場で闘っても勝てないと言うんです。労働者が勝つためには社会全体を変えないとダメ。だから選挙なんだと。私もある意味で同じ考えです。しかし社会全体を変えるためにこそ、たとえ負け続けるとしても職場闘争に徹底してこだわることが必要だと思っています。世の中が変わるということは、そこで暮らす労働者の中身が変わらなければ成立しない。やっぱり職場での闘いを365日やるなかでしか労働者は変わっていかない。チラシ読んで演説を聞いて選挙で一票入れるかもしれないけど、その労働者の中身が変わるわけじゃない。社会変革は選挙で勝って国会議員の多数を占めることだという考えは、辻川さん曰く、世の中を牛耳っている1%が、資本家から共産党に変わるだけなんだよと。それでは世の中変わらない。まったくそのとおりです。

外注化阻止の失敗を教訓に、放射線対策要請行動に取り組む

 支部として独自に工場内の放射線を測定し、それを基に要請書をつくって総務科に持って行きました。そもそも国労の労働協約では、支部と総務科の交渉窓口はないので、門前払いはわかっていたんですけど、窓口担当の役員に前段にアポを取りに行ってもらった。「放射線対策の件で要請に伺います。『お願い』ですから交渉ではないんで受けて下さい」と言ったら、「そういうルールがないんで受けられません」、協約上規程がないからと言いつつ「一社員としての立場で来られるのであれば、お話は承ります」と。それがアポ取りの結果。で、議論しました。内容が伝わればいいわけだから一社員として行くのもいいんじゃないかという意見。もう一方では、大きな問題だから個人的に話に行っても成果は上がらないだろうという意見。例えば過去には強制配転のときにその人の家庭事情なんかを説明しに行くとか、遅刻したときとかは、個人という形で行って、やり取りをして、結果的に改善される場合もあるわけです。でも放射能対策だと、支社と地方本部の団体交渉では「国の定めた区域以外は対策の必要はない」の一点張りですから。個人的に行ってもどうしようもない。だったら最初から組織を名乗って行って、門前払いでもいいんじゃねえのって。組織を出してやらないとチラシに書いたりできないしという意見。俺は後者の意見だったんです。じゃあ、それでいいんじゃねえということで「国労郡山工場支部として来ました」と行って門前払いされるわけです。10分ぐらいは話を聞け、聞かないでやりあいをして、最後は施設内での無許可の組合運動みたいな話になるわけです。このまま行けば処分だぞみたいな雰囲気になるわけです。そこは退くんですけど、とにかく「『お願い』ですから。『お願い』事があれば何度でも参りますので」と言って帰るわけです。
なぜそれをやったか。成果がないのに何回でも行きますよというのはなぜかというと、2年前に職場に外注化提案があったときに、外注化阻止のために外注会社労働者に対しての技術指導の非協力をその職場の組合員に対して支部として提起したんですよ。動労千葉の線見拒否闘争みたいな感じで。そのときに現場の組合員にさんざん言われるわけですよ。「外注労働者に『教えて下さい』って頼まれてるのに、『教えねえから』って人情として普通できねえだろう」と言うわけ。「ましてや力関係からすれば結局外注化されるわけだから、何にも教えねえまま外注化されて車両故障起きたらどうするんだ。それこそ技術者としてはまずいんじゃねえ」。100パーセントこういう反応。これは考えてみればそうだという。「人は気持ちでは動くが、理屈では動かない」と言う先輩がいました。やっぱり職場の雰囲気というのがあって、当時、外注化反対でやっていたのは、組合としてチラシまきと団体交渉ぐらい。だから現場闘争というのは何もなかった。反合理化の現場闘争というのはそんな甘いものではないでしょ。動労千葉の闘いを見てもわかるとおり。処分覚悟、それこそ他労組の組合員とのやりあいもふくめてすごい修羅場になる。そのなかで非協力という強硬な手段も取れる。当時は俺ら役員はそんな腹は全然決めてなくて。役員自体が総務科とも支社ともやりあっていない。団交でバチバチやるぐらいで。現場の管理者と支部、現場の管理者と分会が外注化をめぐって火花をちらしているという雰囲気ではまるでない。そういう状況の中で、ぽっと組合員に職場闘争をやれと提起したところで無視されるのも当たり前だ。俺らが何にもやらなくて、組合員にだけ苦労をしろという話にはなんねえよなと。そういう総括の下に、この問題は成果がなくても役員が率先して総務科とやり合うことから始めようと。そうしないと組合員は動かない。それがこのことをやる意義だというあたりで始めるんです。

組合組織の中に、交流センター派として立つ

 積極的に組合の役員として交流センター派でやって来たということではないんです。積極的に交流センター派の運動を、組合機関の中に提起してきたわけではない。一個人の運動として別にやってきた。しかし、4・9政治和解以降はそのままではいかなくなって、直接、交流センター派的な主張を組合組織の中で始めるわけです。
分割・民営化反対闘争があって社会党右派が脱退して、残った社会党・協会派と共産党・革同指導部は、最初のうちは頑張ってましたよね。だからそういう路線に乗っかってやってきて、4党合意で指導部がダーっと右旋回する中で新社会党が出てくるじゃないですか。今度は新社会党路線にのっかってやってきて、で、彼らが4・9政治和解でこける。首切り撤回を言わなくなったから、それ以上は俺も譲れねえなというところですかね。もう乗っかるところもなくなっちゃったし。そういう点で言うと非常に受け身的なんですけど(笑)あとは自分を出すしかないよなっていう。そういう話です。
支部大会スローガンに「今後も闘争団の仲間を支えよう」と入れようとしたけどダメで、折衷案で方針本文に「物資販売の協力などはそのつど議論しながら行う」と入れた。というように4・9以降のスタンスは、自らの考えを遠慮せずに機関に反映していくことをやっています。4・9以降はそういう意味で組織に対して主体性を発揮してるんですけど、その前はそうじゃないんですね。
組合運動は28年くらいやってますけど、さっき言った労働組合に責任を取るという観点から言うと、労金とか共済とか、いろいろな世話役活動もやってきたつもりだし、機関紙つくったり、会議とか集会にはきちんと行ってたし。その反面、交流センター的な活動で求められることでやれていないことはいっぱいあった。そういう面では地味にやってきたと思うんですけどね。ただ自分で思うんだけど地味は地味だけど、辻川さんが言うみたいな組合に責任を取るという気持ちは常にありました。

