戦後労働運動史の中から(第34回)一九六〇年代 鉄鋼労連の敗北(2)

2019年7月31日

月刊『労働運動』34頁(0313号12/01)(2016/04/01)

戦後労働運動史の中から(第34回)
一九六〇年代 鉄鋼労連の敗北(2)

 (前号より続く)

一九六〇年代 鉄鋼労連の敗北(2)

 生産の合理化を考えるとき忘れてならないのは、どんな技術も人間抜きでは働かないということです。新技術のメリットは、それについて働く労働者の適応如何で高まりも低まりもする。五〇年代前半から始まった鉄鋼業の合理化、生産過程の変化は、六〇年前後、企業内労働者編成の大変革につながっていきました。たとえば作業長制度、職務給の導入、配転推進、職場の小集団活動などです。労働組合の反合理化闘争は、これらに向けられるべきでした。
 作業長というのは、従来の組長と似たものだが、少し違う。組長は職場をボスとして取り仕切っていても労働者の一員であって(組合末端の役員であることも多い)、職場での労働者のまとまりを作る重要要素だったが、作業長は職員の末端、権限と責任をもって現場の作業と人事に当るもの。しかも労働者から抜擢されてこの地位につくのです。職場のまとまりを作る機能を会社側に奪い、かつ労働者に職員昇進の期待をもたせるものです。
 職務給とは、各種の仕事(職務)のための資格を定め、その資格にとって必要な能力要素を評価して労働者各人を格付けし、賃金を定めるもの。これが従来の年功給をどんどん押しのける。故郷のアメリカでは産業別に決められるその基準が、日本に来ると企業別に作られ、新生産過程への積極的適応の能力と意志を通ずる企業業績への貢献度が評価されることになります。配転方策は、新鋭設備の新工場建設に当り、既設の旧工場から中堅労働者層を選抜配転し、昇進意欲に応える。
 職場の小集団活動は、これもアメリカ渡りのQC(品質管理)、ZD(欠陥ゼロ)運動にからめて、各職場で労働者の自主的(実際は管理職が糸を引くことが多い)小サークルを作り、作業や職場のことを話し合い、「自由に」意見を述べさせる。生産性を向上させて企業を繁栄させるにはどうしたらよいか、皆で協力して知恵を出しあおうということです。労働者たちの日常の不満を発散させ「やりがい」を感じさせる意味もある。企業を悩ませた組合の職場闘争のエネルギーと共同性を方向転換させるもので、当時、鉄鋼に限らず各産業で大流行し、三池争議以後、組合側が職場闘争に自信を失ったこともあって、企業側が職場組織の主導権を奪っていく流れが作り出されました。
 これらの「改革」に対して鉄鋼労連と傘下組合はもちろん反対します。しかしそれらを食い止める有効な運動が展開されたとは言えません。たとえば配転に対しては、組合と本人の同意、本人の賃金や労働条件に不利益が生じないこと、配転元職場の人員補充を条件として対置します。しかし前述したように、ここでの配転には本人にとってある夢を感じさせていた面もあったのです。配転は労働者に不利益で嫌がられるものという「常識」だけでは、当の労働者にさえ追い越される危険があったのです。
 (次号へ続く)
伊藤 晃(日本近代史研究者)