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理論なくして闘いなし 第14回「働き方改革」とはなにか(続)

月刊『労働運動』34頁(0338号07/01)(2018/05/01)

理論なくして闘いなし 闘いなくして理論なし 第14回
「働き方改革」とはなにか(続)


山本志都 弁護士

3月15日、合同・一般労組全国協主催の学習会での山本志都弁護士講演(前号の続き)

2 働き方改革関連8法案からみる労働法制破壊の狙い

 (前号の続き)

(3)評価制度による格差の容認・固定化~「同一労働同一賃金」

提案されている「同一労働同一賃金」の内容

 「働き方改革」で喧伝されている「同一労働同一賃金」とは、一言でいうと評価制度による格差の容認、固定化ということです。正規・非正規の間の処遇格差が余りにもひどい現状にあるから、「同一労働同一賃金」といえばいいことであるかのように聞こえます。しかし一体誰がどのような方法で「同一」であるかを判断するのでしょう。同一とされる「賃金」とは何をさしているのでしょう。
 「働き方改革実現会議」には、リソナグループの人事担当者が参加して、「うちの会社ではこんなふうに同一労働同一賃金を導入している」と説明しました。資料もホームページ上に掲載されていますが、「基本給を低く抑えて、正規も非正規も同じ金額にする。それ以外の動かせる部分は評価によって決める。正規も非正規も業績や果たす責任によって同じように評価する」と、あたかもすばらしい取り組みであるかのように取り上げる。
 クレディセゾンという会社では、アルバイト以外の全社員を対象に「役割等級制度」を同一労働同一賃金の先取りと言って導入しています。「役割等級制度」は近年、取り入れる会社が増えてきているのですが、クレディセゾンでは、期待される役割や等級ごとに「行動評価」を行い、5段階等級で成績表を1から5まで皆につけて「その評価を反映してあなたの給料が決まります。正規も非正規も通知表を渡します」と取り扱います。本来、賃金は労働契約の非常に重要な要素であり、最初に契約した金額から上がることはあっても合理的な理由なく下げることは許されないはずです。しかし、この仕組みの場合には、5と評価された人が1に下がってガクンと下げられても「評価が下がったから」と言われれば文句も言いにくい。
 2016年12月に厚生労働省が「同一労働同一賃金ガイドライン案」を発表しました。「いわゆる正規雇用労働者と非正規雇用労働者との間で、待遇差が存在する場合に、いかなる待遇差が不合理なものであり、いかなる待遇差は不合理なものではないのかを示しています。この際、典型的な事例として整理できるものについては、問題とならない例・問題となる例という形で具体例を付しています」と冒頭にあるとおり、さまざまな事例が列記されているものです。ここには「どのような雇用形態を選択しても、納得が得られる処遇を受けられ、納得がいく選択ができ、わが国から非正規という言葉を一掃することをめざす」と書かれています。つまり当事者が納得できればいいということ、そのためには「評価」を押し付けることが前提になります。

能力主義の評価制度

 では、その「評価」はどのように行われるのか。「職務や能力等の明確化と、賃金や待遇との関係を明らかにすることが大事だ」と言われています。つまり「職務はどういう中身で、個人はどういう能力があるのかを一見して分かるよう数値化し、その評価賃金があっているのかどうかを判断しろ」というのです。そこからすれば、先にあげたクレディセゾンのやり方は、規定されたとおりの同一労働同一賃金のあり方といえます。
 法案の中では「職務内容、成果、意欲、能力または経験などを公正に評価」という言葉が使われ、役割の難易度や企業の期待度を反映することになっています。逆に言うと「成果」を打ち出すことによって、賃金の「生活給」、労働者の生活を成り立たせるに十分な賃金という性質は否定され、賃金は「能力に応じて払われるもの」だとなるのです。
 ガイドラインを見ていくと、雇用形態間、男女間、地域間の待遇差、これが現実には大変問題なわけですが、全く触れていない。
 会社側がどう対応すべきかという観点からのアドバイスをネット上でもたくさん見ることができます。容易に想像できることですが、そこであげられている対応策は、「正社員と非正規社員の仕事区分を明確にし、現状の賃金格差を正当化すること」そして「正規の基本給を切り下げて、非正規の基本給に近づけること」です。「成果」「能力」による「評価」というマジックワードを挟み込むことによって、正規の給与は切り下げられることは必至です。退職金にも大きく影響します。
 非正規の「手当」を出すといいますが、一部の「役職手当」などであって、「家族手当」や「住宅手当」には触れられていない。
後で述べる「会計年度職員」の関係でも同じですが、手当が出るという宣伝にだまされてはいけません。

