『国鉄分割・民営化と闘って30年』を読んで 分割・民営化阻止ストは今に通じる闘い

2019年7月31日

月刊『労働運動』34頁(0342号10/01)(2018/09/01)

『国鉄分割・民営化と闘って30年 労働運動の変革をめざして』を読んで
国鉄分割・民営化阻止ストライキは今に通じる闘いだ

―「第二章 80年代国鉄分割・民営化阻止闘争」を読んで ―

山田 和広(動労西日本書記長)

 私はJR西日本の契約社員(非正規職員)として岡山駅改札で働き、4年3ヶ月で雇い止めされ、解雇撤回闘争8年目になろうとしている。国鉄分割・民営化がどのように始まったのか、解雇撤回の原点ともいえる闘いを学ぶべく読み進めた。
 国鉄分割・民営化は1981年から打ち出された。1987年強行までの6年間、中曽根政権がやったことが暴露されているが、怒りにたえない。国鉄分割・民営化は、政権と国家の命運をかけたものだった。国鉄赤字は、国鉄労働運動にあるという国賊論の満展開。さらに地本ローカル線を切り捨て、都市部路線と新幹線で稼ぐという「選択と集中」がこの頃からかけられていたとは知らなかった。
 1985年、動労千葉がストライキ決戦を構えていたとき、動労本部革マル松崎は、自民党と国家権力に救済を懇願し、ストライキ反対を組織して回った。JR西日本の最大労組であるJR連合・西労組の幹部も、私が動労西日本として闘い、青年労働者を組織することに敵対していたのを思い出す。体制内指導部の腐敗は今に始まったのではないことに怒りを覚える。
 1985年8月12日、日本航空ジャンボ機墜落という大惨事が起きた。にも関わらず国鉄分割・民営化に向けて余剰人員対策を強行している国鉄当局は、安全問題を顧みようとしなかった。事故が起きても責任をとらず、安全問題を爆発させるのは今のJRに通じるものがある。
 第1波ストライキで、動労千葉の布施宇一さんが決意表明した内容に感銘を受けた。一部を引用する。「もう黙っていられない。全職場で威張りくさっている当局をストライキでけちらしてやろう。あらゆる反動が職場に家庭に押し寄せてくるだろう。それでも闘う決意をはっきりさせよう」。国鉄分割・民営化阻止を正面から掲げたストライキの威力はすさまじかった。われわれも第3の分割・民営化粉砕を正面から掲げ、解雇・非正規職化阻止の闘いをやらなければならない。
 第2波ストライキでは、ストライキ当日が高校の入試日と重なったが、国鉄当局は受験生のことよりも動労千葉つぶしのために列車を運休させるという暴挙に出た。全く考えられない。 1ヶ月以上にわたる第2波の攻防戦を闘い、敵がどんな弾圧を仕掛けても抑えきれない力関係を作り上げたことはものすごい地平だと思う。JRが発足する直前の1987年3月、第二臨調の代表委員であり、国鉄分割・民営化全体を仕切った瀬島に「分割・民営化は失敗」と言わせたのだから。
 現在ではJR関連会社での解雇撤回闘争がものすごい地平を切り開いている。動労総連合青年部の闘いの中心軸でもある。動労神奈川の時廣書記長、動労総連合新潟の八代組合員解雇撤回闘争に続き、動労西日本でも元木組合員の新たな解雇撤回闘争が始まっている。動労総連合の組織拡大を共に勝ちとろう。