11月「東京―ソウル国際共同行動」報告 日韓理念交流会

2019年7月31日

月刊『労働運動』34頁(0321号02/04)(2016/12/01)

11月「東京―ソウル国際共同行動」報告
※ 11・7日韓理念交流会の報告

【Ⅰ】民主労総からの提起

チュボンヒ(非正規職担当の元民主労総副委員長)

 韓国のテレビ局KBSの労働者です。いま韓国の情勢は不安定で国民は非常に不安に駆られています。私はパククネ大統領がこうなると思っていました。
 パククネが大統領の座に座って最初に着手したのが民主労総への弾圧でした。私が民主労総の副委員長を務めていた2013年、民主労総の執行部に入っていた鉄道労組の委員長を逮捕するため、民主労総の建物に5000人の警察が入りました。暴力警察によって本部に入られたニュースを聞いて1万人を超える組合員が駆けつけ、建物の正門に陣取っていた2000人 の機動隊を外に追い出しました。結局、警察が望む成果はありませんでした。民主労総、鉄道労組の組合員は警察に動かされる存在ではありません。抵抗なく警察暴力に屈する存在ではなかったのです。
 この事件をきっかけにして民主労総は、一方ではゼネストを準備しました。そのニュースを聞いた大統領府は労働部大臣を民主労総に送り、謝罪しました。私たちはその謝罪を受け入れませんでした。パククネ政権はその後も民主労総に何回も暴力をふるいましたが、鉄道労組・公務員労組をはじめ断固たる態度で守ってきました。

●20年の民主労総の闘いの中で斃れた同志

 民主労総は20年の歴史の中で、一度も政権や資本に妥協・譲歩した歴史はありません。その中で多くの同志が首を吊り、体に火をつけて亡くなっていきました。
 2013年の民主労総のゼネストの際に、ソウル市内の集会で一人の非正規職労働者が身体に火を付けて亡くなりました。労働部にある勤労福祉公団の非正規職労働者でした。その同志は、民主労総委員長が壇上で演説を行っている時、私のすぐ隣にいました。
 その同志の名前はイヨンソク。彼が自らの身体に火を付けたのです。その瞬間、私の頭は真っ白になりました。火を消そうとしましたが、現実にできたことは、彼を胸に抱いて泣くしかありませんでした。
 同志は1週間後、私たちから永遠に旅立っていきました。彼は大学を卒業したのですが、大学時から運動の専従活動家だったわけではありません。ただ非正規労働者としての自分や仲間の権利を取り戻そうと、その一つの目的だけで自分の身体に火を付けたのです。
 彼の死をきっかけにして同じ職場にいた勤労福祉公団の非正規職労働者400人は全員正規職になりました。光州事件があった光州に民衆がつくった旧墓地があるのですが,イヨンソクへ1枚の紙が送られてきました。故イヨンソク労働者も正規職になったことを知らせるものでした。
 2013年1年間で、正規職・非正規職労働者6人が亡くなりました。2013年韓進重工業のキムジュイは首を吊って亡くなりました。この彼の死をきっかけにして韓進重工業は整理解雇を中止しました。
 民主労総は一時も休まず走って闘ってきました。ペクナムギ農民が亡くなりましたが、去年の11月民衆総決起の際に警察の放水車に打たれて1年間、意識のないまま病院にいました。彼が死ぬと韓国警察数千人が彼の遺体を奪おうと遺体が置かれている病院の3階に入っていきました。しかし、民主労総の組合員や市民は、警察から3階を守り阻止しました。結局、警察はあきらめて帰って行きました。
 亡くなったペクナムギ農民は70歳です。20代の頃、中央大学校の学生で指名手配され、ソウルのミョンドン聖堂で2年間隠れていました。彼は人生のほとんど、韓国の民衆・労働者農民のために献身的に闘いました。
 先日11月5日、やっと葬式ができました。葬式の当日、労働者民衆が20万人を超える規模で集まってきました。そして叫びました。「パククネは退陣せよ!」。労働者民衆の生活がどん底にある現状を20万を超える民衆が声を一つにして訴えました。

