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私の職場 第7回 駅民営化との闘い

月刊『労働運動』34頁(0312号06/01)(2016/03/01)


私の職場 第7回
新経営計画、駅の管区化との闘いは民営化との闘い


大木 勇次 (東京交通労組6号乗務支部執行委員)

●都営地下鉄の運転士です

―どういう職場ですか。

大木 東京都交通局で、都営地下鉄三田線の運転士をしています。現在の職場に配属されたのは21年前です。 
 高校を卒業して1990年にJR下請け会社に入り、大井工場で車両の内装の仕事をしていました。その時、出向の国労の人から「運転士になりたければどんどん試験を受けろ」と言われ、都の交通局が地下鉄の駅員を募集していたのを教えてくれたので受験しました。
 1992年に都の交通局に入りました。駅で約3年、車掌を約2年半やって、運転士の転職試験に合格して、東雲研修所での研修をへて1998年から運転士として乗務するようになりました。

―勤務などを教えて下さい。

大木 勤務は、1週間で5日勤務で、泊まり、明け、日勤があります。泊まりは12時か14時
45分の出勤で、翌日の午前中まで21時間15分拘束されます。その中に仮眠時間として4時間が含まれます。日勤は6時45分から11時55分の出勤で8時間45分拘束されます。「増務仕業」といって、さらに長時間拘束される勤務もあり、泊は25時間、日勤は12時間以上におよびます。
 定年は60歳ですが、再任用で65歳まで働けます。再任用は6号では車庫内から本線までの入替運転と短距離の本線乗務となっています。
 運転職場であらかじめ拘束時間を決めている鉄道会社は他にはないと思います。以前は実乗務時間(休憩時間を含まない実際に乗務している時間)をもとに勤務時間も決められていました。その中で「標準乗務時間(超勤起算点)」が設定され、実乗務時間で「標準乗務時間」を超えた分が超勤(手当)になっていました。当局はこの「標準乗務時間」を延長して、超勤がつかないようにしてきました。9
年ぐらい前の時点で6時間45分だったと思います。当局は8時間への延長を主張し、組合は「それならば勤務時間を8時間にしろ」と、拘束時間制を要求しました。
 乗務の仕事は「時間だからここで終わり」と切ることはできません。それを時間で切るように勤務を組むと、人員が増えない限り乗務員が乗れない列車が出てきます。それを本来仕業の後に丸々超勤=「増務」として乗務するようにしたのです。逆に「増務」をやらなければ超勤がつかなくなりました。

●ワンマン運転で仕事はきつくなった

―今、ワンマン運転ですよね。

大木 2000年9月に、都営三田線が東京メトロ(開業当時は営団)南北線の目黒延伸と同時に東急目黒線へ直通運転することになり、その直前にワンマン運転になったのです。同時に、駅にホームドアも設置されました。運転はボタンを押すだけの自動運転ですが、ドアの開閉は運転士がモニターを見て操作します。
 以前、ドア操作で足の不自由な人を挟んでしまったことがあります。ホームドアより背が低かったため、死角に入ってモニターでは見えなかったのです。電車のドアとホームドアの間に転倒しましたが、センサーが反応して大事には至りませんでした。運転席からは何が起きているのかわかりませんでした。傘などが挟まった場合など、センサーが反応せずに発車してしまうこともあり、大変危険です。
 ワンマン化とホームドアは一体ですが、人件費削減の合理化攻撃ですね。
 ワンマン化が決まる前からその準備として、当局はホームに柵を設置して乗客の流れを確認する実験などをしていましたが、「ワンマン化のための攻撃」を指摘する声に組合は「安全対策だから」だけでした。三田線の延伸と同時期に大江戸線(はじめからワンマン)が全線開業しています。この過程では、当局は職員定数を増やすことなく、三田線ワンマン化で廃止となる車掌を運転士として吸い上げることで、大江戸線開業要員を浮かせました。このことを組合も織り込み済みだったのです。まだ受験資格がなかった若い車掌と、継続して車掌を希望する人は浅草線と新宿線に異動しました。駅を希望した人もいます。
 組合の要求で、ワンマン化と引き換えに一旦は乗務距離が短縮されましたが、最初だけで、その後は伸ばされていきました。

