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闘いなくして理論なし第24回 ロサンゼルス統一教組(UTLA)の闘いに学ぶ

月刊『労働運動』34頁(0349号13/01)(2019/04/01)

理論なくして闘いなし 闘いなくして理論なし第24回
ロサンゼルス統一教組(UTLA)の闘いに学ぶ

(写真 2010年8月日米の教育労働者交流会)

※一人ひとりの組合員が主体なのだ!

米山 良江(東京・教育労働者部会)

教育労働者部会の米山良江さんに、部会学習会で提起した「ロサンゼルス統一教組の闘いに学ぶ」を寄稿していただきました。

 07年から始まったUTLAとの国際連帯闘争を振り返ってみて、「アーリーンさんたちの闘いこそ、私たち交流センターの組織化の指針だ!」と改めて学び直した。

★思いは同じ〝子どもたちを戦場に送るな!〟

2007年7月、動労千葉国際連帯委員会が三浦半島地区教組の組合員と訪米し、NEA(全米教育教会)の大会会場で、アーリーン・イノウエさんと出会った。彼女は、軍の募兵官が高校をのし歩き、生徒を軍に募集していることに危機感を持ち、組合活動の一環としてCAMS(校内の軍国主義に反対する連合)を立ち上げて活動していた。その場で「根津さん、河原井さん解雇反対署名」に応じ、周りの組合員に声をかけ署名を集めてくれた。この出会いから交流が始まった。
 その年、動労千葉の招請に応えて11月労働者集会にアーリーンさんら2人が参加。翌年、アーリーンさんは8月5~10日に再来日、広島、長崎、横須賀で交流を深めた。
 2009年7月1~6日、私は初めて動労千葉国際連帯委員会と共に訪米した。その時UTLAの活動家たちに『俺たちは鉄路に生きる2』(動労千葉前委員長・中野洋著)の英語版がプレゼントされた。2日にはアーリーンさんたちの尽力でNEA全国大会を傍聴した。オバマ政権のダンカン教育長官の「パートナーになって一緒に教育改革を」の訴えに、UTLA先頭に、抗議の声が上がっていた。現状は日本と全く同じ、その中で労働組合をよみがえらせるためにアーリーンさんたちが奮闘していることがわかった。
 3日夜の4時間の大交流会で、セシリーさんに出会った。「そもそもテスト漬け教育は教育ではない」と、「落ちこぼれゼロ法」制定以来、全米で初めての公然たるテスト・ボイコットを組織したエネルギッシュな若い活動家だった。この年、セシリーさんが11月労働者集会に参加した。

★アメリカにおける民営化攻撃は、教育から始まった

 80年代レーガン政権は「教育を改革しなければ、アメリカは滅ぶ」という国家的大宣伝を行い、公教育の解体を新自由主義攻撃の戦略的突破口にした。2002年ブッシュ政権は「落ちこぼれゼロ法」を制定した。
 シカゴ「教育改革」の実績で大統領に成り上がったオバマ政権は、2008年リーマンショック後の各州財政危機に乗じて、公立学校の閉鎖とそれに代わる公設民営校(チャータースクール)の設置を強行した。資本家連中は、チャータースクールへの投資を「高成長の、非常に安定した、景気に左右されないビジネス」と言って、教育予算の略奪・私物化に走った。
 チャータースクールが増設される一方で、公立学校は廃校に追い込まれ、教員の一斉解雇が行われた。職を失った多くの教員は、チャータースクールに悪条件で再雇用され、組合は弱体化されていった。そういう苦闘の中にいたアーリーンたちと出会ったのだ。

★動労千葉労働運動で団結

2010年8月18~25日、奈良、三浦2人、米山の教育労働者部会の4人が、動労千葉国際連帯委員会と共に訪米、20~22日にリーダーシップコンファレンス(組合合宿)に参加した。21日には、日本の教育システム分科会(訪米団が報告者)が開かれた。11月労働者集会に参加した3人が、口々に動労千葉の闘いを熱く語っていたことが、とても印象的だった。「11月集会には、日本全国から、さまざまな産業の労働者が集まっています。私は、教育労働者がこの輪の中にいることに驚き、目からウロコが落ちました」「日本に行ってから、私の人生ががらっと変わりました」「日本では80年代初めから国鉄民営化があり、そこからすべての民営化が始まった」「動労千葉は民営化に対してストライキや職場闘争で闘い、日本における新自由主義との闘いの軸になっています」「アメリカでは政治家に頼ろうとしてしまう。よくても、有名な労組指導者に頼ってしまう。動労千葉の組合員が、『自分たち普通の労働者が団結すればなんでもできるよ』と話すのを聞いて、びっくりした」
彼女たちは動労千葉労働運動の真髄をつかみ、労働組合をよみがえらせるために、合宿のゲストとして招請してくれたのだ。私たちは団結してその目的を達成するために、深夜まで時間をかけて討論して、分科会を成功させた。

★「ユニオンパワー」派が14年執行部選挙で勝利、ストライキへ

 悪戦苦闘は続いた。2011年の役員選挙でフレッシャーが委員長となったが、彼は職場の闘いを信頼せず、団体交渉や裁判だけに組合活動を切り縮めた。12年学区当局が9500人の解雇計画を発表(UTLAの組合員の4分の1という大量解雇)した時も、執行部は、解雇者数を若干減らして大量解雇を受け入れた。
 執行部内で苦闘するアーリーンさんは、闘える組織としてUTLAをよみがえらせために、13年に「ユニオンパワー」を結成。組織の原則、教育のビジョン、組織化の仕方を徹底的に討議して、「ユニオンパワー」派の根本思想・方針を確立していった。オルグのハウツーを単なる技術論だとして軽視せず、正面から取り組むことが本質的に重要だとして、オルグの方法を考え抜き、実践を通して、一人ひとりの組合員が主体なのだということを深く理解していったという。この点こそ、今の私たちが学ぶべき核心だと思う。
 14年の役員選挙で執行部7人を全員「ユニオンパワー」派が獲得した! 新執行部は、全国的組織への挑戦、地域の他産業の労働組合との共闘を積極的に追求し、闘う労働運動の全国ネットワークをめざして闘い、ついに19年1月、歴史的な大ストライキ(『月刊労働運動』3月号にストライキ報告)の大勝利を勝ち取ったのだ。