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苦闘の得た教訓は労働運動の宝 教育現場で闘う

月刊『労働運動』34頁(0347号10/01)(2019/02/01)


すさまじい苦闘の中で得た教訓は労働運動の宝だ! 教育現場で闘う!

(写真 8・6ヒロシマ行動で発言する筆者)

平野 綾子(広島県教職員組合)

 動労千葉の闘いはことあるごとに聞いてきたのだが、改めてその歴史を振り返って、苦闘の中で日本の労働運動が常識としてきたあり方を覆し、前例のない運動と団結を作り出してきたことが衝撃的であった。
 そのすべてに触れることは出来ないので、自分に引き寄せて二つのことを取り上げたい。
 まず一つは、反合理化・運転保安闘争の確立、きっかけは1972年の船橋事故である。組合員が事故を起こしたことに対して、「事故の一切の責任は国鉄当局の合理化にある」と言い切り、ストライキを構えた減速闘争をした。500名という乗客が負傷し入院している深刻な状況の中で、簡単なことではない。
 「事故問題は労働組合の正面課題にはならない」という当時の労働組合の常識に対する、根本的批判と大転換であった。これが、それまでの当局の合理化提案に対して反対の声を上げるだけの反合理化闘争の限界を覆し、事故という問題の中にこそ合理化の矛盾が現れているという、攻めの反合理化闘争を作り出した。そして、「一人は万人のために、万人は一人のために」という労働組合の原点を組合員自身が確信したことが、動労千葉が闘う組合に飛躍していくきっかけとなった。
 これが心に残ったのは、自分に思い当たることがあったからだ。職場で成績の事務処理ミスが起こった。授業の時間だけ勤務する労働条件の非常勤講師である。すぐに分会で「あなただけの問題ではない。勤務の労働条件の問題であって、誰でも起こりうること。今回、個人の責任にすると次のあなたを生んでしまう。だから個人の責任にしてはいけない」と確認をした。事故やトラブルは当然職場に緊張感が走る。しかし、動労千葉のように常に本質的な問題をとらえ直し、闘いと団結を作るのが必要だと感じている。
 そして、もう一つはなにより国鉄分割・民営化の中で、真正面から闘い団結を作り出し守り抜いていることだ。「国家権力が全力を挙げて襲いかかってきたときに分裂しない組合などない」という日本の労働運動の常識を覆した。問われていたのはすべての労働者の権利と労働運動の未来にかかわる問題だった。
 国鉄の次は教育だといわれていたが、その通り日教組は1995年に文部省とパートナーシップを結ぶにいたった。徹底的に組合をつぶすため、広島が1998年の文部省(当時)の是正指導という国家の弾圧を受けた。このとき、「国鉄の次は教育だ。一歩後退したら、相手は一歩攻めて来る。ストライキで闘おう!」と訴えた。本部は「しなやかに、したたかに闘う」と言って、「嵐が過ぎるまで頭を下げる」と言った。これにより、労働組合の後退が一線を越えて進んだ。必要なのは、攻撃の本質は何か、この闘いが労働者全体にとってどういう位置があるかという時代認識だと思う。そして何よりも、労働者を信じることができるかどうか、ここが決定的な違いではないだろうか。今でも歯ぎしりする思いである。
 「闘う労働運動」とお題目を唱えても何もならない。労働者が団結したらこれだけのことができるということを、動労千葉は実証している。現実の問題を運動にする。
 その問題の攻撃の本質をとらえて反撃をする。労働者階級全体の利益から考える。そうやって労働運動の常識を覆し続けてきた。労働者を信じるということを一番考えさせられた。
 今、広島では「改憲・戦争阻止!大行進」運動で、「再び教え子を戦場に送らない、広島教職員100人声明」を呼びかけ、全体で110人を超えた。(公表可90人)。やはり戦争阻止は日本の労働者階級の魂だ。
 『労働運動の変革をめざして』は、動労千葉の闘いの歴史の総括を通して、現代的な闘いの展望を指し示している。すさまじい苦闘のなかで得た教訓は労働運動の宝だ。これに学んで団結を再びよみがえらせ、労働運動の変革をめざしていきたい。

(写真 8・6ヒロシマ行動で発言する全国の教育労働者)