理論なくして闘いなし第5回 帝国主義と戦争、新自由主義とのたたかい
理論なくして闘いなし 闘いなくして理論なし 第5回
帝国主義と戦争、新自由主義とのたたかい
藤村一行(動労千葉労働学校講師)
マルクス主義講座として動労千葉労働学校の講義の抜粋を掲載しています。
【6月18日の講演から抜粋】(前号からの続き)
帝国主義とは何か
帝国主義という言葉は、一般的に、ある民族を中心に出来た国家が多数の異民族を征服統合して帝国として支配していく、そうした支配のあり方、それを推進する考え方という意味がある。たとえば古代のローマ帝国。しかし、労働運動において使われたり、社会科学的な意味での帝国主義は、レーニンの『帝国主義論』によって基本的に確立された。今から100年少しくらい前、19世紀後半から20世紀冒頭に現われた資本主義の新しい段階を帝国主義と規定する。これがマルクス主義の用語として使われる帝国主義の概念だ。
19世紀末から20世紀冒頭にかけて、第二インターというドイツを中心にしたマルクス主義の国際的運動体内部で新しい資本主義の現実を捉えようとして大きな論争が起こった。ブルジョア的な学者の研究や議論も含めて帝国主義論争として行われた。そもそも資本論は何をどう解明しているのかとか、革命論的なものも絡んだ重要な論争だった。
帝国主義戦争に対する労働者の態度
マルクス主義者にとっては、戦争反対を何時でもどこでも掲げるのが当たり前だったわけではない。たとえば、古い封建社会を打ち倒してブルジョアジーが資本主義を「自由と進歩の社会」としてうち立てるブルジョア的革命戦争がある。マルクス主義者は、戦争の歴史的階級的性格を見極め、この戦争に対し労働者階級はどういう態度を取るべきなのか議論して決めるのが基本だった。
1870年の普仏戦争―パリコミューンの時に、ドイツのビスマルクがフランスに攻め込んでパリを包囲する。それに対して最後はパリの労働者が立ち上がって、パリを守ろうとしないフランスのブルジョジーを批判しながら、ドイツの反動的軍隊と戦おうとして自分たちの権力を樹立した。それがパリコミューンだった。
ヨーロッパのマルクス主義者たちは普仏戦争に際してどういう態度をとるべきか議論した。「ドイツのフランスへの侵入反対」ではなく、労働者から見て主要な敵は、当時もっとも強力なブルジョア権力であったフランス国家ではないのかという議論が最初行われた。
戦争に対する態度は20世紀に入ると様相が違ってくる。
一番重要だったのはロシアをめぐる論議だ。ロシアではマルクス主義の運動と、労働運動が発展し、巨大な農民反乱も展開されている。ロシア革命が起きるかもしれない情勢が展開している。一方では、急速に力をつけたドイツがロシアとの戦争に向かう情勢が進展する。この時「野蛮なロシアを戦争で負かすのは労働者階級にとっていいことではないか」という議論がマルクス主義者の間で公然と行われた。これが第二インターの日和見主義と結びついていた。
レーニンは「いま行われている戦争は帝国主義戦争で、強盗同士の戦争だ」「進歩のための戦争などというのはとんでもない」と主張した。労働者は全世界で団結して、戦争に向かう過程では自国の政府に対する反戦闘争を闘う、もし起きた時は国際的な殺し合いを拒否して、階級闘争―階級的国内戦争で自国政府を倒し、労働者の権力を打ち立てる。帝国主義戦争という新しい資本主義の歴史的段階において労働者階級はどういう態度を取るべきなのか。レーニンは、現に起きつつある第一次世界大戦、帝国主義戦争が進行するなかで、真っ向からこれに立ち向かって『帝国主義論』を書き、「帝国主義戦争を内乱へ」「労働者は連帯して自国の政府を倒す」「帝国主義を倒し世界革命へ」という態度の理論的基礎を確立した。しかし、第二インター全体としてはそうではなかった。第二インター内の左派の結集のための努力は様々に行われたが、こういう立場を確立できたのは、基本的にはレーニンを先頭にしたロシアの社会民主労働党、ボルシェヴィキだけだった。1914年の8月に、ドイツの社会民主党はドイツ政府の戦争予算に賛成し、第二インターは事実上崩壊してしまう。
レーニンの帝国主義論
