特集 鈴コン闘争の勝利!座談会 闘いは第2ステージへ!

2019年7月31日

月刊『労働運動』34頁(0291号06/01)(2014/06/01)

特集 鈴コン闘争の勝利!座談会 闘いは第2ステージへ!
 

 

労働者が団結して組合を結成し、資本と闘えば勝てる

【参加者】

吉本伸幸さん(鈴コン分会書記長、
       東京西部ユニオン委員長)
内尾 稔さん(鈴コン分会分会長)
花輪不二男さん(世田谷地区労顧問、
鈴コン分会闘争支援・連帯共闘会議呼びかけ人代表)
佐野 武さん(東京西部ユニオン顧問)

鈴コンは小さいが資本家階級との大きな闘い

●司会:まず、鈴コンの判決で勝ち取った地平と職場の状況などについて話して下さい。
○吉本さん
 俺らが組合をつくって闘ってきたのは、鈴木一族という経営者がいて、管理職の連中が鈴木一族の顔色を伺っている中で、運転手である労働者の権利は全くなかったからだ。一生懸命働いても賃下げはしてくるし、食っていけない状況だった。そして組合を結成して闘ったら、組合破壊と分断をかけられ次々に解雇された。今回の判決は、労働者が団結して組合を結成し、あきらめず仲間と共に労働組合で闘えば勝てることを明らかにした。「会社は、労働組合には首切りや不当労働行為など好き勝手にはできないんだ」ということを明らかにした。3か月雇用でも、非正規職労働者でも、労働組合をつくって闘えば勝利できると示したことが大きい。3か月雇用契約でも、ずっと更新して働いていけば「期限の定めのない労働契約」と見なされる。それは前提として労働組合の闘いがあるからだ。非正規でも解雇できないことを明らかにした。
 職場の状況は、勝利判決後に一変した。「声を出してもいいんだ」「何かあったら組合に言えばいい」と、職場の仲間に勇気を与えた。
 田口さんの解雇撤回で闘ってきて、彼は亡くなったが、残った5人の組合員は闘って、その中で3人が解雇された。「もう奴らは駄目だろう」と職場の仲間は思っていたが、団結を崩さず闘い続けたことで、職場の人たちも「彼らの闘いは間違いじゃなかった。奴らの闘いは本物だ」とわかってきた。権利侵害、残業代も出勤時間も差別されたり、いろいろやられてきた。でも「結局奴らは正しかったんだ」と。
 鈴コン分会の闘いを見て、経営者は好き勝手なことはできないんだな、ひどい経営の下でも辞める必要はないし、労働組合で闘ったら負けないことを示せた。今までは「バカやろー、じゃあ辞めてやるよ」と言って、辞めたんだけれど、「辞める必要はないんだ。権利侵害、不当労働行為に対しては、労働組合で闘えば負けないし、勝利し前進できる。組合結成から5年かかったが、組合は正しかったという意識は出てきていると思う。


