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特集 7・1全国集会へ 集会を成功させ、労働委員会闘争を

月刊『労働運動』34頁(0339号02/02)(2018/06/01)


特集 国鉄闘争全国運動7・1全国集会へ
7・1集会を成功させ、労働委員会闘争を労働運動として解雇撤回・改憲阻止へ!

 国鉄闘争全国運動の呼びかけ人会議を4月下旬に開催しました。

7・1国鉄集会にむけて、5月28日申立ての労働委員会闘争の意義、解雇撤回・団交開催にむけた闘い、国鉄闘争を軸に改憲阻止へ決起することなどを論議しました。発言を紹介します。(編集は事務局)

●葉山岳夫さん(弁護士・動労千葉顧問弁護団長)

 改憲攻撃と国鉄改革=国鉄分割・民営化が連動していることは明らかです。もう一つの狙いとして、それぞれの会社で一企業一組合を育てあげ、戦闘的な労働組合をつぶすことがあった。これが完全に破綻した。JR総連を通じた会社側の労働者支配が立ちゆかなくなっている状況がある。そして、全面的な分社化・水平分業の攻撃をJRがかけてきている。
 こういう状況で、1985年の動労千葉を先頭とした分割・民営化反対闘争が、歴史的に組合運動としても正しかったことが誰の目にも明らかになってきている。大変な歴史的な闘争だった。動労総連合として全国に広がってきている。国鉄闘争全国運動も大きな力になってきたと確認できると思います。
 2・11国鉄集会で、金先生から「不当労働行為である1047名闘争について労働運動として闘う」という提起がありました。大賛成です。弁護団としても大事だと思います。改憲阻止闘争の中で、労働運動が中軸になっていくことが大事だと思います。
 国鉄1047名解雇をめぐり5月28日に、動労千葉9人と元国労の秋田闘争団の小玉さんとあわせて動労総連合として不当労働行為の申し立てを進めていく。団交拒否と解雇撤回・原職復帰、この二つを申し立てる。
 団体交渉の開始も当然ですが、JR設立委員会の不当労働行為、JR東日本が不当労働行為の直接の当事者になっている実態を明らかにして、解雇を撤回させ、JR復帰・原職復帰の運動として進めていく。解雇撤回を求めた労働委員会闘争として展開することを、弁護団として確認しています。
 1987年2月2日、斎藤英四郎のところに葛西敬之と井手正敬が出向き、不採用基準の作成を斎藤委員長から命じられ名簿不記載基準を作成した。これは井手の懇談議事録に明記されている。
 問題は、同年2月12日の第3回設立委員会です。設立委員・国鉄の両方が加わった会合で、JR東の初代社長になった住田正二、国鉄総裁の杉浦喬也も入っていた。設立委員は国鉄と別物ではない構成になっていた。ここで名簿不記載基準を決定した。単なる斎藤英四郎の判断ではなく、設立委員会総体が不当労働行為に関わった。絶対に否定することのできない事実です。このことを強力に主張していく。
 革マル主導の動労については、昭和58年4月以前の処分は不問にして不採用基準から除外した。動労千葉の昭和60年11月28~29日の第一波ストライキ、昭和61年2月15日の第二波ストライキに焦点を合わせて不採用基準を作成した。これは完全な差別です。
 それを動労千葉の鉄建公団訴訟の最高裁決定で、不当労働行為、違法と認めさせた。彼らが作った国鉄改革法23条5項で、採用に関して設立委員会がなしたことはJRに及ぶことは法文上明記されていた。解雇撤回に法的責任を持っている。なぜ自民党の甘利明などが、国労に臨時大会まで開かせて「JRに法的責任がないことを認める」ことを要求したのか。JR側の法的責任が表ざたになった時の重大性に危惧していた。機動隊まで動員して国労に臨時大会をやらせた。
 不当労働行為についてそこまでひっくり返していく闘いになる。5月28日の提起はそういう意味がある。激烈な闘いにしないと貫徹できないわけですが、そのこともバネにして、7月1日の国鉄集会をやりたい。
 労働運動があればこそ改憲阻止、戦争阻止ができる。国鉄闘争全国運動、動労千葉を軸とし
た分社化、非正規職化阻止の職場闘争と結びついて取り組んでいきたい。その一環として今回の労働員会闘争をやりたい。