やることはひとつ、階級的団結力をつくること――青年部時代の強制配転反対闘争

 資本と労働者の関係というのは結局、力関係だ。労働者にとっての「力」は、言いかえれば「団結力」。団結力は組織の質であるし、質というのは階級的労働運動、マルクス主義という質と、あとは量。組織人数ですよね。それしかないっていうのがありますね。社民党や共産党支持の人は、国政選挙で勝つとか、労働者に有利な法律をつくるとかで労働者に有利な政治力をつくると、それもありますけど、やっぱり頼るは団結力ですよね。
ひとつの例ですけど俺が青年部だった頃ですから十数年前か。強制配転が事前通知されたんです。その頃は分割民営化の後で、労務管理がまだまだ厳しかったときで、やるとすればチラシまきくらいしかできなかった。でも、義理人情からすれば、今までと同じことじゃ済まねえだろう、この人のために1ランク闘争をエスカレートさせねばと、じゃあ工場の前で座り込みをやるべと。あの当時は大変なことだったわけです。支部としてもそういう経験はない。実力闘争に近いものがありますから。みんなで年休をとってやるべと。で、やれそうになった。30人ぐらい年休を確保して。そしたら会社はかぎつけて取引しようとしてきた。総務科との窓口担当の役員が青年部の会議に来て、「今総務科に言われたんだけど、『もし座り込みをやめるんだったら配転をやめる』と言っている。『もしやるんだったら出すぞ』と言っている。で、そこの青年部の会議では「座り込みはやめましょう」となった。でも配転当該の青年部員が「やめないでくれ」って。「俺はもう家族で話し合って腹を決めたんだ。ここでやめてこれまでつくってきた青年部の団結を壊すのはイヤだ」と。配転は2年過ぎれば帰ってこれるというやつだったんで、「2年後に帰ってくるときに、工場に戻せと一生懸命やってくれ。それでいいから」と言われて座り込みを強行するんですね。結果的に配転はされなかった。結局、裏取引とか会社はやるときにはやるし、やらないときはやらない。だって絶対的に力はあっちの方が上なんだから。でも青年部の団結力はあなどれない。配転を強行したら後が怖い、安易にやれないなと思ったと思う。そういうのが力関係だと思うんだけど。
その何年か後、90年代終わりにまた強制配転がありました。青年部としたら過去に成功した頭があるから、またあの路線で行こうと。チラシまきがんがんやって、座り込みを計画して。それにプラスしてエスカレートさせようということで、当該の両親を呼んで直接交渉させた。また、青年部部員が全員ボウズにする。パフォーマンスだよね。あとは当該の管理者の住む地域にチラシまきをしたり、個人的に管理者に直訴しに行ったり、青年部はあの当時で50数人。飛び抜けてましたよ。みんなそんなことできなくなった時だから。その当時の青年部を指導してた役員が中野洋さんと交流があった。義理人情の強い人だからね。それだけやれば配転は止まるだろうと思ってたんです。でも結論は配転に出されちゃう。で、総括が「力」ではダメなんだなとなるわけです。で、そのときの青年部の活動家は2003年くらいに脱退しちゃいます。義理人情も絡んでましたから40人ぐらい連れて。当時組合員は100人いたから4割連れていっちゃった。展望を東労組に見出すんだよね。第一組合の中で改善運動をやろうという。少数派じゃダメなんだと。今彼らがやっていることは配転の計画があると配転者を組合が選ぶというか結果的にそういうこと。家庭環境を公平に判断して、この人が行った方がいいとかって。自分らとしては正しいことをやっていると思ってる。でもそれは違うじゃないですか。配転そのものがおかしいわけだから。体制内労組指導部というのは、せまい範囲での利益を求める考え方、青年部の組合をやめた人たちもそういう考え。それでは労働者を裏切ることになる。この辺が労働者全体のためのという、階級的団結力の「階級的」というところの意味なんだなあと。

「当たり前」な運動の着実な実践と、先駆的な意識が拠点をつくる

 3・11反原発2万人集会の成功や、外注化阻止という課題も、国労を甦らせるという課題も、郡山工場が目玉だと俺が思う必要がある。自分がそこにいるわけですから。客観的にそうだということとは別に、そう思う必要があるなと思っています。そして思うだけじゃなくて実際に、3・11集会への動員や、外注化反対の取り組みを着実に一つ一つ積み上げていく。加えて、労働者が主人公の社会に変革していくということでは、マルクス主義を入れるということもやっていく必要がある。具体的に今考えているのは、放射能問題や偽装請負の学習会です。そういう、昔の国労だったら当たり前と言える組合運動の積み重ねが、福島の闘う労働者の拠点を形成する過程であると思います。
そのためにさらに必要なのは、福島労組交流センターの渡辺代表のように(「世界の渡辺」を自称し、福島県内はもとより全国をかけ回る)、みんなより一歩先に行って引っ張るという意識。動労千葉の組合員のように、俺は別に過激派だと言われようが、労働者の歴史を切り拓いているんだという意識。郡山工場の労働者にそういう意識を持ってもらうために、もっと話したり酒飲んだり、ひとりひとりとやることじゃないかなと思う。
 新規採用者とは飲み会をやるんですよ。毎年15〜16人入ってくる。「何か不満とかあるのか」とか聞くと「別にないです」「給料安くねえか」「安いですけど他と比べればマシだと思ってます」「偉くなりてえとかあるの」「いや別に。大変ですから」「じゃ何か夢とかあるの」「平穏無事に楽しく過ごせればいいです」って。ほとんどがそう。でも心の底から言ってるようには思えない。酒飲むといってもだいたい1回きりですけど。じゃあ2回3回飲んだら青年の本音が聞けるのかというとそうでもなくて、それは交流センターの青年労働者たちが言うように苦労を共にする中でしか本当の団結は生まれない。青年と一緒に闘って苦労しねえとダメでしょうね。だから放射能問題は大事だと思っています。平成採は子どもも小さいので県外に避難して遠距離通勤してる人も多いです。あと外注化阻止。だんだん職場をせばめられて。そのうち外注職場に出向しろと言われますよ。あと新人事・賃金制度も、若手には大変な問題でしょ。この闘いの中で団結をつくっていきたい。だけど、酒飲みも全く成果がないわけじゃないんですよ。新採ってチラシの受け取りが悪いんです。でも、酒おごってもらったのに受け取らねえわけにはいかないと思うでしょ、組合運動って何をやるにしても、良きにつけ悪しきにつけ義理人情からは逃れられないですよね。(笑)
(インタビュー原稿に加筆・修正をいただいたものです。)

(写真 JR郡山工場)

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「人事交流」=強制配転を許さず、組合員の怒りとともに地労委闘争を闘う

佐藤 正則 動労千葉を支援する全逓横浜の会

 私は7月15日付けで、戸塚支店第1集配営業課から横浜泉支店第2集配営業課に不当
にも強制配転されました。1975年4月、戸塚郵便局に入局以来35年以上も第一集配課で日々集配の仕事をしてきて定年まであと5〜6年なのに、ショックであり、絶望感もありました。35年間築いてきた地域性や配達先の知識などすべてが無となるのです。そして何よりも分会員との団結破壊です。
「人事交流」=強制配転は、97年東京郵政局で始まり、全国的に広がり年2回も強行されました。98〜2000年まで近畿郵政局では3年間で5000名以上、2007年まで全国約3
万人に対して強行され、多くの自殺者や退職者を出しています。「人事交流」が当局の言う職場の活性化や人材育成が目的ではないことは明らかです。人事交流は、労働者どうしの横のつながりを弱め、労働組合の解体、団結破壊を狙うものでした。一種の見せしめ的措置で「管理者のいうことを聞かないと人事交流される」という独裁的な管理主義があると言われ、支部役員や分会役員なども含まれ、組合活動の基本にある支部・分会活動の機能も停滞しています。
私は、職場での国鉄闘争の物資販売や集会参加を分会員とともに行ってきました。そして、部会ビラや有志ビラ『闘い』を配布してきました。今年3月、分会員と「動労千葉を支援する全逓横浜の会」を結成しました。
 郵政公社から民営化へと、当局は人事異動と称して「人事交流」を人数的には少ないものの繰り返していましたが、今回は私を含め保土ヶ谷ブロックで15〜6名の「人事交流」があり、二度目の人もいます。
 私への「人事交流」の背景には、昨年のJPEX失敗による大幅赤字を正規職への年間50万円のボーナスカット、非正規職への雇い止め解雇に責任転嫁する会社への怒りが充満していることへの当局の危機意識と、分会活動の活性化に努めてきた私と分会員の団結への恐怖があります。
非合理的、非民主的で職員のプライドややる気を奪う施策、「人事交流」=強制配転は絶対認められません。これまでおかしいと思っても声を出せない労働者、配転先で慣れずに病気になった組合員や、退職した労働者の怒りとともに地労委闘争を闘います。 

いよいよ地労委始まる

昨年11月21日、私の郵便事業(人事異動)不当労働行為事件の地方労働委員会が始まりました。労働委員との今回の申立についての話し合いの場で、労働者委員(高橋・富士フィルム労働組合副執行委員長)は、人事異動は「スキルアップになり良いのでは」とか「民間会社では転勤はあたりまえ」とまるで会社側の感覚なのには怒りを感じました。また、職場の団結と労働組合の問題、集配業務については、会社側の答弁書を基にした質問や意見でした。会社側の答弁書では、戸塚支店の正職員99名に対し、220名以上の非正規職員がいます。この地労委闘争で補佐人を含めた「動労千葉を支援する全逓横浜の会」の拡大と、移動先の横浜泉支店での仲間(団結)をつくり、郵政非正規ユニオン「支える会」の会員や組合員を組織する糧となるように闘います。

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■闘う合同・一般労組

女性パート労働者を軸にひとつの職場から13名が組合加入

清水 彰二 群馬合同労働組合 書記長

新たな分会結成!

