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理論なくして闘いなし 第15回 関西生コン型労働運動について

月刊『労働運動』34頁(0338号07/02)(2018/05/01)


理論なくして闘いなし 闘いなくして理論なし 第15回
関西生コン型労働運動について


武谷新吾   (関西地区生コン支部書記次長)

3月17日、動労千葉労働学校での関西地区生コン支部の武谷新吾書記次長の講演

1965年組合結成 

 関西生コン支部は、1965年に180人くらいで先輩たちが結成しました。関西生コン支部ができた時には、直接的な会社との闘いでした。先輩の話では、当時は第二組合やヤクザとの闘いが主流で5~6年続きました。1970年代の高度経済成長の時は、ばら撒きで公共工事が続き、関西では名神高速道路を作れとか、新幹線の高架橋を作れとかありました。

1973年協同組合結成

 60年代~70年は建設ラッシュで生コンの供給が追いつかず、生コン工場が次々と作られました。1970年大阪万博があり、1974年に建設がストップしてバランスが崩れ、仕事量よりも生コン工場が多いことから、ダンピングにより生コン価格が下落しました。しわ寄せは労働者に来て、賃金カットや首切りなどが行われたのです。直接的に会社とやりあってもダメで、「これはあかん」と先輩たちは立ち上がったのです。構造的な問題で仕事が少ないので、生コンの安売りをしてなんとかしようとしたのが経営者の浅はかな考えです。関西生コンは、ダンピングをやめさせようと、事業協同組合法を活用し、経営者は簡単には結集しないので現場でストライキなどの行動を展開して協同組合へ結集させたのです(1973年)。それが産業政策の始まりでした。
 1974~80年にかけて、生コン業者団体と集団的労使関係にして、生コン工業組合との集団交渉が始まったのです。生コンの安売りをやめさせて、適正な生コン価格にして、価格を戻し、さらに値上げもさせました。その値上げの根拠は、労働者の賃金や出入り業者の運賃です。会社倒産の脅しをしてくると、ストライキでやめさせました。
 その過程で、同一労働同一賃金で産業別賃金が確立されたのです。その時に、産業別雇用ということで、75年以降工場が供給過多になっていたので閉鎖も起きましたが、労働者を第一に考えろと言って交渉した。例えば「A生コンを閉鎖する時には、そこで働いている労働者はB生コンで雇用しろ」と要求した。高齢者で60歳や65歳で退職する労働者には、退職金150%にして、プラス1年分の年収を保障する制度を作ったのです。連帯雇用保障制度です。
 そして、休日は年間125日勝ち取りました。当時は年間休日104日です。
 その時に、1リューベ(立方㍍)100円で労働者基金を集めて、100億円基金構想で産業別福祉に使うことにしました。1980年代ですが、今にしてみればすごいと思います。今は年金でも、50代ですとこれからはもらう金額の方が払っている金額より少ない時代です。当時、年金がこうなるとわかっていたかどうかは知りませんが、生コン産業で働いている労働者が未組織も含めて定年退職した時には、年金を払おうというシステムを作ったのです。
 大阪兵庫生コン工業組合との集団交渉で産別要求を実現して、32項目の協定を交わしました。組織が1300人から3500人になりました。生コン産業だけではなく、タクシー運転士やバスの運転士や保線の方も入ったのです。

