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戦後労働運動史の中から 第12回

月刊『労働運動』34頁(0291号16/01)(2014/06/01)



戦後労働運動史の中から 第12回

「マーケット・バスケット方式」

 マーケット・バスケット方式という言葉をおぼえている人は少なくなりました。1952年、総評が発表した「賃金綱領」に出てくる、賃金要求のための大衆的闘争方式です。労働者が市場(マーケット)に行って、食料をはじめ必要な生活物資を買い、買い物カゴ(バスケット)に投げ込むとする。その代金の総額はその労働者の全生活費用の額を示しているはずだ。それは今いくら位になるんだ? これを労働者の生活実感に立って、広く大衆討議し、総評が統一賃金要求を作る基礎にしようというものです。イギリスの労働運動が始めたのだといいます。
 戦後初期、各組合の賃金闘争は、とにかく食えるだけ寄こせという生活給賃金の要求でしたが、そのとき金額は官庁統計を資料にして、組合上部が計算するのが普通でした。「それは客観的根拠があるというけれど、オレたちの生活の実態からずれているなあ」。そういう声に、総評指導部が応えて、「じゃあ、その根拠自体をみんなで討議して割り出してみようじゃないか」。そこで、討議のやり方としてマーケット・バスケット方式を提案したのです。
 1952年は、講和条約発効後の「独立」にそなえて、支配集団が体制固めのために、破防法などを押し出してくる年。経済的にも、世界資本主義の水準に追いつこうと、大型設備投資・技術革新が企てられます。ここで大事なのが労資関係。激しい労働攻勢は49年に一応退けたが、労働者は資本の専制に屈してはいない。本格的な剰余価値確保のため、資本は一時しのぎの防衛戦でなく、賃金構造を本格的に固めにかかります。もともと賃金は資本にとって生産コスト計算の一要素にすぎない。ここで資本側の合理性とは、まず生産性向上の枠内に押さえ込んだ低賃金。そこにいろいろ差別と序列を持ち込む(本工と下請工・臨時工、大企業と中小企業、男と女)。そして、企業への貢献度の重視(職階給、職務給、職能給など、資本は知恵をしぼる)。
 これに対し、労働者の賃金闘争のエネルギーを総結集して、正面から戦いを挑んだのが総評「賃金綱領」でした。労働者は「死ななければよい」のではない。「健康にして文化的な生活を営む権利」があるのだ。その金額は8時間労働で7万5千円だ。当時としては驚くほど高い目標を定めて、労働者を励ましました。一人の労働者も取り残してはならない。最低賃金制と社会保障制度の確立が必要だ。
 労働者もこれに応えます。この年秋、電力労働者(電産)、石炭労働者(炭労)の争議は、マーケット・バスケット方式を利用して戦われました。資本側も腰をすえ、四つに組んだ長期戦は労働側の敗北に終わりますが、戦後労働運動の力が継続していることを示しました。労資関係とは労働側が攻めるものだという常識は、まだ残っていたのです。
 ただ、この争議を通じて炭労は右派が分裂し、産別組合をめざした電産は企業別組合に分解。総評にとって大きな打撃でした。

伊藤 晃 日本近代史研究者
1941年北海道生まれ。『無産政党と労働運動』(社会評論社)『転向と天皇制』(勁草書房)『日本労働組合評議会の歴史』(社会評論社)など著書多数。国鉄闘争全国運動呼びかけ人