 群馬合同労組は、昨年10月、前橋市のAという会社で新たな分会の結成を勝ちとりました。現在、管理職含めて20名弱の職場で13名(退職者1名含む)が、群馬合同労組に加入、管理職と新入社員以外ほぼ全員が加入するに至っています。
そもそものきっかけは、A社の社員Bさんが、社長・専務から退職強要・パワーハラスメントを受けたと、群馬合同労組に相談にやってきたことでした。A社の社長は「ワンマン」で、専務も社長の息子です。これまでも多くの労働者が不当な仕打ちを受け、あるいは愛想を尽かして去っていったといいます。就業規則も見れない、労働条件明示義務も果たさない、36協定なしに残業をやらせ、時間外賃金も払わない、達成困難な営業ノルマを押し付ける、気に入らない社員には嫌がらせや恫喝が繰り返される……社長と専務は今度はBさんに攻撃を始めたのです。Bさんは精神的に追いつめられ、「胃腸炎(過敏性腸症候群)」を患い、休職のやむなきに至ります。それでも飽きたらずに会社は嫌がらせを続けているというのです。
しかし、こうしたBさんに対する退職強要・パワハラとA社のでたらめな労務支配を許せないと思っている仲間がいました。特にCさんは「こんな状況は許せない。私も群馬合同労組に加入して闘う」と決断してくれました。ばれないように、組合をつくろう、群馬合同労組に加入しようという組織化が始まります。
組織化はぐいぐい進みました。組織化の力になったのは特に女性のパート労働者たちでした。みんな、社長と専務に対して積もる怒りを抱いていたのです。そもそも若い女性たちは学校を卒業しても、まともな就職ができません。やる気も能力もあるのに、こんな会社の、非正規労働者にしかなれない、それを社長は「どこにも採用されないお前らを、俺は使ってやっているんだ」、そういう態度だといいます。また50歳を超した女性パート労働者たちは、労働組合を知っていました。闘う労働組合は必要、というのです。ここで団結の核ができました。集まって、社長は許せない、専務も許せない、そういう思いを、一つ一つ共有していく中で組合員が増えていきました。ここで分会結成。社長や専務の報復が怖い、と、たじろいでいた労働者も加入を決断してくれました。
組合の通告は昨年12月1日。13名連名で組合の通告と、就業規則とすべての付属規程を開示しろという要求書を専務に手渡しました。専務はしばらく呆然とした後、社長に連絡、少しすると出かけたはずの社長が飛んで帰ってきました。
しかし社長と専務は、こんなことで反省するような人たちではありません。女性組合員をつかまえて「何で組合に入った? いいことなんてひとつもないぞ」と脅したり、「今後は仕事の内容が大きく変わるかも知れない」などと報復をにおわせたり、分会長に就業規則を社外の人間に見せたら懲戒処分にすると脅したり、といった組合破壊の言動が続きました。
分会の仲間は、どうしたらいいだろうか、このままではさらに不当な人事上の攻撃も予想されるという状況の中で、労働委員会に「不当介入」をやめ「ポストノーティス」を求める不当労働行為救済申立をすることを決めました。名前を出す、証言をする、それぞれまた決断するのに勇気のいることでしたが、やろうと決めました。闘いは始まったばかり、山あり谷ありの道のりですが、労働組合という武器をつかって、職場に団結をつくりだす挑戦が始まりました。

「労働組合とは闘うための組織」

 群馬合同労組にとっても労働委員会への申立は、今回が初めてです。新たな分会の仲間と団結して、勝利を勝ちとっていく、労働組合としての真価が問われます。そもそも団結権とは何か? 労働組合とは何か? 今回労働委員会についていくつかの解説本を参考にしましたが、ほとんどは憲法から始まります。労働者が労働組合をつくる権利は、憲法28条で保障されている、と。しかし私たちが今はっきりさせなくてはならないのは団結権は法律で保障されているからあるのではないということです。「労働組合とは何のためにあるのか。それは闘うための組織だ。つまり労働者が資本と闘うために労働組合は必要である」(『甦る労働組合』)ということです。闘わなければ労働者には未来はない、だから労働組合をつくり、団結して資本と闘おう、ということです。国鉄分割・民営化と新自由主義によって階級的な労働組合と団結はズタズタにされています。しかし労働者の怒りはあふれている。闘う意欲もある。これを形にする力が私たちに求められています。2011年の闘いは、2012年の飛躍の準備をやりきるものでした。国鉄を先頭とする4大産別の闘いを軸にしながら、労働組合をすべての産別、すべての職場に組織する、そういう大胆な闘いが求められています。仲間のみなさん、ともに頑張りましょう!

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国鉄分割・民営化で不当解雇から25年

2・15労働者集会

 2月15日(水) 18時30分〜
 すみだ産業会館(東京都墨田区江東橋3―9―10)

 呼びかけ 国鉄分割・民営化に反対し、1047名解雇撤回闘争を支援する全国運動

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ひめじょおん−女性部から

3・18八尾北・西郡決戦に総決起を

八尾北医療センター労働組合 灰垣 美佐子

西郡の更地化・廃村攻撃を許さない!

 八尾市は昨年12月1日の住宅明け渡し裁判の最高裁での上告棄却を受け、1月20日付けで辻西さん、田中さん、岡邨さんに対して「30日以内に住宅を明渡し、全ての鍵を返還」せよ。「未払賃料及び損害金を」払え。「明渡しがなされない場合は、強制執行により退去いただく」という通知を送りつけてきました。あらためて怒りがふつふつと沸きあがってきます。
しかし追いつめられているのは国と八尾市です。組合員でもある3名の仲間と新たに明渡し裁判の提訴に立ち向かう供託者11家族の不屈の決起、八尾北医療センター明渡しと闘う八尾北労組の闘いは大恐慌と革命の時代に生き残り、破綻した新自由主義の道州制攻撃の凶暴で危機的な姿を浮き彫りにしました。労組破壊・団結破壊を通した住宅追い出し、病院廃院、小中学校の統廃合などすべてを奪いつくし生きることを許さない西郡の更地化・廃村攻撃だということです。
ここが大事だと思います。新自由主義の手口はウソとペテンをまきちらし、気づいたときには団結がずたずたにされています。だから絶対反対の闘いが登場することで敵の狙いを暴き、団結と闘いを求める労働者の結集軸となることができます。

病院廃院攻撃粉砕=道州制・橋下打倒へ

 私たちはこの間、さらに路線的深化を勝ちとってきました。1982年から始まる地対協路線(旧総理府・地域改善対策協議会による答申攻撃)は、部落解放運動の解体をとおして解放運動と一体で闘われてきた自治体や全逓、さらに教労の労働運動―労働組合の解体として30年間にわたって激しく進行してきました。大阪市労連・中村委員長の橋下への平身低頭は地対協路線と闘えなかった解放同盟の姿でもあります。まさに第二臨調での国鉄分割・民営化攻撃と一体の労組破壊―新自由主義攻撃と完全に一つの攻撃であったということです。新自由主義攻撃と闘う新たな解放運動―八尾北・西郡決戦を4大産別の労働運動の組織化そのものとして闘おうということです。
八尾北労組はこれと一体で、2005年「自主運営」もまた民営化攻撃であり、大病院―解同本部の乗っ取りを粉砕した地平から直ちに八尾市との民営化攻撃に決着をつける闘いに打って出ることが求められていたと路線的総括を勝ちとってきました。
3名の渾身の決起とどこまでも生き死にを共にし、西郡更地化―住宅追い出し、病院廃院攻撃粉砕=道州制・橋下打倒の闘いに決起していきます。八尾北労組の団結をうち固め労働運動の拠点労組として飛躍し、西郡1000名建設と地域ソヴィエト建設に向かって闘います。全国の闘う仲間のみなさん、3・18西郡の地へ全力決起を呼びかけます。(集会要項次号)

(写真 新年団結旗開きに110名【1月14日 八尾北医療センター】)

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■動労千葉労働学校で学ぼう!

