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4・24ゼネスト、民主労総27万組合員が決起!

月刊『労働運動』34頁(0303号02/04)(2015/06/01)


4・24ゼネスト、民主労総27万組合員が決起!

(写真 ソウル市のゼネスト集会後デモの先頭に立つ民主労総ソウル地域本部の旗。そして動労千葉の旗も翻った)
(写真 4・24ゼネストのソウル大会)
(写真 4・24ゼネストのソウル大会)
(写真 ソウル大病院労組の4・24ゼネスト集会で発言する動労千葉の田中康宏委員長)


―15年の壮大な闘争の砲門を開く― 漆崎 英一(動労千葉国際連帯委員会)

パククネ打倒の力強い声が全国17地域で響き渡った

 4月24日、ついに民主労総4・24ゼネストが成し遂げられた。パククネ政府を糾弾してゼネストに立った労働者たちの力強い声が全国17地域のゼネスト大会で響き渡った。
 2015年パククネ打倒闘争の壮大な闘争の最初の出発点を確実に勝ち取ることに成功したのだ。ゼネストは韓国の民主労組運動の歴史の中で培われて来た労働者階級の底力を解き放つことに成功した。
 民主労総は「より簡単な解雇、より低い賃金、より多くの非正規職」を狙うパククネ政権の労働者殺し粉砕(労働市場構造改悪廃棄)、公的年金強化及び公務員年金改悪中断、最低賃金1万ウォンを勝ち取る、勤労基準法全面適用及び労組法2条改正、全ての労働者の労働基本権を勝ち取るなど4つの要求を掲げてゼネストに立った。
 民主労総14の加盟組織の2929事業場から25万9519人、16の傘下組織97事業場から9525人など総計2926か所の事業場から26万9044人の組合員が4・24ゼネストに参加した。組合員たちは個別事業場の条件にしたがい全面ストライキ、部分ストライキ、年休闘争などの多様な方式でゼネストに結合した。
 パククネ政権とセヌリ党、資本家と保守マスコミはゼネストを前にして、さかんに「不法ストライキだ。刑事処罰をする」と脅迫した。
 しかし労働者たちはこれ以上引き下がるところはないという切迫感と怒りを体現してゼネストに突入したのだ。イヨンジュ事務総長はゼネスト大会の司会の中で「パククネ政権は不法ストライキだ、厳重処分をすると言っている。そうだ。我々は今まさに不法ストライキに突入したのだ」と宣言した。

6月第2次ゼネストが提起された

 民主労総4・24ゼネストのソウル大会は4月24日午後3時ソウル市庁広場で開催された。
 最初に96~97年の労働法改悪阻止闘争を指導したタンビョンホ民主労総指導委員が舞台に上がった。タンビョンホ指導委員は「パククネ政権の労働市場改悪に抗してゼネストに立ち上がった誇るべき民主労総組合員の同志たち、心から信頼し支持して激励を送る」と述べ「パククネ政権が資本に何でもできる刀を握らせて解雇を簡単にして、賃金を削り非正規職を量産しようとしている」として「政府が不義の法で労働者民衆を弾圧したならば、労働者はその不義に抗して抵抗する責任と義務がある」と声を高めた。そして「民主労総ゼネストは労働者民衆の権利を守るための正当で正義のストライキであり、民主主義を破壊して権力を私有化するパククネに対して民主労総の役割は重要だ」と述べ「集団指導力と現場組織力を発動すれば、96~97年に匹敵する威力的な闘争を組織することができる」として「パククネの労組弾圧と民主主義の抹殺を止めよう」と激励した。
 セゥォル号事故のルチョンミョンソン4・16家族協議会委員長が民主労総ゼネスト集会に参加した。チョンミョンソン委員長は「民主労総が市民と共にして立ち上がってくれなかったらここまで来ることができなかっただろう。民主労総組合員たちに2つを約束して提案したい。我々家族たちは最低限、真相究明、責任者処罰、安全社会のために闘うものであり、政府がやらなかったら、我々が最後までやり遂げるから一緒にやってほしい。我々は行動するものであり高貴な犠牲者たちのために、遺家族を冒涜した人たちを審判するだろう。国民と共に安全社会を作って人間の尊厳性を求めるだろう」と約束した。
 ユジヨン公共運輸労組医療連帯本部ソウル大病院分会事務局長、キムギュウ建設産業聯盟建設労組京仁地域本部長、キムヨンホ金属労組京畿支部SJM支会長が、現場闘争発言として、パククネ政府に抗する民主労総ゼネストに立った決意を明らかにした。
 ハンサンギュン民主労総委員長がゼネストを宣布し、「大会をとおして4・24ゼネストに続いて5・1メーデー10万大会をやり遂げて6月第2次ゼネストに立とう」と訴えた。
 ストライキ歌が鳴り渡る中、参加各組織の組合旗入場式が行われた。ハンサンギュン委員長は民主労総旗を力いっぱい振りながら入場する旗の列を迎えた。
 参加者全体がストライキ歌を斉唱して集会が終了した。参加者全員がデモ行進に出た。
 4・24ゼネスト大会は、ソウル・京畿・インチョン地域の労働者はソウル大会に、カンウォンはチュンチョン駅、忠北はチョンジュのサンダン公園、忠南はチョンアンのアウリ広場、テジョンはセムモリ公園、全北は韓国銀行十字路、クァンジュは旧道庁前民主広場、全南はヨス市庁、チェジュはチェジュ市庁、慶南はチャンウォン中央大路、プサンはプサン駅、ウルサンはテファガン駅、テグはパンウォルダン、慶北はキョンジュ駅・ヒョンサンロータリー・キョンサン市庁向かい側・クミ労働支庁にそれぞれ結集して4・24ゼネスト地域大会を開催した。
 パククネ政権と資本の弾圧を跳ね返して勝ち取られた民主労総4・24ゼネスト成功によって2015年パククネ政権打倒の闘いは完全に出発点を勝ち取った。
 これからあらゆる困難に打ち勝って11月総反撃闘争に上りつめていく。それは韓国の労働運動の希望に満ちた転換点をなしたと労働運動史に特筆されるものになるだろう。
 そして全世界の新自由主義攻撃に抗して闘う労働者階級に限りない激励になるだろう。