レーニンが第二インターの日和見主義に全面的に対決できたのは、マルクス主義者として理論的実践的に階級的立場に立っていたからだが、「野蛮なロシアを粉砕するのは歴史の進歩」とドイツのマルクス主義者が平気で議論しているおぞましい現実があったということも大きい。レーニンは、「マルクス主義者がそんな帝国主義者のようなことを言っていたら労働者は負ける」と危機感をもち、革命的原則を確立しようと努力した。だが、ドイツ社会民主党の本体、中間派としてのカウツキー(マルクス・エンゲルス直系の最高の理論家と言われていた人)らはレーニンの立場に反対する。レーニンは、この革命的立場と帝国主義の理論的分析を基本にして階級的原則を貫く労働者の党を建設し、戦争を内乱へ転化してロシア革命を実現した。しかし、ドイツの「マルクス主義者」(第二インター)は基本的に帝国主義戦争に屈服しその延長でロシア革命にも反対した。ドイツでも革命的左派としてドイツ社会民主党から分離し、ロシア革命と結合しようとした部分はいた。だけどドイツ革命は失敗した。ドイツの革命的左派は、第二インターの崩壊を総括して、ドイツの労働者階級本体としっかり結びつく力をもちえず、ローザ・ルクセンブルグなど中心的な人たちは社会民主党支配下のドイツ国防軍によって虐殺されてしまう。
レーニン帝国主義論のどこがすごいか。元々あった原則にただそのまま形式的に固執したのではなく、何が根本的に問題になっているかを現実の土台的変化を真っ向から見据えて明確にし、段階論的にものごとをとらえることに成功したこと、それによって階級的原則を実際に貫くことができた。今の戦争は、帝国主義強盗同士が金融資本の利益の下に国家を支配して世界を再分割するために、労働者を殺し合わせる強盗同士の戦争だ。だからどの国が正義だとか、進歩的な戦争だとかはもはや通用しない。帝国主義国家の双方を共に倒すしかない。そのためには労働者の国境をこえた階級的団結が必要だ。自国政府の戦争動員と対決して闘い、労働現場、生産点の闘いを基礎に自国政府の敗北を歓迎して闘う。帝国主義は資本主義の最高の発展段階でプロレタリア革命と社会主義の前夜だ。この戦争を革命に転化することによって労働者階級は社会主義=共産主義の世界をきりひらくことができる。このように、マルクス主義の20世紀的な原則を確立した。レーニン帝国主義論というのはそういう意味がある。
戦争の現象面だけでなく、資本主義の土台そのものを見てみよ。もはや、個別資本家による搾取と資本蓄積が中心の時代ではない。生産力の肥大化を基礎に、産業的な独占と金融資本が結合して金融寡頭制が成立し、国家を露骨に支配している。対外的には、資本の輸出によって世界市場の支配が進み、資源や領土、植民地の支配をめぐって列強が激突する展開となっている。列強は国内の階級矛盾を対外的に転嫁し、世界の再分割のための戦争に突入している。19世紀の資本主義とは違う矛盾の爆発としてこれをとらえなければならない。この中でどう闘うかが問題なのだ。
第一次大戦の総力戦で疲弊したロシアは、1917年にツアーの権力が倒れて革命情勢が生まれた。レーニンは、17年4月テーゼで、プロレタリア革命の戦略を打ち出し、労働者権力樹立に成功した。権力を取ったロシアの労働者がドイツを先頭にしたヨーロッパの労働者と連帯し世界革命に前進する。それがレーニンの革命的リアリズムだった。だが帝国主義各国が西から東から、革命ロシアに襲い掛かってくる中で、ドイツのマルクス主義のこれまでの中心部分は、レーニンとロシア革命を非難した。ここで、国際的な労働者階級の隊列、国際共産主義の運動がロシア革命とともに進むのか、ロシア革命に反対して口先だけの社会主義に転落するのか、大きく分裂した。
帝国主義論はこのように第一次大戦の最中に問われた根本問題への歴史的回答でもあったわけだ。
帝国主義とスターリン主義