 

 12月24日に行われた第11期労働学校実践講座第5回(テーマ「社会保障制度改悪との闘い」 講師 山部明子)の受講生の感想文を紹介します。

●合同労組組合員
TPPで農業が破壊される、医療も破壊されると話題になった頃、関税をなくすことでそういう事態に行きつくメカニズムがいまいちわからなかったんだけど、なぜ関税を無くすのかとか、その他の条項の目的とか考えると、要は資本の利益を守るという背景が見えてくるようになった。すべてを金儲けのネタにしていく資本主義の本質が軍事にまで行き、日々人を殺している。それで潤う人間がいる!
(中略)投資家の利益のために国家が訴えられるという、もはや体制の崩壊そのものだ。その先にはむき出しの資本主義の本性、奴隷社会、いや死の社会が待っている。闘わねば!

●合同労組組合員
「社会保障を収奪機構に変える新自由主義」というタイトルそのままの現実に怒りがわきます。薬を必要としている人がいるのに、金儲けにならないからつくらない、高く売りつけるために買い占めるとか、許せない現実ばかりだ。
社会保障解体を現場の闘い、労働運動の力で変えること―この現実の闘い、実践としてA病院の闘いはすごい闘いだ(中略)。
現場(労働者)の団結に依拠して闘うということの大変さと、しかし資本や組合幹部と闘う中で、団結を強化していることが生き生きと語られて、感動した。A病院の闘いの教訓や地平は、動労千葉の闘いと同じように普遍的な教訓がつまっていると思います。路線は観念的につくるのではなく、現場の労働者との討論や闘いの実践の中でつくられる(中略)
年休ストを闘って、現場をパニックにさせて、逆に空気が入っていること、自分たちが職場を回している実感をつかんでいるのはすごいと思った。

●動労千葉を支援する会会員
年金の削減や介護保険等が単なる財政政策ではなく労組破壊、民営化、非正規化攻撃の武器として新自由主義攻撃としてかけられているということがよく分かりました。
社会保障の切り捨てによる新自由主義攻撃に対して、社会保障すら出来なくなった資本主義に最大の問題がある(中略)
Bさんの闘いの話(中略)。聖職者論を「自分の人権守れない奴が患者の人権守れるか」でひっくり返したというのは、教育労働運動にとっても重要だと思った。全労連とのたたかいは、労働運動の主体は労働者なのか、党なのかをめぐる闘いのように感じました。電子カルテをめぐる闘いは、社会保障の職場を金儲けのための大合理化が始まる中でのまったく新たな医療産別における反合闘争の路線をつくる闘いだと知って感激しました。

第11期労働学校日程

■基礎講座
2月18日(土) 13:00〜
◆現代の帝国主義
◆講師 島崎光晴(経済問題研究家)

■実践講座
2月25日(土) 13:00〜
◆裁判員制度と改憲
◆講師 高山俊吉(弁護士)

■場所  DC会館(JR総武本線「東千葉」駅前)

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各地区青年集会・春闘集会を大成功させ、JR4月全面外注化阻止、反原発・反失業の大闘争を実現しよう――交流センター青年部の本格的建設へ!

赤羽 進彦 全国労働組合交流センター青年部長

 2012年、国鉄決戦と反原発・反失業で階級的労働運動の復権を勝ちとろう! すでにこの闘いはJR4月全面外注化との熾烈な闘争として猛然と火を噴いています。動労千葉青年部、動労水戸の青年の決起に続き、2000万青年労働者が階級的団結を奪い返すならば、日本階級闘争の巨大な扉は押し開かれます。
今こそ各地域センター、産別部会は、具体的・実践的に闘いを始めよう。各地で設定されている青年集会・春闘集会こそ、青年隊列をつくりだす決定的なチャンスです。青年集会・春闘集会を大成功させ、JR4月全面外注化阻止、反原発・反失業の12春闘を実現しよう!

青年労働者に階級的団結を生みだそう

 2012年、いまや世界中で青年労働者が先頭に立ち、革命に立ち上がっています。腐りきった資本主義社会を打破して労働者の「自由な国」をつくる一切の力は、青年労働者の階級的団結をつくり出す中にあります。
2000万青年の多くは、74〜5年恐慌以降に生まれた世代です。74〜5年恐慌で資本主義の命脈が尽き果て、帝国主義各国は延命をかけて新自由主義政策に転換し、日本帝国主義は国鉄分割・民営化を頂点に、徹底的に労働者の団結、労働組合を解体しました。
青年労働者は生まれたときから、新自由主義による非正規職化のすさまじい競争と分断の中を必死に生き抜いてきました。今日、日本の青年労働者は徹底的にバラバラにされ、階級的団結をまったく知らない状態にあることをいったんは見据える必要があります。
しかし青年は3・11以降、闘いの中で「階級的団結を復権することは絶対にできる」ことを実証しました。階級的団結とは、「階級全体と自分との関係」での変革を勝ちとることだと、交流センターに結集する若者自身が闘う中でつかんできました。「相手と自分との関係」だけで考えて、知らず知らずの内に自分の変革からは身を引き、相手のみに変革を要求するような、「自分に都合のいい団結の押し売り」を越えて、闘いの中で階級的団結を生み出すのがマルクス主義です。
こうしたことを必死にジリジリと実践し、失敗をしてもマルクス主義の原点に立ち返り総括すること通して、階級的団結の復権は絶対にできるということを、青年自身がつかみ取ってきたのです。

青年獲得を最大の課題にしよう

 昨年、各地の青年集会における労組青年部としての結集、そしてこれを通した11月集会への組合旗を持っての結集という、決定的な前進が勝ちとられています。「青年集会は青年の集会」というあり方ではなく、地域センターの最大の課題として青年獲得を据えたことで、青年労働者の獲得、指導部の建設は圧倒的に前進したという総括が報告されています。
この教訓に習い、全国各地で青年集会、春闘集会が闘い抜かれます。各地域センター、産別部会が一丸となって青年の組織化を闘いとる準備は、すでに整っています。

闘う春闘から労組青年部の復権を

 そして青年集会・春闘集会を、「集会のための集会」ではなく、具体的な職場の課題に対して、春闘として真っ向から対決する労働運動を創り出すこと、その中で労組青年部を復権することが決定的に重要です。
3・11情勢の下、労資の非和解性は明確になっています。だからこそ階級的労働組合は、現場で起きる問題を全面的に闘うことが求められています。経団連や日帝ブルジョアジーはぼろ儲けの算段をしながら、さらに「アジア並みの賃金を!」と叫んでいます。この大攻撃が、昨年以上に吹き荒れるのは間違いない情勢です。
定期昇給を巡る攻防一つとってみても重要な闘いです。これも 非正規職を切り捨て、正規職だけが享受する定昇≠ナはなく、非正規職を撤廃するための、正規・非正規の闘いとしての定昇≠ニしなければなりません。
職場での反原発闘争もそうです。どこの職場でも放射性物質は降り積もっています。資本はこれを「1円の儲けにもならない」と、見て見ぬ振りをしている。この結果もたらされるのが被曝労働です。一切の真実を職場で暴き、反原発・反失業を一体で、全労働者の未来をかけた闘いを組織するならば、絶対に勝利することができるのです。

マルクス主義が武器

 だからこそ、マルクス主義の復権、それにもとづく時代認識と路線が決定的に重要です。青年を先頭に、マルクス主義の学習を2012年の第1級のテーマにしよう!
ここまで団結がバラバラにされたのは、資本家階級の攻撃が激しかったからだけではありません。資本と結託した体制内労組幹部の裏切りによって労働組合が無惨なまでに変質させられ、スターリン主義や社民によってマルクス主義が徹底的に歪曲されてきたからです。
だから、本物のマルクス主義を青年の手に取り戻す必要があります。体制内幹部の批判だけではなく、私たち自身がマルクス主義で武装し、労働者階級の闘いを個々の狭い職業的利益の追求にのみ流し込むようなあり方と決別し、階級的労働運動を実際に実現することです。

新たなリーダーを生みだし、交流センター青年部の本格的建設を!

