戦後労働運動史の中から第35回 1960年代鉄鋼労連の敗北(3)

2019年7月31日

月刊『労働運動』34頁(0314号13/01)(2016/05/01)

戦後労働運動史の中から第35回
一九六〇年代 鉄鋼労連の敗北(3)

(前号より続く)
 前号で、鉄鋼労連の反合理化闘争が必ずしも有効ではなかった、と言いました。資本との協議は認めさせたが、かえってそれを通じてズルズル既成事実に巻き込まれた、と言えるかもしれません。五七~五九年の全力を挙げた争議の敗北も影響していたでしょう。
 しかし反合理化は、合理化が進む中で必ず露呈される多くの矛盾をとらえてこそ闘争になるのです。その意味で闘いの契機はいくらもあったはず。労働災害もある。労働者を相互競争に追い込んだとしても、そこで満足する勝者は限られている。また鉄鋼の現場は、最新鋭工場といえども労働者の半数近くが下請労働者です。そういう職場でなぜ新しい闘争を作れなかったか。
 当時、鉄鋼の労働運動で主力をなすのは、高い熟練を持った技能工であり、年功的秩序の中で自分の実力に待遇が伴わないという彼らの不満が大きかった、という学者がいます。一般的に合理化は、労働者の経験・熟練の重さを低めますが、このとき会社側が昇進・給与等で年功秩序を解体させる方向へ動いた(前回参照)ことが、熟練工の中にある分岐を生み出し、結束を弱めたのかもしれません。
 だが、それもあるだろうが、ここで旧来の主力層だけでなく、新しく入ってくる青年労働者層にも注目する必要があると思います。
 労働運動史家の中には、六〇年代以降、労働運動下降の一因を、労働者の若い世代における「私生活型合理主義」に見る人がいます。戦後労働運動・革新運動を担った世代と交代した青年層にある種の保守的気分が生まれて、運動の新しい担い手になれなかったのだと。確かにそれはあるでしょう。労働者の生活に少し余裕ができてくる時期です。また合理化による生産過程の変化に若い人ほど適応性があり、彼らの向上の夢がそこに結びつけられる。しかしそれだけでしょうか。
 当時、青年労働者は高校卒業者が圧倒的になる。知識も感性も旧世代と異なる。戦後民主主義は彼らにそれなりに自我意識・権利意識を強めている。そういう青年たちが合理化に向き合うのです。なすべき労働が自分たちの「人間」を疎外すること、権利剥奪の進行、管理が強化された職場の息苦しさ。そして賃金は言われるほど高くはない。一方で、彼らの意志と活力を生かせない官僚化した労働組合。その頃「反戦派労働者」の反抗が広く発生したのは、政治情勢に加えて、職場で解放を求める気分が明らかに働いていました。まだ企業人たることが彼らの人生のすべてになっていなかった。会社と組合への「二重忠誠」が旧い世代には案外強かったが、この頃「双方への批判」が増えた、という調査結果もあるのです。
 つまりこの時代は、合理化で「進歩する」企業と労働運動とが青年層を取り合う時代だったのです。伝統的な型からはずれた青年の活動性を労働運動がとらえられなかったのではないか。こういう反省も必要だと思います。

伊藤 晃(日本近代史研究者)