―ワンマンで困った事は何ですか。

大木 運転士と車掌の2人分の仕事の責任をとるわけですから労働強化ですよね。でも元々、運転士も車掌も駅業務も基本は同じ賃金です。さらに特殊勤務手当の廃止や超勤の減少でますます差がなくなり、結局、賃金が下がって責任だけが重くなりました。
 運転中は生理現象を抑えるのが大変ですね。腹痛を起こしたら助役が応援にくるまで我慢するか、電車を止めてトイレに行くしかありません。
 あと、運転が自動なので眠気を抑えるのが大変です。私ではありませんが、ドア操作しないで乗客が乗降できないまま発車させてしまうということも過去にありました。ATO(自動列車運転装置)も「絶対」ではなく、ホームの停止位置をオーバーしたり、手前に止まることもあり、油断できません。
 最初はワンマン手当が1回の乗務で500円ついたのですが、すぐになくなりました。
 駅でホーム監視の駅員がいるのは平時のラッシュ時間帯のみで、乗降の多い一部の駅と終端駅を除いて昼間は駅員がいません。代わりに警備員がいる駅もあります。外注駅ではラッシュのない休日でも、平日ラッシュにあたる時間はホームに駅員が立たされています。これは直営と外注の労働者の間に競争と分断が持ち込まれているということだと思います。

(写真 東京都交通局が2月に出した「経営計画2016」―2020東京オリンピックにむけた大規模な経営計画だが、労働組合解体攻撃であり、民営化にむけた攻撃だ!)

●駅の半分以上が外注化

―外注化はどのくらい進んでいますか。

大木 駅全体の半分以上は、都営交通の外郭団体で売店や清掃をしていた一般財団法人・東京都営交通協力会に外注化されました。賃金は安くて、正規職員の半分ぐらいのようです。
 東京交通サービス(TKS)という株式会社もあって、設備や車両のメンテナンスなどをしています。三田線では高島平に車両工場があって、日常的な点検は直営でやっていますが、車両全体の周期的な検査はこの会社でやっています。

●支部の3分の1の労働者に支持されている

―組合活動を話して下さい。

大木 組合に入ったのは入局してすぐで、青年部にも入りました。青年部の活動は沖縄平和行進や平和友好祭など、反戦平和活動が中心でした。
 13~14年前は、青年部でも駅の外注化反対闘争をやりました。100名を超える大集会も開きました。しかし結局組合は「協力会ならいい」となって外注化をのんでしまいました。
 私が入ってからストライキをやったのは、1999年11月に石原知事による賃金カット攻撃に1回だけ、非乗務関係が入りましたが、対象は本局勤務の事務職のみで、乗務・駅・保守など、現場はすべて乗務関係扱いで、当然にも私はスト対象外でした。
 支部の執行部選挙に出たのは、青年部活動の中で、このまま闘わない組合では駄目だと思ったのと、当時職場で定年間近の方が乗務で無理をして心筋梗塞で亡くなったことがきっかけでした。その方は「肺(のあたり)が痛い」と言いながら、無理をして公休出勤をして、病院に入院したときにはもう手遅れの状態でした。
 ワンマン化に入る過程で、延伸区間の乗務訓練のため、年休取得を抑制した時期があり、年末までに年休を消化できない状況となりました。組合は公休出勤と金への換算を当局に要求して、以来、公休出勤分は超勤処理されるようになり、その結果として公休出勤が常態化したのです。彼は当局に殺されたと思いましたし、組合にも責任があると思いました。約10年前です。
 それで執行部選挙に立候補しました。執行部に入り教宣部長を任期の2年間やりましたが、当時の支部長と「方針が違う」と対立して、次期体制から外されることになりました。その際、職場の仲間から「三役に入れ」と推されて副支部長選に出て90票取ったのですが、相手が140くらいの票で敗れました。その2年後に支部長選に挑戦しましたが、やはり90票で敗れました。なぜ自分に90票入ったのかと言えば、闘わない組合への不満があるからだと思います。
 しかし職場の仲間からは「執行委員で出れば勝てるのにもったいない」と怒られました。まずは再び執行部に入り、そこで勝負しようと、2年後に執行委員に立候補して入りました。それが3年前です。今も執行委員です。現在、支部は全体としては約270人います。
 今は職場でビラや国鉄署名などをやっていて動労千葉派であることはみんな知っています。