4月ゼネスト実現へ総力準備過程

 昨年末、民主労総は史上初めての直接選挙制で8期指導部を選出した。組合員たちは4チームのそうそうたる候補の中で、「名もない解雇労働者」のハンサンギュン委員長に最も多くの支持を送った。選挙結果について「異変」だと評価する人もいた。しかしハンサンギュン委員長の当選は異変であるよりも、これまでわからなかった現場労働者たちの要求と気持ちが直選制をとおして表に現れたということだった。
 ハンサンギュン指導部は選挙の初めから「ゼネスト指導部」を標榜した。
 96~97年の労働法改悪阻止ゼネスト闘争以後10年間に行われてきた多くの「空ストライキ」に反省の念を持っていた活動家たちは首を振った。ゼネストが機能するのかという問いには懐疑的な答えを出した。民主労総の現在の力量ではゼネスト闘争は機能しないという雰囲気が澎湃としていた。
 しかし現場労働者たちの考えは違った。ハンサンギュン指導部の当選はこれまで発見できなかった現場組合員たちの熱望と期待がそのまま表れた結果だった。
 ハンサンギュン指導部は、1月から公式的な任期を開始した。就任と共に総連盟をゼネスト闘争本部に転換して政府との全面戦を準備した。
 「感情に訴えることはせず、明確にゼネスト戦術及び正当性を訴える」「ゼネスト闘争本部内に『ゼネスト闘争勝利企画団』を作って組織化をする」という方針の下にゼネスト組織化を進めた。
 1月の中央執行委員会、2月の代議員大会でゼネスト方針を確定した。スローガンは「パククネを止めろ! 今日1日仕事をやめよう!」だ。4大要求として①「より簡単な解雇、より低い賃金、より多くの非正規職」を狙う「パククネの労働者殺し政策」粉砕、②公的年金強化及び公務員年金改悪中断、③最低賃金1万ウォンを勝ち取る、④勤労基準法全面適用及び労働法2条改正、全ての労働者の労働基本権を勝ち取ることだ。
 民主労総指導部は2~3月現場巡回を行って現場組織化に立ち、3月には単位事業場代表者―役員決意大会を開催した。
 民主労総各地域本部は「ゼネスト地域実践団」を構成して現場組織化に立った。
 市民社会団体は「チャングレ(非正規職)を救う運動本部」を発足させて非正規職法、制度廃棄と非正規職労働者の権利保障などの活動を繰り広げていくために民主労総のゼネストに口だけの連帯ではなく実質的な共闘を作り上げていくことを決意した。
 このような過程の中で、「情勢的にゼネストが必要なことは理解するが、準備時間のない中でゼネストを実現するのはむずかしいのではないか」という雰囲気を払拭する闘いが進められていった。
 この中で強調されたのが96~97年の労働法改悪阻止ゼネスト闘争だ。労働法改悪阻止ゼネスト闘争も「準備された」状況の中で行われたのではない。労働者の怒りの決起が陸続と起こって政権を揺るがす大闘争に発展したのだ。このように本当のゼネストで政権を揺るがす力を我々は持っているのだということを渾身の力で訴えた。
 今回のゼネスト組織化の過程は、非正規労働者たちが先頭に立ったことが特徴だ。プラント建設労働者、ソウル地域大学非正規職労働者、学校非正規職労働者たちがゼネスト決起の先頭に立って、さまざまな労組の決起を引き出した。
 また、民主労総のゼネスト賛反総投票もゼネスト闘争決起を促す組織化の一環として、公務員労組などに対する弾圧をはねのけて、圧倒的に勝ち取られたこともゼネストの成功に大きな役割をした。