●伊藤晃さん(日本近代史研究者)

 一つは、呼びかけ方ですが「すべての仲間は動労千葉に結集しよう」ではなく、「君たちもこの問題で闘え」「職場で一緒に闘おう」という呼びかけが正しい気がします。実際には東労組が崩壊しつつあるから同じようなことですが、本来の筋から言うとそう思います。
 第二は、憲法の問題です。日本の労働運動は憲法に対して弱い。職場における憲法闘争とはなんだろうか。今の憲法は、社会的に労働者や人民が苦労して闘ってきた結果としてできた憲法じゃない。その後、いろいろな形で憲法と結びついた闘争がやられたことは事実ですが、職場や各地で起きたいろんなことが憲法問題なんだという認識を広げていくことが非常に重要ではないかと思う。
 今の改憲阻止の思想は、どうしても社会的な深みを欠くきらいがある。日常的な感覚として憲法問題がある。みんな憲法問題です。ビラまきの妨害だって憲法違反です。そういう形で意識をどう作り出していくのか。
 例えば外房線・内房線の問題にしても、憲法の地方自治に関係してくる。ですから直接そういうことを議論するかどうかは別にして、そういう意識を持ってやらないと改憲阻止闘争も、今のままだと上滑りしてしまう感じがあります。
 第三は、この状況まで来ると、労働運動の長い再編過程に入っていると感じますが、それをわれわれがどう担っていくのか。息の長い取り組みとして基礎的な勉強です。これを全国運動として、各地で基礎的なところから職場なり地域で勉強していく。そういう能力をどうつけるのか。
 例えば、同一労働同一賃金という言葉は、もともと労働運動の言葉であったものを勝手に使っている。それに対して、賃金とは何か、労働者にとってそういう問題をもう一度考え直してみることが必要になってくる。そういう意味で、基礎的な勉強をやる場所を作っていくことを考えなくてはいけないと思います。

●金元重さん(韓国労働運動史研究家)

 2・11集会後、解雇撤回闘争を労働委員会闘争として闘っていくことを私なりにイメージがないまま来て、葉山先生の話を聞いてこういうふうに闘うのかというイメージがつかめた。
 私が2・11国鉄集会の開会あいさつで「労働委員会闘争を労働運動としてやろう」と言ったのですが、明確なイメージがあったわけではないです。
 5月28日に労働委員会への申し立てのスケジュール設定もできていますし、葉山先生の明確な指摘でだいぶわかりました。
解雇撤回闘争としてやる論理、つまり相手方の矛盾ないし弱みを徹底的に暴き出して、不当労働行為以外のなにものでもなかったと、解雇撤回を強力に主張をしていく闘争のイメージが明確になってきた。
 韓国の2016年秋からのロウソク革命は、パククネ政権のスキャンダルを暴いていった。「国政壟断」という言葉を使った。その驚き、怒りが連日のデモになった。
 斎藤、葛西、井手の共謀については、今までも裁判闘争で明らかにしてきたが、ひとり斎藤らの行為ではなくて、設立委員会全体が関わっていた。まさに国政を壟断した連中の不法行為、不当労働行為を徹底的に暴くかたちで労働委員会に申し立てる。
 私たちも闘いの原点に立って、労働運動として労働者の権利主張、正義というイメージを多くの仲間に訴える。
 労働委員会闘争をどう展開するのか。動労千葉9人と元国労秋田闘争団の小玉さんの大変な闘いが始まるわけです。労働委員会で調査や証人調べがあるわけですから、それを支える労働運動としての労働委員会闘争は何か。署名運動は始まっている。それ以外に何をやるか。私も呼びかけ人の一人として、街頭宣伝もやれればそれにこしたことはないし、なんらかの形でマスコミに国鉄分割・民営化の秘められた真実を訴えることが必要かもしれません。
 労働委員会闘争を労働運動として大衆運動としてやるときにどういう闘いができるのか。
 物販というかたちで各地に入っていく経験があります。誰もができることでもないし、さまざまな印刷物とかパンフレットを通じて、敵の弱みや不安を暴くことをどう効果的にできるのか思案を巡らしていく。
 葉山先生の提起をドラマチックに書くパンフレットもひとつの手で、どう学習会なり、国鉄闘争の総括的なものを提起できるのかが課題ですね。

