地平線 星野文昭さんが生涯をかけた人間解放の闘いを引き継ごう!

2019年7月31日

月刊『労働運動』34頁(0352号16/01)(2019/07/01)

地平線
星野文昭さんが生涯をかけた人間解放の闘いを引き継ごう! 星野暁子さんと共に私たちも闘う!

(写真 星野文昭さんの告別式)

飯田英貴(全国労組交流センター事務局長)

 東京が梅雨入りし、強く雨が降る6月7日の夜、星野文昭さんの通夜が行われ、私はそこで初めて文昭さんに会うことができました。棺のなかに横たわる星野さんはとてもやさしいお顔をされていました。成田空港建設反対の三里塚闘争や70年安保・沖縄闘争のデモ隊のリーダーとして闘った星野さんは、一方で闘争の合間には三里塚の地元の子どもたちに勉強を教えるやさしいお兄さんとして慕われていたことを後になって知りました。
 5月30日午後9時44分、東日本成人矯正医療センターにおいて肝臓がんの手術後に様態が急変し、星野さんは亡くなりました。2015年2月以来、お連れ合いの星野暁子さんらご家族と全国再審連絡会議の皆さんとともに、私たちは徳島刑務所包囲デモに取り組んできました。労働運動の闘いで無実を晴らし、生きて文昭さんを取り戻すと全力で取り組んできましたが、力及ばず本当に悔しく申し訳ない思いで一杯です。通夜の際、暁子さん、お兄さんの星野治男さん、いとこの星野誉夫さんが参列者一人ひとりと向き合い、手を握っておられ、暁子さんが「頑張りましょう」と声をかけて下さったことに涙を抑えることができませんでした。
 なぜ星野さんが44年間監獄に閉じ込められ死ななければならなかったのか。星野文昭さんは無実です。中村巡査に対する殴打現場にはおらず、火炎びんの投てきを指示したこともありません。1971年11月14日の渋谷暴動闘争は、沖縄を基地の島として強化するための72年返還に反対し、全島ゼネストと一体となって労働者・学生が立ち上がった正義の闘いでした。沖縄の基地をなくし、戦争と貧困をなくし、労働者の自己解放を通した人間解放を勝ち取る闘いであった70年安保・沖縄闘争の発展を押しとどめるために、国家権力はその先頭で闘った星野さんを不当逮捕し、死刑を求刑し、87年7月に無期懲役刑を強いたのです。
 星野さんが闘った70年安保・沖縄闘争は、その後の労働運動に多大なる影響を与えました。星野さんと共に闘った当時の青年労働者たちが89年全国労組交流センター創設に力を尽くしました。星野さんの無期刑に対する30余年の闘いは、労働運動の解体を狙った国鉄分割・民営化反対の私たちの闘いと重なります。労働者をモノのように扱い、使い捨て、労働組合を破壊し、社会的連帯や団結をバラバラにすることが資本の利益を生むとした新自由主義に対する闘いとして、ふたつはひとつの闘いです。  
 星野さんが訴えた「人間が人間らしく生きられる世の中」という当たり前のことを闘いとることが、いかに困難なことかを日々実感しています。しかし、「もう一回生まれてきても暁子とみんなとの団結を生きる」という星野さんの言葉は、どんな困難にあっても私たちの進むべき道を指し示してくれています。
 通夜の会場を出たときには雨はやんでいました。文昭さんが生涯をかけた人間解放の闘いを引き継ぐと決意した暁子さんとともに、私たちも闘うことを誓い、追悼の言葉とします。