理論なくして闘いなし第10回/階級的団結論

2019年7月31日

月刊『労働運動』34頁(0329号11/01)(2017/08/01)

理論なくして闘いなし 闘いなくして理論なし 第10回/階級的団結論
階級的団結論 ~階級的労働運動の勝利の展望~



片峯 潤一(動労総連合書記)

マルクス主義講座として動労千葉労働学校の講義の抜粋を掲載しています。
【7月15日の講演から抜粋】

1 外注化はどういった攻撃だったのか

 外注化・請負という形は昔からあった。しかし、派遣法ができてから、性質は大きく変わっていき、偽装請負が蔓延した。
 外注化はさらに「企業が輪郭を失うまで」進められている。NTTがもっとも典型的な例だ。
 アメリカでは刑務所内の労働者に外注化し、「 低賃金でも文句を言わない。ストもやらなければ組合もつくらない。夢のような労働力」と言っている。「もっともトレンディな投資先で順調に増加する。有罪判決と逮捕率が確実な利益をもたらす。第三世界並みの低価格で国内アウトソーシング」と言っている。
  外注化という攻撃の特徴は、
「外注化で株主価値を増加させる」ことができる理由は、労働者を安く使えるからだ。もともと賃金も低く、労働者のつながりも権利も奪われた職場に外注化すれば、一気にコスト削減でき、責任も負わなくて良いからだ。フルアウトソーシングで「企業が輪郭を失う」まで外注化し、具体的な労働も、そこで働く労働者も、徹底して低く扱われていく。
 外注化は、 労働組合にとって大切な課題のはずだ。しかし、「人が少なくて、本体会社だけで業務が回らないから、委託でも派遣でも仕方がない」「経営を守るためには、赤字部門の外注化もやむを得ない」「危険な作業は組合員のいる本体会社ではなく、下請け会社にやらせるべき」と言い、 労働者自身の間にも、「自分たちでは解決できない問題」「労働者は口出しできることではない」という無力感を与えていく。

2 外注化を阻止した動労千葉のたたかい

 動労千葉の幕張支部は、列車の検査修繕を行っている職場。
 2009年10月1日幕張支部役員配転に反撃する。不当配転と2010年4月1日外注化提案に何波ものストに立ち上がり、外注化4月1日実施を阻止。
 6月10日「10月1日、京葉車両センター構内業務外注化」が提案される。しかし9月22日、会社が「10月1日実施は出来ない」と回答。
 職場では、「私たちが出向して作業を行うということは、外注会社に技術がないということ。それなのに外注するのは、何を考えているのか分からない」。「『他地本でやっているから出来ます』と言われてきた。他地本の皆さんには考え直していただいて、本当に大丈夫だったのか、問題ないのかと考えていただきたい」「検修の仕事にプライドを持って仕事をしている。マニュアルに無いこともすべて見つけて、故障なら故障としてあげている。私たちは、ルール以上のことをやっている。会社は、『ルールさえ守ればいい』と言うが、それでは、いつか尼崎のようなことが起こると思う」「定年を65歳にすれば外注化する必要もない。偽装請負という問題も起きない」という声があがった。
 京葉車両センターも検査・修繕を行っている職場。会社は1月27日、京葉車両センター1日勤の外注化を強行した。しかし外注化強行を弾劾し、全面外注化4月1日実施阻止へ闘った。
 5月14日に東労組が会社に申し入れ、2日後から7回の団交、6月19日妥結。外注化を全面的に認め積極的に協力する内容。
 7月25日、動労千葉組合員2名に外注化業務の訓練が指定されるが、指名ストで訓練拒否貫く。
 8月28日ストに決起。千葉労働局への告発と、東京地裁への申し立てをする。9月12日、事前通知が行われた。9月24日からの出向説明会を拒否。
 10月1日外注化強行に対して、5日までのストライキに決起。 組合員が肌を通して「外注化は不正義」という確信を持ち、一人ひとりの力を引き出した。ストライキは、 組合の枠を超えて労働者の気持ちを揺さぶり、「外注化=悪」という職場の世論をつくりあげた。
 組織拡大にかけて闘い、闘いによって団結を強化した。団結することで労働者の力が発揮されることを示した。