○内尾さん
 運転手の権利としてどうかという以前に、5・1メーデーの朝に鈴コンの社前で「人として扱え」と訴えた。本当に俺たちは人間扱いされていなかった。分会を結成して闘ったから、土曜を休日にするという「4万円の賃下げ」を阻むことが出来た。組合に入ってない人も同じように支払われている。
 裁判は、個人で申し立てて闘っても勝てなかったと思うけれど、組合として闘ったから、街頭で経営を批判する発言でもOKだった。「会社が間違っている」と言ったことを組合活動として正当だと判決で認定させた。
○花輪さん
 鈴コンの闘いで一番大きな点は、職場の労働者の団結がこんなにも裁判に影響を与えるのだと示したことだと思います。もう一つは、その労働者の団結力こそが、非正規職が蔓延する社会情勢に歯止めをかけ、労働組合として闘う役割があることを示したことです。
 鈴コンは小さな会社だけれど、鈴コン分会という労働組合の闘いが、こんなにも大きな社会的インパクトを与えるものだということで、一石を投じたと思う。
 非正規職化、外注化という労働者への攻撃は、新自由主義攻撃だ。鈴コン闘争は、小さな闘いだが、大きな資本家階級との闘いなのだと闘いを通じて訴えかけてきた。我々の闘いの正義性を強く印象づけたと思います。
 裁判所も権力の一翼だが、鈴コンの闘いが大きくなって、「労働者に権利はある」と認めざるを得なかった。労働組合が形骸化している現状でも、裁判を通じて権力に一矢報いた。鈴コンの勝利は大きな役割を果たした。しかし、まだ第1ステージだ。会社はその勝利を認めない。組合も組織拡大もこれからだ。これからが第2ステージの闘いになる。
○佐野さん
 鈴コン分会の勝利は西部ユニオンの到達点であり、新しい出発点だと言える。 
 第一に、関西では、関西生コンがなぜ強く闘っているのか。その要素は鈴コンの中にもある。一番ひどい労働条件で働かされている。メチャクチャな職場で、それに対する闘いとして組合を結成した。組合結成から5年間、ものすごい局面に何度も直面し、激しい攻防をやってきた。そういう領域の闘いを作った。
 第二に、勝利は第1ステージということだ。
 今までの分会での議論は、俺たちは、まだ「勝っていない」というものだった。トラ(佐藤重夫さん)は、「勝ってないけれど、負けてはいない」と言っていた。しかし、判決後の4・18集会で初めてトラが「勝った!」と言った(全員、笑い)。これが第1ステージだ。そして、闘いは第2ステージに入った。
 杉並区の生コン企業の組合に行って、「鈴コンは裁判で勝ちました」と報告したら、今までとは全く違う対応で、好意的だった。  4・16判決前と判決後では闘いは違う。これから目指すところは、東京生コン支部をつくる。とんでもない展望だが、可能性が見えてきたことが大きい。
○花輪さん
 この前、板橋駅街宣をやって「地元の鈴コン勝ちました」と訴えた。警備員がビラを受け取って「えっ」て見ていた。やればこういう勝利もあると地域に与えた影響も大きい。地元の会社側へ与えた影響も大きいと思う。
○吉本さん
 今、「労働者が勝つ時代だ。労働組合をつくって職場で声をあげよう」というパンフレットを西部ユニオンで作って配っている。
 職場がどう変わったか。こちらから鈴木資本を見た時、明らかになってきたことがある。
 鈴コン資本が判決翌日、「4月17日付け従業員の皆様へ」という文書を出してきたんです。トラが教えてくれた。その中で、「吉本、内尾、鈴木は勝ったと言っているが、地位確認はされたが、それ以外の申立は却下された」という内容らしい。「社前とか、流言・風説などにまどわされるな。皆さんこれまで通り仕事をして下さい」という書面だ。組合として抗議文を出した。6月に団交する予定だ。この書面を出すこと自体が不当労働行為だ。会社は「正当な業務の一環であり抗議されることではない」と回答してきた。しかし、こんなデタラメなやりたい放題は絶対にさせない。労働組合の闘いの恐怖でめまいがして倒れるぐらい味合わせてやります。地位確認が認められたことは、俺たちに従業員の地位があるということだ。今はわれわれに賃金を払わなくてはいけない。3人は職場で働いていないだけだ。職場の反乱が起きる寸前まできている。俺たちを働かせればいいんだ。でも会社は「いや駄目だ。金を払っても職場で働かせない」と言ってくる。俺たちがあきらめなかったら、資本を追い詰めて勝利できる。
○花輪さん
 解雇された3人の名前を列挙して彼らの言うことを聞くなというビラだ。これは不当労働行為だ。世の中には通らない。そうしたことを一つひとつつぶしていく闘いだ。


