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三里塚芝山連合空港反対同盟事務局長・北原鉱治さんを追悼する

月刊『労働運動』34頁(0331号11/01)(2017/10/01)


三里塚芝山連合空港反対同盟事務局長・北原鉱治さんを追悼する

北原さんの根底にあったものは戦争絶対反対の決意

佐藤 正和(千葉労組交流センター代表・動労千葉執行委員)
 8月9日に三里塚芝山連合空港反対同盟の事務局長を50年以上続けてこられた北原鉱治さんが亡くなられたと聞いた時、95歳ということで本当に立派な人生を全うされたと感じました。 三里塚闘争は、日本の戦後の歴史の中で最大の農民闘争であり、日本の労働者人民の闘いの中で世界に誇るべき闘争です。その闘いを50年間揺らぐことなく中心となって牽引してきたのが北原さんでした。労働運動も含めた反権力闘争の類まれなる指導者でした。
 三里塚闘争は、国家権力と真正面から衝突し、闘いの中で命を落とした仲間、6千人とも1万人といわれる逮捕者を出しながら闘われてきた激しい闘いです。切り崩しも激しく、何億円という札束、水面下で条件交渉がある中で、北原さんは実行役員会で脱落していく農民が「北原事務局長解任」を突き付けるという激しい「北原攻撃」にも揺るぎませんでした。
 なにが揺るがない人格を創ったのか。「若者たちの未来に戦争を繰り返させない」、二度と戦争を起こしてはいけないということだと思います。北原さんは、軍に召集されて海軍に行っています。千葉県集会や民主労総を三里塚現地に迎えた時など、その時のことを繰り返し繰り返し語っておられました。国家権力に立ち向かう気概がなかったら、この社会はまた戦争になるんだということが、体の芯まで骨の髄まで染み込んでいるんだと思いました。
 三里塚闘争が始まった当時は、ベトナム戦争が激しく、戦争してきた米軍の軍用機で羽田空港が満杯になって、成田に空港が作られることになったのです。当初から反対同盟は「この空港は戦争に使われるんだ」、単なる空港反対、農地取り上げ反対じゃなく「三里塚軍事空港反対」のスローガンを掲げています。
 どんなに農民が切り崩されようが揺るがずにこの道を進むんだという、北原さんの根底にあったものは戦争絶対反対という固い決意だったと思います。今の時代に照らして考えた時、自分たちは何をなすべきかは鮮明です。安倍政権は、戦争に向かって社会のあらゆる仕組みを総動員しようとしています。戦争法である安保関連法を制定し、治安維持法そのものである共謀罪を制定し、戦後労働法制を解体し、2020年に新憲法を施行する、いわば敵のクーデターに対して、「労働運動の変革をめざし」、壮大なランク&ファイル・現場労働者の団結した闘いを創り出すことです。
 自分の職場で、JR貨物における第3の分割・民営化との具体的な闘いを開始すること、千葉労組交流センター・ちば合同労組と固くスクラムを組んで県下の労働者を組織することです。追悼というより決意表明ですね。なにより動労千葉と千葉県の労働者は三里塚で育てられ、鍛えられてきました。市東さんの農地決戦には千葉の労働者が一番で駆け付けます。北原さん、中野前委員長と会いましたか。「まさのやつ、しょうがねえな」と言われないように頑張りますので、一杯やりながら見ていてください。