中野洋労組交流センター初代代表を偲ぶ会

2019年7月31日

月刊『労働運動』34頁(0313号06/01)(2016/04/01)

「中野洋全国労組交流センター初代代表を偲ぶ会」を行いました

 3月5日東京都内で、全国労組交流センターのよびかけで「中野洋全国労組交流センター初代代表を偲ぶ会」を開催しました。故中野洋初代代表の7回忌(3月4日)を迎えて、国鉄労働者をはじめ50人近くの会員が参加しました。
 前段には、中野洋初代代表のお墓参りをし、闘いの決意を墓前に誓いました。
 岩本正治副代表の司会で会は始まりました。
 最初に挨拶に立った動労千葉の中村仁常任運営委員は、「勝浦の時から中野さんには教えられてきました。国鉄分割・民営化当時、私は青年だったのですが、中野さんは、各支部の支部長たちにストライキをやったらクビだけど団結してやろうと言ったと思います。執行部の覚悟があって、青年全体もまとまってストライキを打てました。だから28人の解雇者が出ても、組合員全体が闘い続け、まだ闘っています。動労総連合が全国に広がっています。そして、JRに責任ありと明らかにし、責任をとらせる闘いが始まりました。墓前に行きましたが、中野さんはみんな頑張れと言ってくれていると思います。今日は明日に向かって笑って闘える会にしたい」と語りました。

 国鉄労働者の吉野元久副代表が、「中野さんの指導があって、動労千葉の1300人が団結を守り抜いたと思います。動労総連合・東京建設を墓前に誓いました」と語り、献杯の音頭をとりました。
 そして、ほぼ全員が次々とマイクをとって、中野洋初代代表との思い出と闘いの決意を語りました。
 最後に、まとめの発言をした辻川慎一代表(動労水戸)は、「今日の偲ぶ会は、入江さんに7回忌だねと言われて開くことにしました。みんなに中野さんの話を一杯してもらって、とことん一人ひとりと付き合って話したんだなと聞かせてもらい、自分にはまだ至らないところがあるんだなと思い直しました。
 しかしなおかつ、動労総連合建設で闘いが終わるのではない。沖縄闘争も『和解』で闘いが終わったわけではなくこれからだ。労働者の革命が問題になっているんです。中野さんがこう言った、ああ言ったというのは今日でやめましょう。自分が2016年に何をやるのか、それ以外に中野さんに対する追悼はないです。中野さんは、俺たちが前に進むことを願っていると思う。今日から断固として、どんな弾圧や困難があっても、老いも若きも命ある限り闘いましょう」と檄を飛ばしました。