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★9・11外注化阻止闘争をたたかって

月刊『労働運動』34頁(0295号04/02)(2014/10/01)



★9・11外注化阻止闘争をたたかって

国労郡工支部 40人の仲間を信じて共に進んでいく

橋本光一さん(国労郡工支部)

 9・11郡山闘争、お陰様で大成功でした。万障ある中、参加して下さった皆さん、参加者を組織してくれた皆さん、裏方の皆さん、後押ししてくれた皆さん、本当にありがとうございました。
 郡工支部開催が中止になり、これに対して、闘わずして砕かれるのか、いや、そうはさせない! という全国からの決起。たくさんの国労の仲間の顔が見えました。動労水戸のストライキでの参加。動労総連合青年の9・6郡山青年交流会からの連続決起がありました。歴史に残る闘争になったと思います。

郡工全体の本質的分岐の始まり

 さて、職場の反応ですが、朝一番、更衣室で「きのう、見てたんだけど、何人いたの? 助役は250人だって言ってたけど、もっとたくさんいたよな」。職場では、「きのうの朝の点呼で、『興味本位でデモを見に行くことのないように』『デモを見るためにフェンスに近づかないように』って、指示があった」。「職場によっては『デモを見ているものは現認する』という指示があったみたいだ」。「そんなこと言われたって、みんな見てたよ。管理者が並んでピリピリして、見張りやってたけど、みんなで見たよ」。「若い連中もおっかなびっくり見てた。堂々と見てた若いやつもいた」。エルダーの先輩からは「ネットでみたよ。YouTubeで検索したらすぐ出てきた」。みんな注目していたのが分かりました。会社側の緊張感も分かりました。
 自分の意思にかかわらず、自分の職場が焦点化し、現認するぞと言われてもデモを見に来たり、その規制に怒りを持ったり、そういう中から生み出される決起と、郡工全体の本質的な分岐が始まっています。

資本と闘う労働組合の団結へ新たな挑戦

 9・11郡山闘争は国労郡工支部の決定以降、『前進』をはじめ全国的に宣伝されました。国労の中で、我々の旗を堂々と高々と掲げる労働組合運動への大転換への挑戦でした。そして国労本部などの知るところとなり、また、それ以上に、国家権力が、JR資本が戦慄することとなったのです。つまり、戦後革命以来、スト権スト、国鉄分割・民営化と国労潰しに躍起になってきた資本家階級が、国労本部を屈服させ、4・9政治和解で現場指導部まで屈服させ、残るは、我々の勢力だけ、郡工支部も40人の組合員が残るだけであとは時間の問題というところ、もう少しで国労を完全に根絶できるところまできて、その矢先に出てきた9・11郡山闘争。郡工支部と階級的労働運動派が結びついたら、せっかくここまでやってきたことが元の木阿弥になってしまう。だから9・11を潰しにきた。残念ながら郡工支部主催としては中止となり、その代わりに、予想を上回る爆発力を持って9・11は我々の手で闘われました。
 体制内労働組合運動は、中立論、総団結論です。つまり、労働組合はいろんな思想、社民党、共産党、民主党、創価学会から自民党までいるので、政党の色を出すことは団結を破壊するものであるという昔からの伝統があります。だから組合役員は公然とは所属政党は表しません。執行委員会でスケジュール調整するとき、役員は「その日はちょっと用事がある」と言います。党の用事があるとは言わない。党を出すことは組織破壊であり団結を乱すことであり悪いことになっているのです。そのくせ、会議には党で意思一致した意見を持ってきて発言する。
 ロシア革命がそうであったように、最後は一つの党が指導、一つの党が一斉蜂起を決断して成し得たものです。複数党の統一戦線では成し得ませんでした。最後はボルシェビキが、メンシェビキやエスエルなどを従えて成し得たものです。真っ当な党派闘争がある中で、組合員が正しい党派選択をしていくことこそ、資本と徹底して闘える力強い労働組合の団結をつくれるのです。9・11闘争はそういうことをも想定した挑戦の始まりと位置付けてやってきました。郡工労働者600人の前にその選択を求めて公然と登場する。新たな段階への挑戦が始まるということです。

郡工組合員40人が味わった解放感は忘れない

 郡工支部としての9・11闘争の中止が決められたこと自体は非常に残念なことでした。職場集会での議論を積み重ねていく中で決定した9・11。ストライキ要請まで決意してやった。その結果がこれか! 権力・体制内の圧力に耐え切れなかったことは情けない! 確かに9・11に期待した人ほど喪失感は大きかったと思います。だけど、私は思います。体制内指導部のもとで30年もの間労働組合運動をやっていればどんなことになるか、体制内の意識にがんじがらめに縛られていて、その呪縛から逃れることは容易いことじゃない。しかし、一旦は、支部の執行委員会で9・11が決定されました。ぎゅうぎゅうと締め付けられている縄を一瞬でも緩めることができました。逆に言えば、組合員がその呪縛から逃れようとしてもがいてもがいて、一瞬、縄が緩んだ。組合員がよくぞそこまでやった。よくぞそこまでたどり着いた!です。そして郡工組合員は一瞬だけでも解放感を味わった。その感触は忘れない。必ずまたやってくれるはずです。27年前の分割・民営化の時、自分の首を守るために仲間を裏切るのかという議論がありました。4党合意の時も、労働委員会の一括和解の時も、4・9政治和解の時も互いに本当に厳しい議論を繰り返してきました。強制配転反対闘争の時も、昇進では差別をされ、激しい組織攻撃で多くの仲間を失い、そのなかで激しい議論をし、でも結局最後は同じ方向を向いて歩いてきた40人です。3・11も互いに支え合い、残ってきた40人の仲間、そうやって27年間やってきた職場の仲間を信じ抜きたいと思います。これからもそう容易くはないでしょう。でも諦めず共に進んでいたいと思います。
 (共に闘う国労の会会報№51より転載)