(4)労働者性の剥奪~「柔軟な働き方」

「柔軟な働き方に関する検討会」

 四つ目は、「柔軟な働き方」というテーマです。これを本当の言葉で言い換えれば、〝労働者性の剥奪〟です。「柔軟な働き方に関する検討会」が昨年12月25日に開催され、厚労省報告が出されています。
 提案されている「柔軟な働き方」というのは二つ。テレワークと副業、兼業の解禁です。
 会社という同じ場所に皆が足を運んでそこでみんな一緒に仕事をするという形ではなくて、一人ひとりが会社とネットやテレビ電話などでつながって仕事をするというやり方がテレワークです。在宅だったり定点をもたないモバイルだったり、その中でも雇用型と自営型があると書かれている。雇用型というのは契約関係、労働者として働くということになりますが、自営型のテレワークというのは要するに請負、個人請負、一人親方で、仕事をもらって家で仕事をする内職のような形態です。
 副業、兼業は、今は8割の会社で禁止されています。しかし、「主体的に自らの働き方を考え選択できる」という理由で、このような禁止規定を撤廃していこうということが推奨されています。これは要するに、一つの会社では生活できる賃金は払えないから、他の会社で働いていいと責任放棄しているということです。
 いま実際にクラウドソーシングといわれる手配業がはやってるようです。例えば自動車の配車や飲食物の配送、ハウスキーパー、家政婦さんの派遣等で、登録しておくと需給の間のマッチングをしてくれる。これは一種のテレワークになるのでしょうが、その中でたくさんトラブルが起きています。例えば、突然仕事内容が変わって、期限が早められ、仕上げないとお金が払われない。ネット上でやれば、請負金額についてオークションをしているようなものだから報酬がどんどん下がっていく。会社で継続して仕事する時は、賃金不払いに至るのは相当末期的な状況のはずだが、ネット上での顔が見えない希薄な関係ではお金を払わないということが簡単に出来てしまう。トラブルが頻発しています。
 自営型のテレワークというのは、要するに個人事業主です。労働法で守られる労働者ではなくて、事業主体になれというんですね。今だって、建設業における個人親方、ヤクルトの販売員さん、NHKの料金徴収に来る人、みんな個人事業主です。私はNHKの女性料金徴収員の解雇事件の代理人になったことがあります。NHKの視聴料徴収のための子会社が相手ですが、個人事業主だから解雇ではなく、ただ請負契約を切っただけだ、と先方は言うのですね。料金回収のための登録機械を与えられて、担当を割り振られて、期限までに徴収するという仕事です。徴収状況を報告するための会議で行ったパワハラを訴えたら、契約を切られ、労働組合に入って団交要求したら「お前は労働者じゃないから団交には応じない」と言ってくる。申し入れて団交には応じるようになったが、その中で主張は相変わらず「ただの契約関係だから、切ろうが切らないかはこっちの勝手だ」と主張してくる。当事者も組合も弁護士も「実際は個人事業主じゃない。実態からみればこれは労働関係だ」と頑張り、結果、労働委員会での勝利和解にたどりつきました。しかし、「労働の柔軟化」で労働が柔らかくなってしまえば、そういう闘い方も困難です。

危険性

 テレワークで働くと、皆一緒にいるわけではないからまず連帯して闘うことが難しい。一人ひとりが分断されている。さらに労働時間管理は自分が全部やらないといけない。たとえ過労で倒れるようなことがあっても、全部自己責任になるのです。労働者保護の各種保険、例えば雇用保険や社会保険が適用されません。副業をしていた場合は、労災がメインでない仕事で起きた場合は、労災保険が受けれなくなる。そういう様々な問題が発生します。

