戦後労働運動史の中から第38回

2019年7月31日

月刊『労働運動』34頁(0317号13/01)(2016/08/01)

戦後労働運動史の中から第38回

新日本窒素水俣工場の「安定賃金」争議(3)

(前号より続く)
 新日窒水俣工場争議が長引いた一つの要因は、争点である「安定賃金」について日経連(日本経営者団体連盟、財界の労務部といわれた。いまは経団連に統合)が強く後押ししたことだ、といわれました。財界の大きな関心事だったわけです。この点を少しお話しておきましょう。
 六〇年代初頭は経済の高度成長が本格化する時期。激しい国際競争に備えて、大企業が争って大規模設備投資と技術革新・合理化に乗り出す。その資金をまかなうためにも賃金抑制が一大課題になりました。労・資はこの点で緊張したイデオロギー闘争を交します。
 それは五〇年代から始まっています。以前お話した総評「賃金綱領」(五二年)が人として生きるにふさわしい賃金をめざして大幅賃上げの目標を掲げたのに対し、日経連はすぐ反応しました。企業経営の実態と労働生産性に見合った賃金をと。政府も声をあわせる。賃金高騰はインフレを招く(政府・財界の決まり文句の一つ)、一律大幅賃上げの攻勢に妥協せず、生産性本位の「合理的」賃金を「標準賃金」として安定させよと。五四年日経連の「賃金三原則」は、物価引上げの要因となる賃上げ、企業経営の限度を越えた賃上げ、生産性向上を伴わない賃上げは認めない、といった。労働者の生活を基準とした賃金思想は誤りだ、労働がどれだけ価値を生んだかを基準とせよ(職務給・能力給)と。輸出競争に耐えるという「国民経済的見地」に立って企業は労働運動に妥協するなと号令します。(賃上げなど国内市場拡大より輸出を重視する市場構想はこんにちまで一貫している)。
 こうして五九年に私鉄の東急・名鉄で「安定賃金」なるものが提案されました。「社業飛躍のとき、会社一丸となって課題に当らねばならぬ。労・資の紛争は防がねばならぬ。一定期間の賃上げを約束する代り、年々の賃上げ争議はやめてほしい。その方が従業員の生活基盤も安定するだろう」。これは実際協定化され、その効果はただちに、二社の組合が私鉄総連の統一闘争から離れる、ということに現れました。
 総評がこの流れに対抗して打ち出したのが「ヨーロッパ並みの賃金を」でした(六三年)。先進国と比較すると日本の賃金水準は近づくのでなくむしろ低下している。しかし日本の労働者は努力して労働生産性をヨーロッパ並みに飛躍させつつあるではないか。資本側はアジア諸国よりは高いというだろうが、それらの国では労働力の質が日本より低いのだ。質の高い労働力は再生産費用もかかるのだ。ヨーロッパ並みの賃金がどうしても必要だ。
 これを見て、皆さんはなんだか変だと思うでしょう。生産性向上運動に対してまったく受動的、アジア蔑視の思想を、五〇年後の私たちは容易に見抜くことができます。春闘の花々しい展開の裏に、先進国主義とでも言おうか、七〇年代に入って賃金闘争を混迷させるイデオロギー的弱点がひそんでいたのでした。
 (了)
伊藤 晃(日本近代史研究者)