●花輪不二男さん(世田谷地区労働組合協議会顧問)

 労働運動としては、連合の反幹部闘争を決定的に進めていく。労働運動として、連合の崩壊を座していてはならない状況です。労働者に対してやはり啓発していく。「憲法が崩壊したら戦争につながっていくぞ」と警鐘を鳴らしていく以外にない。
 全部それは、職場に影響を与えいく。戦争をやる時は、運輸労働者も機械労働者も、サービスに従事している労働者も、すべて戦争協力させられていく。そういう仕組みを今までも経験しているわけですし、そこのところの意識はやはり変えていかなければならない。
 そういう意味では、教育の場を非常に重視していかなければならない。自分の経験でも、やはり戦争政策に囲いこまれて、私も少年時代に他に情報がない中で教育されていた。そういう少年時代を経験していますから、そういう時代は何だったのかを認識させていく継承が必要ではないかと思います。
 国鉄分割・民営化で解雇された1047名の労働者を、ある意味で掘り起こすような形でやらないといけないのかなと思っています。私も闘争を支援してきた付き合いがある。「もういいよ」という闘争団もかなりいる。闘争団も苦しかったからです。それを乗り越えてゆく連帯感が必要です。その人たちの経験を掘り起こして、1047名は全国に散らばっているわけですから、自分の経験を通じてキャンペーンして組織化ができないかなと思っている。
 一人ひとり訪ね歩くよりしょうがないのかなと思う。北海道や九州でも、「わかるけれどももういいよ」と言う気持ちを何とかしなければと思います。
 鈴木コンクリート工業分会でも、運動量の問題にかかってきますが、さらに大きな運動体を組織して立ち向かっていかなければならならない。鈴木コンクリート工業分会は、中央労働委員会で勝ちました。あまりにひどいブラック企業ですから、中央労働委員会も基本的なところはほぼ認めた。職場で貝にならざるをえなかった人たちも「やっぱりお前らの闘いが正しかった」ということで、少しずつ話ができるようになってきています。

●入江史郎さん(スタンダード・ヴァキューム石油自主労働組合委員長)

 JR東日本の場合は、動労千葉があったことで動労革マルを解体することに躊躇があったと思います。それから1047名闘争があった。1047名闘争を守ってきたことが大きい。その勝利性を確認しておくことが必要です。
 しかし闘争団も高齢化している。一番若い人でも(動労九州委員長の)羽廣憲君の2つ下。北海道の事業体は、ス労自主でも物販を扱っていたけれども、「もう取り組めなくなりました」と連絡を受けた。今度、北海道に行ってきます。
 ずっと考えているのは、国労はなぜ2000年4党合意でつぶれたのか。彼らが一番重圧に感じていたのは202億円の損害賠償請求訴訟です。
 「労働者階級は失うものがない」と言うけれども、失うものがあると自覚した瞬間に、やはり勝負がかけられなくなる。逆に言えば、敵の方も薄氷を踏む思いで勝負をかけている。中曽根も自民党では反主流だから、ああいうことをやったと思うけれど、きわどいことをやった。戦後日本の労働法制もぶっ壊した。彼らの支持基盤も分解する。
 われわれが少数派に甘んずるのではなく、やはり主流派としての路線とか戦略を持ち得なかった。結局、形の上で主流派だった国労ににプレッシャーが行ってしまった。戦後労働運動としては反省・教訓にしていかなければならない。
 敵の方もまだ探っている。見切り発車になっている。そこのところはわれわれの方がきちんと対決軸を作っていく。
 労働委員会闘争は非常に重要だと思います。