○佐野さん
 労働委員会や裁判で追い詰められた資本の側は本当に無様だった。鈴木富美子(東豊商事社長)〈※注:鈴木コンクリート工業は全員が正社員で、80年代はじめ組合をつくられた恐怖から東豊商事をつくり、そこに3か月の有期雇用で労働者を雇っていた〉は、東京都労働委員会に呼ばれた。審問で鈴木富美子証人への反対尋問で、吉本君が「5年前の組合分裂攻撃をかけた時、『吉本の組合じゃだめよ』と言いましたね」と質問したら、委員がいる前で錯乱して、「うそつきー」と大声で怒鳴ったんです。次に善さん(鈴木善弘さん)が「『あなただけ手当』(労働者を分断する手当)をくれて、私を本社に呼びましたね」と質問したら「うそつきー」って怒鳴った。審問が終わってから、「証言は偽証だからもう一回審問に呼べ」とやったんです。労働委員会は、「再審問はしないが、偽証の場合は30万円の罰金です。和解斡旋でやります。組合側の要求は何ですか」と言ってきた。組合側は3人の復職などの要求を出すが、資本の側は「裁判では控訴するが、労働委員会の斡旋にはのります」と言っている。やりあいになると思うが、彼らを追い詰めている。
○吉本さん
 会社は労働委員会斡旋には応じないと思う。東京地裁の和解案も拒否した。
○内尾さん
 仮処分の裁判官が、「お金だけもらって辞めればいいじゃないか。もっといい会社がある」と言ってきた。一旦復職して自主退職すればいいということだけれど、鈴木富美子は、「一旦戻すこと自体が嫌だ」と拒否した。
 賃金支払いの仮処分がついても、資本の代理人の村上弁護士は「控訴します」と、職場に戻さない。あきらめさせようとしている。
○吉本さん
 鈴木富美子はかつて組合をつぶした経験がある。30年前も二組を作って組合を破壊した。今度もSJK(鈴木コンクリート従業員の会)を使って鈴コン分会を解体しようとしたが失敗に終わり、二組も作れず、鈴コン分会の闘いの前には会社もガタガタとなった。
○花輪さん
 「あなただけ手当」はスパイ強要の手口だ。それで会社の犬をつくり、組合を分裂させた。労働組合に対抗する新たな会を結成させた。これは組合への支配介入だ。かつて組合つぶしをやったことを鼻にかけている。鈴コン分会は労働組合らしく闘ったから隙を作らなかった。
○吉本さん
 善さんは実は5年前に事故を起こした。鈴木富美子(当時工場長)は本社に善さんを呼びつけ「今度事故を起こしたら会社を辞めます」という念書を書かせた。その上で、「会社の犬になったらおこづかい毎月2万円(あなただけ手当)あげる。事故はなかったことにしてあげるから、私に何かあったら教えて」と言ってきた。スパイになれということだ。それを善さんは労働委員会で「僕を呼びましたよね」とやったから、鈴木富美子社長は、カーッときたんだ。
 田口さんにも60歳を過ぎたら日当を25%下げて働くか、嫌だったら「3か月更新を考える=やめてもらう」と分断を持ち込もうとした。しかし、鈴コン分会を結成して団結の力でこれをぶっ飛ばした。俺たちはボス交渉はやらない。解雇撤回・原職復帰しかない。労働組合の原則を貫いて闘った。
○佐野さん
 最初に組合を作った時に、分裂攻撃を受けて、それでも団結を守って、つぶされなかったことが大きいんだよね。

職場闘争にこだわり組合の団結を守った

●司会:組合員の団結を守ったことが一番大きかったと思うのですが、組合の団結を職場内外でどう作っていったのか話して下さい。
○吉本さん
 09年7月5日に鈴コン分会を立ち上げたが、3か月雇用契約が切られることを覚悟して10人で結成した。田口組合員の解雇予告通知が出てから分岐が起きた。残業代をほしいという人がまず落ちた。クビが出た途端に組合が分裂した。会社と旧三役が裏で手を結んでいた。11月4日に再結成した。田口さんを見捨てて辞めるわけにはいかない。「クビというならやれるものならやってみろ」と6人が腹をくくって再出発した。それから会社は攻撃をかけてきた。ここで引いたらみんなバラバラになり、もっとひどいことになるとわかっていたから負けられないと思った。
 旧三役は、内尾さんをはずして分裂・組合破壊を組織した。内尾ははずされ利用されたことへの怒りもあったと思う。俺も旧三役3人が分会を裏切ったことへの怒りがあった。
○内尾さん
 解雇された3人と職場の中で闘っている2人の5人でいつも組合会議をやっていた。だから3人の中で1人でも落ちたら、職場の中にいる2人も辞めたと思う。バラバラになったと思う。だから辞めないで頑張った。
 社前に月1回登場したのも、中にいる2人とのつながりがあるからだ。2人は中ではそんなに激しく攻撃はされていなかったが、職場の中のことは2人を通してよくわかった。判決後の資本の側の張り紙もすぐ伝わる。俺たちがつながっているからだ。
 俺が、分裂の時に組合に残ったのは、一旦はやめる覚悟で組合をつくったから、どうせやめるならトコトンまでやってやろうと思ったからだ。俺たちをコケにして、15人いた組合員を切り刻まれて、許せないと思った。
○吉本さん
 最初の7月5日結成のときから今までいたのは俺と内尾さんと田口さんとトラさんだ。○佐野さん
 順法闘争の時に資本に毎日要求書を出したが、文書を書いていたのは内尾さんだった。
○吉本さん
 今まで組合員は、組合の腕章を常に着けていた。職場の中だけではなく、運転している時も、コンクリートを運んだ現場に行っても着けていた。これ、結構勇気がいることなんです。でもこれが組合の団結の証だと頑張ってきた。生コンの運転手で、朝と夕方しか仲間と会えない。だから腕章が組合員の意識だし、団結の証なんです。職場の仲間もみんな見ている。順法闘争を今でも継続している。
 俺がいつも思っているのは、闘う場所は職場にあるということだ。だから職場にこだわった。最初は月1回は社前で街宣をやった。今では毎週社前闘争を行っている。それは、なによりも中にいる2人の組合員と外にいる3人の組合員の団結が軸だからだ。中の2人と外の3人は、常に同じ意識で動いていた。職場を巻き込んで闘っていった。
 そして、地元の浮間舟渡にこだわった。毎月、浮間舟渡駅前で街宣をやった。
 嬉しかったのは、判決後の組合会議後の飲み会に職場の仲間を誘ったら、来てくれた仲間がいたことだ。中に組合員がいるからできるんだよね。来なかった職場の人も日にちを間違えていたことが後でわかった。職場の仲間は、中にいる2人の組合員を通して、組合を見ているんだね。