3 シニア制度との闘い

 シニア制度(退職後の再雇用制度)は、1999年12月に「シニア社員の諸制度について」として提案された。年金の支給年齢引き上げが決まり、60歳定年後の再雇用が切実な課題になっていた。
 「グループ会社への再雇用の機会提供」という名で雇用延長を拒否。入社試験を受けられるというだけの劣悪な制度だ。実は「業務の全面的な外注化を労使で積極的に推進」という条項とセットにされていた。
 再雇用先を提示する条件が、労働組合として外注化推進を誓うことだった。3月1日の提案直後から「東労組の組合員だけが再雇用される」という大宣伝がされた。
 東労組は99年1月の段階で「鉄道業務の外注化を着実に推進する」という覚書を交わしていた。秘密裏に「設備関係の外注化は国労対策を目的として行う」という議論もされていた。当時、定年退職者が多い「大量退職期」であり、組合員の再雇用先確保は、どの組合にとっても切実な課題になっていた。
 膨大な退職者の生活を盾に取り、その圧力で労働組合を屈服・協力させる狙いだった。
 「シニア制度は明確に職業紹介事業にあたる」「労働協約を締結しているかどうかで求職の申込みを限定することは問題」。しかし動労総連合以外は外注化推進条項を締結した。
  検修・構内業務、設備部門の外注化が提案された。
 検修・構内業務とは、交番検査や事故復旧業務、出区点検、消耗品取替え、構内での入換運転、車両誘導業務、車両の分割・連結業務など。定年退職者が出るたび、その人数に応じて逐次外注化した。
 設備部門(保線、電力、通信、土木、建築、機械の各系統の総称)の実作業は基本的にすべて外注化した。激しい合理化と一体で提案。2011年11~12月に全支社で強行され3300人以上が削減・出向になった。
 4月に面談が始まり、8月末までに再雇用先の希望を提出。それまでに動労千葉を脱退すれば再雇用される。5ヶ月間、脱退工作を続けられる仕組みだ。初めの3年間で十数名が脱退。5年間で33名が再雇用を拒否され解雇になった。
 4年目以降は脱退者が出なくなった。再雇用の対象者を選別する場合「労使協定か就業規則」で定めることになったからだ。動労千葉が拒否したことで、労使協定で定められなかったのだ。全員が再雇用の対象になった。 千葉支社だけはその後10年以上、検修・構内業務の外注化を提案できなかった。シニア制度という外注化の出発点における闘いが、その後の闘いに繋がった。 動労千葉の闘いがJR東日本全体の外注化を押しとどめた。
 検修・構内部門では、千葉支社で進まないため
、他支社も中途半端な形にならざるをえなかかった。設備部門では2001年当時から「出向だけでなく、関連会社に転籍させる」と言われていたが、出向の段階から進むことが出来ていない。出向無効確認訴訟では、JR本社は、外注化が「最大の課題」となっている。

4 闘いが次の闘いの条件をつくる

動労千葉の原点―船橋事故闘争
 1972年に発生した列車追突事故。乗客約500名が負傷した大事故。送電線が老朽化のために断線して信号停電。信号停電は「起こらない」とされ、列車間隔を詰めさせるために、ATSが作動してもスイッチを切って進行するよう指導された。違法な信号を作ってまでダイヤの過密化=合理化を進めていた。事故問題は組合の課題にならないといわれていた。運転士に「ミス」はあった。会社が合理化を進めた結果でもあった。「事故は合理化の結果だ。運転士個人に責任を転嫁することは絶対に許さない!」。組合員に非常にうけ、この闘いが全体のものになった。

反合理化・運転保安闘争

 事故こそ鉄道労働運動の本質的な課題。鉄道事業において列車を安全に走らせることは絶対的に優先される。しかし、鉄道の合理化、スピードアップ、過密ダイヤ、要員削減はすべて安全と矛盾する。合理化の最大の矛盾、弱点は安全問題。単なる安全闘争ではなく、反合理化闘争。事故はその矛盾が集中的に現れ、見えるようになったもの。「安全は思想であり哲学」。

