福島の被災地を訪ねて
福島の被災地を訪ねて
谷 和司(みやぎ労組交流センター代表・全逓労働者部会)
昨年11月24日、雪が降る前に福島の被災地を見たい、2011年3・11から2年8ヶ月経った現実を自分の目で見たいと宮城と福島の仲間が合流し福島を出発。目指すは、福島市から東へ向かって、市内渡利―川俣町―飯舘村―南相馬市―浪江町―国道6号線です。
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国道114号線を東に向かうと、市内渡利で「渡利病院」を左手に見ながら、南向台小学校に行く。除染された学校周辺、グラウンドは0.16μsv/h。
そして凍み豆腐の産地、立子山を通り川俣町へ。
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川俣町では、町民の駅伝大会が行われていた。郵便局で労働者から話を聞くことができた。
Aさん:「自分のうちのすぐそばに仮置き場ができ、仮置き場を貸している人は補償金が出るが、うちはすぐとなりなのに何の保障もない。」
Bさん:「川俣は原発事故の避難を受け入れている方になっている。目に見えない放射能ですから、体にすぐに現れないし、みんな感覚がマヒしているかもしれない。バイクによる線量のモニタリングなどはやっていない。マスクをつけろとか一時期いわれたが、今は全くやってない。普通に以前と変わらず。線量を計ることも全くしてない。自分は川俣には住んでないが、ここらに住んでる人も気にしないで仕事しているのが現状。配達先のホットスポットもわからない。放射線量は毎日天気予報で知るくらい。3・11で原発が爆発したときはみんな危機感を持っていたし、職場に仕事をしに来るのが嫌だった、1日でも嫌だった。それから今になって、危機感ということが風化しているのがあります。この点はもっと私たちが考えて、意識的にやらないといけない。みんな普通の暮らしになっている。線量も何ミリシーベルトとテレビの天気予報で見るが、今日はどこどこは高いけど、変わらないなと。確かに線量が高いからいま何か行動を起こしてと思うが。5年後、10年後に影響があることはわかっているのに、上の人達はまったく何も言わない。」
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川俣町谷沢地区にある佐藤幸子さんの「やまなみ農場」に立ち寄った。
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川俣町にある除染した土壌・砕石・草木などの仮置き場の現場を見た。立てられている看板には、除去土壌等の一時保管仮置き場とある。
① 第1仮置き場。川俣と飯舘の境に標高918㍍の花塚山がある。この中腹に「峠の森自然公園」と「ちびっ子天国花塚の里」がある。このちびっ子天国が借り置き場として使われていた。除染した大量の放射性物質が袋詰めされて並んでいる。モニタリングポスト周辺は低いが、むき出しの袋の付近は0.64μsv/hと当然にも高い。公園に入る道路のそばにクルミの木がありいっぱいクルミが落ちていたが、誰も拾わずそのままだ。
② 第2仮置き場。ここは南相馬に抜ける県道12号線に面した仮置き場で、「ちびっ子天国」とは管理の仕方がまったく違って厳重に保管しているという感じ。ここのモニタリングポストは0.16μsv/h。交通量の多い県道12号線。南相馬に向かう車はここを通る。
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飯舘村に入る。12号線の峠道をすぎると風景が一変する。簡易局だろうか、二枚橋郵便局があり、その近くにはモニタリングポストがある。0.47μsv/h。12号線沿いには田んぼや畑が広がっている。集落がある。スーパーもある。このスーパーマーケットの南側、川の土手の線量を計ると1.03μsv/h。田んぼは除染作業で表土を10㌢削られているという。かなりの田んぼが削り取られていた。そして周辺にはブルーシートで覆われた仮置き場がいくつもできていた。風が吹いている。飯舘は風の通り道なのかもしれない。人がいない。風が違うと思った。
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さらに進むと、南側には相馬農高飯舘校が見える。さらにいくと右側に飯舘郵便局があった。現在閉鎖中のお知らせが郵便ポストに貼ってあった。このポストの上の線量が1.3μsv/h。当時のままで、雑草だけがコンクリートの隙間から伸びていた。
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峠道を越えて南相馬市に入る。田んぼや畑は休耕。雑草がのび荒れ果てている感じ。飯舘の田んぼとは対照的で手つかずのままだ。
南相馬市原町区で昼食を取った。中心街の古い通りは店を閉めているところが多かった。南相馬での反原発行動に参加したことのある福島の仲間が覚えていた店が開いていた。ラーメンがおいしかった。原町区は、0.27μsv/h。
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県道34号線を南下。南相馬市小高区を通り浪江町に向かう。小高に入る。途中にモニタリングポストがあった。0.75μsv/hの表示、実際の線量はもっと高い。
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34号線は浪江町の吉沢牧場入り口で封鎖されていた。牧場入り口には吉沢牧場の看板とともに、「希望の牛達を生かして」「殺処分、飢餓はやめよう」「決死救命団結!」の看板が。入り口の線量は、2.2μsv/h。牧場入り口から奥に行くと、牧柵の内側には牛たちが牧草に群がっていた。牧柵付近で0.98μsv/h。ここが福島第一原発から14㎞の地点で、線量もかなり高いなかで「決死救命、そして希望へ」とこの牧場で牛とともに生き抜いている。この現実、農業と農民にとってもすごく重い現実だ。労働者こそこの現実に本当に怒るべきだと思う。
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牧場を後にして、国道6号線に出る。20分も走っただろうか。検問、通行止めだ。あと10㎞もないところに福島第一があると思った。そこから引き返した。南相馬市まで戻らないと福島に帰れない。6号線まで津波は届いていた。所々に津波が到達したことを知らせる表示。良く見れば浪江町は、当時の状況を残しているところがいっぱいある。人がいない。左折する交差点は封鎖されている。南相馬にはいると、店が営業し、人が、車が動いている。この違い。
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ふくしま共同診療所に向かう。途中伊達市の仮設住宅に寄ろうと思ったが、時間がないのであきらめた。診療所では、インフルエンザの予防接種をした。大人は1回でいいらしい。2000円は安いのではと思った。仙台の2人も予防接種を受けた。
そして農民会議の友人の農園から、台風被害で出荷できないリンゴをいっぱいいただいてきた。リンゴありがとう。
この日は前からずっと思っていた福島の被災地を自分の身体で感じることができました。
「放射能を心配しなければいけない強いられた人生。いじめられて、かかえさせられて、生き抜きにくいのに、生きていけと言われる。当然みんな一生懸命に生きていく、しかしその先に、何があるのか。……だから僕らの人生を取りもどすために基本的に思うことは、そういうひどい状況をつくる、そういう無責任な事故を起こす社会の仕組み、そして、起こしたのに責任をとらずに、逆に居直って差別してくる社会、権力、これをどうにかすること。これをどうかする力が私たちにある。それに目覚めること」(「原発事故と命の絆を考える」吉本哲郎さん講演録より)。
そうだ!!
労働者、労働組合こそが、農民、漁民たちとつながり団結して、生き抜く闘いを、この社会を変革する闘いを一緒にやろうじゃないか、そういう思いを本当に強くしました。
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あきらめられるか 忘れられるか 福島の怒りはおさまらない!
3・11反原発福島行動'14
3月11日(火)14時~(13時開場)
郡山総合体育館(郡山市豊田町3-10)
16時15分デモ出発
〈主催〉3・11反原発福島行動実行委員会