●1000万を超える非正規労働者の苦闘

 韓国には1000万人を超える非正規労働者がいます。最低賃金すら保障されていない労働者が310万人以上います。私たちは政権や資本に屈服せず、正当な要求を掲げて闘ってきました。アルバイトの学生や労働者たちに最低賃金1万ウォンを保障せよと闘っています。
 しかし現在の最低賃金は6030ウォンにすぎません。最低賃金交渉で闘い、声をあげても、資本や政権はビクともせず1万ウォンどころか6030ウォンにとどまってしまった。来年度の最低賃金は6470ウォン。月給に換算すると135万2000ウォンです。この月給では生活が成り立たない厳しい状況に立たされます。
 私が2000年6月にKBSから解雇された当時、月給は560万ウォンでした。私は2年を一つの単位で解雇される派遣労働者です。アジアで、派遣法を最初に取り入れたのは日本でした。韓国は日本の後を追います。1998年通貨危機が起こり、金大中政権は条件付派遣を合法化します。IMF構造改革が終わった後に派遣法は廃棄するという条件でした。しかし、1回導入すると資本やKBSのような放送局にとって派遣労働者ほど低賃金で使いやすい存在はない。廃棄せずにズルズルときました。私は解雇されるまでKBSに10年間勤めていました。同じ職場・同じ業種にもかかわらず、派遣法が導入され26種類の業種が適用されて、私の業種も入り、一日にして派遣労働者になったわけです。
 2006年、派遣法が適用され、非正規労働者30万人が解雇されました。私は派遣労働者を集めた労働組合を立ち上げました。政府から合法的労組の認証を受けたのは3日前で、たった一日でKBSで勤務することができました。
 そこから私の苦難が始まりました。数百万人の非正規の闘いは続きました。すべての非正規労働者がそうであったように、私も大変でした。一日一日、暮らしが苦しくなってきて、1年、2年、3年と時間が経つと耐えるのが大変になりました。
 2013年、解雇者としてストライキとその闘いに参加していた最中、イヨンソク同志が亡くなったのです。イヨンソク烈士が死んだ日の夕方、私もこれ以上生きられないと思いました。命を絶とうとシンナーを買い求めました。その話を聞いた民主労総ソウル地域本部の活動家が私を守ろうとずっとついてきました。
 私の生活が厳しいと知った正規職、非正規職の同志が100ウォン、200ウォンと集めて私を支援してくれました。仲間たちの涙ぐましい暖かい配慮があったので私は彼らの気持ちを裏切ることができませんでした。再び気を引き締めて心をあらためて決意を固めました。そうだ、闘おうじゃないか。私ができることは闘いしかないと思いました。
 仲間たちの応援によってKBSの子会社に復職することができました。2005年、400人の非正規職の労働者が私と一緒に正規職として復職できました。韓国には、非正規職の労働者は960万人ほどいます。そして、最低賃金すら保障されていない労働者が300万人を超えます。
 日本の場合、来年度の最低賃金が韓国1万ウォンを円に換算したその額を少し超えるようになりました。日本の最低賃金は韓国と約400円ほどギャップがあります。来年度は必ず最低賃金すら保障されない労働者たちのために1万ウォン、いやそれ以上の高い賃金をかちとるために闘います。

●民主労総は最後まで政権と資本と闘い続ける

 民主労総委員長は現在、昨年の民衆総決起の際に逮捕されています。サンヨン自動車労組の被解雇労働者です。サンヨン自動車のストライキによって3年間の懲役を終えています。
 彼は2014年11月に直接選挙による委員長選に出馬し、当選しました。当選後、最初に行ったことが民主労総のゼネストでした。彼は、懲役3年を終えたばかりにもかかわらず、また政権や資本は彼を押さえつけています。彼は現在、懲役5年で刑務所にいます。
 同志の皆さん。2016年11月12日、ソウルにお集まりください。パククネ政権はけっして許せません。民主労総をあなどっています。民主労総の組合員を無視するなと思い知らせるために闘っていかなければなりません。私たちは最後まで政権と資本に向かって闘い続けていきます。民主労総が世の中、労働者を動かします。連帯と応援をよろしくお願いいたします。

【Ⅱ】動労千葉からの提起

田中康宏(委員長)

安倍政権と雇用・労働政策の歴史的転換

★はじめに

 チュボンヒ同志の提起を背筋が伸びるような気持ちで聞きました。
 民主労総は昨年4月から1年半、労働市場構造改革に対してたび重なるゼネストを闘っています。日本でも安倍政権の政策として韓国以上にひどい労働者の権利を破壊する攻撃が吹き荒れていますが、韓国のような闘いがありません。しかし日本で行われた労働改悪が韓国に導入された歴史です。今日の議論として韓国以上に進んでしまった労働改悪の現状をお話しし、共有して闘うことが大事だと考えました。安倍政権と雇用労働政策というテーマで少し話をさせていただきたいと思っています。