 拠点建設と青年労働者の組織化を実現するために、各地域センター、産別部会は直ちに実践を開始しよう。青年労働者の組織化を全体の力でやろう。それを通して職場の状態が具体的に把握され、何よりも職場全体、労働運動全体に責任を取る自分自身の日常的あり方も点検されるのだと思います。絶え間ない青年の組織戦は、11月集会1万人結集に向けた、地道でありながら壮大な闘いです。
こうした闘いを通して、新たな若いリーダーを生みだそう! 春闘集会、青年集会を成功させ、JR4月全面外注化阻止から、反原発・反失業大闘争へ! 2012年、交流センター青年部の本格的建設をやりぬこう!

(写真 広島青年労働者集会には全国から270人が集まった【昨年8月7日、広島工業大学】)

 

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■「動労千葉を支援する会・習志野」からの報告

菊池 晴知 習志野市職 「動労千葉を支援する会・習志野」呼びかけ人

3・11で時代は変わった

 まずはじめに、昨年1年の全国の仲間の奮闘、とりわけ被災地の仲間の皆さんの献身的な闘いに心から敬意を表したいと思います。3・11でガラっと価値観が変わり、「人間如何に生くべきか」が真に問われる時代に入ったと言えるのではないでしょうか。

対当局・日共で鍛えられた習志野の仲間

 習志野市について簡単に紹介します。習志野市は千葉県北西部にある、人口16万人ほどの小さな市です。労働組合は自治労連(日共系)に属し、全労連(日共系ナショナルセンター)の議長を輩出したこともある組合でしたが、長年にわたり、当局と日共執行部の「労使協調」をぶち破って闘い、毎回役員選挙でも激突して団結を広げてきた結果、闘う仲間が前進する一方、日共執行部は職場の仲間からも「御用組合」と呼ばれ、見放されています。

正規・非正規の決起で雇い止めをはね返す

 一昨年、長年(長い方は20年以上)勤務してきた「非正規」の「給食受取調理員」(給食センターから学校に配送される給食を各クラスに配膳する仕事)さんたちを全員雇い止めにする、という大変な攻撃があり、これが習志野の闘いのひとつの転機になりました。6カ月毎の勤務延長を何十回も繰り返し、低賃金で働いてきたのに、いきなり雇い止め!「これからどう生活していけばいいのか」「本当はとっくに正規にしていなければならないのに、それをサボってきた当局が今になって何を言うか」 当人たちは怒りで一瞬頭が真っ白になったといいます。そのうえ当局は「用務員さんが受取調理員さんを手伝っているのは衛生上問題があるので、受取調理員制度を見直すことにした」などと、まるで用務員さんが悪いからこうするんだ、というようなことを言ってきたため、用務員さんたちもカンカン! 私たちがこの問題をビラで全庁に訴えると「当局のやり方は人の道にはずれている。現場の苦労もわからない連中がこんなパワハラをやってくるなんて許せない」と、怒りが巻き起こりました。この攻撃と闘うよう日共執行部に申し入れましたが、まったく動かない。それどころか当局に一応話しに行くも丸めこまれてしまう始末。
「もう執行部なんか相手にしていられない」正規労働者も非正規労働者も一緒になってビラをつくり、当局と交渉し、最終的に「受取調理員制度廃止」は阻止できなかったものの、他の職場で勤務を継続する、など身分を保全し、雇い止めを粉砕することができました。

「動労千葉を支援する会・習志野」を結成

 この闘いを通じて「日共執行部に代わる職場の仲間の団結体が必要だ」と痛感した職場の仲間は、「まっとうな組合をつくろう」とあれこれ議論した結果「動労千葉を支援する会・習志野」を結成することにしました。

3・11の衝撃

 そしてついに「あの日」がやって来ました。3月11日、仕事中に職場がグラグラっと揺れ、みんな外に出ましたが、生まれて初めて経験する大きな揺れ。携帯も通じず、公衆電話には長蛇の列。当日は駅に溢れた「帰宅難民」が近くの学校の体育館に殺到し、夜中まで職場で待機となった仲間も多くいました。

被災地支援に行こう! 5月仙台へ

 こうした中、「被災地を応援しに行こう」という意見が出され、職場でカンパを集めることになりました。こういう時はフットワークが命。手作りのカンパ箱で職場を回りました。中には「市が正式に集めているカンパじゃないから協力するな」なんていう不心得な管理職もいましたが、「みんな大変な目にあっているのに恥ずかしくないのか」とかえって職場の仲間から総スカンをくらいました。
集まったお金11万円と食べ物、日用品を持って柏市や千葉の仲間と一緒に仙台に向かい、無事渡すことができました。仙台の仲間から「100万仙台市民が一夜にして飢餓状態に陥ったのはショックだった」「自分が生きのびるのに精一杯で、原発事故のこともずっと知らなかった」など驚くべき話を聞き、南蒲生にある仙台市の施設では「屋上に逃げて九死に一生を得たが、自分が乗ってきた車は流されてしまった」と語る青年労働者を激励することができました。震災から2カ月も経っていたのに、道の両側には車がゴロゴロ横たわり、まだ遺体捜索も行われていました。

機関紙『風雲』を発刊

 「支援する会・習志野」の仲間が集まるといろんな意見が飛び出します。「クソ面白くない組合機関紙に代わる本格的な職場新聞を発行しよう」「ブログもやろうよ」というわけで、9月にブログを始め、10月には職場新聞『風雲』を発刊しました。「(元ネタは)『風雲!たけし城』(86〜89年放映のバラエティ番組)か?」なんて言う不埒な(?)仲間もいましたが、出だしは上々。職場問題を軸に、国鉄大運動、反原発闘争などを盛り込んだ『風雲』は職場の反響を呼びました。指定管理者=民営化された老人ホームで働く非正規の仲間と一緒になって民営化の恐るべき実態を暴き、当局にエアコンを設置させるという成果も勝ちとりました。こうした闘いで団結を広げ、昨年11月労働者集会には前年の倍の仲間が参加してくれました。

全面的民営化との闘い

 そして今、習志野市当局は、昨年12月「習志野市公共施設再生計画基本方針(案)」を発表し、124施設を丸ごと民営化し、市で働く労働者を大量に解雇し、非正規職の労働者に置き換える攻撃に打って出てきています。断固粉砕あるのみです。
年明け早々、「日の丸・君が代」処分粉砕闘争で大きな勝利があり、神奈川の仲間は1・11不当弾圧をものの見事にはね返しました。危機にのたうつ野田政権、ファシズムで危機を乗り切ろうとする橋下大阪市長など新自由主義の「ショック・ドクトリン」をはね返し、職場の団結を広げ、国鉄1047名解雇撤回、外注化攻撃をはね返そう。原発再稼働を止めて全原発をなくそう。2012年を勝利の年に!
最後にお願いですが、私たちのブログを是非のぞいて見てください。(「動労千葉を支援する会・習志野」で検索)
トゥジェン!

