各地からの報告 北海道故長尾信一委員長を追悼する

2019年10月25日

月刊『労働運動』34頁(0355号11/01)(2019/10/01)

各地からの報告 北海道
故長尾信一委員長を追悼する

(写真 17年動労総連合・北海道結成集会で委員長あいさつをする長尾信一さん)

(写真 6・9集会で発言する長尾委員長)

動労総連合・北海道

追悼

9月8日、札幌市東区で故長尾信一委員長の葬儀が行われました。
ご遺族・親族など約70人が集まり、動労総連合、国鉄闘争全国運動からは、成田昭雄副委員長はじめ12人が出席。
動労総連合・北海道の他、動労総連合(田中康宏中央執行委員長)、動労東京、動労総連合1047名協議会と共に闘う会の供花が、祭壇を飾りました。
ご遺族の了解を得て動労総連合の幟が棺に被せられ、協力組合員の城地良和さんが執行委員会で承認された弔辞を読み上げました。
9日に告別式が行われ、長尾信一委員長は旅立たれました。
9月6日午前8時半頃、肝臓癌が悪化して逝去。7月22日の第3回定期大会での委員長あいさつが最後の姿になった。
一昨年7月の動労総連合・北海道(国鉄北海道動力車労働組合)結成にあたって、執行委員長の責任を引き受け、最後まで職責を全うした。

常に国鉄闘争の最先頭に

1947年札幌市生まれ。
67年に国鉄の札幌鉄道管理局に採用され、国鉄労働組合(国労)に加入。
69~71年のマル生反対闘争、75年のスト権奪還闘争を経験。
国鉄分割・民営化に伴う国労攻撃が吹き荒れる中、分会役員を歴任、反対運動の先頭に立つ。
86年「人材活用センター」に収容される。
87年国鉄分割・民営化により発足したJR北海道に不採用になり、国鉄清算事業団に発令、特別対策対象者に指定される。
90年に国鉄清算事業団を解雇された後、国労札幌闘争団の物販担当となり、国労神奈川地区本部に単身赴任。
以降、神奈川県内を中心に25年に及ぶ闘争を継続。

動労総連合・北海道の委員長に就任

2010年の4・9和解によって国労札幌闘争団も解散した。不本意な終結に疑問を抱きつつ、その後も神奈川で県下の労働運動の発展に尽力する傍ら、国鉄分割・民営化絶対反対を貫く階級的労働運動の展望を求めて動労千葉を訪問、田中康宏委員長らと交流。
15年、神奈川を離れて札幌に戻り、16年の11月労働者集会をきっかけに「闘い続ける解雇者と共に闘う」として、動労総連合・北海道結成準備会に参加。翌17年の結成にあたって執行委員長を引き受けた。
病身をおして19年7月の第3回定期大会まで、毎月の執行委員会、2月の2・16集会と秋の労働者集会などの札幌での集会に参加。
最近では6・9国鉄集会(東京・上野公園野外ステージ)にも参加し、発言(要旨別掲)。
第3回大会での委員長あいさつが最後の言葉となった。
「最近は、組織拡大も大事だけれども、北海道に動労総連合が存在していることが重要だと思う。札幌に安倍が来た時、ヤジだけで警察が強制排除した。まさしく権力の暴走だ。労働組合にも向かってくる。民主主義を守る労働運動をつくって声を上げることが大事だ」
長尾委員長はあいさつの直後、病状の進行で退任の意向を表明したが、第30回執行委員会は、「元気になって活動に復帰するまで委員長に在任してもらおう」という成田副委員長の提案に全員が賛成した。
病身をおして動労総連合・北海道の先頭に立って闘う長尾委員長の存在が、JRで働く労働者のみならず全労働者を鼓舞してきた。
長尾委員長を失ったことは、あまりに大きな打撃と言わなければならない。しかし長尾委員長の遺志を引き継いで、動労総連合・北海道の旗を守り、組織拡大を実現しよう。

(写真 故長尾委員長の葬儀の様子)

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6・9国鉄闘争全国運動集会での長尾信一委員長の発言

動労総連合・北海道は、JR北海道の廃線問題と改憲阻止!大行進・北海道の結成に向けて取り組みをしてまいりました。
北海道の線路半分を廃線にしている。確かに1両に1~2人しか乗っていない地域がたくさんある。それでも地域に病院や学校がなく、隣町まで行かなければならない。この安心感をJR北海道は奪おうとしている。
改憲阻止!大行進・北海道の結成のために駆け足で進めたいと思っています。ともすれば弱気になるけれども、動労総連合は北海道の労働組合の鬼っ子になります。北海道に新しい労働運動をつくっていきたい。