●動労千葉の歴史

 動労千葉のことについて、少し話をしたいと思います。
 動労千葉は300人程度の小さな労働組合ですが、その組合が昨日のような集会を呼びかけなければいけないという中に、日本の労働運動の現状があります。連合という日本の労働組合のナショナルセンターはじめ大きな労働組合は、労働者の現状に全く闘っていない。私たちが仲間と共に全国を足を棒にして回って集会をやるしかない。昨日集まった仲間たちは自分で旅費を払い自分の決意で参加している仲間たちです。現場の労働者一人ひとりの決意が今後の労働運動を作り上げていく立場で私たちは頑張っています。
 動労千葉もかつては闘う労働組合ではなかった。40年以上前はストライキ指令が下りてもストライキを返上する労働組合でした。先輩たちが現場の力で闘う労働組合に変革していった歴史です。仲間が解雇された時、本部は闘おうとしなかったが、現場から闘いを起こして解雇を撤回させました。仲間が鉄道の重大な事故に遭遇した時、組合本部は「乗客が怪我をしているのに闘いになるはずがない」と言いました。「資本との闘い以外に安全は確立できない」と現場で闘いを起こしました。1年間に5回も臨時大会を開催し、全組合員の議論の中で闘う執行部を確立したのが1973年でした。三里塚空港にジェット燃料を運べという攻撃を拒否して、労働者と農民の連帯を作り上げる闘いをすることができました。当時の組合中央本部は「国家権力と真正面から衝突になる。闘争をやめなければ統制処分する」と言ってきました。1979年動労の千葉地方本部で執行部が統制処分になりましたが、同じ日に動労千葉という単独の労働組合を立ち上げました。

●安倍政権による二つの攻撃―改憲・戦争と労働法制解体

 この二つの課題は、日韓労働者の連帯が絶対に必要であることを示しています。

●安倍政権による戦後労働法制解体攻撃(働き方改革)の現状

 今、日本の労働市場改悪の現状は、労働者が血を流してかちとった権利を解体する最後の段階かもわかりません。正規職、正社員を社会からなくす攻撃が始まっています。財界は9割の労働者を非正規化すると言っています。安倍政権はそれに向かって進もうとして「今、問題なのは正社員改革だ」と言い出しました。韓国では勤労基準法、日本では労働基準法、労働組合法は、労働者が闘いでかちとってきたものです。しかし全面的に解体しようとしている。
 もう一つ今起きている攻撃の特徴は、安倍政権が掲げているスローガンで「同一労働、同一賃金」の攻撃です。「この社会から非正規職を一掃する」「最低賃金1000円を必ず実現する」と言っています。これは連合や全労連などの労働組合が掲げてきたスローガンです。それが安倍政権のスローガンになって、意味、内容が全く違うものにすり替わって、正社員ゼロ、解雇自由の社会を作る大陰謀です。マスコミも労働組合幹部も何ひとつ批判の声すらあげることができていない。

★日本における労働法制解体攻撃の経過

 日本における労働法制や雇用政策の解体がどう進展してきたのか少し話したい。

●第一の転換点―1987年国鉄分割・民営化。新自由主義攻撃

 第一段階は、1987年に強行された国鉄の分割・民営化攻撃です。国鉄の民営化は単なる一企業の民営化ではなく日本社会全体に新自由主義を導入する攻撃としてかけられました。戦後史最大の労働運動解体攻撃であり、戦後最大の首切り攻撃でもあった。
 国鉄分割・民営化が始まったのが1981年で、民営化開始1987年までの6年間に国鉄労働者20万人以上が職場から追われました。その過程で24万8千人いた国鉄労働組合が4万人余りに激減されました。日本で一番強い労働組合だといわれていた。
 なぜこんなことが起きたのか。国鉄改革法という法律が根底にありました。国鉄が民営化されてJRになるが、国鉄職員は一旦全員解雇する、JRにはその中から新規採用すると決められました。新規採用だから採用の自由があるという考え方です。国鉄労働者だけでなく全労働者が震え上がりました。この攻撃とセットで労働組合役員や活動家が全部職場から排除されました。人材活用センターという組合活動家が隔離される場所が全国で1000か所以上作られました。組合を抜ければ採用される、組合に残れば採用されないということが突きつけられた。同じ年に労働者派遣法ができ施行されています。日本における労働者派遣法は韓国以上に正規雇用を全部なぎ倒す役割を果たしました。
 そして国鉄分割・民営化の結果もう一つ驚くべきことは、国鉄労働運動という中心を失った当時の全日本労働組合総評議会(総評)という日本のナショナルセンターが自ら解散したのです。新自由主義が全世界で吹き荒れましたが、新自由主義によって労働組合のナショナルセンターが自ら解散したというのはおそらく日本だけだと思います。
 僕らは一番小さな労働組合でしたが、この時、ストライキに立ち上がりました。
 40人の仲間が解雇され、この仲間は今も復職していません。莫大な損害賠償をかけられ職場を潰され、数百人が余剰人員化されました。それでも団結を守り抜くことができた。それが最大の成果でした。団結を守り抜くことができたから全国の多くの労働者が支援し、今日まで闘いを続けることができました。

