ひめじょおん――女性部から 労働者階級の中に生きている

2019年7月31日

月刊『労働運動』34頁(0310号08/01)(2016/01/01)

ひめじょおん――女性部から
労働者階級の中に生きている

(写真 ドイツのクルトさんが店を訪れる)

倉岡 雅美(動労福島 郡山駅新幹線ホームキオスク勤務)

 シフト表を渡されると、まず休日の日数を数えます。遊びの予定を立てるためではありません。給料は時給制。月の休みの日数は切実なのです。今月は8日。9日休みになると、本当に生活が厳しくなります。必死に数えて、嘆いたり、ちょっとホッとしたり。早番、遅番の二交代制なのでカラダをしっかり休めたい、〝闘争の休日〟以外にもダラダラしたり、遊びに行ったり、リア充な休日を過ごしたい。でも、その休みもそのお金も会社が作成するシフト表次第。自分の生活も感情もシフト表という紙切れに左右される現実に、怒りも涙も通り越してただただ虚しくなるときもあります。
 勤務して半年。700円からスタートした時給は710円になりました。11月の給料は手取り10万1713円。10月3日に「改訂」された福島県の最低賃金は689円から705円に。私の710円という時給は法律的には合法です。
 10月1日に動労千葉のストライキ支援に行きました。動労福島として連帯あいさつと自分の時給の話をしました。集会が終わると、幕張支部のいろんな方から「700円の子」と声をかけられ、時給700円に対する怒りが口々に出てきます。「千葉と郡山で物価はそんなに変わんねぇべ」。そのときに、やっぱりおかしいんだ、安いんだって改めて認識することができたんです。それまでは、「安いよな」って思いながらも、心のどっかで「まぁ東北の時給の相場だよな」って思っている部分があったんですよね。周りが言ってくれて、自分の不満や怒りが確信に変わることができました。自分のことのように怒ったり、声をかけてくれる相手を〝仲間〟と感じるんだなぁと。その仲間の存在によって、人間として、労働者としての根底的な不満や怒りや感情が取り戻されたように思います。これが労働組合の力なんだと実感しています。
 労働の「誇り」と言っても、時給710円という時点で「誇り」はズタズタにされています。だけど、ときに失敗をフォローしてくれたり、自分のことのように怒ってくれる同僚や仲間の存在によって、人間として、労働者としての自信が初めて芽生えてくる――これが誇りなのかもしれません。相手がいて、自分が存在している、仲間がいて、自分が成り立っている、人間って類的存在なんだなぁ。
 「自分の存在も感情も労働者階級の中にあるんだな」と実感している日々です。仲間作りに前進中なぅ。