雇用対策法

 このことが、8法案の中にどういう形で結実してるか。
 雇用対策法には、「柔軟な働き方」を推進する姿勢が明確です。目的として「労働生産性の向上」が謳われています。とるべき措置として「多様な就業形態を普及する」と書かれています。
 「雇用対策法」というのは、職業安定法、職業能力開発促進法、雇用保険法の大本にある法律とされています。この雇用対策法が変わることで、その他の法律に影響します。労働者性の奪取、労働者の流動性の促進を狙う法制度の一環です。
 「労働者の流動性」つまり、労働者が一つのところで働くのではなく、転職することを当然にすることは、この間ずっと促進されてきました。第一次安倍内閣から竹中平蔵が中心になって、いろいろな報告書を出してきた。その中で言われていることは、「成熟産業から成長産業への雇用流動化」です。重厚長大なメーカーや製造業から成長過程にある産業、これはつまり、サービス、福祉、24時間コンビニ、レストランなどの人がいなくては回らない、しかし、低賃金で普通の時間以外に拘束される仕事ですね。そこに無理やりでも人をもっていく、動かすためにはどうしたらいいかと、竹中らは考えました。その中で、労働移動支援金も出てきました。これまでのように、雇用維持の助成に金を出すのではなく、雇用の移動を促進したことをもって企業に助成金を出すのです。
 「リストラ部屋」という言葉を聞いたことがありますか。会社から見ていらない人をリストラ対象だと言い渡して、そのまま辞めさせるのは難しい、だから「お前の仕事は半年後までに自分の新しい仕事を見つけることだ」と今までいた部屋を追い出し、仕事を与えない。そういう人だけ集めた部屋を作って、仕事をさせないことでプライドを奪い、そこにリストラ代行する人を派遣して、名刺の渡し方や挨拶を教育しているとして、そこに助成金を出す。そんなことが、「柔軟な働き方」という提案と結びついてきます。

(5)好きなときに解雇~「金銭救済制度」

議論の経緯

 最後に、「金銭救済制度」と呼ばれる「解雇し放題制度」についてもお話しておきます。これは8法案の中には入っていないのですが、労働規制の本丸です。金さえ出せば好きな時に解雇できる仕組みです。議論の経過からいうと「個別関係紛争解決制度の予見性の向上を図る必要がある」と言われて研究されてきました。
 労働者が辞めさせられた時、生活のために闘わないで諦めるという選択もありますが、争うこともありますね。そのリスクは企業側にとっては非常に大きい。労働審判になったり裁判になったりして、そのことが報じられることによっていろんなダメージがあり、会社側も弁護士に依頼すれば金がかかる。時間もかかる。解決がいつになるか分からない。労働審判制は、短い時間で低額で解決できますが、裁判になれば2~3年はかかる。どんなリスクに備えるためにいくらお金あればいいと予測を立てることが重要です。それが今のままではうまくない。リスクを予見できるようにしていく必要がある。全く経営者側、資本家側の理屈ですが、そういうことで研究されてきたのがこの制度です。
 2013年から産業競争力会議や規制改革会議で何度も議論の俎上に上がりました。2014年の『日本再興戦略』では調査が必要とされ、2015年に独立行政法人労働政策研究研修機構が調査を実施しました。例えば労働審判制で解雇になった時にはどれくらいの解決金か、労働委員会で斡旋があったときはどれくらいが解決基準か、判決でどの程度の事例だったらどの程度のお金なのか。そこで得られたデータが議論の前提とされました。2016年6月の『規制改革実施計画』では、「労使双方が納得する雇用終了のあり方」というとんでもないタイトルでこのことが論じられています。これを受けて10月には「透明かつ公正な労働紛争解決システム等のあり方に関する検討委員会」が作られ、2017年5月に報告書が出された。この検討会には労働側の弁護士も入り、「金銭解決制度については反対」と言ったが、報告書の結論部分では「重要なことで検討していかなければいけない」という結末にされた。
 2017年12月、「新しい経済政策パッケージ」で、これからどういう政策をどういうタイムスケジュールで進めていくかということで、少子高齢化を国難と位置づけ、「その国難を克服するためには人づくり革命と生産者革命が必要だ」とし、そためには「金銭救済制度」を検討していかなくてはいけないと書いてあります。
 実現の時期については、「可能な限り速やかに専門的な検討に着手して制度的な措置を取らなければいけない」。ですから、数年後には金銭解決制度が、本格的に問題になることは確実です。
 お金を払いさえすれば誰でも辞めさせられるというのが、この制度です。この人はもう会社に要らない、あるいは、この人は会社に害をなす人、この人は気にくわないと思われたら、お金積んで「辞めていただく」。お金さえ払えば争えない。解決金としてどれくらいが相当とされるのかはまだわかりませんが、例えば半年分、1年分払えば辞めさせらるとなったら、それだけの小さなリスクで会社側はいつでも自分の目障りな人間を放出できる。労働運動の破壊の極致であり、こんな状況のなかで労働運動はできない。組合を作って中で頑張るというのはすごく難しくなります。
 2013年からずっとそういう議論があって、アドバルーンを上げ、「ひどいじゃないか」と批判されると降ろすというのをこの間繰り返し、社会の反応を観察し、あるいは社会が慣れるのを待っています。「反撃の声が出なければいつでもやってやる」というのが本音です。私たちも目を皿のようにして警戒していかなくてはいけないと思います。