鈴コンと花輪さん、闘う労働者で共闘した

●司会:裁判長が「このままだと運動が拡大する」という趣旨で経営側に和解を提案したのは、支援共闘の存在も大きかったと思うので、その話をして下さい。


○花輪さん
 そうですね。支援の輪が広がり、小竹運輸をはじめ一緒に闘う労働組合が拡大していきました。職場で闘う労働組合ですね。
 鈴コン闘争では、裁判にも勝利していくつもりです。その上で、第2ステージにむけては、以下のように闘っていきたい。
 第一に、職場の雰囲気は変わってきていて、社前の呼びかけに手を振って挨拶していくようになってきている。職場に踏み込んで組織化を進めていく。1人でも組合員を拡大すれば会社は慌てる。かなり精力をかけて組織拡大する。先ず職場の労働者に分会のやっていることは正しいと働きかけていくことです。
 第二に、裁判闘争への支持を拡大していく。署名やカンパを集める輪は広がっているが、共闘会議としての運動はまだ広がっていない。特に地元の板橋区浮間舟渡の労働組合へローラーをかけて、共闘会議としての機能を持たせるような再組織化が必要だ。地区労の再建ということです。
 産別で、東京生コンをつくっていくことも夢ではない。働きかけを強めていきたい。共闘会議の取り組みは即効性はないが、確実に地域や産別に根付きつつある。
 労働組合運動を叩きなおしていく。鈴コンのような闘いが一つ、二つと増えていくことが大事で、職場から反撃していくことだ。鈴コンの闘いに自信を持って、闘う労働組合を再建していく。「労働講座の教科書になるような闘い」として、鈴コン闘争を位置づけて取り組んでいきたい。
○吉本さん
 俺たちが共闘会議をつくってくれと言ったんじゃない。解雇当該3人も本当に必死だった。負けたくなかった。労働組合の闘いに確信を持っていた。共闘会議は準備会を入れて結成まで解雇から7カ月かかった。花輪さんに最初から一緒にやろうと言われたわけではない。俺たち一人ひとりも迷ったり悩んだりした。結局11年12月から12年3~4月まで花輪さんはずっと見ていた。そのうち辞めてどこかに行くだろうと見ていた。3月に「こいつら辞めない。本気だ」とわかった。そこで、花輪さんに話に行ったら、「じゃあ労組回りに行くか、協力する」と言われた。
 全労協、全労連、連合の枠を超えて、共闘会議の呼びかけ人を誰にするか話した。要請に行っても、支援してくれ、カンパをくれとは言わなかった。一緒に闘いましょうと言った。その中で、呼びかけ人になってくれる人が出てきた。
 解雇撤回の労組要請で、共闘と支援に行っているのに、相手の不甲斐なさについ「労働組合は闘うんです」と言った。最後は喧嘩ごしになって「説教をしに来たのか」と言われたりもした。でも怒られなかった。それが支援連帯共闘会議をつくってきたと思う。
 連合、全労連、全労協も含めて、どんな組合にも行った。JALの労働組合にも行った。職場でどう闘うかが一番大事だと思う。共闘会議をつくると、経営者に幻想を持つ者も出てくる。すると金で折り合いをつけようとする。1047名の「4・9政治和解」も同じだ。
 ○花輪さん
 1047名解雇撤回闘争で言えば、組合の上層部は、解雇されている労働者の立場に立って考えていたのか。考えていなかったのではないかと思っている。トップが癒着している。「4党合意」(2000年)もそうだったが、政府は絶対に責任をとらない。現場の労働者の立場に立って、共に闘うことが大事だ。
○吉本さん
 鈴コン分会の労働者がいて、花輪さんがいて、本当に闘う立場の労働者が合流したから支援共闘会議はできた。それを見て、小竹運輸G労組も苦闘しながら建交労から脱退して全国協で闘っている。彼らは「職場で闘う」ことを選択した。

