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「復帰」45年の5・15沖縄闘争を闘って

月刊『労働運動』34頁(0327号07/01)(2017/06/01)


「復帰」45年の5・15沖縄闘争を闘って

高橋徳臣【沖縄(南部)一般労組協同リネンサービス分会書記長】

国際通りデモから5・13沖縄集会へ

―大反響の国際通りデモ―

 5月13日の午前中はもの凄い雷とスコール、沖縄は13日から梅雨入りだ。夕刻には天気が何とか持ちこたえてくれて元気よく国際通りをデモ行進できた。
 今回のデモの特徴は、警察権力と右翼の妨害が一線を越えていたことだ。それをぶっ飛ばすように若い世代の声援が多かった。特に小中学生の声援が多かった。根底的にあるのは、朝鮮侵略戦争がいつ起きてもおかしくないと感じていることだ。少し前なら「戦争なんて起きるわけない」なんて言う意見が、今は「戦争になるんですか」という意見が飛び交っている。これにどうやって応えていくのかなんだろうと、デモをしながら思った。
 途中、右翼の街宣車がデモ隊に割り込んだりするなど、一触即発な状態。右翼の街宣車はデモ解散地の5・13会場近くまでついてきて、会場受付前にいた公安デカが「集会をやると大騒ぎになりますよ」と許しがたい脅しをかけていた。

―民主労総を迎え5・13沖縄集会が大成功―

 この日の夕方、ゼネストで闘う韓国民主労総からパクチュドンさん(ソウル本部南東地区協議会議長)とカン・チュンギュさん(全国建設企業労組大宇建設労組支部副委員長)を迎えて「非正規職撤廃・基地撤去!辺野古新基地建設阻止!国際連帯の力で朝鮮侵略戦争を止めよう!『復帰』45年5・13沖縄集会」を開催し、大成功した。
 特に、昨年の5・15沖縄集会では、招へいした民主労総の同志らを、入管当局が那覇空港で1時間余り入国させないという弾圧があった。今年は予め弁護士も配置し、こうした弾圧を1ミリも許さず完全に勝利した。
 5・13集会は、冒頭「怒りはいつの時代も同じ。昔と異なる点は労働運動の拠点が違う。ゴリゴリ闘う拠点を作りましょう」との司会あいさつから開始。
 星野さんを取り戻そう!全国再審連絡会議の狩野満男さんは、「星野さんをとり戻す闘いは正念場を迎えた。今年に入って30の絵画展が開催されて、沖縄の絵画展はひとつの闘争となっている。奪われたものを奪いかえす。星野さんの言葉が広がっている」と発言。
 福島診療所建設委員会の渡辺馨さんは、「福島の怒りと沖縄の怒りがひとつになった。元復興相・今村の発言は言い換えれば『基地があるのは沖縄でよかった』と言っているようなもの。この怒りは必ず結びつく」とあいさつ。
 韓国民主労総を代表してパクチュドンさんが「戦争で傷つくのはいつも労働者だ。支配者の好き勝手にやらせていれば、一生奴隷のままで終わってしまう。韓国も日本も労働組合の組織率は低いものですが、いかにして団結できるかが課題になる。6月30日には最低賃金1万ウォン獲得を掲げて社会ゼネストを実現します。共にがんばりましょう!闘争(トゥジェン)!」と提起した。

名護市瀬嵩での県民大会(5月14日)からIJBS労組支援共闘総会へ

―復帰45年5・15平和とくらしを守る県民大会―

 翌5月14日、天気は相変わらず浮かない表情。
 辺野古新基地の海上工事現場を望む名護市瀬高の浜での県民大会は、太陽が昇るとともに気温もグングン上昇して、ガッツがいりました。体制内指導部の発言は、正直「ここまで堕ちてしまったの」と思いたくなるくらい冷え切っている。やれ「翁長知事を支援する」「国会に訴える」などと威勢よく言っていましたが、発言の隅々から感じるのは堕落の一言。あんなのをダラ幹って言うんだと思った。
それでも、若い人たちの発言は元気があってよかったなと思った。
 県民大会後のデモも、右翼の妨害が相当ひどかった。それでも、デモに出るとなると注目度抜群、現地の住民が手を振って応えたりして、やっぱり沖縄独特の雰囲気に囲まれたデモになった。

― IJBS労組支援共闘第4回総会―

 県民大会のデモ後に開催されたIJBS支援共闘第4回総会は、まさに青年労働者集会という様相で、元気イッパイ迫力満点だった。とくに動労東京、動労北海道と、いままで夢物語のように語られていたことが、現実になったことに感動!
 基調報告は、仲宗根書記長が堂々とやった。「地労委闘争で残念な結果になっても、中労委闘争に前進していく」という内容のところで、苦悶と葛藤の沈黙がありました。それでも「やりきる!」と宣言した。いよいよIJBS解雇撤回闘争は、限定正社員制度と激突する決戦に入った。自分は同じ解雇撤回を闘ってきたかけがえのない仲間として本当に誇りに思った。
 最後に、私の決意表明だ。前日5・13沖縄集会での民主労総のパクチュドンさんの発言を受けて、ひとつ考えたのが、あの韓国民主労総も決してイケイケドンドンじゃなかったということだ。特に韓国も日本も労組組織率は10%台とおっしゃっていたので、その中で組織してきたということは、結構重要だと思った。コツコツとやってきたのじゃないかなと。自分たちとしても沖縄南部で月1定例の読書会を開いて意見交流をしたり、そういう地道なことの積み重ねなのかなと。
 そして、やっぱり協同リネン分会としても、組合員をもう一度組織するという観点から、一度ゼロからスタートすることが重要だなと感じたので、ゼロからスタートという決意を表明した。とりわけ職場には、福島出身の組合シンパの人もいる。交流にアタックしていく。そして、職場で「あいつは遮二無二にやる奴」「あいつは叩き上げだ」と言われる存在をめざしたい。

(写真 5・14沖縄県民大会)