「なくそう!原発 とめよう!改憲・戦争」3・11反原発福島行動’19
「福島は絶対負けない! なくそう!原発 とめよう!改憲・戦争」3・11反原発福島行動’19
福島はどんな分断攻撃にも負けない! 渡辺(運営委員)
8年目の3・11集会は強風雨の中、県内はもとより全国から700人が駆けつけてくれてとても感謝しています。
実行委員会メンバーが一丸となり会場設営から運営、撤収まで連携してやり抜きました。警察・右翼の妨害はあったけれど最後までデモ行進をやり抜き、成功だったと思います。
国・東電は県民の思いとかけ離れ、原発事故はなかったかのようにオリンピック競技の一部を福島市で開催したり、聖火リレーの出発地点をJビレッジにするなど「アンダーコントロールされているから大丈夫」と言いながら復興攻撃をかけてきています。
また、甲状腺ガンは、基準値よりも発症率が何十倍も高いのに、県立医大は今でも「放射線の影響は考えにくい」と言い張っています。放射能の影響を前提に全県民の健康調査を行う責任があるはずなのに全て放棄しています。
私が住む福島市では、震災の翌年から行われていた水稲の放射性物質・吸収抑制対策(塩化カリ)の散布が2019年より行わなれなくなります。全袋検査(玄米の放射性物質検査)は2020年よりやらなくなります。
除染と称して表土を剥ぎとった宅地や使用している農地は一時的に下がっても、除染ができない山林や原野は原発事故当時のままで、防風雨や地下水を通して放射能が供給されます。しかも第一原発は、燃料棒の取り出しに手を付けられない状況で汚染水は増え続けています。
最近の気象庁の地震発生率では、福島沖での震度7クラスの地震の発生割合は前回の発表より高まっています。
福島では共同診療所が、県民のよりどころになりつつあります。3・10医療シンポジウムでは、福島県内の医師がパネラーになりました。県民と寄り添う新たな組織もできます。福島はどんな分断攻撃にも負けないで闘いぬきます。診療所のご支援宜しくお願いします。
福島の怒り・闘いの前進を表現できた! 高橋(運営委員)
「3・10第3回 被曝・医療 福島シンポジウム」、「3・11反原発福島行動’19」、福島県労組交流センターは2日間の連続闘争を先頭で担いました。私も第1回目から第5回まで実行委員会に参加し、3・11集会を準備しました。
当日は会場設営を行いました。会場が開成山公園・野外音楽堂となり天候が心配されました。受付テントの手配などバタバタしましたが、冷たい雨の中、途中からは雨も上がり、集会を無事行うことが出来ました。「希望の診療所の歌」のギター奏者が決まらないまま当日を迎えました。「サマータイムブルース」、集会参加者多数の協力や飛び入りもあり、会場全体で「福島は絶対負けない!」福島の怒り、闘いの前進を表現できました。
8年目の3・11は、福島をなかったことにする攻撃との攻防の中で闘われました。高線量下の古里への帰還強制、多発する小児甲状腺がんにも関わらず学校検診縮小の動き、オリンピックによる福島圧殺、たまり続ける汚染水と汚染土、先が見えない廃炉作業など、福島県民の不安と怒りはたぎっています。
3・10シンポジウムには、原発近くの病院から多くの入院患者さんと共に、避難した被災当事者の渡辺瑞也先生がシンポジストとして起ちました。被曝から子どもと県民を守るふくしま共同診療所と共に歩む動きが作り出されています。8年目にしてますます深く広がる反原発の怒りを実感しました。
3・11に向かう過程で、教育労働者への働きかけも行いました。養護の先生宛に、ふくしま共同診療所が3・10シンポ案内を郵送したことを受けて、直接学校を訪問したのです。これまでも県教組の分会訪問は行ってきましたが、養護の先生を尋ねるのは初めてでした。多くの先生から「多忙化の中で学校検診が大変だ。しかし、子どもの健康への不安がある」と語られ、被曝と医療にかかわる実りある論議をすることができました。
福島は絶対負けない! 小原(事務局長)
3月12日に疲れた体をひきずって出勤すると、事務のパートさんに「昨日、休んでたみたいだけど、具合でも悪かったの」と声をかけられました。僕は「いや、昨日は3・11だから、郡山で集会とデモに参加してきたんですよ!」と答えました。すると彼女は「そう!それはお疲れ様でした」と言った後に、小声で「ここはさぁ、普段は復興応援だとか言ってるけど、昨日はなんにもなかったんだよ~。私はさぁ、椅子に座ったままだったけど、あの時間に一人で黙祷したんだぁ。なんか悲しくなっちゃった」とため息まじりにつぶやきました。そして、「やっぱり3月11日は特別な日だし、絶対忘れちゃだめだよね!」ときっぱり語ってくれました。
僕は職場の何人かに集会のビラを渡していましたが、残念ながら彼女には渡せずにいました。「すぐ近くに団結できる人っているんだなぁ」と改めて彼女に気づかされました。
今年の3・11反原発福島行動のメインスローガンは「福島は絶対負けない!」です。実行委員会でみんなで決めました。これを決めるときの論議の中で、誰かが「なんか復興キャンペーンのスローガンみたいだなぁ」と言いました。 確かに少し前まではそうだったかもしれません。現実に僕の職場の廊下のかべにも「福島は負けない!がんばっぺ福島!」と大書された模造紙が画鋲でとめてあります。しかし、それは色あせていて、めくれたはじっこのほうにはホコリが積もっています。
いま、福島県内では復興キャンペーンのスローガンとして対決色が出るようなものは少なくなってきているように感じます。だから「福島は絶対負けない!」はものすごいインパクトがあります。
今年の福島の3月連続闘争は、拠点建設、国際連帯、青年の決起、これまで必死に踏ん張ってきた人々と新たに立ち上がる人々の結合。順風満帆とは言えなくても、様々な面で大きく前進し、新たな出発点を築けたと思います。
勝負はこれからです!