3 私たちはなにと闘っているのか~敵をみすえよう

(1)改憲攻撃と一体の「働き方改革」

 最後は、「敵を見据えよう」ということを提起します。
 「働き方改革」は、単なる法律の改悪ということではありません。労働者の権利を剥奪する、そして労働運動を破壊することが狙いです。その狙い、攻撃の本質を見据えなければなりません。安倍は「企業が世界で一番活動しやすい国にする」と言っています。そして、今年の施政方針演説では、「今年こそ憲法の有るべき姿を示す」と、改憲攻撃に進んでいます。森友・加計疑獄に端を発した安倍政権の危機的状態でそのスケジュールが若干ずれてきていますが、彼が狙っていたのは今年度中に改憲案を通すということです。改憲を進めるということと、「働き方改革」を絶対手放さず、今国会でやり切るという姿勢を堅持していることは表裏の問題です。
 日本の憲法は、労働基本権について明文で保障しています。
比較憲法的にも、労働基本権、
刑事手続きに関する規定が多いことは特徴とされます。戦前の明治憲法下で起きた歴史的事実、そして戦後革命期の情勢が、これらの条文の中に結実しています。
 8法案によって、事実上、雇用に関する規制が破壊されれば、憲法の条文に手をつけないまま労働基本権を剥奪することができてしまう。「働き方改革」は、使いやすい労働者を資本家に提供することが目的で、労働者を一人ひとり切り離していくところに狙いがあります。直接、労働基本権破壊の改憲攻撃だという面があります。
 もう一つ、改憲に反対する労働者が力を発揮できないように予防するという側面もあります。改憲に反対する労働組合の力は大きい。労働組合の決起が起きないようにしないと改憲も出来ない、戦争も出来ない。そのためには労働基本権を奪っていく、労働者がつながって力を発揮することを防止していくことが必要です。だからこそ労働法制の改悪をやりたいのです。
 これが「改憲攻撃の先取り」という意味です。

(2)「非正規という言葉をなくす」の先にあるもの

「非正規」のとんでもない広がり

 安倍はよく「非正規という言葉をなくす」と言います。「非正規をなくす」と言わないで「非正規という言葉をなくす」と(笑)。要するに「非正規も正規も同じにして、非正規なんて言わせない、だから正規もなくなる」ということです。今、非正規はとんでもなく深く広く拡大しています。
 私は、非正規公務員や公務民間委託が膨大な数のワーキングプアを作り出している「官製ワーキングプア」の事件を積極的に受任しています。その中で、地方自治法・地方公務員法によって新たに産み出された「会計年度職員」についても、非常に問題であると思っています。お話ししたいのですが、これだけで一つのテーマなので、内容は割愛させていただきますが、この「会計年度職員」にも8法案と共通するところがあります。同じ狙いがあります。「非正規の公務員にボーナスを出す」、それは「同一労働同一賃金の実現に一歩近づくのだ」と宣伝されていますが、別に「連帯破壊」「獲得してきた成果の収奪」という狙いがある、と私は考えています。

「改正派遣法」、「改正労働契約法」の2018年問題

 「2018年問題」というのは、派遣法と労働契約法の二つの法律によって、別々に発生します。2018年に、非正規労働者の地位をめぐって大変な状況が起きているということが分かっている中で、安倍は「非正規という言葉をなくす」と言うわけですね。非正規職の解雇をめぐって、横断的な運動を起こさせないことも一つの狙いなのでしょう。こういう攻撃は、階級性をもつ労働者にとって共通の課題です。