東京生コンをつくっていくことも夢ではない

●司会:今後の闘いの展望や方針について話して下さい。


○吉本さん
 花輪さんが言われたように第2ステージにむけ大きな展望を持って闘っていきたい。
 今日は花輪さんと2人で全労協、東交、私鉄総連、連合東京、全日建関東支部の各本部に報告と挨拶に行った。
 鈴コンは、生コン労働者の組合なので、なによりも全日建とのつながりをつくっていきたい。先日亡くなった関西生コン支部の高副委員長から「全日建との連帯を頼む。関東支部を振り回すくらいのつもりでやってほしい」と、以前から言われていた。全日建に行き執行部の人と会って、「鈴コンは東京地裁で解雇撤回の勝利判決をかちとりました。全日建と一緒に東京生コンをつくりたい。これは、関西生コンの故高副委員長の遺言でもあります」と話した。鈴木会社の背景資本は、住友大阪セメントで最終的には背景資本との闘いになっていく。だから建設・交運業界では全日建と連帯しながら闘っていきたい。鈴コン分会と鈴コン支援共闘会議と全日建で、東京生コンを復権させたい。
 争議の最初の頃に、埼玉の中央協同組合にも行ったことがある。その時は全く相手にされなかった。東京にも中央協同組合がある。これは住友大阪セメント傘下の中小零細企業の協同組合だ。こういう所とも連携してやっていかなくてはいけないと思っている。関西生コンのような組織を東京につくるというのは夢ではないと思っている。
○佐野さん
 職場にこだわることと、地域にこだわること、そして産別を組織すること、この3つを一体で取り組むことが大事だと思う。
○吉本さん
 なによりも職場の仲間全員を組合員に獲得する。その可能性はあると思う。なぜなら資本の側は「吉本をはじめ組合員に職場に戻られたら社内秩序が維持できない」と言っている。俺たちが闘い続けてきたからだ。会社が、社前の組合の街宣に対して張り紙を出したことからも、組合の闘いに恐怖していることは明らかだ。
 これは不当労働行為だから徹底的に闘う。俺たちは、資本の側が1つの文書を出してきたら3つの文書を出して要求を返してきた。すると、資本の側は下手な文書は出せなくなってきた。資本の側が文書を出せなくなったら、組合の勝ちだ。資本が文書を出してくる間は組合をなめているからだ。
 そういう時は俺たちは事務所に乗り込んで抗議してきた。東京都労働委員会で鈴木富美子社長が「ストライキはやってはいけないのよ」などと、不当労働行為丸出しのふざけたことを言った時も、会社に徹底的に抗議した。
 組合の側が主導権をとることが大事だ。鈴コン分会結成の時にも、極秘に我慢して我慢して職場の労働者の半分以上を取らないと立ち上げなかった。資本との力関係で主導権をとることが大事だ。
○内尾さん
 3か月雇用でアルバイトの身分。アルバイトという非正規の労働者が組合をつくって、3人解雇されたが闘って勝てた。
 鈴木コンクリート工業ほどのひどい会社はないと思うが、労働条件の改善は闘えばできる。生コン業界だけでなく、タクシー労働者や、コンビニやスーパーで働く店員なども、「組合をつくって俺たちと同じ闘いをやれるよ」ということをもっと広めていきたい。
○吉本さん
 どんな職場でもどんなすばらしい指導者がいても、闘いの主体は本人だ。こいつにかけようと思うのも、主体は自分だ。
 鈴コンで闘うのはおもしろい。職場の仲間が組合の側にこれるかどうか。それはあくまでも本人の意志だが、鈴コン分会がどこまで仲間に信頼され確信をもてる組合になるかだ。鈴コン分会は、組合に入ってもクビにはできない、60歳過ぎても働けるし、賃下げも元に戻す闘いができることを示した。
 闘いの主体は自分であり、仲間を信じて一緒に闘う。腹を決めて闘っていきたい。