1980年代の弾圧~資本と権力、共産党一体の弾圧

 日経連(今は経団連)の大槻文平会長が三菱セメントの関係もあり、「関西生コンの運動は、資本主義の根幹を揺るがすので、箱根の山を越させない」と、関西生コン弾圧が始まった。当時、運輸一般関西地区生コン支部で共産党系の労働組合でした。東淀川署に関生対策班が50人できた。120~130人くらい逮捕された。微罪で逮捕して23日間勾留して不起訴で出すという弾圧がきた。
 その時にびっくりしたのですが、共産党が後ろから鉄砲を打ってきて、新聞赤旗に12月17日声明を出した。「一部下部組織で道義的にそぐわない組織がある。過激な労働運動はおかしい」という声明です。警察も勢いを得た。セメントメーカーも力を得て、直営工場が大阪に20%あって、A生コンがストライキをやっても、B生コンと数社がストライキに打撃を受けない組織破壊攻撃をかけて、労働条件切り下げ、協定書の改悪などもやられた。弾圧や共産党の裏切りもあって、3500人の組織が1300人に減った。
 その後は、協同組合も攻撃をしてきた。もともと先輩たちは「中小零細企業だとゼネコンやセメントメーカーと対等に取引できない。ゼネコンからは買い叩かれ、セメントメーカーからは原料のセメントを一方的に値段を上げられ買わされる谷間にある産業だ。そういうことをやめさせるために、労働組合と中小零細企業が協力してやろう」と協同組合を作ったのです。ところがセメントメーカー大手ゼネコンの主導により裏切ることになり、労働組合に弾圧をかけたり、労働条件を上げない、約束を守らないなどがあった。

1990年代大阪広域生コン協同組合を組織

 セメントメーカーに乗っ取られた協同組合に対して、先輩たちは、変質した協同組合をまともな協組にしようと約10年くらいかけてやった。
 せっかく生コン単価が上がったのに、われわれが手を引いたことで単価が下がってきた。それで協同組合が当時の関生の執行部に「なんとか助けてくれないか」と協力案を出してきた。それならわれわれは生コン業界が安定して値段があがった時には、1980年代に約束したことを守れよと要求した。「わかった協力する」となったのですが、実は、後で裏切るのです。当時、僕も組合員でした。
 当時、生コン単価が1リューべ8500円くらいだったのです。ところが94年に中小零細経営側と関生コンが協力して、1年で1万3800円まで上げた。
 その後、協同組合をさらに強化しようということで、協同組合に入っていないアウトサイダーが18社くらいあって、協同組合に入れようとストライキをやって、2004年10月に17社18工場が協同組合に入ると約束をしたのです。

2005年の弾圧

 ところがうち2社の大谷生コンと旭光生コンが入らないといってきた。その2社は影響力のある会社でした。協同組合に入ることで関西生コンが保証人になっていた。裏切って、2005年1月13日に威力業務妨害で武委員長をはじめ6人の執行委員が逮捕されて、1年4カ月くらい勾留されたのです。その時は、動労千葉やみなさんに激励されました。
 1994年には5労組でやっていたのですが、逮捕される前に、建交労がすっと逃げてしまった。われわれが逮捕されている時に、関西宇部の経営者が「関西地区生コン支部は終わった。次は建交労の時代だ」と言ったのです。ところが生コンの価格は彼らがやった結果、1リューべ1万4300円だったのが9000円台まで落ち込みました。せっかくかちとった週休2日制、年間125日、土曜の出社は組合と協議して決めるとなっていた。生コン車の洗浄水を流すところがあるのですが、現場は洗い水は道交法に違反するし撤廃させたのに、それも復活させてしまった。悪いことばかりやった。
 しかし、2006年武委員長が1年4カ月後に出てきた時には、その年の春闘で賃上げ1万円をかちとった。その時には、勢力が四つくらいあった。大阪広域協組、阪神協組、レディ協組、アウトサイダーなどです。