●第2の転換点―2000年前後からの社会全体の外注化攻撃

 社会のあらゆる分野が民営化され、業務を別会社に外注化して労働者ごと非正規化に突き落としていく攻撃が始まった。
 日本では外注化が非正規職を生み出す最大の攻撃でした。
 1995年に財界が9割の労働者を非正規化すると「新時代の『日本的経営』」という報告書で宣言しました。
 1999年に派遣法が改悪され、どんな職種でも原則自由になりました。製造業、看護師、港湾労働者で例外が設けられただけです。でも2004年に製造業も派遣が可能になりました。
 2000年には「企業に国際的会計基準を適用する」と法律で決められ職場を激変させました。将来の退職金の全額を負債として企業会計に計上しなさいということです。だから企業は退職金がない非正規の労働者に全部置きかえていく以外ない。
 そして2000年に、年金改悪が行われました。60歳だった年金の支給年齢を段階的に65歳まで引き上げる改悪です。
 実はこの年金改悪が膨大な非正規を生み出す手段に使われます。日本の定年は60歳です。年金が出ない、雇用の延長が必要となります。切実な要求につけ込んで職場を別会社に移すことを認めれば働けるとなった。賃金は半額以下で60歳以上の雇用延長がされました。一旦非正規化された職場は絶対に元には戻りません。
 年金改悪を利用して社会全体の非正規化が進んだ。労働者を追い込んで抵抗できない状況の中で、国立大学が全部独立行政法人化され、郵政が民営化され、社会全体の民営化が加速をつけて進みました。国営が半官半民に、国営だった道路公団が半官半民になった。この過程で1千数百万人が非正規に突き落とされ、今、日本の非正規労働者は2000万人です。
 JRでも同じことが起きました。会社は、労働組合が外注化を進める協定を結べば雇用が延長されるという協定文を出してきました。資本ではなくて労働組合が推進する協定でした。
 JRの労働組合は動労千葉以外は雇用の延長を求めてこの協定を結んでしまいました。
 僕らは絶対結ばないと判断して、17年間外注化反対闘争を何十波のストライキで闘いぬいています。僕らが外注化を認めないので三十数人の仲間が解雇され、復職できていません。でも子どもや孫たちに非正規の社会を残すわけにはいかないと闘ったのです。

●第3の転換―安倍政権下の雇用破壊

 2006年に第一次安倍政権が成立し、地方公企体部門の全面的な民営化が行われました。市場化テスト法で、公営化部門を民営化できるか全部テストにかけるという公共サービス部門の民営化のための法律がいくつも作られました。
 決定的だったのは2007年の労働契約法の制定でした。労働基準法の中から労働契約に関わる部門だけを取り出して別な法律にしてしまった。労働基準法は団体法、労働組合と資本のための団体的法律の性格も有する。その労働契約の部分は切り離して一般の民事法と同じにしてしまった。
 労働組合が関与する余地のない個人契約、労働組合の存在価値を否定するための法律です。
 もう一つ重大なことは、2007年に年金を管理していた社会保険庁が解体、民営化された。国鉄よりもひどい民営化でした。一旦全員解雇・新規採用は変わりません。しかし全員解雇・新規選別採用するときに、非正規で新規採用できるとした。さらに社会保険庁の労働者から新規採用するだけでなく、一般からも募集していいとされた。首を切っていいということです。しかし、一旦政府側が挫折し、安倍首相が体を壊して辞任する。
 しかし、第二次安倍政権が2012年に出来て、その攻撃が全面的に再開された。去年9月に、労働者派遣法の最終的な大改悪が行われた。派遣する対象は原則自由、しかし一時的、臨時的業務に限る、専門職以外は1年ないし3年しか派遣をとってはいけない歯止めがあった。それを取り払いどんな業務でも何年間でも派遣を導入できるとした。正社員ゼロ法です。
 しかも企業の側は恒久的に派遣を導入し続けられるが、派遣労働者は3年ごとに替えていきなさいという法律です。企業はどんな事業であれ恒久的に派遣を使い続けられる。派遣労働者の側からみたら3年ごとに首になる法律。こうしたことを突破口に次の攻撃が掛けられようとしている。

