国鉄1047名解雇撤回! 第13回行政訴訟 田中康宏動労総連合委員長らが証人尋問を行う

4月14日、国鉄1047名解雇撤回・JR復帰・団交再開を求める第13回行政訴訟が東京地裁において行われた。今回の裁判では、田中康宏さん(動労総連合委員長)、中村仁さん(動労千葉争議団)、小玉忠憲さん(動労総連合1047協議会)の証人尋問が行われた。

国鉄分割・民営化は戦後最大の労働組合破壊攻撃

はじめに田中康宏さんが動労総連合委員長として証人尋問を行った。

田中さんは、国鉄分割・民営化を「民営化という名の労働組合破壊、戦後最大の首切り攻撃であった」と語った。国鉄分割・民営化を主導した中曽根康弘元首相は、後に「国労を潰し、総評をつぶし、社会党を潰して立派な憲法を安置する」目的で国鉄分割・民営化を行ったと語った。労働運動を一掃して9条改憲を行うことが国鉄分割・民営化の真の狙いだったのだ。

当時、民営化に反対した労働組合員は激しい攻撃にさらされた。合理化によって余剰人員が作られ、分割・民営化に反対する労働組合員を職場から排除した。運転士が無人駅や売店に配転させられた。86年には全国1400カ所に「人材活用センター」が設置され、一日中草むしりや使わなくなったロッカーのペンキ塗りなどをやらせ、組合からの脱退が強要された。

これに対して動労千葉は85年、86年と2波のストライキに立ち上がった。(動労千葉はこのストライキで28人が公労法違反で解雇。田中委員長も指導責任を問われ解雇されている)。

 

橋本運輸大臣(当時)は「組合による採用差別がないように」と述べ、組合所属による差別は社会的な問題にもなった。また、激しい組合差別が職場で吹き荒れ、JR本州3社と四国については定員を下回る事態となった。

これに対し、民営化に賛成し、国鉄当局と一体となって民営化を推進してきた改革労協は「(分割・民営化に)反対した職員が採用されることはあってはならない」と反発し、採用枠そのものの見直しを当局に求めた。

 

87年2月2日に民営化に賛成する労働組合で鉄道労連が結成されたが、杉浦国鉄総裁は欠席。その日の記者会見でも杉浦総裁は「本州、四国については希望者全員が採用される」と発言した。

しかし、夕方の鉄道労連のレセプションにおいては「(鉄道労連の)皆さんの希望が受入れられる方向になった」とこれまでとは180度違った発言を行っている。

 

「87年2月初めまでは動労千葉の組合員は採用候補者名簿に載っていた」

2009年12月、伊藤嘉道(元国鉄職員局補佐)は「87年1月末か2月はじめまでは動労千葉の組合員は採用候補者名簿に載っていた。その後葛西職員局次長(当時)から、『停職6ヵ月、または停職2回以上の処分を受けている』という基準に該当する者を外すよう指示を受け、名簿を作り直した」と東京地裁で証言した。新会社の設立委員会でも不採用基準が決定され、87年2月7日には作り直された採用名簿が提出された。それによって7628人が清算事業団に送られたのだ。当初採用候補者名簿に載っていた動労千葉の12名も不採用とされた。

 

これらは明らかに組合差別による不当解雇である。動労千葉は労働委員会闘争、裁判闘争などただちに闘いに立ち上がった。しかし、JRは「国鉄が作成した名簿で採用しただけ」「JRに責任はない」という立場を一貫して貫いていた。しかし、動労千葉の粘り強い闘いを通して、2015年に「不採用基準は不当労働行為意思をもって作られたものである」ことが最高裁で確定した。

 

田中委員長は「井手、深澤の証人尋問を行うべき」だと強調した。深澤は当時採用候補者名簿を作り直した張本人だ。井手は葛西ともに斎藤英四郎設立委員長に「選考基準(不採用基準)の設置」を直訴した人物である。斎藤はその旨を了承し、不採用基準の作成を指示した。

JRが言ってきたことが真っ赤なうそであったのだ。設立委員会が行った行為は承継法人(JR)の行った行為であると明記されている。JRの責任は明らかだ。

 

田中委員長は最後に「分割・民営化から長い年月が経っているが、国鉄労働者とその家族を含め、膨大な人間の人生が変えられてきた。それだけでなく、国鉄分割・民営化は後の労働者全体に大きな影響を与えた出来事であった。中曽根が意図したとおり、総評が解散し、連合が結成され、2100万人もの非正規が生み出され、社会の崩壊が生み出された。なぜこんなことになったのか、その真実が隠蔽されてきたが、今目の前でそれが明らかになろうとしている。『時効』ということで真実を再び闇に葬ることは許されない」と井手、深澤の証人尋問の必要性を強く訴えた。

 

「井手・深澤を証人尋問し、真実を語らせて欲しい」

中村仁さんも当初は採用候補者名簿に載っていたが、不採用基準によってJRに採用されず、1047名の解雇者の一員として闘い続けてきた。中村さんは「最高裁決定で不採用基準の作成は不当労働行為として確定している。JRはその決定に従うべき。解雇を撤回し、JRに戻して欲しい。差別されながらJRで頑張っている組合員、全国の支援者にこたえるためにも解雇を撤回させ職場に戻る。井手・深澤を証人尋問し、真実を語らせて欲しい」と訴えた。

 

「今の社会を変える闘い」

小玉忠憲さんも87年2月初め、新聞で「秋田は全員(JRに)採用の見通し」と報道されたのを鮮明に覚えている。しかしその後の、2月14日のマスコミ報道は「一人をのぞいて全員採用」と変わっていた。その「一人」が小玉さんであった。

小玉さんも国労組合員として分割・民営化に反対していたことで処分された。分割・民営化に向かう当時は、連日管理職が職場に来て「国労を脱退すればJRに採用される」と不当労働行為を公然と行っていたという。それに対して組合役員であった小玉さんは当然にも抗議した。これが上司への「暴言」とされて処分されたのだ。

「全員採用の見通し」であったのにどうして自分が突然不採用になったのか。現場長も「わからない」「設立委員会が決めたこと」としか言わなかった。不採用基準が作られていたことなどまったく知らされなかった。

小玉さんは「1047名解雇撤回闘争は今の社会を変える闘いだ」と言う。「秋田は少子高齢化のトップ。自治体でも半数以上が非正規になっている。結婚もできない、子どもも産めない、こういう現実をつくり出したのが国鉄分割・民営化であった。この現実を変えなければいけない」と訴えた。

 

弁護士が裁判官を忌避! 闘いは新たな段階へ!

裁判長は三人の証言を聞いた上で、留保していた井手、深澤の証人申請は却下すると述べた。傍聴席から弾劾の声が上がる中、藤田正人弁護士がその場で裁判官の忌避を申し立て、裁判はその場で終了した。井手、深澤の証言を聞かずに判決を出すことなど許されない。闘いをさらに進めよう!