(写真 動労千葉ストライキ支援に決起【1月10日 千葉】)

 

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講師解雇撤回の闘いが切り開いたもの
―闘って、団結つくって、組織拡大―

増田 順計 日教組奈良市書記次長

解雇自由の非正規教員

 私たち日教組奈良市は2010年から2年間、奈良市費教員Aさんの解雇撤回闘争を闘ってきました。
奈良市は2007年から市独自に採用試験を行い小学校での30人学級担当と小中学校への加配教員としての児童生徒支援教員を採用してきました。しかし、身分は1年雇い止めの非正規職で、毎年試験に合格しなければ翌年の雇用が継続されないというとんでもないものでした。しかも、その多くは10年、20年にわたって同和加配の常勤講師(人権教育推進教員)として市に反復雇用されてきた人たちだったのです。奈良市教委は、解放同盟幹部の不正事件を契機に始まった解同バッシングを奇貨として、これらの講師をいったん全員解雇し、新たに採用試験を受けさせ、いつでも解雇できる非正規職として再編したのです。そのもとで、現実にAさんが雇用継続時の面接試験で「不合格」とされて解雇=雇い止めされるという事態が起きたのです。

解雇撤回・継続時の試験制度撤廃へ

 私たちは、2007年以降、市教委を追及し、毎年だった任用継続時の試験を3年に1回にさせ、さらに1次試験免除、2次の面接のみというところまで改善を図る一方、森精機での非正規職撤廃の闘いから学び、2009年からは「非正規職ではなく正規採用せよ」という要求を組合として掲げてきました。
それでも、Aさん「不合格」の直後には執行委員会の中にさえ「試験に落ちてしまった以上どうしようもない。とにかく次の仕事(県費講師)を保障させよう」という自己責任論や例外的・個人的問題としての救済論でとらえてしまう傾向がありました。試験での「不合格」を解雇としてとらえることでの一致には徹底した議論が必要だったのです。
執行委員会と講師部の仲間の合同会議の場で、「これは他人事ではなく3年後の自分たちかもしれない」「いつ何を理由にして試験に落とされるかと思うと1日だって安心して働ける日はない」「試験制度が解雇の道具にされた」という怒りの声があがりました。日教組奈良市が掲げてきた「ALL FOR ONE! ONE FOR ALL!」の実践が問われていました。熱い議論の末、労働組合の存在を掛けて「Aさんの解雇撤回」を市教委に要求していくことを決定しました。非正規職の仲間の解雇撤回を真っ正面から掲げることは教組運動の中では例のなかったことだと思います。
しかし、その後の市教委交渉では試験制度を護持し非正規化を進める市教委の路線があらわになりました。「市民目線から、市費教員の資質の担保と任用の公平・公正性のために試験は絶対必要」と主張し「試験をする以上不合格者が出るのは当然のこと」と解雇を居直る市教委に対し、私たちは「解雇撤回」と解雇のための道具である「任用継続時の試験制度撤廃」を要求すると共に、4月以降の当面のAさんの仕事の保障(県費常勤の講師)を要求しました。

闘う労働組合として甦ることをかけた闘い

 ところが、2010年春、市教委は、Aさんを県費講師としての任用からも干しあげ、本人と家族の生存権を奪うという言語道断の暴挙に踏み込んできました。市教委は日教組奈良市のぎりぎりの要求も無視し、Aさんを二度解雇したのです。また、執行委員会の申し入れの場では市教委が「労働組合? 職員団体でしょ」「申し入れなんかしたら喧嘩になりますよ」という「不当労働行為」発言を行ってくるということもありました。
こういった市教委の対応の根底には、教育条件や教育内容の改善について提言、協議するすることが運動の中心となり、労働者としての譲れない利益をめぐって真正面から非和解的に闘うことのないパートナー路線(当時市教委は「日教組奈良市とは良好な関係を築いてきた……」と言っていた)へと転落してしまっていた日教組運動への侮りがあり、それは労働組合を体制内的に取り込み解雇の共犯者にさえしていこうとするものでした。
時あたかも「4・9政治和解」策動、検修業務外注化絶対反対の闘いを動労千葉が必死でこじ開けていたときでした。国鉄で起きていることと市費教員解雇はともに新自由主義による非正規化と解雇自由の攻撃であり、これと絶対反対で闘い、階級的団結を拡大することが国鉄闘争を闘うことだということが教労現場でも問われていたのです。解雇撤回・試験制度撤廃で全面対決できる団結をうち固めることなしに闘いは一歩も進まないことがはっきりしたのです。そこを曖昧にしない議論をAさんも交えた執行委員会で積み上げました。
そうして迎えた定期総会ではAさん本人が市教委への戦闘宣言を発し、「Aさん解雇と向き合うことを通して、労働者としての怒りと団結を取り戻し、労働組合として『甦る』チャンスを与えられたのだ。」(総会決議)と宣言することができました。「Aさん個人の救済のためではなく、すべての市費教員、県費も含めた非正規の仲間、いや、教諭も含めた労働者のモノ扱いを許さないために労働組合として闘うんだ」これ以後、委員長が繰り返し提起するようになった言葉です。
ここに立てたとき、わずか百数十人の日教組奈良市が市内1800の教育労働者に団結を呼びかけることを決断できました。組織拡大が始まり、勤務時間管理シート白紙撤回を勝ちとり、ついに昨年末、県費講師の職からもAさんを意図的に追放したことを謝罪し、「市費教員任用継続時の試験制度撤廃」を市教委が約束するに至りました。職場に加えられる新自由主義の攻撃をとらえて離さず絶対反対の闘いに歩み出したとき、動労千葉との連帯も、3・11情勢のもとでの連続的な反原発闘争と11月全国労働者集会への結集も一筋につながってきたのです。団結の拡大を総括軸にして、2012年この道をさらに前進したいと思います。

('写真 昨年11・6労働者集会で決意表明する奥村書記長)

 

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■■労働運動を語る
清野和彦さんに聞く(後編)

元福島県教職員組合委員長 国鉄闘争全国運動呼びかけ人
聞き手・構成 編集部

目次

3・11福島集会への全国的連帯と支援を
学生時代に勤評闘争
日教組におけるストライキ闘争(1月号)
国鉄闘争全国運動呼びかけ人となった決意
国鉄・分割民営化に抗して
職場闘争をとおして連帯感、団結をつくる
(本号)

国鉄闘争全国運動呼びかけ人となった決意

――国鉄闘争全国運動の呼びかけ人に参加された経緯についてお聞かせ下さい。

 75年に総評運動の中軸であった国労を中心に公労協80万が、ストライキ権奪還を正面に掲げて8日間にわたる全国闘争を闘いました。しかし、要求は実現せず、敗北に終わったわけです。70年安保闘争で高揚した反戦青年委員会の闘争とは結びつかなかったのですね。社会的な大衆闘争として運動化を図れなかった。総評労働運動の限界だったのです。 この闘いの教訓を最大限に手にしたのは中曽根康弘を中心とする自民党政権と総資本でした。彼らによって国策的な国鉄分割民営化攻撃が進められて87年に強行されました。当然それが行き着く先のように、89年には総評は自ら解体し、連合が誕生しました。
以来、まともな労働運動、大衆闘争に依拠した労働者の闘いは、日本の労働者階級、労働組合の追求すべき課題となりました。国鉄闘争、1047名の解雇撤回闘争は、これ以降継続された全国闘争であり、闘う労働運動の経験と精神を引き継ぐものです。福島県教組は、日教組でも、県段階でも、労働運動の右傾化といわれるこの流れに抗して、主体性を守りぬくことで苦闘してきました。国鉄闘争全国運動は、全国運動として、日本の労働運動が今、追求しなければならない課題を提起しているということだと思います。
呼びかけ人となったのは、私自身のやむにやまれぬ決意表明です。