ところがロシア革命はその革命的原則を貫いてそのまま世界革命に向かって発展することはできなかった。ドイツ革命の敗北が大きな意味をもった。その敗北を総括し主体的に陣形を立て直すことができない中で、ロシ革命は孤立し、トロツキーを先頭とした革命的左派は粛清され、一国社会主義論を掲げたスターリンがボリシェヴィキ党とコミンテルンを制圧していく。1930年代の冒頭、ドイツ階級闘争はスターリンの指導下、ヒットラーに敗北しナチス政権の樹立を許した。危機感を持ったフランスの労働者階級は人民戦線というかたちで立ち上がった。これをスターリン主義者が反革命的に利用し、取り込み、上から統制しつつ、ブルジョア的民主主義者を驚かせないようになどと言って、労働者のストライキを鎮圧した。スターリン主義の人民戦線論は、ブルジョア民主主義者と結合することが大事という理屈で、労働者の階級的闘いをつぶした。スターリン主義者は、スペインでもファシストに対して立ち上がった労働者の闘いを弾圧する。結果としてヨーロッパを中心にした30年代の階級闘争は敗北する。敗北の原因はロシア革命の権威を利用したスターリンが、全世界の労働者に対する間違った路線、方針を打ち出しそれを貫徹したことだ。その後、スターリンは、ドイツで勝利したヒットラーに攻められないようにとナチスドイツと独ソ不可侵条約を結んだ。それは全世界の労働者階級に衝撃を与えた。最終的に、ソ連は英米帝国主義と連合してドイツと戦争した。スターリン主義は帝国主義各国の労働者の闘いを解体し、ソ連を守るためにドイツと闘う米英帝国主義に協力せよという方針を打ち出した。労働者は、こうして第二次大戦を米英帝と共に「正義の戦争」として戦う側に立たされた。「帝国主義戦争を内乱へ」という階級的原則は解体された。
日本では、ソ連を守るという論理をむき出しに、日本の労働者階級との結合(組織化)の論理を欠いた「32年テーゼ」によって、1930年代前半までに日本共産党は壊滅させられた。その結果、国際階級闘争は敗北し、戦後のアメリカとソ連による戦後世界体制が作られた。
第二次大戦後も全世界で革命的闘いが継続した。その時にスターリン主義は、アメリカとソ連で、東欧や朝鮮半島を半分に分ける形ですみ分け、階級闘争を潰し、戦後の世界体制を作った。帝国主義は死にかけていたが、アメリカ基軸の戦後体制として再編成され、ドルとアメリカの軍事力を中心にした帝国主義として延命した。スターリン主義の裏切りによって現代帝国主義は延命したのである。
反帝国主義・反スターリン主義
第二次世界大戦後、敗北を総括し根本的に再決起していこうとした日本のマルクス主義者の運動の中から、日本共産党と決別した反帝・反スターリン主義の新しい闘いが作り出された。革命的共産主義、労働者階級の自己解放の原点に帰れという路線と理論が生まれた。ここは省略しますが、革命的共産主義運動は、戦前みじめに敗北し、戦後革命をも潰した日本共産党に対する労働者人民の反発と重なりながら、総評を乗り越えようとする新しい労働運動の発展と結合して進んできた。
第二次大戦を生き延びた帝国主義は70年代半ばには根本的な意味で成り立たなくなる。戦後世界では、唯一の戦勝帝国主義国アメリカのドルだけが金と交換できる貨幣だった。これが1971年に成り立たなくなる。アメリカは金ドル交換をやめてしまった。このあと、74~75年恐慌という戦後最大規模の恐慌が起こる。不況なのにものすごいインフレという異様な現象。その根幹には、アメリカ基軸の世界経済体制の崩壊があった。日本やヨーロッパとの関係においても、石油資源国との関係においても、このままではいかないことが突きつけられた。また同時に、アメリカはベトナム、中東で軍事的に敗北した。これは、70年代を転換点として、戦後世界体制が基本的に崩壊したことを示している。その結果として、80年代はいわゆる新自由主義の時代となっていく。
新自由主義との闘い
