ひめじょおん―女性部から 関西労組交流センター女性部の学習会報告

2019年9月26日

月刊『労働運動』34頁(0354号14/01)(2019/09/01)

ひめじょおん―女性部から
―関西労組交流センター女性部の学習会報告



野田 里美(関西労組交流センター女性部)

 7月16日、「育児休業について」関西労組交流センター女性部の学習会をした。
 育児休業とは、産前産後16週の産後休暇の後、育児休業(長い人で一人の子どもにつき3年)を取る制度だ。しかし育児休業後に仕事に戻る大変さや、希望する保育所に入れないなど不安を抱えて女性は育児休業を取っている。ある女性労働者の悩みから、女性労働者が抱える問題として、婦人民主クラブ山本さんを講師に学習会を行った。
 生理休暇、産前産後休暇は女性労働者が勝ち取ってきたものだが、育休制度は帝国主義が押し付けてきた制度である。
 戦後の闘争は女性、青年が中心になった。戦後、労働基準法、児童福祉法が制定され、生理休暇や産休が盛り込まれる。1945年GHQは5大指令(婦人解放、労組形成推進、教育民主化、司法民主化、財閥解体と農民解放)を出す。しかし、1948年には、婦人部の活動が活気づき、それに恐れを感じたGHQは「婦人部活動制限」の勧告を出す。
 1964年、日教組女性部が産休保障、育児休業制度を求める。翌年電通が育休制度を導入する。86年東京都交通労組婦人部では「育児休業法が出来たら逆に職場にいられなくなる」と、育児休業法には反対していた。しかし、執行部は辞めていく人を作らないようにと、育児休業制度を認めていく。東京都交通労組婦人部は、「ママさんダイヤ」(保育時間に合わせた乗務時間、日中乗務)を作らせるが、ワンマンカー化で廃止される。
 1972年、教員労組は、生理休暇3日、産前産後休暇16週、妊娠による欠勤を休暇と認める、産後1年間哺乳時間を与える産前産後休養の理由で罷免しないなど、母性保護規定を勝ち取る。戦前の繊維労働者の闘いの伝統もあって、母性保護とか生理休暇が労働運動に継承されていった。婦人部は生理休暇要求を闘った。この闘いが重要だったのは、生理休暇を取る時、ローテーションで職場を回していくため、どの職場も労組の婦人部長に電話して休むやり方になる。仲間同士で調整するから、職場の支配権を強化していくテコに婦人部がなった。
 国家による育児休業法が成立し、育児休業法は均等法と公的保育解体と一体の攻撃となる。育児休暇ではなく育児休業というのは、個人的に職場から排除されていくものだ。育休の代替に入るのは非正規で、いつでも首切りできる。非正規化であり、正規と非正規の分断にもなる。
 労働法改悪とセットの均等法(1986年)では、男女平等といいつつ、女子保護規定、母性保護がなくされていった。
 今の極限的過重労働は育児と仕事の両立を無理にしている。
育休を取ると、昇給、昇格、生涯賃金で格差が出てくる。年金にも響いてくる。
 学習会の後、感想や自分の体験など話し合い女性労働者の団結を知る機会にもなった。
 「育休」の歴史から考えさせられたことは、育児休業制度があるから、女性は働きやすくなったのではない。合同労組の仲間は、産前産後休暇があることを知り、初めて彼女の会社で産休を取りました。女性労働者の闘いはすごい!