★安倍政権の「働き方改革」の正体―究極の雇用破壊攻撃

 究極の雇用破壊攻撃がこれから始まろうとしています。
 第一に、正社員改革と称する攻撃です。労働者の解雇自由化攻撃と表裏一体で画策されています。安倍政権は、「正規、非正規という二極対立で語ること自体が間違っていた」と言って「正社員改革」を進めている。
 「多様な正社員をつくる」と言っています。それに「限定正社員」という名称をつけ、法律上も成文化して、社会通念上も普及させて働かせる。「限定正社員」とは職務、職場が限定された正社員という意味です。その処遇は、無期雇用契約でも非正規社員並みの賃金にする。雇用契約は無期契約だが、賃金水準は非正規職と同じ。その限定正社員はその職場、職務が縮小されたり、なくなった場合は、自動的に解雇できる。
 正社員改革と解雇自由が表裏一体。その職場、職務がなくなったときに自動的に解雇できるという意味は、その職場が物理的になくなったことを意味しないのです。ある企業が職場を外注化すれば、その職場はなくなったことを意味します。外注化=自動的に解雇、あるいは民営化=自動的に解雇を、社会全体どこでも法律なしにできるようにしようとしている。
 では、どうやってこの限定正社員をつくっていくのか。さっき述べた労働契約法には、「有期雇用の労働者は、5年間契約が存続したら無条件で無期雇用に転換しなければいけない」ということがあります。「5年ルール」といっているが、本来なら正社員にしなければならないという意味です。
 安倍政権はこの条文を逆手にとって、無期雇用転換と称して正社員ならざる正社員、限定正社員を大量に生み出そうとしているのです。すでに閣議決定された規制改革会議の答申では、「無期転換にあたっては処遇を変えないことを原則とする」と書かれました。つまり、非正規の最低賃金のまま限定正社員にする。全正社員がここに落ち込んでいくというのは決まっています。
 安倍政権が掲げている「同一労働、同一賃金」とは何なのか。非正規の賃金を上げることではない。正規の賃金を下げていくこと。こう考えると社会から非正規をなくすこともわかる。「限定正社員」なる名前で、全部実際上は非正規にしてしまえば非正規とは言われなくなる。時給1000円を必ず実現する。全部時給1000円にしてしまえば、これほど資本がもうかることはない。これが安倍政権がやろうとしている現実です。私たちは小さな力ですが全力で立ち向かう決意です。

★労働運動の現状と闘いの課題

 最後に、なぜこの攻撃に全力で立ち向かうのかです。それは、もう私たちの職場でこの攻撃が始まっているからです。
 私たちが、非正規の仲間を組織しているJRの下請け会社、CTS(千葉鉄道サービス)という会社で、今年2月にこの提案がされました。その提案は、「CTSに働く非正規の全ての労働者の雇用条件を5年にして、完全に解雇する」という提案でした。そこから無期雇用転換でなくて、採用試験をやって無期雇用の労働者で採用するかどうかを決めるという提案でした。その賃金は八百数十円という千葉県の最低賃金でした。
 私たちは、この職場で非正規の労働者を組織しているが、職場の組織化に入ったらもう職場は怒りの炎で燃え上がりました。その闘いによって4月1日の実施は阻止しました。
 しかし、この中身を多少は緩和して、10月1日には強行されました。
 この5年ルールで一旦全員解雇になる初年度が2018年です。つまり法律の施行が2013年だったから5年で2018年が初年度です。これには全産業の労働者が関わります。郵政でも全く同じ提案がなされています。大学の非正規職の仲間にも同じ提案がなされています。
 だから僕らは2018年に向かって絶対に反撃する闘いをつくりだす決意でいます。
 僕らがなぜ30年間、国鉄分割・民営化に反対して闘ってきたのか、その後17年間、外注化に反対して長期間闘ってきたのか。
 やはり、今のこの状況と闘うためだと思います。民主労総の闘いに本当に学ばさせて欲しいと思っています。ありがとうございました。

 【この後の討論は次号に続く】