2010年産業ゼネスト以降の闘い

 2009年には生コン価格が1万円くらいだと経営も大変だし、業務もおぼつかないし、賃上げもできないし、出入り業者も立ち行かない。そのため1万8000円まで上げようと、2009年夏から4カ月半ストライキをやって成功しました。1万6800円までかちとった。それで大林組、清水建設などの商社が合意した。
 木村という大阪広域協組のリーダーが、圧力をかけたのだと思いますが、「あのストライキは関西生コンが勝手にやっただけだ。わしらは関係ない」と言って、勝手にゼネコンに謝りに行った。せっかく1万6800円までいって、生コン業者が採算ベースにのって利益を上げられる見通しがたったのに、おじゃんになった。それで生コン価格が低迷してしまったのです。
 労組と協同組合が一体で値上げをかちとってやるとなった過程で、建交労が「共産党とは切れたので一緒にやりたい」と擦り寄ってきたのです。三役で協議して「共産党と手を切ったのならわかった」となったのですが、予想したとおり裏切られました。
 2015年に広域協組が大同団結して、この間約束したことを履行する、賃上げもするとなった。残っていたのは、出入り業者の運賃をあげろということです。出入り業者というのは、セメントの粉を運ぶ労働者です。15~16年賃金が上がっていなかったのです。生コン会社のミキサー車が足りない時に、チャーターというのですが、1日1台何万円で頼むのです。砂とかじゃりを運ぶダンプです。その三つの出入り業社の賃金が上がってなかったのです。

2017年12月ストライキ

 輸送会社の経営が成り立つことと賃上げは一体だからです。出入り業者の運賃を上げるためには行動しかないと、2017年12月からストライキに入ったのです。大阪、兵庫を除く、奈良、和歌山、滋賀、京都で運賃を上げることに合意したのです。
 ところが大阪広域協組が、「わしらは運賃を上げると言っているのに、関西生コンが勝手にス
トライキをやったんだ」と言って、威力業務妨害だと言ってきたんです。建交労も「ストライキをするなんてとんでもない」と。
 建交労の三役と全港湾の三役、産労の三役、UA生コンの労組で11月と12月にも戦術会議をやっていた。2017年春闘で、賃上げをかちとろう、出入り業者の運賃をあげさせようと話した。ストライキをする時は、各労働組合の自主性を尊重しようと確認した。全港湾と関西生コンはストライキをやると、建交労はストやらない、生コン産労は旗・腕章闘争をやるといいました。UAは何も言わなかった。しかし、ストライキの時には建交労は妨害してきた。ストライキ後、5労組の会合に私が出席したので、意見を言いました。「生コン産労は旗、腕章をしていなかったが、なぜしなかったのか」と。彼らは「職場で討議ができなかった」と答えました。建交労には「ストライキをしないのはいいが、なぜ関西生コンのストライキを妨害したのか」と聞いたら「妨害はしていない」と言うのです。彼らは関西生コンのストライキの現場に宣伝カーで来て、「俺たちはストライキに関係ない」という宣伝をしていたのです。それで年明けに5労組共闘から出るとなった。お金をもらうことを目的に経営側についたのです。われわれの批判ばかりしていますが、12月のスト後には、建交労の組合員が脱退しています。理由は行動しないからと。
 安倍が官製春闘でやっていますが、中小零細企業は賃上げ要求して交渉してそれでもダメならストライキをやって闘うこと以外に勝てない。建交労はストライキをしない。経営側の協力団体となっています。