国鉄・分割民営化に抗して

――いわゆる「400日抗争」(※)がありました。ちょうど書記長をやられておられる過程ですよね。清野さんご自身はどういう考えでおられましたか。

 「400日抗争」の底流は、さっき言ったストライキの救援の問題での得も言われぬ対立みたいなものです。引き金になったのは田中一郎委員長になって、当時、自民党文教族の中心であった西岡武夫が落選したときに挨拶、激励に行って、それに長崎県教組が怒り心頭に発してということになりますか。
だけどそういう動きはすでにあったわけです。85年にできた「八五会」というのがあるんですよ。北海道、福岡、鹿児島はじめ九州のだいたい。後は福島とか。専従役員部分の会合ですね。後に改称されて各県連絡会になりましたが、いわゆる左派グループです。これは今も年に1回は会合しているはずです。ただ内実的に本当に左派グループか、うーんどうかなあということになっちゃうんですが。
私らは日教組の中では労戦統一については反対という立場で対抗してきました。八五会とは別にいわゆる社会党系11県高というのがあるんです。それは労戦統一に真っ向から反対した。佐賀などは今、連合に行っていないと思うんですが、福島も連合には加盟していません。だから共産党系も抜けないでとどまっています。
そういう県は福島のほか何県かある。そういう点ではよかったのかどうかということについては問題はあるんですが、組織を割らなかったのだけはよかったと思っているんです。
内部的には異論がありました。どうしてもつながりが少なくなりますから。いろいろ知恵を絞ってやってきました。メーデーも連合でやるようになったけど、いろいろ考えた末に、ちゃんと県教組も国労も一角を占めて参加してます。それは労働者福祉協議会(労福協)というのがあるんですが、そこもメーデーの呼びかけ人なんですよ。県教組はそこに入っています。だから連合メーデーだといいながら、独自のスローガンをもって参加します。
今連合を見ていて感じる大きな損失は、地区労がなくなったことでしょうね。残ったところもあるんだけども。結局今考えてみて一番大きいのは、国鉄分割・民営化です。中曽根が言ったとおりに物事が進行しましたから。
国労にとって大きかったのはやっぱりスト権ストの敗北でしょう。あれが最後の山場でしょうね。総評自体にとっても。あそこで引いた、負けたことが大きかった。その後の分割・民営化を強行されても労働運動全体が突破されている中で闘えず、国労だけがマスコミもひっくるめて大変な包囲網を敷かれた。浮き上がったというか、浮き上がらせられたというか。足下を崩された。でも地方・地域でもまだ分割・民営化については署名運動だの何だのずいぶん闘いが積み重ねられたんですがね。でもあれが非常に大きくて総評解体につながったといってもいいんでしょうね。

――よく日教組なんかは「国労のようになってはいけない」という意識が強烈に働いて、連合加盟という方向にどんどん走っていったと言われていますが。

 それもありますね。確かに。私らも県段階でずっと抵抗はしたんです。連合が発足しても県連合ができても、前の総評系の県労協は残って併存していましたから。二重加盟になっていく中で整理されたんで。
でもそのへんのところは左派といわれた組合で一番最初につぶされたのは電通。それから全逓。国鉄は国家権力によってですが、電通、全逓は内部の力によってですね。左と右の対立の中で右が勢力を伸ばして。単一組織というのはある意味では考えものだなあと思いながらながめていましたよ。電通、全逓などの地方の幹部にはかなりしっかりしたのがいるんですが、みんな中央からの締め付けで首を切られた。単一組織というのは弱いんだなあと思いましたね。
自治労は連合体で、日教組もある意味では連合体だから。だからそれでかろうじて生き残っているんですよね。雑居状態だから。
もっと表に出るような論議があっていいと思います。具体的な話は大会の中にいくと出るんですが、全体的になるとなかなかバランスが働いちゃうのか出ないですね。
福島県教組で今ストライキをやる力はなくなっちゃったけれども、唯一残っている力は、役員選挙、大会代議員選挙の過程で発揮されます。選挙期間は告示から投票日まで1カ月間なんです。で、不在者投票が2日あって、金曜日に全県一斉に各職場投票。そして、その日のうちに各支部で集約して土曜日に本部に集めて土曜日開票なんですよ。広い福島で想像を絶する闘いですが、それだけが習慣として残って今も続いている。
さっきストライキのときに、クセのつけようかなと言ったけど、そんなもんなんですよ。やればできると思って始まったわけでもなんでもないのにやれたんで、やれたのが続いている。やりきれているものだから誰も何も言わない。無理だとか何とかというのは言わない。組織力というのはそういうところにもあるんでしょうね。
ストライキを打てなくなったのは経験がなくなっていっているのと、人事院勧告自体が完全実施になったというのも大きい。賃金闘争でストライキをやってきたんで人事院勧告が完全実施されるようになったら全国的な統一闘争がなくなっちゃったわけです。だからその分、力は落ちていくんでしょうね。日教組としての求心力が重要なのです。
だから言えることは、どういう課題で日教組自体が全国的な統一行動・統一闘争というのを組織していくのかがある意味で大きな課題のひとつでしょうね。そうでないと、日教組があるというのがわからなくなってしまう。

――もし清野さんが日教組の委員長だったらどういう方針を出しますか。

 やっぱり日教組的に力入れてもらわなくてはならないのは原発です。それは全国的な課題になりうるわけで。
ただこれはある意味で言えば多面的な面があるから、問題の提起の仕方をどうしていくのかというのはかなり難しい。文科省もからんでいて、いろいろな面から考えなくちゃならない。立地しているところ。それから東京みたいに電力を享受しているところ。後は教育的な内容の問題。いろいろな切り口があって面倒だと思うんだけれど、その可能なところのイニシアチブを全国的に発揮しないと、とは思うんですけどね。

職場闘争をとおして連帯感、団結をつくる

――労働運動はどういう方向をめざすべきなのか、今後の日教組運動の進むべき方向についのイメージなどお考えをお聞かせ下さい。

 非常に難しい問題だと思っているんです。ただかろうじていわゆる旧総評系が平和フォーラムで残っていますから、だからそれが中心に立って労働運動の部門で何とか全国的な旗を立ててくれればいいなあと思っているんです。このまえの9・19の集会にはずいぶん組織的な参加があったんで状況が変わればいいなあと思っています。連合自体も方針を転換したけれどもアリバイづくりの方針のようですからね。
日教組運動については、私らのいたときからしていくと、ふたつほど課題がありますか。ひとつは、職場闘争というのがなくなってきていることですね。私らのときは職場闘争という言葉を使いましたけれども、今はそういう言い方はどこでもなくなってしまったようで。だから県教組の中でもそういうのを意識してというのはなかなかいかないみたいです。あともうひとつは、全国的な課題をどういうふうに提起していけるか。そのふたつですよね。そのふたつがかみあわさっていけば、様相を変えていけるのではないかなと思います。
なかなか今までもどこの組織でも考えて頑張っていてもうまくいかなかった。職場闘争があっても今度は全国的な課題というのが見えなくなったり提起されなかったり。
職場闘争の中で一番重要なのは、どういうふうに連帯感、団結を職場の中でつくりだせるかという作業でしょうね。私らが経験したことで言うと、これはどこの職場でもできることではないと思うんだけれども、一番大きな武器になりうるのは機関紙です。いわゆる職場新聞なり何なり。取材をしたり、技術的なことでいろいろ工夫を重ね、経験をしないと、なかなかいいのはできないと思いますけども。

