6・3星野文昭さん解放全国集会が大成功

2019年7月31日

月刊『労働運動』34頁(0340号08/01)(2018/07/01)

6・3星野文昭さん解放全国集会が大成功

高橋 敦(香川・教育労働者)

更正保護委員会の地元で取り組み、労働者の力で星野さんを奪還できると実感!

 6・3全国集会が大成功しました。「今すぐ星野さんを取り戻そう」の思いで全国から集まった1000人の集会とパレードは、生き生きと元気で希望に満ちた素晴らしいものでした。1000人の思いが一つになった時、労働者はすごい力を発揮すると実感しました。
 地元・香川として、全国の皆さんに本当に感謝しています。同時に、準備過程も含め、貴重な経験の場を与えてくれたことも感謝の気持ちで一杯です。準備過程からの様々な議論や試行錯誤を報告することが、お礼になると思い、原稿を書きました。
 昨年から開始された四国更生保護委員会闘争は、更生保護委申し入れと星野絵画展の具体的な取り組みとして、日教組香川三観地区教組と香川連帯ユニオンの団結の力、そして徳島・愛媛・岡山・広島、全国からの支援で大きく発展してきました。2017年2月の星野全国総会(徳島)で、四国更生保護委員会闘争が打ち出されました。私たちは「高松で星野文昭さんのことを知らない人はいない」ことを目標に、昨年5、8月、今年1、5月絵画展を行いました。
 香川連帯ユニオンでは、星野奪還闘争や星野絵画展をめぐり様々な議論が交わされました。「労働組合とは何をするところか」「労働組合として星野奪還闘争をどう位置づけるのか」、をはっきりさせなければ、一歩も進めない状況になりました。それまでの私たちは、職場闘争を軸に団体交渉や裁判闘争をしてきましたが、自分の職場での闘いや課題で精一杯でした。当該が一人で踏ん張り、他の組合員は「お手伝い」をする状況でした。闘いの総括会議では、「結局、他人事だったんや!」など厳しい批判・非難も出てくることもありました。それぞれが職場闘争、団結、労働の奪還を日々の労働の中で考え、行動し、議論を続けました。

星野闘争をめぐる激論で団結

 星野闘争をめぐる議論と絵画展の開催は、これを突破するものになりました。「徳島と全国の仲間は、40年以上星野さんと団結をかけて闘い続けてきた」「一人ひとりが星野となって暁子となって闘うということはどういうことか」。私たちなりに、ひとつの結論と方向性が出てきました。「他人事にしない」ことが会議の中でよく出るようになりました。「星野さんの闘いにもう一度きちんと向き合い、徳島と全国の仲間が切り開いた地平に立ち、星野さん、暁子さん、全国の仲間との団結をかけて、6・3を絶対に大成功させよう!」。ここで一致が勝ち取られたのです。労働組合としての団結が一歩、前進したのです。それぞれの職場での闘いも、当人任せにしない、自分のこととしてみんなで考え、行動しようという姿勢になってきました。春闘での印刷工の青年労働者の闘い、教育労働者の再任用を勝ち取る闘いは、その象徴でした。
 そうした中で、6・3を準備していきました。香川連帯ユニオンの委員長が、6・3集会のビラを職場で全員に配り参加を呼びかけました。また、自らが中心となって中四国の青年に「6・3集会実行委員会」の結成を呼びかけました。3月に徳島・岡山の青年と議論を開始し、4月の第1回実行委員会は、香川・徳島・愛媛・岡山の仲間が結集し、「6・3で星野さんを絶対に取り戻す!ここで一致しよう!星野さんが絵画に込めて訴えているもの、表現しているものを、自らの表現で、集会とパレードでやろう!」と熱く訴えました。参加者みんなの気持ちが一つになり、地元・香川で6・3への本格的な動きが始まりました。みんなの気持ちが一つになることが大切で、会議を通してさらにやる気が出てくるのです。
 第2回実行委員会では、「歩く絵画展にしよう」「風船をつくろう」・・・・・・、いろいろなアイデアが次々と出てきました。
 また、高松市内の街宣も何度も行いました。集会や絵画展の案内ビラを何千枚も配り、マイクをとって、「星野さん、大坂さんは無実だ!」と訴え続けました。とりわけ4月以降は、ほとんど毎週末、街宣しました。4月24日、弁護団の記者会見が地元テレビ局から放映された時、「ニュース、見ましたよ! 頑張ってください!」「絵画展、行ったよ」「6・3集会に行きます」と多くの人が声をかけてくれました。
 5月20日、四国新聞と朝日新聞に意見広告が掲載された時には、「新聞、見たよ! 無実なのに許せんな!」「2紙で全面広告だなんて凄すぎる! 絶対に星野さんを取り戻そう!」「集会、友達と一緒に行くで!」という声。「えっ、あそこの検察庁の中で星野さんの釈放を決めるんですか。要望書、書きます」。街頭に出るたびに、本当にたくさん要望書が集まります。
 県内のたくさんの労働組合にも訪ねていきました。執行委員会で議論して執行委員全員が要望書を書き意見広告にカンパを送ってくれた労組もあります。役員すべてが要望書を書いてくれた組合もありました。春闘集会や護憲集会にも参加し、沖縄闘争と一体の星野さんの闘い、改憲攻撃との闘いとして星野奪還闘争を訴え、要望書を集めたこともありました。県内の弁護士事務所もすべて回りました。
 毎日、動きがあり、その動きを知るためにも仲間同士が頻繁に連絡を取り合いました。激論しながらもやる気がさらに出て、お互いがパワーアップしていくのです。「星野奪還闘争とは、愛と勇気と真実と正義だな!」「これこそ労働者の団結だよ!」。そんな言葉がお互いから出てくるようになりました。そのことによって、労働者階級の一員としての誇りを実感し、さらにやる気や元気が出てくるのです。職場でも要望書を集めました。「意見広告、出ていましたね」と言ってくれる同僚もいました。
 6・3闘争は、それぞれ必要な配置について、組織的計画的に準備し行動して組み立ていきました。自覚した各人が有機的に結合し、ひとつの巨大な「生き物」となって動くことで、改めて自分たちの力を自覚すると共に、眠っていた無自覚な力まで引き出していくのです。
 改めて確信します。労働者の団結の力は凄い! ここに依拠することによって星野さんを奪還できる、星野さんの訴える「みんなが人間らしく生きていける社会」を建設できると思います。
 7・1国鉄集会から8・6ヒロシマ、11月労働者集会の過程は、同時に星野さんを奪還する過程でもあります。星野奪還闘争と改憲・戦争攻撃に対する闘いは一体です。香川でも改憲・戦争阻止!大行進運動をどう作っていくか議論を始めました。「星野さんを取
り戻し、改憲・戦争の安倍を監獄へ!」はときの声です。労働者・労働組合の団結の力、国際連帯の力で星野さんを奪還し、改憲・戦争を阻止しこの社会を人間らしい社会に作り変えようではありませんか!

レポート,記事0340

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