●東京オリンピックにむけた大規模な経営計画は民営化攻撃

―今、職場で課題になっていることは何ですか。

大木 新経営計画「東京都交通局経営計画2016」が出されています。「史上最高の東京オリンピック・パラリンピックの実現に向けた取り組み」と称して大金を注ぎ込もうとしています。過去15年間で1770人削減した職員定数も、40人増員するとしています。
 2019年までに都営新宿線の全21駅にホームドアを設置しようとしています。都営浅草線では、2020年に向けてJR旧田町車両センター跡地の「市街地再開発事業」と一体で、泉岳寺駅の大規模改良工事を行うとしています。これに先行する形で西馬込・吾妻橋両乗務区を統合しようとしています。また臨海部と都心を結ぶBRT(バス高速輸送システム)を運行する業者に京成が決定して、都バスの運行区域に民間が入ってくることになります。
 いずれも、民間大資本、ゼネコンをボロ儲けさせるための施策であり、本質は労働組合解体攻撃です。オリンピック後の赤字を東交労働者に転嫁してくることは必至で、新宿線ワンマン化などの合理化、さらには民営化攻撃として襲ってくることも見据えなければいけません。

●駅の管区制は組合つぶし攻撃

大木 一昨年、駅の管区制が実施されました。今までは路線ごとの組織体制だったのですが、エリア地域別に再編したのです。労働組合は線別の支部になっています。だからこれは組合つぶし攻撃です。
 当初、組合は「組織破壊だ」と反対していたのですが、条件闘争にして、のんでしまいました。
 9年前に新規採用を再開しましたが、このとき地下鉄では駅の外注化が拡大する過程で、新たな乗務転職希望者がいない状況でした。そのため地下鉄の新規採用は車掌採用とされたのです。その後、駅業務を一定期間経験させる「鉄道基礎職」採用に変更されましたが、これも2年経てば自動的に駅から乗務職場に車掌として異動となるため、駅に若手が定着せず、組合の駅支部の後継者が育たない状況となっていました。それで組合は管区制提案をのむ条件として、駅員(鉄道営業)としての新規採用再開を取ったということです。
 しかし、すでに駅では業務や当局側との交渉体制に大きなひずみが出ています。駅支部組織の再編も必至で、やはり絶対反対を押し通すべきだったと思います。

●地道にビラや国鉄署名をやる

―組合の中で、今後どういう活動をしようと思っていますか。
大木 やはり地道にビラをつくって出すことだと思います。 動労千葉の被解雇者を支援する物資販売や動労千葉争議団の解雇撤回の最高裁にむけた署名なども取り組んできました。
 猪瀬都知事の時に、都営地下鉄と東京メトロの統合が話題になったのですが、今はそれがなくなりました。しかし、東京オリンピックの後には民営化攻撃が本格化すると思います。そこを見据えてこれから闘っていきたいと思います。

―全国労組交流センターについて意見や注文をお願いします。

大木 全国労組交流センターを知ったのは、三田線のワンマン化の時、当時青年部で「ワンマン化絶対反対」のビラが話題になりました。それが全国労組交流センターのビラでした。「どういうグループなのだろう」と思っていましたが、その後、全国労組交流センターの仲間と関わるようになり、今は、自分も全国労組交流センターの会員になり交流センター名でビラをつくって、仲間に配布したりしています。
 もっとビラを出したり、JRに対する1047名解雇撤回の署名を取り組んでいきたいです。