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7・30動労総連合・新潟結成をかちとった!

月刊『労働運動』34頁(0306号03/01)(2015/09/01)


7・30動労総連合・新潟結成をかちとった!


星野文男(動労総連合・新潟執行委員長)

動労総連合・新潟結成の趣旨

 「すべてのJRとJR関連労働者は、正規・非正規を問わず一つに団結しよう!
 JR社員であろうと、下請け社員であろうと、非正規職であろうと、私たち労働者の労働で人間社会に必要のない労働など一つもありません。私たちの労働が社会を回しているのです。そして、どんな労働であれ、私たちには誇りがあります。それは、私たちの毎日の労働が、人間社会を形成する私たち人間の人間たるゆえんだからです。
 JRや下請け会社は、私たち労働者を、賃金格差・身分格差などで分断してボロ儲けをしています。こんな社会を変えよう。私たちの労働が、人間社会の建設と運営に豊かに生かされるために闘おう。正規・非正規、JR・下請けの違いを越えて、すべての労働者は国鉄新潟動力車労働組合に結集して団結しよう! そして闘おう!」(国鉄新潟動力車労働組合〈略称:動労総連合・新潟〉結成アピールより) 動労総連合・新潟の結成の趣旨は、結成アピールの冒頭部分に凝縮されています。

自己解放的な結成大会

 結成大会は7月30日、新潟地域一般労組事務所で開かれました。国鉄戦線の大先輩や地域の青年労働者など約20人が集まってくれました。開会挨拶は貨物の仲間が「結成は決断していたが、具体的にはもう少し先かなと思っていた。しかし、時代が激しく動いていて決断を実行に移した」と決意を表明しました。 結成発起人である私は、時代に見合った階級の先導について、自身の飛躍を含めて地域の仲間の飛躍の課題を提起して、地域全体の奮起と一体で組合結成を決断したことを明らかにしました。来賓挨拶の地域一般労組の蝦名委員長は「県下で非正規職撤廃を闘う兄弟組合として共に闘う」とエールを送ってくれました。
 議事に入って第1議案から第4議案まで提案説明。第1議案は規約の制定、第2議案は運動方針案、第3議案は動労総連合への加盟、第4議案は組合費の決定でしたが、規約に関して若干の訂正を施し、第2から第4議案はいずれも満場一致で採択されました。翌7月31日に関係する4社(JR東日本、JR貨物、鉄道荷物、JRテクノロジー)に組合結成通知をすることを決定しました。続いて、役員選出に移り、星野文男委員長(JR東日本:鉄道荷物出向)と杉野彰書記長(JR貨物)体制を選出してスタートすることとしました。結成宣言を採択して議長退任ののち、関連会社のJRテクノロジーの佐藤修組合員が「明日は、現場で工場長に結成通知を提出します」と閉会挨拶を行いました。
 組合員はもちろん、結成大会に駆けつけてくれた地域の仲間全員が感動的な大会を共有しました。「新潟の新しい船出を祝って団結ガンバロー」の三唱とインターナショナルで締めくくった大会は大成功をおさめました。

国鉄闘争こそ階級闘争の核心

 動労総連合・新潟結成の決断は大変な決断でした。
 決断を促した第一の理由は、今の時代です。世界大恐慌が深まる中で世界的な戦争情勢に入ってきました。戦争を止める力は国際的な労働者の団結・連帯しかありません。世界中で労働者の決起が始まっています。その先頭に日本の労働者が位置しています。なぜなら、日本では最末期帝国主義の新自由主義政策である国鉄分割・民営化を粉砕している動労千葉と国鉄闘争全国運動の実践があるからです。国鉄闘争こそ日本階級闘争の基軸であり、その勝利の路線は世界的な労働者階級の勝利の路線だからです。同時に、この闘いは中曽根や安倍が言う「戦後政治の総決算」や「戦後レジームからの脱却」という戦後問題どころではない、日本の資本主義社会成立以来の戦争と搾取・収奪の歴史に終止符を打つ階級戦争だからです。それ故に、絶対に負けられない、絶対に勝利する闘いだと確信しています。
 私たちは「4大産別決戦で改憲・戦争を止める」として闘ってきました。1987年国鉄分割・民営化と総評解散・連合結成以降も「国鉄闘争」は、100万人支援陣形と言われる解雇撤回闘争をめぐる労働者の団結の軸になって、改憲・戦争の衝動を押し返してきました。しかし、不当労働行為を居直り、なかったことにする敵の攻撃が2010年4・9政治決着で、全面屈服を強制したのです。
 しかし動労千葉と関西生コン支部、港合同と全国運動呼びかけ人の階級的団結は、国鉄闘争全国運動を結成して闘いを継続しました。そして解雇撤回10万筆署名は目標を超え、6月30日最高裁決定は「不採用基準の策定と適用は不当労働行為」と認定せざるを得ませんでした。
 1998年5月28日、国労訴訟の東京地裁反動判決を受けて、運輸省幹部は「国鉄改革に一点の曇りもあってはならない」と言い放ちましたが、今や「国鉄改革に満天の曇り」を強制したのです。この階級的力関係に全精力を注ぎ込むことで勝利することができます。これが決断の第一です。

国労共闘の拠点・新潟の決起

 大変な決断の第二の理由は、国鉄労働運動の歴史的拠点であり、交流センター新潟の拠点である国鉄職場での決断です。
 国鉄労働運動では「国労御三家」「泣く子も黙る新橋支部」「鬼の動労」などの自画自賛がありました。中でも国鉄新潟闘争の歴史と教訓は反スターリン主義の萌芽点という意味で、私たちに大きな決断を要求しました。
 私が国労に加入した1971年、国労組織は2000人で新潟支社の2割弱でした。全国の地方が大多数を国労に組織している中で、異色の地方でした。安保・沖縄、マル生反対闘争で組織拡大は進みましたが、過半数職場は新津工場はじめ数職場でした。青年にとって国労加入は生涯一労働者の人生選択でした。そういう選択をして、なおかつ分割・民営化の首切り恫喝を越えてきた国労の仲間との団結を捨てて、敢えて動労総連合を結成する決断は大変でした。
 また、4党合意との闘いと5・27臨大闘争弾圧の勝利は、これこそ我がものと確信できます。

青年労働者の決起の導水路

 この決断を後押ししたのは、千葉や水戸・神奈川、全国の青年の決起です。ここにこそ、私たちの責任があること、将来は青年のものだという精神に立ち返ることでした。反面教師は、4・9政治決着で労使協調に転換した、主流・チャレンジはもちろん反主流の革同や新社会などもJR資本と闘わないことを実質的な「綱領」としていることです。5・27弾圧や組合員資格訴訟に対する彼らの対応は、戦後労働運動の精華を売り渡すものです。こうした決断が、動労総連合・新潟を階級闘争の最前線に押し出しました。
 全国の労働者の皆さん! 団結して闘いましょう。