広域協組、権力、在特会の一体化した弾圧との闘い

 大阪広域協組は、警察と在特会系グループと一緒にやってわれわれに弾圧をしてきている。中小企業が協同組合に結集して、利益があがると労働組合をなきものにしようとしたことが3回あります。1回目が1980年、2回目が2005年で、セメントメーカーがこれくらいの利益でいいのだと。3回めが今回です。1万円から1万6000円になっている。当然、出入り業者の運賃をあげろと要求している。生コン業者がゼネコンや商社に生コンの価格をあげる時に根拠が必要です。
 生コン価格の値上げを要求するのは、生コン労働者や出入り業者に還元するためなのに、フェラーリに乗ってきて「生コン価格あげろ」と要求したら「お前何言うてんのや」と言われるでしょう。2015年に大阪広域協組が大同団結した時に、執行部に六つの提言をしたのです。品位を保ってね、我田引水はだめだと約束するわけです。協同組合はシェア割りをするのが大事で、4人組みたいに自分のところだけの利益をとるのはダメだと。労働組合と協力して業界再編しろと。労働組合に「運賃あげるからな」と言っておいて、協同組合内では「運賃はあげない」と言ったりする。二枚舌です。利益を上げる仕組みと労働組合と協力しろという約束が、今はひっくり返っている。
 1億円近く利益はあがっているのに、労働組合への攻撃が1月から始まっています。
 在特会系が来た時はびっくりしました。動画とか流すでしょう。ヤクザと違うので、ちょっと戸惑って、反撃が遅れました。反省しています。大阪広域協組の4人組が、在特会と結託して攻撃をしてきました。反撃は、一つは行政を使う。二つ目は裁判所、労働委員会を使う。三つ目が大衆行動です。
 和歌山では1週間闘いました。黒い帽子を深くかぶって、黒いマスクをして、編み上げの安全靴はいて、黒い服を着て気持ちが悪い。でも大したことはない。実際問題、武委員長とも話したのですが、組合員からも説教受けました。「武谷、牙抜けたんか。怖いんか。怖いんなら引退せい」とか言われました。カチンと来たけれど、そう見えているのはそうなわけで、よく言ってくれたと思いました。4日目に、警察も来た。在特会に警告をうつ前に、いきなり「出て行け」と言われて「やり直せ」と反論しやりました。アクション起こしたら、リアクションはあるわけです。
 今春闘は、12月12日にストライキをして、バラセメントとダンプとミキサー輸送の運賃をあげるという約束を必ず守らせる。これを守らないところにはストライキを打つ。大阪広域協組に加盟している企業の賃上げを必ずかちとる。中小企業も資本家ですから、良心的経営者もいるが、できれば連帯労働組合は出て行ってほしいと思っている。年収が1千万円もある、ずるい経営者もいます。「4人組みが怖い。約束守れません」という経営者もいる。集団交渉がメインですが、もうかっている企業には、遠慮なくこちらが出した賃上げ、一時金の要求をかちとるまで妥結しない。4月はストライキをやる。安倍が労働組合はいらないと思っている。今、現場でストライキをやる組合は、動労千葉と港合同と関西生コンくらいでしょう。動労千葉は電車の中で液晶で「動労千葉ストライキ」と出ているでしょう。格好いいですよね。組合員の要求を実現するためにはストライキをするしかない。話し合いしても賃上げなんかしません。もしストライキをする労働組合がなくなったら条件が悪くなるのは当たり前でしょう。
 建交労は、関西生コンがつぶれたら、自分たちが金をもらえると思っている。とんでもないですよ。東労組と同じでパッと切られますよ。10億円も計上するくらい利益が上がっているのだから、賃上げは当然ですよ。安倍には思い通りにはさせない。どんどんストライキをやる。全労働者の利益代表者として闘っていきたい。12月に建交労を脱退する組合員が出ている。労働条件の改悪提案でふざけるなと言っていた。建交労に「協力してくれ。ストライキをしなくてはいけない」と言っても聞いてくれない。建交労は、幹部だけがどうしようもないくらい、腐っているのです。
 われわれも春闘でもストライキに決起します。動労千葉もどんどんストライキをやって、電車も止めて、世の中に影響を与えて下さい。一緒に頑張りましょう。

●質疑応答

○医療労働者 1時間半のストライキと聞いて、すごい組合と思いました。病院なので1時間半もストライキをやることのすごさを感じます。話し方がやさしいし、奥様の話もされて、同志として闘っていると感銘を受けました。すごい闘いをしているのは仲間がいるからだと思います。反対意見が出る時はどうやって一致しているのですか。

○武谷 いきなりストライキをすると大変で後に響く。個別分断してくるので、それに負ける組合はダメです。一方的に話さないで、顔を見てよく話を聞いて、話し合って方針は決める。中央委員会は定期的にやっているが、必要があれば120分会を集めて話を聞く。武委員長が言うのは、内部の意思統一に70%をかける、団体交渉などの行動が30%だと。内部意思統一をすることで半分以上勝ったも同然だ。それをなおざりにすると現場に出た時に右往左往する。勝手なことをすると他の分会に影響を与えるとわかる。分会内でもいろいろありますが、その場合は団体交渉は置いてすぐ話して団結をすることが大事です。