76年に帝国主義サミット(現在のG7)が最初に行なわれた。金とドルの交換を軸に動いていたアメリカ中心の世界が崩れたので、円とドル、あるいはヨーロッパ通貨とドルをどういう関係にするのかの調整など、毎年集まって議論する世界がここから始まった。日米経済対立とかいろんな経済的争闘戦が展開される一方、資本主義そのものとして成長する力が問われた。そこで完全に開き直って、アメリカのレーガン、イギリスのサッチャーを軸に、資本の原理主義ともいえる新自由主義が台頭してきた。労働者の戦後労働運動の権利や、ロシア革命とロシアの「社会主義」を前提に一定の妥協の中で資本主義はやっていくというあり方を基本的に否定する、そうでないと資本主義はもはや成り立たないという考えが新自由主義だ。資本主義の原点に立ち返って徹底的に労働者を搾取し無権利状態に叩き込んでいくしかないということだ。レーガンの下で、ソ連の存在を前提にする必要はないという政策が展開されていく。階級闘争、労働運動を根幹から否定する、可能な限りすべてぶっ壊すという思想と方針が大きくは展開されていく。このなかでいわゆる「戦後」とは違った新しい激動の世界がはじまった。91年にソ連が崩壊した。「社会主義は破産した、労働者が社会を運営するなど不可能、ブルジョアジーにしたがうしかない」というイデオロギーを核心に新自由主義が満展開となった。
80年代、サッチャーがイギリスの炭鉱労働組合に襲い掛かり、レーガンがアメリカの労働運動、航空管制官の組合に対して襲い掛かった。日本では中曽根が戦後政治の総決算と称して国鉄分割・民営化を強行した。総評は潰れて、国労も4万人まで減らされた。しかし動労千葉は85年のストライキを敢行し、戦後労働運動の総敗北を乗り越える階級的決起を実現した。その結果。国鉄1047名解雇撤回闘争という形で闘いは継続し、現在にまでつながっている。日本のブルジョアジーは、今あらためて戦後史の全面的清算をかけた歴史的決戦に突入してきている。そうした経過を踏まえるとき、日本の労働者階級の闘いが戦後帝国主義国の階級闘争全体を代表し展望を示す位置にあることが浮かんでくると思う。
階級的労働運動が帝国主義論の核心問題
レーニンは、100年前に帝国主義戦争が現実に進行し、マルクス主義者と既成の労働運動が総崩れになる中で、労働者にとってこの現実は何なのかという革命的実践的な観点で必死に考えた。今、新自由主義という帝国主義の末期の状態、それがもたらす全面的激突情勢で、われわれもまた原点に戻りつつ考えてみる必要がある。今こそ労働者が階級的団結を形成して全世界で勝利していく情勢を作る時が来ている。そうでなければ取り返しのつかない惨状をこうむることになる。第一次大戦、第二次大戦時よりもすごい力を彼らは手中にしている。核兵器体系を見たら一目瞭然。だけど武器や物質的力は、どんなハイテクであっても労働者の現場の生産と労働によってしか成立しない。労働者には団結して全部ぶっ止める力がある。国家権力の力も強大に見えるけど、労働者を組織し動員することによってしか動かないという点では、かつてよりも今の方が勝負できる関係かもしれない。世界経済が奈落に向かってばく進し、なかでももっとも展望がなく破綻的なのが日帝安倍政権だ。外交的にも滅茶苦茶なやり方だ。今の第3次安倍内閣との闘いのなかですべてが決まる情勢になってきていると思います。
レーニンは、第一次大戦のさなかに、帝国主義論を出版するために、奴隷の言葉で書いた部分があると言っています。それは、どういうことか。
「帝国主義の味方になる連中と労働者階級の原則を貫こうとする部分の間で、労働運動は分裂する。だから労働者の団結はこの対立を恐れずにやり抜いて階級的原則を守り抜き、突き抜けて全労働者を結集していくような闘い方以外にない」「帝国主義戦争を内乱へ」という戦争と革命の時代の戦略的根本問題と、労働運動の階級的発展の問題とが、じつは同じ一つの問題としてあるということだ。 自国の政府との階級戦争、階級的な労働運動の展開、その延長にこそ、労働者階級の武装蜂起や権力奪取もはじめて可能になる。これが帝国主義論の核心問題だということを思う存分書きたかったと言っているわけです。この精神を今の労働者階級の中に取り戻していく。その精神は国鉄分割・民営化以来の動労千葉の闘いと動労千葉勢力の闘いの中に貫かれている。階級的労働運動を軸に不抜の力を形成し、日帝・安倍と対峙し、労働者階級の国際的連帯を拡大して闘う。そのことが自国政府の弾圧を恐れずに、それを無力化して「国内戦」を闘うことにつながる。それが帝国主義論でレーニンが最終的に言いたかった中身だということを確認したい。