水野正美初代事務局長を追悼する

2019年7月31日

月刊『労働運動』34頁(0327号08/01)(2017/06/01)

水野正美初代事務局長を追悼する

飯田英貴(全国労組交流センター事務局長)

 4月16日、全国労働組合交流センター初代事務局長であり、動労千葉初代副委員長であった水野正美さんが膀胱がんのために亡くなられました(享年80歳)。中野洋代表(前動労千葉委員長)、佐藤芳夫代表(元中立労連議長)とともに、事務局長の重責を担ってくださった水野さんなしに現在の全国労組交流センターの発展はありませんでした。心より哀悼の意を表します。
 私自身は水野さんとは直接話したことはありませんが、2007年に動労千葉の集会で講演されたお話は私にとってとても印象に残っています。「動労千葉の団結はいかにつくられたか」という講演でしたが、それはそのまま、労組交流センターの原点に通じるものであると思っています。
 水野さんは講演の中で二つのことを強調されました。
 ひとつは、動労千葉の強さは「路線の正義性」であるということです。水野さんは「動労千葉は義理と人情で仲間意識が強いと言われるがそれは一面で、動労千葉の本当の強さは路線の正義性だ」と言っています。そしてその路線は、誰かの思い付きや指令ではなく「敵がどういう攻撃をかけ、これからどういったことが起こるか全部組合員に話し、納得してもらうことが基本だった」と言っていることが重要です。
 いまひとつは、「指導部をつくるのは組合員の力だ」ということです。水野さんは「指導部はひとりでに生まれてくるものじゃない。時代に対する厳しい闘いを通して、組合員が指導部をつくる」のだと言っています。指導部は「歴史的産物だ」とまで言っています。だからこそ、指導部の責任は「組合員に状況を話し、組合員が何を言うかじっと聞き、そして議論を煮詰めて執行委員会として方針を形成していく」ことにあると強調しています。
 全国労組交流センターは、国鉄分割・民営化―総評解散・連合結成という日本労働運動の歴史的転換に対して「反連合・反全労連」の旗を掲げ、分割・民営化に唯一2波のストライキで絶対反対を貫いて闘った動労千葉を軸として1989年2月に結成されました。
 結成宣言には次のように記されています。「全国労働組合交流センターは真に階級的で戦闘的な労働運動の新たな全国潮流の形成を目指し、荒海にむかって船出する。われわれ労働者階級こそ社会を動かす原動力である。資本の強搾取と差別・抑圧を断じて許さず帝国主義の圧制に対決する労働運動を作っていく気迫と情熱に燃えている」。総評解散―連合結成という戦後最大の労働運動解体攻撃に対し、労組交流センターは労働運動を変革する気迫をもって対決し抜きました。
 結成から四半世紀に及ぶ労組交流センターの闘いは文字通り悪戦苦闘の連続です。しかし、「雨垂れが石を穿つ」がごとく、崩れ始めたのは敵の側です。どんなに困難な状況でも団結の中心に「労働組合とはいかにあるべきか」という路線を貫いたこと、労働者の未来のために生涯をかけて献身された水野さんの思いは、私たちの中に生き続けています。いま、この闘いが新しい労働運動として、全国・全世界を獲得する時にきています。労働者が誇りを取り戻し、輝ける時代を必ずや切り開くことを誓って全国労組交流センターのお別れの言葉とさせていただきます。

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