○鈴コン分会 鈴コンには「会社を守り支える会」があってやり合っている。在特会がいて武闘派の活動家はやりあいはしているのですか。

○武谷 それなりにやります。

○介護労働者 建交労で仲間にしようした時、意識的に裏切る奴はどうすればいいのか。
 数年前、介護士を組織化したと聞いたがどうなったのか。

○武谷 先週1時間半ストライキをした時も建交労の現場労働者は来るんです。幹部以外の方は事実を知らされてない。職場の意思統一はできてない。
 介護士の組織化ですが、支部を立ち上げた。介護と清掃と医療を作った。3Kの仕事で、賃金も安く問題がある。賃上げとか有給などを要求しているが、数が少ない。どう改善していけばいいのか介護領域はよくわからないので教えてほしい。

○化学関係労働者
 自分たちの職種ではストライキはあまり聞かない。これからの課題だと思います。労働学校のタイトルとして階級的労働運動となっていますが、階級的とはどういうことですか。

○武谷 武委員長がよく言うのですが、「階級性がない。仲間を守るのは当たり前。でも同じ作業をやっている未組織の労働者の要求も吸い上げて団体交渉をしないとだめだ」。最近は女性ドライバーもいて、女性特有の課題もある。たえず組合員の要求も考える。対話も大事です。青年女性部の責任者の人は女性の視点がとても大事だ。心の病気などいろんな人がいる。学習して丁寧にしないといけない。○鈴コン 2004年アウトの組合を入れようとストライキに入った話を詳しくして下さい。

○武谷 企業が約束を守らないのでストライキに入れた。裁判所が労使関係がないところに関生が押しかけてきたのは威力業務妨害と言われた。しかし逮捕覚悟でやるんです。

○アパレル労働者 中小企業の社長とどう話していくのか教えてほしい。関生は青年の獲得をどうされているのか聞きたい。

○武谷 経営者は正当化しません。近畿2府4県で、奈良、京都、滋賀の組織率は高い。地域の生コン会社の分会が多い。60%を超えている。奈良は80%、京都は60%、滋賀は60%。大阪は20%しかない。これが弱さです。組織率が低いから4人組に引っ張られる。4人組のところに分会はない。大阪広域協組120社のうち20%だから、60%になってストライキをやれば大阪市内は大混乱します。2010年ストライキしたらJR大阪駅周辺は工事がストップした。私は組織部の責任者ですが、組織率で力関係は変わる。
 若い人をどうオルグするか。関生は動員やストライキ、学習会も多い。しかし、釣り、ゴルフ、絵画活動など文化活動もやっている。人間関係をつくりながら組織する。学習会だけではダメです。人間関係が大事です。

○自治体労働者 改憲阻止闘争をどうつくりだすのか。闘う労働組合の関生、港合同、動労千葉がいることに展望がある。ストライキで闘える労働組合こそ必要だと思い、イメージが湧きました。組合員一人ひとりと向き合ってしっかり話を聞いていることが大きい、文化活動も大事だと思いました。

○武谷 老健職場の視覚障害の方が組合に入り、賃金カットに対して1時間ストライキをやり、団交で一時金が満額出ました。組合員と協議した上でストライキやるといいですね。

○パート労働者 滋賀で建設工事をしている人が関西生コンはすごいと言っていました。
 毎朝6時半に執行部が集まって意志一致の会議をしていると聞いたのですが組織拡大にむけた執念はすごいと思いました。

○武谷 滋賀の建設関係のことは、関生には53年の歴史があるので、僕らの先輩の蓄積です。
 毎朝7時から執行部三役が会合しています。前日の報告と、それに対する当面の方針、将来の方針、内部問題、1時間から1時間半です。武委員長が6時過ぎには来られるから、私は5時半には行っている。委員長は、執行部の訓練をしてくれているのだと思います。