5・12~14沖縄闘争で、基地撤去・非正規職撤廃へ団結!

2019年7月31日

月刊『労働運動』34頁(0339号06/01)(2018/06/01)

5・12~14沖縄闘争で、基地撤去・非正規職撤廃へ団結!

(写真 復帰46年5・12沖縄集会)

富田 晋(IJBS労組委員長)

 5・12~14に「復帰」46年沖縄闘争を行いました。この3日間の闘いは、中東と朝鮮半島の緊張から世界戦争が迫る中で、1971年(復帰1年前)に行われた沖縄全島ゼネストを引き継ぎ、現代の闘いに甦らせ、戦争を阻止し、社会を変える為に勝ち取られました。
 この紙面で、3日間の闘いにおいて何が勝ち取られ、前進したのかを報告させて頂きます。3日間の攻防の軸として、日本IBMビジネスサービス労働組合(以下、IJBS労組)の闘いがありました。それこそがゼネストを形作る上で極めて決定的な内容を提起したのだと考えています。

(写真 IJBS門前闘争)

◆IJBS労組の闘い

 IJBS労組は、2012年に結成されました。その時点で99%以上が非正規労働者の職場であり、現在の「働き方改革=労働法制解体攻撃」との攻防において先取り的に闘いを開始していたと言えます。また、18年無期転換攻撃の反動性を、現場の団結した闘いによるストライキで決定的に暴き出しました。この闘いは、連合・JR東労組の崩壊を機に労働運動の大再編が開始される中で、動労千葉と共に歩んだという意味で、オール沖縄を乗り越え、新たな闘いの軸を生み出した決定的な意味を持っています。
 しかし、その闘いは現在を含めて決して平坦なものではありませんでした。IJBS労組の仲宗根書記長は、沖縄闘争過程で行われた「IJBS労組支援共闘会議総会」において、自身の闘いが資本によるあらゆる反動を跳ね返し、団結を拡大してきたことを報告しました。その上で「地労委・司法における4度に渡る不当判決は、不当労働行為の一切を否定し、当該の私に能力がないという理由だけで雇止めを有効とした。(省略)組合や闘いそのものをやめるかまで悩んだ」と明かしました。
 それを乗り越えられたのは「委員長との議論で自身の階級的位置を確認し、団結を信じたから」だと、「富田委員長への解雇を許さずに闘うことを瞬く間に求められた」と話しました。
 仲宗根書記長の闘いと存在は、新自由主義政策によってあらゆる団結を破壊された世界で、青年労働者が団結に確信を持つまでにどれだけの苦闘があったのか。そして、これから青年労働者が立ち上がっていく上で「選挙で誰が勝つか」ではなく「明日をどう団結し、生きるのか」という絶対に必要な核心と教訓を提起したのです。
 私自身が今回の沖縄闘争で一貫して訴えたのは、「ストが出来る労組の建設」と「ストを決断できる指導部の確立」でした。
 同時に、その力で「青年労働者による青年部運動の巨大な組織化」です。それは現在の労働運動の大再編の中にあって、あらゆる体制内労組やオール沖縄といった指導部を乗り越え、拠点労組をどう作るのかという問題提起であり、同時に「ゼネストを指導する組織=新たなナショナルセンターの形成」を提起したのです。私はこの問題提起を自分自身の実践を通してはっきりさせてきたと思います。そのことが全体をもう一つ前に進むものとして獲得したのだと考えています。
 私は2018年3月31日付で雇止め=解雇されました。理由は「限定正社員=無期転換における登用試験において合格しなかったため」とされています。無期転換とは労働者に「いつでも解雇できる労働条件」を強制し、「正社員(正規労働者)自体をなくす」ために存在しています。総非正規化の戦後最大の攻撃と言えます。
 さらに、資本は闘う労働者がいる職場では「試験制度」を導入し、国鉄方式での「選別・再雇用」を全社会化することで、あらゆる職場から労組の一掃を狙っています。その上で元々、「無期転換」は労働者側に「申込権」が発生する法律であり、試験の導入は労働者の権利解体と団結破壊の為に行われます。
 私はその「試験を受けるかどうか」を問われました。試験を受けた場合は、「試験を労組が認めた」ことをもって労働者の雇止め=解雇に労組が反対出来ないようにします。また、試験に対して闘った場合には「雇止め=解雇」はほぼ確実に行われます。問われたことは国鉄分割・民営化の時の全労働者に問われたことと同質でした。
 現場の労働者からは「試験を受けて残って欲しい」とも言われることもありました。ここでどう判断するかで、その先の闘いも全てが決まります。私は徹底的に悩み抜きました。そして「ストライキで抵抗する」ことを選び、去年の10月19日、私の試験日にストライキを決行しました。
 ここでの私の決断は、単なる自己犠牲でも英雄的決起でもありませんでした。全ては現場の労働者の中にどういう団結を作るのか、私自身はどういう存在として職場に残るのかという問いに対する答えでした。
 そして何よりも600万人に影響がおよぶとされる戦後最大の総非正規化攻撃=労働運動・労働組合の絶滅攻撃に対して、労働者の未来をかけて立ち上がることが必要だと考えました。こうした考えのもとで闘われたストライキの結果として、私は解雇されました。
 しかし、JC社の下で、全国において大規模な不合格者=雇止めが強行されたにも関わらず、私の事業所だけは一人の不合格者も出せない、雇止めは私一人という状況を作り出しました。同時に、職場には団結が残され、大勝利でした。最終日の3月30日には、仕事中の労働者が立ち上がって、私の闘いに支持を表明してくれました。一番遠くにいると思われた労働者でさえも支持を表明したのです。
 ストライキは私自身を徹底的に問いました。そしてそこで問われた中味こそが、ゼネストを決断する指導部に必要であり、新自由主義政策を打ち破って青年が団結する中味でした。
 沖縄の1971年の2波のゼネストは、体制内指導部を乗り越えた青年指導部の手で成し遂げられたのです。

◆ゼネストの旗を立てた!

 今年の5・15沖縄闘争は、その地平を全ての仲間たちに共有化し、全軍労牧港青年部(当時)が成し遂げられなかった「第三のゼネスト=日本革命」を「動労総連合青年部」と一体で成し遂げるために切り拓いた画期的な闘いだったのです。
 皆さん、今年の5・15沖縄闘争でゼネストの旗は立ちました。ここから何としても各地の青年労働者の決起と結集を作り上げたいと考えています。私の解雇撤回闘争を支援頂きたいと共に、それを通した青年の決起に全ての仲間たちの力を貸してください!