職場に戻る! 労働組合の闘いが時代を決める

●司会:最後に一言ずつでも話したいことがあればお願いします。
○内尾さん
 表でわいわいやることも大事だが、なによりも職場に戻って、職場の仲間全員を組合に獲得する。そして働きやすいよりよい労働条件をかちとっていきたい。
○佐野さん
 今、労働組合の力が社会からなくなってきている。国鉄1047名解雇撤回闘争の「4・9政治和解」が戦後労働運動の終わりだった。
 鈴コン闘争が始まった翌年に「4・9政治和解」があり、その翌年の「3・11福島原発事故」後に、田口さんは亡くなった。ストライキをやって、解雇されて、しかし、裸で立ち向かってやってきた。それは今の時代そのものと闘っていたのだと思う。
 解雇から3年経って、解雇撤回の勝利を勝ち取り、時代と完全にリンクしている。かみ合っていることを実感している。
 労働組合の闘いが時代を決める。労働組合がものすごい大事だと思う。体制内の労働組合を乗り越えて、闘う労働組合をつくることが本当に大事だと思っている。
○吉本さん
 大きく変わりますよ。労働組合の意識がね。変わらないと労働組合は消滅しますよ。労働組合という存在が消えてなくなる。国家は労働組合をつぶそうとしている。国家戦略特区では、労働規制をすべて撤廃すると言っている。しかもそれを労働組合が協力して資本と一体となってやろうとしている。憲法28条で労働組合は保障されている。国家の側もそれはわかっている。だから如何に骨抜きにするか、体制内にするかを考えている。
 今の時代の中で、労働組合が消えてなくなるか、労働組合が立ち上がるかだ。
 そういう意味では、いい時期に、鈴コンの4・16判決が出たし、そして動労千葉の解雇撤回をめぐる判決も出てくる。国家的不当労働行為は明らかになっている。どのような判決が出ても、労働組合の闘いは盛り上がり拡大すると思う。
○花輪さん
 鈴コンに来て、みなさんと一緒に動けることに幸せを感じている。本当に嬉しい。この闘いと一緒にやっていけば間違いないと思っている。

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【鈴コン闘争とは】
 2009年7月5日、東京都板橋区にある生コン製造・運送会社の鈴木コンクリート工業会社に、3か月雇用のミキサー車の運転手が、一般合同労働組合東京西部ユニオン鈴木コンクリート工業分会を10人で結成。
 資本側の組合破壊攻撃が始まり、11月4日に組合は分裂。田口組合員が11月10日に解雇された。6人の組合員が決起し11月20日に分会を再結成した。 
 2011年8月16日、労働委員会闘争の最中に田口組合員が急逝。9月、田口解雇撤回と「精勤・皆勤手当廃止」に対してストライキ決行、ストに対する出勤停止処分。社前・駅頭街宣行動。12月、分会三役が不当解雇された。
 2011年12月から解雇撤回闘争を開始。12月22日解雇撤回総決起集会に340人結集。社前、地域労組回り、裁判・労働委員会闘争。
 2012年2月、東京地裁が賃金保全(仮払い)決定。7月15日、支援・連帯共闘会議結成。
10月東京地裁が賃金仮払いの異議申立を却下(白石裁判長)。以後2回、賃金仮払い決定。
 以来、被解雇者3人と職場に残って闘う組合員2人は、社前闘争、地域労組回り、裁判闘争、労働委員会闘争を、連日闘いぬいてきた。
 2014年4月16日、東京地裁で「分会三役の解雇は無効(地位確認)」の鮮やかな勝利判決。賃金支払いは仮執行付(直ちに支払え)だ。