国鉄分割・民営化反対闘争

 40万人中20万人が職場を追われ、200人が自殺。戦後最大の労働運動解体攻撃。「国労をつぶし、総評、社会党を解体することを明確に意識してやった」(中曽根康弘発言)。改憲・戦争にむけた攻撃だった。「お座敷をキレイにして立派な憲法を安置する」(同)。資本主義社会の行き詰まりの中、「戦後政治の総決算」を掲げた国家改造的攻撃だった。
 動労本部・革マル(現在のJR東労組)は、「これまでの妥協姿勢では生き残れない。資本の攻撃に積極的に協力し、自らの必要性を会社に認めてもらわなければならない」と主張。
 動労千葉は「多少妥協しても、徹底して屈服を迫られる。資本と非妥協・非和解的に闘い、大衆的に反撃する戦略と戦術なしには労働運動は生きられない」。

動労千葉の2波のストライキ

 処分のべ392人、解雇28人。損害賠償3600万円。分割・民営化時に12人が採用拒否・解雇。「闘わなくても3人に1人はクビ。組合が鮮明な方針を打ち出しその下に団結しなければ、組合員同士で蹴落とし合う関係にならざるをえない。どんなに困難でも闘う道を選ぼう」
 現場の組合のリーダーは、自分たちで選んだ職場のリーダー。自分たちの職場のリーダーが、自分たちのため、全労働者のために、解雇にまでなって先頭に立って闘った。「それなのに、組合として外注化を認めていいはずがない」という組合員全員の思いになった。

幕張支部の団結はいかにつくられたか

有機溶剤闘争(1996年)

 ピット(作業場)が滑らないようにコンクリートを削って塗装する作業に対する闘争。「駅から来た若造の言うことは聞かないよ」。しかし、闘いの中で山田支部長は現場組合員の信頼をかちとっていった。2000年11月、支部長になった。

幕張事故闘争(2006年)

 車両センター構内の信号機を冒進し、あわててバックさせたために脱線。洗浄機を壊し、構内に入ってきた列車にもぶつけ、「4億円の損害」の事故に。
 会社から「懲戒解雇」の声。現場の組合員もマズイことになったという雰囲気に。
 組合本部が「断固として闘う方針を決定した」と伝えた途端、幕張支部の雰囲気が一変。現場が本気になった時、次々に問題点が明らかになった。保安装置設置要求のもみ消し。安全ルール無視の状態容認など。「管理体制の責任」と認め、解雇はできず。他支部からも「これでクビならストしかない」という声。
安全運転闘争の中で組合員と反合理化・運転保安闘争について徹底した議論。「事故を起こした運転士を守って闘うのが組合」という共通の意識がつくられていた。

5 いかに団結をつくり団結を強化するか

①どんなに小さな労働組合でも、労働者階級全体の利益、労働運動全体の前進という観点を忘れない。
 「労働者こそ社会の主人公」「団結した労働者の闘いこそが社会を変革し歴史を作る」
②労働者階級と資本家階級は非和解である。
 非和解を貫いて闘うとはどういうことか。闘いの中で団結を守り強化し、会社との対抗関係を維持する。労働運動にとって一番困難なのは、職場で闘いと団結を組織すること。絶対反対の闘いを貫くには、労働者を信頼し、怒りと力を引き出す以外の方法はない。職場の労働者の気持ちと結びつくこと。
③時代認識が大事。
 「労働者の要求が後退こそすれ、1㍉前進させることも大変な時代。だからこそ、労働者をどう団結させるかが核心だ」
 直接の職場や産別の問題だけに視野を狭めると、労働者は力を発揮することはできない。攻撃の本質を正確に把握することはできない。
④路線・方針が正しくなければ労働者は団結できない。路線・方針だけでは職場全体が団結することはできない。
 「正しい」とは労働者がそうだと思って実践して闘った時に「正しい方針」になる。思想や路線と「義理・人情」、人間関係とが一つになって初めて団結する。
⑤問われるのは指導部「魚は頭から腐る」
 組合が現場労働者から腐るということは絶対にない。重圧も誘惑も、すべてトップに来る。だから、必ず指導者から腐る。

おわりに

  労働運動ほど素晴らしいものはない。本気になって腹を固めたとき、労働運動ほど面白いものはない。苦労が付きまとうから面白い。しかし、面白くないと苦難は乗り越えられない。だから、人生をかける腹を固めること。
 「労働組合運動は、やりようによってはこれほど面白いものはない。どれほど人間を鍛えるかわからない。人間の持っている素晴らしさをどんどん発揮させるのが労働組合です」(中野洋前委員長)