12・25羽越線事故11年、JR弾劾 動労総連合・新潟
12・25羽越線事故から11年、JR弾劾行動
動労総連合・新潟
動労総連合・新潟と新潟地域一般労組は、死者5人・重軽傷者33人の犠牲者を出した羽越線特急いなほ転覆脱線事故から11年目の12月25日、JR新潟支社前でJR東日本弾劾行動をやりました。
民営化がまた青年の命を奪った! 人間を殺して生き延びるJR
JR東日本はこの日、事故現場の山形県庄内町で慰霊式を行い、社長・冨田は「グループ一丸となり、安全レベルのさらなる向上をめざす」と言い放ち、外注化、分社化・転籍を進めることを居直りました。
JR新潟支社前では、組合員が次々とマイクを握って、「羽越線事故の原因は突風ではなく庄内空港との競争だ。民営化による営利優先が原因だ」「JRは何も反省していない。5日前には、信越線三条市の踏切で冬期間、遮断棒をはずしたために、高校生が列車に跳ねられて死亡した。民営化・外注化で金もうけしか考えないことが、青年の命を奪った」と弾劾しました。 さらに「韓国民主労総、鉄道労組のストライキに続いて、17春闘をストライキで闘おう」と訴えました。JRとNTS(JR新潟鉄道サービス)による非正規職解雇と闘う八代闘争委員は、「JRと代理人(西綜合法律事務所)は、労働委員会の第3回調査から逃亡したが、責任を徹底して追及する」と表明しました。
踏切事故やホーム転落事故が続発するJR体制の安全破たん
弾劾行動直前の12月20日、信越線塚の目踏切(三条市)で高校生がはねられて死亡しました。冬期間で踏切遮断棒が外されていて、手前の下り貨物列車の通過のあと踏切に入り、死角になっていた上り電車にはねられたのです。
新潟県下では、2010年8月19日の越後線第2下原踏切事故(柏崎市)、2011年2月1日の飯山線大根原踏切事故(津南町)と犠牲者が続いています。全国では毎年百人以上が踏切で亡くなっています。
2010年の越後線事故では、第4種踏切にセンサー付きの音声警報装置を設置していたものの、警報装置が故障しても放置したままで、小学生が犠牲になりました。JRは「これらの装置は列車の接近を知らせるものではない」とうそぶいて、保守作業に金をかけないと言い放っています。
11年の大根原踏切事故は、信濃川からの水泥棒が発覚して窮地に陥ったJRが、「信濃川発電所問題で失墜した社会的信用をいかにとりもどすか喫緊の重要課題……飯山線の新潟支社移管等、より地域に密着した経営」「支社境界変更にともなう効率的な業務体制等の整備」(支社長・高木言房)と言って飯山線を長野支社から新潟支社へ移管したことが原因です。経費節減のために輸送指令と乗務員は長野支社のまま、駅や設備の地上職だけを新潟に移管しました。その結果、長岡信号通信メンテナンスセンターから車で3時間もかかり、2mを越す豪雪のもとで長野県境の踏切故障に対応したのです。列車の進来を確認するには長野支社の列車指令との確認になります。こんな輸送体制にしたのがJRであり、事故責任はJRにあります。
踏切事故では、必ず現場労働者が責任を取らされてきました。東武東上線竹の塚踏切事故でも、飯山線大根原踏切事故でも、当該の労働者は懲戒免職で禁固刑の刑事罰も加えられました。こんな現実は認められません。
踏切事故が続く原因は、安全対策に経費をかけないJRの経営姿勢にあります。2016年4月には、踏切道改良促進法が改正され「小学生等の安全確保」など危険踏切の解消を進めるとしていますが、JRなどは改良を進めようとはしていません。今回の塚の目踏切も高校生だけでなく小学生も多く利用しています。動労総連合・新潟は、事故直後の12月26日に新潟支社に対して団交申入れをしています。
1月14日には京浜東北線蕨駅で視覚障害者の転落死亡事故が発生しました。JR東日本会長・清野が、社内報「ひがし」の年頭インタビューで「JRはひと声、声かけ運動をやっている」と自画自賛していた矢先に殺人事件を起こしたのです。昨年秋には、JRの自画自賛をもとに国交省が首都圏の鉄道業者を集めて指導通達を発していました。JRは事故直後、「駅員も限られた人員で限界がある」と弁解しましたが、駅員はギリギリまで削減・外注化して、国交省の通達も現場には伝えていなかったのが現場実態です。
JR九州では、株式上場のために大規模な駅の無人化を進めました。新幹線駅までも無人駅にしています。こうした安全無視の人間社会の破壊に対して障害者団体が申し入れをしています。
これが新自由主義の本質です。JR体制の破たんは類例のない社会の破壊をもたらしています。地方を切り捨て、利用者を殺して生きるJRは、今の社会の悪の象徴です。3・4「JRダイヤ改正」を弾劾する動労総連合全国統一ストライキを闘おう。