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闘う合同一般労組資本と闘う労働者の大隊列を生み出すために日々の奮闘を決意訪韓闘争に東京中部ユニオンの幟(のぼり)を持って参加

月刊『労働運動』34頁(0309号12/01)(2015/12/01)


闘う合同一般労組
資本と闘う労働者の大隊列を生み出すために日々の奮闘を決意
訪韓闘争に東京中部ユニオンの幟(のぼり)を持って参加


原 由美子(東京中部ユニオン委員長)
 11月14~15日、訪韓闘争に参加してきました。今回は、7月に結成した中部ユニオンとして、ノボリと腕章をつけて初参加です。訪韓団は106人。青年労働者も多く、11・1労働者集会の息吹を韓国に持ってきたようでした。
 14日の「チョンテイル精神継承2015労働者大会」は、広大なソウル市庁舎前広場を労働組合の大隊列が埋め尽くし、広場に向かう道路も労働者が完全に制圧して闘われました。結集した人数は10万人。これまでの労働者大会の中で最大規模ではないかと思います。民主労総の圧倒的な力をパククネに見せつけた、ものすごい闘いです。「日本でもこのような闘いをやりたい!」と強く感じました。
 14日大会当日の朝9時、11・1集会に参加した民主労総の女性組合員のKさんが、私たちの宿泊するホテルに来てくれました。それから夜の食事まで、私たちと一緒に行動してくれたKさんは、日本の仲間と話したいという強い気持ちで1年間徹底的に日本語を学習したといいます。その熱い気持ちに接し、仲間である喜びを痛感しました。
 11時、ソウル市庁舎地下で、訪韓団の意志一致を受けました。そこで、民主労総ソウル本部が私たち訪韓団のために特別に作ってくれた赤いゼッケンと、キンパ(韓国ののり巻き)、座り込み用クッションの差し入れをいただき、民主労総ソウル市庁舎支部の組合室で、組織部長から当日の行動方針について提起を受けた上で、大会にのぞみました。
 市庁舎前広場には、集会開始の2時間も前から、ピンク色の帽子とカッパを着た学校非正規職労働者の大隊列が独自集会のために集まっていました。ほぼ全員が女性です。
 訪韓団は、市庁舎前広場前の路上、ソウル本部の隊列の最前列です。雨がパラつく悪天候をものともせず、続々と労働者が結集し、道路はまたたく間に埋め尽くされていきました。私たちが座り込んでいる道路は、後ろにどこまで人が座り込んでいるのか見えないほどの人数です。広場に面した30階以上ありそうな高層ビルの上に、豆粒ほどの大きさに見える2人の労働者が巨大な横断幕を掲げています。ハングルが読めないのが悔しい思いです。
 午後2時半から大会が開始されました。ステージの状況は巨大なスクリーンに映し出され、クレーンに吊るされた巨大スピーカーから音が発せられ、どこでも集会の内容がわかるようになっています。
 律動、鉄の労働者、寸劇などが展開され、闘いに倒れた仲間への追悼、ニムのための行進曲などを歌った後、集会のクライマックスは、最後のハンサンギュン委員長の激烈なアピールでした。発言では「今日は夜まで1日、ソウル市内を労働者のために解放しよう!」と力強く呼びかけ、参加者は最大限の歓声で応え、実際その通りの行動となりました。
 労働者大会を終えてソウル市庁舎から民衆総決起が行われる光化門(クヮンファムン)広場(青瓦台(チョンワデ)―大統領府前)までのデモ行進に出ました。民衆総決起闘争本部のスローガンは、「パククネ政権退陣、労働改悪中断、主食用米輸入阻止、TPP反対、露店摘発中断、障害等級制、扶養義務制度廃止、歴史歪曲、歴史教科書国定化計画廃棄」など労働者、農民として死活がかかった課題です。
 夜10時頃までソウル中心部の交通は全面ストップ、労働者、農民、学生が街を占拠し解放区になりました。訪韓団のデモ隊は、ソウル本部の指示に従い光化門までは行かずに解散しましたが、最前線では阻止線を張る警察と激しい衝突となり、放水、ペッパースプレーとの闘いが7時間にもわたって繰り広げられ、農民が一人胸に放水の直撃を受けて危篤状態にあるということでした。
 解放区となったソウル市街では、労働者が組合ごとにデモしたり、座り込んで独自集会をしています。大学旗を掲げた学生団体もいて、農民の団体はトラックの荷台で怒りが伝わってくる激しいアジテーションしていました。「農民も国民だ」の横断幕を持っている人に挨拶したところ、片手で「パククネ」、もう片方の手で「アベ」と言いながら、手の指で地面をさして「両方やっつけよう」とアピールしてくれ、笑顔と握手で連帯の気持ちを交歓しました。
 翌15日は10時に国会議事堂前駅に集合し、コルトコルテック・ギターの不当解雇撤回を求めてセヌリ党(政権党)前のビニールテントでハンストを闘っている現場を訪問しました。高齢の金属労組・コルト楽器支会長はハンスト40日目で厳しい健康状態にありながら、私たちに連帯の挨拶をして下さいました。
発言に立ったパン支会長は、「解雇された労働者の子どもたちは中学・高校生になったが、解雇された父親は、子どもを育てられない大変つらい状況に置かれている。このようなことを財閥や政治家は知っているのか! 労働法改悪は絶対に阻止しなければならない。昨日の闘争は、労働者も市民も一緒に闘った。日本でも10万人が立ち上がったことに感銘を受けた。日本の労働者・市民も平和を願っている。日本と韓国の仲間はひとつになって闘おう!」とアピールされました。道路の前にセヌリ党本部を警備する警察車両が並び、警察が監視をする中、強風が吹けば飛ばされそうなビニールテントでの闘い、怒りが込み上げました。
 その後、ソウル市街中心部の鐘路(チョンノ)駅に移動、ホームプラスの現場を訪問。支部長がアピールされました。韓国で3本の指に入るディスカウントストアで、大半が40~50代の非正規の女性労働者、2013年に結成された労組です。企業買収で企業を高く売って儲(もう)け、労働者を解雇したことに対して、訪問したビルの22階で籠城(ろうじょう)闘争を続けている現場でした。サンヨン自動車もそうですが、韓国資本・財閥が、金儲けのために労働者を解雇し路頭に放り出している現実。本当に生きるための闘いが激しく闘われている現場に接し、資本の悪辣(あくらつ)さに心底から怒りを感じました。この韓国民主労総とともに、私たちの闘いも、資本と激突して闘う労働者の大隊列を生み出すために、日々奮闘する決意を新たにした訪韓闘争でした。11・1集会でソンホンジュン事務処長が、「最後のひとりになっても闘う決意がありますか!」と呼びかけましたが、その決意がこの大闘争を生み出していることを心に刻み、闘っていく決意です。