月刊『労働運動』34頁(0321号02/05)(2016/12/01)
※ 訪韓闘争に参加して
労組拠点を打ち立てることで資本主義を打倒できると実感
(写真 民衆総決起を共に闘った動労総連合)
11・6全国労働者総決起集会から、11・12民主労総労働者大会と民衆総決起に参加して確信したことは、朝鮮戦争切迫情勢=世界戦争情勢に対して、労働組合を拠点として打ち立てることで、資本主義を打倒し、革命を手繰り寄せることができるのだということでした。この間、韓国鉄道労組を中心に打ち抜かれてきた民主労総のゼネストが、この、全人民的な100万人を超える決起を牽引(けんいん)したことは間違いありません。
今回の訪韓闘争には福島から私を含め5人が参加しました。 12日、ソウル市庁舎前の会場には満員で入れず、周辺の道路上に座り込みました。同じように次々と路上に座り込む労働者の数が増え、会場から広がる道路という道路からは車が締め出されていきました。そして、みるみるうちに会場周辺の道路はすべて労働者によって占拠されてしまったのです。大画面のモニタートラックとクレーン車で吊り下げたドデカいスピーカーが各所に設置され、会場外に居る私たちにもメインステージや集会全体の様子がよくわかりました。戦闘的集会でしたが、半分は歌と踊りと映像で、しかも結構クォリティーが高く、まるでロックフェスのようでした。
動きがとれずデモができないかもしれないという指示が一時出されたくらい労働者で溢れかえっていて、周辺は完全に解放区と化していました。17時過ぎにデモ出発。動労千葉訪韓団のデモ隊は、道路のあちこちで集会が開かれる中を、押し分けて進むしかありませんでした。「てーじんはら!ぱっくね(パククネは退陣しろ)」「パックネヌ、ハーヤ、ハーヤ(パククネはやめろ!やめろ)」というコールと、大音量で走るスピーカートラックからの「ハーヤ♪ハーヤ♪ハーヤ♪」のテンポのいい曲でとにかく騒然としていて、まるで年末のアメ横状態でした。
「動労」のノボリを見た周りの韓国の労働者に「いるぼん(日本人)」と聞かれ「はい」と答えると「安倍、アウト!」と返されました。そんな感じでデモを続けているうちに「近づくのは無理」と言われていた光化門前まで来てしまいました。
光化門広場での「文化祭」と称する大集会(一流ミュージシャンの野外LIVEなど)会場で待機になり、動労千葉訪韓団は21時ごろに解散となりました。
「文化祭」は一部の労働者が警察と衝突する闘争も含めて深夜まで続いたと、翌日、スマホのYahooニュースや福島の同志からのメールで知りました。(成田空港でWiFiルーターを借りていった)。
13日は朝から、いずれも光化門付近でやっている「公共運輸労組」座り込みと、「セウォル号事故遺族」座り込みの激励をしました。その後、「慰安婦少女像」に向かう途中で、突如、警官隊に取り囲まれてしまいました。日本大使館を襲うのではと疑ったようです。私は帰りの時間が迫ったため、ここで訪韓団と別れ、ソウル駅からはひとり帰国の途につきました。
とても良い経験でした。訪韓闘争を準備し支えて下さった方々に御礼申し上げます。
橋本光一(動労福島委員長)