(3)労働者に共通の課題

諸外国での状況

 フランス、韓国でも労働法制改悪反対でゼネストが起きました。労働法の中に就業規則の改定で一方的に労働条件を改悪することに反対する運動が強く起きたのです。資本家が狙っているのも共通、労働者の課題も共通です。
 労働条件の一方的改悪との関係では、「労働契約法」を見ておかないといけません。今、「労働」を労働者と使用者との間の個別契約の中に押し込め、ダイナミックな団体的な関係、運動を否定する傾向が進んでいます。先ほど話した、労働契約を請負契約的な成果が求められる性格のものに変えていこうとすることも、その中で起きていることです。労働契約は「当事者が自主的に内容を決定するに当たって必要なルール」として作られました。契約を結ぶ会社と労働者、労働者個人がその内容を決定する時に参考にしなければいけない基準です。
 それに対して労働基準法は、労働者全体に適用される最低の基準を定めたものです。性質が違うのです。労働契約法の中では「就業規則の一方的な不利益変更」について条件をつけて認めています。制定当時発表された学者の声明はその問題点に触れています。
 ダイナミックな労働問題を一般的な契約関係に落とし込めていくことは、すでに様々な形で進んでいます。労働組合のビラ撒きなどに対して、会社が業務妨害や名誉毀損で損害賠償請求をすることは最早めずらしくありません。それも組合に対して損害賠償するだけではなく、当該・支援者個人に対して請求額も高額化している。私が代理人をやっている事件では、昔起きた解雇事件について、組合つぶしに関与してきた親会社にその争議責任を取れと要求して、社前でビラまきなどをしている。それに対して、嫌がらせ的ないくつもの訴訟を起こしてきた。請求を認めた判決は、法的に解雇の無効性が認められなかった話について、ビラを撒いたり、門前闘争するのは嫌がらせであって、組合活動ではないというのが前提になっている。労働組合は民亊免責されるが、いやがらせに類するものだから免責の対象にはならない。新聞記者が取材する時と同様のレベルの注意義務違反を課して、それをやってないからダメだという判決が、最近続いています。組合活動を守るという立場に裁判所は立っていない。
 裁判で地位が認められなかったとしても、門前闘争を繰り返したり、取引先や関係者に働きかけて、復職を実現した例は現実にたくさんあります。それは労働運動の正しいあり方のはずですが、「地位については法的に争え、実力を用いる労働運動は正当な労働運動として保護の対象にはならない」という態度を裁判所はとり始めている。それは、契約の中に労働者や労働運動を押し込めていく動きと軌を一にしていると思います。
 労働委員会が裁判所のように変わってしまっています。労働委員会の労働側委員の言うことが、経営側委員よりひどく、手続きのしばりも厳格で、労働者のための制度とは言いにくくなっているのが現状です。
 労働審判もほとんど金銭解決しかありません。裁判所も地位確認や復職は、はなから考えていません。解決金額も低額で固定化しています。また、労働審判は公開法廷で行われるわけではないので、運動が広がらない。それを悪用して、組合から団交を申し入れられて争議になりそうになったところで、会社側から「労働契約が存在していないことを確認しろ」と労働審判を起こすというやり方も行われています。労働組合の圧力を排除した中で、個人としての解雇者に和解を迫る。これも狭いところに労働運動を閉じ込め労働者を切り離す攻撃の一環です。

何に依拠できるのか

 そのことの集大成として、今、8法案が出てきているのです。法案の内容ももちろん大切ですが、全体として何が狙われているかを見ていく必要があります。
 その時に、私たちが何に依拠できるのかというと、やはり労働そのものがもっている力、労働組合の力です。一人ひとりではなかなか切り崩しに対抗できない場合でも、組合で闘うことによって対抗していくことができる。ゆがんだ形ですが、「雇用の流動化」が企図されることの中に、労働が金を生み出し、労働者の労働が資本家を稼がせていることが現れています。労働者が社会を回しているという真実はすごい力です。
 最後になりますが、8法案の中身を見ていく中でも、マルクスの言っていることや『資本論』で取り上げられた問題が、今、具象化されてよく理解できるようになったと感じます。「労働時間」の問題もそう、「同一労働同一賃金」の中で出てきた「賃金」の問題もそう。昔、学生時代に読んでよくわからなかったことが、事実の手ごたえもって理解できるようになってきたのではないでしょうか。「働き方改革」のまやかしを私たちの目で見透かしていきましょう。