――それでは最後に、読者、特に青年労働者に向かってお願いできますでしょうか。

 やっぱり一に学習でしょうね。後は、誰とでもなかなかできることではないけれども、議論を重ねることでしょう。学習と同時に。議論・討論。
あと労働学校です。労働学校みたいなものは、だんだん下火になってきましたからね。昔は春闘の前には必ず県評が集めて討論集会を必ず持ったし。日教組なんかも全国討論集会を持ったし。それと前段には各県では討論集会をやったし。そういう積み重ねというのが必要です。
福島県教組も今やっぱり大変です。いま後始末で頭を痛めているのは、人事異動はいつも3月にやっていたんですが、原発で3月中止して、8月1日にやった。ところが、双葉郡を中心にしてバラバラですから。学校の名前はあるんだけれども、子どもはみんなどこかに行っちゃったんで。そうすると、学校所属になるんだけれども、子どもを捜さないとダメなんです。それぞれ居住地はある。100qも先にいるという子どももいて、大変です。
後始末といってもいつになったら正常に戻れるのかはわからないわけで、30年はかかるでしょうから。
福島でも秋年闘争、確定闘争は、県公務員共闘として総決起集会を1000名規模で実施しています。今でもこれぐらいの規模でやっています。公務員共闘だから自治労、水道、林野、農林もちゃんと来ます。だからあっちこっちにそういうのは残ってはいるんです。潜在的力はあるんですよ。労働者というのは力はあるんで。
連合も、だんだんやらざるをえなくなるでしょう。この状況というのはずっと続くでしょうから。なかなか難しい問題だけれども、ただやっぱり今の状況はひとつの転機でしょう。原発がそうだし、国鉄闘争の継承、沖縄の反基地闘争、憲法審査会も始動していますし。TPPもそうだし。TPPには珍しく医師会も反対しましたしね。
頑張っていくよりほかないですね。

 (了)

(昨年11月上旬に都内で行ったインタビュー原稿に加筆・補正をいただいたものです) 

※「400日抗争」 日教組は、86年から87年にかけて臨教審と労線統一をめぐって主流派内右派(田中委員長)と左派(中小路書記長)との対立が激化し、大会招集がないままの状況が続いた。最終的には88年2月の大会で三役全員が辞任することで収拾、「総評方針支持」を多数決で決定する。

 

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●読者のページ

●組合員権停止15年を打ち破ったことと、『1万の壁』から考えること

千葉労組交流センター会員 建設労組副支部長 森 研一

 「労働組合をめぐる戦国時代が始まっている」――これは、私が所属する産別地域労働組合(組合員約2200人)から組合員権停止の統制処分中に(役職解任・組合員権停止15年→民事裁判で7年間)、話し合った他支部の役員で執行委員をやっている60年配の組合員仲間が言ったフレーズです。
 私は昨12月で組合員権停止期間が満了し、大震災で延期になっていた定期大会にむけた分会(50名)総会・支部(570名)総会に参加し、役員選挙に立候補し大会には大会代議員・執行委員候補として参加しました。
 大会代議員から「組合を訴えて被害を与えるような人が役員になるのは許せない! 不信任の採択を!」の緊急動議が提起されましたが、圧倒的多数の反対で否決!
その結果、現在は執行委員で副支部部長・副分会長、昼は生業で夜に分会会議や執行委員会の日々です。
その彼が言ったのです。「森さんは、口を開くと動労千葉や中野洋と言うけど、あんたは、うちの組合という場所がある。いまさら動労千葉のことを話さなくとも、組合員はあんたが中野さんの子分ということを知っているよ。だから亡き者にしようと15年権利停止処分にしたんだ。民主党政権の支柱は、官僚と連合だから、労働組合をめぐる戦国時代が始まっていると思う」(この時はまだ中野洋動労千葉顧問は闘病中でした)。なるほど労働組合は、労働者階級の宝庫と感じました。
彼は、千葉県下で総評傘下の労組委員長を経験し、解雇退職後に経師稼業で生計をたて建設労働組合に参加。動労千葉のことを総評極左派と評していました。そして彼は実は、かつて組合定期大会で書記長に立候補したところ、現執行部が別室の執行委員会で多数決で否決して書記長人事を「対立候補なし」と強行され、組合規約違反だと抗議ビラを配布した「組合批判」を理由に、役職解任・組合員権停止5年の統制処分を経験していた人だったのです。かつても強烈な労働組合をめぐる格闘があった! すべては統制処分から始まったのです。
 さて、交流センターの開聞(かいびゃく)のとき、歴戦老檜な現役労働組合指導者が3人おられました。元中立労連議長の佐藤芳夫さん、動労千葉の中野洋さん、ス労自主労組の入江史郎さんです。、
 組織労働者の運動体でありたいということは、労働組合の協議・共闘組織ということですが、当初団体加入は「動労般連合とス労自主労組だけだった」との入江さんの回顧は「1万の壁」の本質を突いていると思います。
 私の参加している労働組合は、特定産業の多業種の5人以下を雇用する経営者や家族経営業者、一人親方や雇用労働者を加入資格とした労働組合法の「見なし規定」で構成される労働組合です。
 労働組合の所在を雇用主と見なし、組合員を労働者と見なして可能となった共同性です。これで健康保険組合に加入して組合員と家族の保険医療が保証されているのです。
毎年の予算確定時節に健康保険財源への厚生労働省からの補助金要求を大衆運動にしている組合です。構成員が全国30万人ですから、連合との関係でいうと「連合に行かない、行けない」上部団体のない労働組合です(県レベルで連合や全労連に参加もあり)。
 党派的にいうと日本共産党は、選挙運動の票田ということもあり、組合員組織化を意識化しています。例えば今年の大会で委員長になったのは、影響下にある地方労組出身の執行委員です。2002年5〜6月の有事立法反対の都心集会のとき年配者を含めた大デモ隊列の様子を覚えている読者もいるでしょう。
企業内組合と違って、定年退職がないので75歳までは健康保険が使えます。ですから、連合や全労連傘下の労働組合の改革、新たな組合づくりと共に、特定専門業種の労働者に就業して労働組合を発展させる術もあるのです。
 他党派が想定もしなかった組合運動の一角にたどり着くのに10年かかってます。
しかしこの10年の間、組合員は私を「味見期間」として見ていたのです。それが組合大会代議員による緊急動議の否決と執行委員就任承認でした。
差し当たり2011年11・6集会参加者は1名です。
 国鉄闘争全国闘争呼びかけ人に地域の民営化・公務員解雇攻撃と対時する労働組合が名乗りでていることは、政治党派が立ち遅れる例です。
世界を見ても、労働者階級という用語を装飾したり、赤旗や労働者や農民の工具を商標としたりする団体やその世界で、労働者階級の労働組合を否定したり卑下する傾向があります。
 情勢分析するときには、連合という労働組合組織の翼賛化をテーマにするのに、変革の基軸になる労働組合基軸論を展開しないのは羊頭狗肉の典型となります。
 労組交流センターの組織的責任者に労組代表が増えるようになりたいですね。

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  読者の皆さん! 投稿をお願いします。強制するページではなく自主的に決起するところです。

編集後記

 ▼最近よく考える「党と労働組合」の問題▼産別会議と産別民同の発生を見ても日共のセクト主義、引き回し、「党が一番えらい」という思想の矛盾がその後の党と労働組合の区別論横行の元になった▼中野顧問は「労働組合と党は限りなく一体であるべきだ」と言う▼鍵はここでも「労働者への徹底した信頼」だ(う)

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Photo Document 2011年12月〜2012年1月

東日本解放共闘が第20回総会勝ちとる!

12・18東京

部落解放東日本共闘会議第20回総会が全水道会館で開かれ、解同全国連・杉並支部と品川支部を先頭に75人が参加。主催者あいさつに立った解放共闘議長の田中康宏動労千葉委員長は、「われわれの力で狭山再審をかちとる決意を」と訴えた。

鈴木謙太郎さん急逝のりこえ、決戦勝利へ!

1・9千葉

三里塚芝山連合空港反対同盟の新年初の現地デモと団結旗開きが140人の結集で行われた。1月7日午前10時9分に急逝された反対同盟事務局員・鈴木謙太郎さんの遺志を引き継ぎ、三里塚決戦の勝利を固く誓い合った。

脱原発世界会議に1万1500人!

1・14神奈川

14〜15日、1万1500人で開催された「脱原発世界会議2012YOKOHAMA」と結んで、止めよう原発!神奈川・東電デモ実行委員会主催の東電神奈川支店デモが80人で行われた。核廃棄物処分場絶対反対で闘うドイツの仲間や動労千葉も参加した。

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